ニューズウィーク誌のコラムニスト、ロバート・サミュエルソン氏の記事は面白く、私は彼のコラムを楽しみにしている一読者なのだが、切れ味もなかなか鋭い。
例えば「野心をもたなければ、何も始まらない」というタイトルのコラムだが、好況時のアメリカでは、野心が悪者扱いされていると指摘。
ただ野心というのは、人を虜にする強い魅力がある。
だから、家庭を顧みなかったり、人を犠牲にするといったこっとが起こり、それが小説の題材に取り上げられたりもするのだが・・
このように過度の欲望は悲劇につながるが、野心がないと未来は開けないと結んでいるが、確かに野心がなければ進歩もなくなるし、夢の実現ということも起こらないだろう。
野心のために、大事なものを失ったりこわしたりしなければ、野心は大いに結構だと思う。
経済状態がいいと世の東西を問わず安定思考になるのが常だが、こうしたコラムを読むと、アメリカは誰もが人生を切り開けるという理念のもとに、建国されていることがよくわかる。
リスクの低い株式投資は可能か?
また、プロフィット・リサーチセンターのリチャード・ヴェルナー氏のコラムも経済問題に関しての面白いものが多い。
例えば「リスクの低い株式投資は可能だ」というコラムだ。
預金も年金も頼りにできなくなったときは、株に注目する必要があり、価格変動への不安もやり方によっては、軽減できるという内容だ。
これは日本のような、超低金利の国の国民にとっては非常に魅力的な内容だろう。
日本の超低金利政策で思い出したが、日本のこのやり方は企業の借金の金利を下げ、負担を下げるという目的で行われているようだが、個人はそのためにいわゆる犠牲になっていることになる。
これに対する不満の声が聞こえないのは、アメリカ人から見れば非常に不可解に映るようだ。
企業を倒産させないために仕方なくこういう政策をとっているという、政府のいいわけにより、職を失うことを恐れる多くの日本国民は声をひそめているというのが現状だ。
貯金して老後はゆっくりと金利で生活するというのが、どの国でも一般的で普遍的な老後の生活スタイルだ。
それを根本から覆すような政策をとれば、通常その政権は交代を余儀なくされるというのが、正常な状態といえるだろう。
長年働いてきて、お金を貯め、イザこれからという時に、10年以上もほとんどその原資を増やすことができないという状況はどう考えても、普通ではない。
しかし国民だってバカではない。
自衛のために、自分でいろいろな投資法を探すという行動をとることになる。
そうすると、どうしてもハイリスク・ハイリターンを探すという方向になってしまう。
今までの金融の教科書によると、リスクは「資産価値のこれまでの変動」から定義されているが、株式投資は最も高い収益が得られるが価格変動も激しいから、リスクが高いというのが常識とされてきた。
しかし、これには大きな問題があり、このセオリーは、株価が理由なく変動するかのように想定されていることにある。
だが現実の株価の値段の上下には必ず何かの理由があり、それを予測できれば、「ハイリスク・ハイリターン」の株式投資を「ローリスク・ハイリターン」の投資へと転換できると指摘している。
この点は、私が前から「ローリスク・ハイリターン」は、自分でタイムフレームを選択することで可能だと主張している点と一致しているし、そのとおりだと思う。
よくいってくれた。(笑)
教科書や学者の理屈は、往々にして「机上の屁理屈」が多いのだが、ニューズウィーク誌はこうした実用度の高いコラムが多い。
氏はまた、株式全体の指数の動きに連動したインデックスファンドが狙い目だと書いているが、これなら株価全体のトレンドをつかんでおけば、ひどい結果に終わることは少ないだろう。
どのみち、金融専門家や政府のエコノミストでさえ、将来の予測はできないのだから、わびしい隠居生活を送るリスクよりも、慎重に計算された投資リスクをとるほうがましなことは確かだと結んでいる。
お金で買えないもの
トレードのリスクを減らすためには、きちんとした教育を受けることだ。
そしてまた、その取り組み方によっては、その効果に大きく影響を与えることになる。
正しいトレーニングを受ければ、マーケットメーカー達が、どうのようにして株式市場で、トレードしているかということを、知ることもできる。
また、現在はトレードをしていなくても将来トレードをしようと考えている方にとって、何らかの形で必ずプラスになる
はずだ。
私の場合は最初、トレーダーとして生計を立てるということは考えずに、「面白そうだから」ということで始めた。
そのついでに?いくらか儲かるならいいやっていう感じだった。
それが、こういうことになるのだから、やってみないとわからない部分が、かなりあるもので、こうなりそうだからやめておこうとかあまり考えすぎるのも、チャンスを逃がすことにな
る。
半世紀を生きてというと、大げさになるが、私の場合、振り返ってみると、今までずっとそのパターンだったようで、自分でやりたいことや、興味のあることを見つけては、結局それが仕事になってしまった、ということの連続
だった。
最初に音楽の仕事をする事になったのは、大学の時に、あるアマチュアコンテストで優勝したことがきっかけだった。
文字どおり好きな事をして、ある程度の成果をあげたのだが、プロになってからが大変だった。
「俺は世界で一番うまいギタリストだ」と今から考えると、冷や汗ものの思いあがりで始めたのだが、自分くらいのウデのギター弾きは、プロの世界では、石を投げれば当たるほど、ウヨウヨいた
ことを知らなかったのだ。
そこで、楽器をフルートに変えた。これなら誰もやっていない。
しかし、本格的に音楽を勉強したわけではないし、今までのように見よう見真似ではプロの世界では通用しないということは、その頃の若かった私でさえ、うすうすわかるようになっていた。
大きな進歩だ。(笑)
まず、クラッシックでフルートの基礎を勉強し、それから、ナベサダのジャズスクールへ。
入学のオーディションがあったのだが、一生懸命曲を練習していったところ、「ドレミのスケールを吹いてみろ」といわれ仰天した。
そこで、その後の私の音楽に大きな影響を受けたある人に出会うのだが・・
しかしフルートでは仕事がない。それなら自分でその仕事を作ればいい。
フルートを入れた編成のアレンジで稼いで、フルートの演奏者として稼ぐ。
一粒で2度おいしいアーモンドグリコを狙ったのだ。
そうと決まれば話しは早いとばかりに、アレンジの勉強を始めた。
そのためには和音が見える鍵盤を弾けた方がいいというので、25歳からバイエルで指の練習をしなければならないハメになってしまった。
なんという遠回り。
そうして、グループの音楽から、一人で音楽の世界へと変えていったのだが、そうしてかなりのレベルの人達と一緒に演奏できるようになると、新たな問題が浮上し
てきた。
いくら頑張っても、3歳からやっている人には、追いつけない。そしてトドメは、アメリカやヨーロッパの自由な感覚の世界で育った感性に触れたとき、これは努力で何とかなるものではない世界があることを知
り、つまり努力では追いつけないカベにぶち当たり、音楽をやめることにした。
音楽だけが人生ではないし、やるだけのことはやったから、意外と未練はなかった。
それに、結婚をして娘のミルク代の心配をするという事情もあった。
音楽は売れないと、お金にならないし、そのうえボーナスも、保険もない世界。
ただ、自分で決めて、自分で何とかするという習慣を身につけるには、とてもよい経験だった。
でも今から思えば、続けてれば何とかなったかもしれないが、そのときはそう決断した。
これは、人生において大きな遠回りをしたのではないかと、やめたあと一時は悩むこともあった。
というのは、私と同じような年齢の人は、そろそろ肩書きがつくような年齢になっていたからだ。
しかし捨てる神あれば拾う神あり。
その後の、(音楽に比べると)カタイ仕事では、音楽をやっていた時と同じだけの努力をすれば、うまくゆくことが多いことがわかってきた。
ですから思ったより楽だった。
普通の仕事の人は、あまり努力をしないように思えたほどで、組織で動いている世界と、個人が基本の音楽との違いをこういう形で知ることになろうとは、思いもよ
らなかった。
話しがすこし長くなったが、こうした経験からいうと、やりたい事を見つけて、やろうと決心したときに、乱暴ないい方をすれば、ゴールまでの扉は半分まで開かれたということは、いえる
だろう。
ただ、そのためには自分の好きなこと、やりたいことをやることだ。
何故だろう?
好きなことに取り組むと、必然的に一生懸命やることになる。
そうすると、考えていただけの時とは違ったものが見えたり、感じたり、予想とまったく違ったり、また思わぬ展開に巻きこまれることが多い。
一生懸命にやったから成功したのではなく、好きなことだから、周りから見ると一生懸命やっていたように見える、のではないだろうか。
しかし本人は、別に「一生懸命頑張る」という感覚はない。
好きなことだから無我夢中でやってしまうのが、まわりからは、ただそう見えるのだろう。
好きな人ができると、好きになろうとかそういうことを考えなくても、もう、止まらないというアレとおなじといえばわかりやすいだろうか。
自分の好きなことへ一生懸命に打ちこめるというのは、最高の幸せの一つだと思う。
そういう人のところへは、幸運という名前の「同類」が引き寄せられて来る可能性が高くなるはずだ。
それまで、苦労をしていればしているほど、このどうにもとまらないという世界にハマル傾向にあるのかもしれない。
大変な思いを体験した事のない人は、この醍醐味というか好きな事ができるということの、価値がわからず、どうしても中途半端な取り組みになってしまう。
しかし、好きな事だけをやる、また仕事を変えるというのは、心理的に(経済的な事情が関連しますからね)非常に大きな不安があるはずだ。
ここで勇気をだして踏み出すか、やめるかが、いわゆる転職の成功と失敗の分岐点なのかもしれないが、私は経済的にはあまり恵まれない音楽をやっていたから、転職にあたっては、そういう意味の不安は
なかったといえるだろう。
お金がないことには慣れていたから。
話が少しそれたが、では、トレーニングに、今参加できない人はどうすればいいのか?
自分で努力して、勉強するしかない。
トレーニングを受けるということは、いいかえれば時間と努力の「ある部分」を、お金とトレードすることだ。
それができなければ、そうなるまで頑張る。これは常識だ。
トレーニングを受けられる方は、数千ドルを払い、時間を割いて、参加するわけで、そのうえ、私のようにトレードを始める場合は、少なくとも5万ドルを注ぎ込み、実際にトレードを始めれば、最初のうちは損をする事も覚悟の上なの
だから、こういうトレードに興味のない人や、またトレードの難しさがわからない人にとっては、「割の合わないことをやっている」どころではなく、まさに「狂気の沙汰」に見えるかもしれ
ない。
しかし、その先には自分を信じてチャレンジする、という大きな希望と夢がある。
これは、お金では換算できない種類の価値だろう。
成功すれば、お金だけではなく、自由な時間と自分の回りに対するやさしさや思いやりの気持ちを持ちつづけることが、より簡単になるという、少なくとも私にとっては、非常に価値のあるものを自分の手に入れる事ができ
るのだから。
私には、単なるお金などよりもはるかに、素晴らしいものだ。
私は、その値打ちをよく知っているものの一人として、これから何をすればいいのかという答えは、すでに見つけている。
自分だけが独占しようと思うような、スケールの小さなものではない。
もっと大きなものだ。
常識と努力のチカラ
では元手の5万ドルが、今ない人はどうすればいいのか?
トレードで儲けて、5万ドルを作る?
それは筋が違うというものだ。
5万ドルを貯めるまで、一生懸命に働くことだ。
そういう努力をできない人が、トレードで、成功させるための努力ができるだろうか。
私は50歳をとうに越えている。
多分ここのサイトをご覧になっているほとんどの方は、私よりうんと若いはずだ。
だから、トレードをするチャンスは、これからいくらでもあるはず。
でも、トレードが好きだし、やりたいし、「熱意があればできるはずではないですか?」といわれるかもしれない。
たしかに、できるかもしれない。
絶対という事はないのだから。
しかし、確率からいうと非常に少ない。
現実を見ても、千ドルから始めたり、借金をしてトレードを始めて、成功しているトレーダーは、少なくとも私のまわりにはいない。
非常に少ない確率ということは、リスクが高い取り組み方をすることにつながる。
資金が少ないと、つい早く大きく増やしたいという「欲」が強くなりすぎて一発勝負的なトレードをしてしまうことになりやすいのだ。
どうせ千ドルだから失敗しても大したことはないと考えてしまいがちで、これが10万ドルなら、「一発勝負をしてやろう、なくしてもまあいいや」とは考えないはず
だ。
元手を早く何倍にもしたいというのは、トレードだからそう考えるのでは
ないだろうか。
普通に仕事をしているときに、元手を何倍にもしようと考えるだろうか。
何倍にもするためには何倍も働かなくてはならず、そんな事をしていては体をこわすだろうし、現実には不可能に近いことだ。
トレードだって、確実に何倍にもしようと思えば、普通の仕事以上に努力をしないと無理なのだ。
大資本という大きな努力の結果があればより簡単にはなる。
しかし、その資本を作るまでに、すでに大きな努力はしているはずだ。
そういう自分なりの「努力の方法と実践の経験」を持っている人は、トレードでも、それなりの努力ができるだろう。
資本というお金がたくさんあるから、儲かるように見えるが、それだけではないだろう。
もちろん、親戚や親を説得できる説得力という熱意で、お金をかき集めて、トレードを始める事はできるかもしれない。
しかし、どうせでも難しいトレードに、そういう失ってはいけないという意識、いってみれば「人のお金」というプレッシャーをかかえてトレードをするのは、至難のワザ
だ。
借りたにしろ「借りた以上自分のお金だ」という意識を、どういう精神状態でも保てるだけの強い人間なら、あるいは成功するかもしれない。
しかし、普通は無理だろう。
それは長期間、現実の心理的なプレッシャーを体験したことがない人の「屁理屈」のたぐいに思える。(いい方は少し悪いが・・)
ブローカーが、こういうプロのトレードを目指す人に、最低5万ドルの資本を要求する背景にはそれなりの理由があるのだ。
他からはどう見えようと、5万ドルを貯めるのは、それなりの汗水をたらして働いた結果だ。
だから、5万ドルなり、それ以上の金額は、それだけの価値があるため、それを真剣に増やそうという意志が強く働くと、損失のリスクを下げることにつながるので
はないだろうか。
金額は借金をした5万ドルと同じだが、借金と貯金とではその、投下資本というお金に対する、その人の感じる価値が、全く違うのだ。
成功したトレーダーは、そうして5万ドルをつくって、スタートラインに並んだのだ。
それでも成功率は25%以下。
おそらく、普通に仕事をして5万ドルを貯めるより、少ない確率のレースに参加しようというのだ。
それができないのに、75%が損をするトレードというレースで、儲けようというのは、少し考えが甘いとは思わないだろうか?
一度だけの人生だからどういう選択もありだが、ベストの結果を残せるように、まず下準備をしっかりとすることだ。
若い方は、特に十分に下準備をしてからでもけっして遅くはない。
あせりは禁物。
プロのレーサーは、始めてのサーキットを走るときは、車で走る前に、まず自分の足でコースを歩いてみるといわれる。
ル・マン24時間レースのように、トレードというレースでは、完走することが、まず難しい。
アクシデントに巻きこまれて優勝目前にリタイアというケースもある。
問題が起こったときの優秀なメカニックに相当するのが「あなたの人生経験」。
問題が起こればピットに入って修復できなければならない。
ピットに入るのか、それとも入らずにこのまま走るのかを決めるのは、ドライバー。
資金という車を運転するドライバーが、あなただ。
レースに参加し、いきなり優勝を狙って無理をすれば、スピンをして順位を下げてしまうということにもなりかねない。
まず完走を狙う。リタイアしたのでは、チャンスはない。
「考え方」・「姿勢」・「お金」というメンバーが優秀であれば、トレードというレースで、よい成績を上げる確率が高くなる。
そのレースに参加するだけでも、このようにある程度の、経験と強い信念や情熱が必要になる。
安いところで買って、上がったら売るという一見非常に簡単そうに見えるトレードが、何故これほどまでに難しいのかという答えは、やはり自分の「エゴ・自分勝手・欲」があるからなの
だ。
しかし、音楽という成功の確率の低いことをやってきたものが、確率が低いから気をつけろ、やめろというという理屈をいうのは、説得力がないかな?
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