最新の研究によると、少しのワインは健康に良い影響がある、というのは都市伝説の類いだということが分かってきている。
飲むのが好きな人にとっては、耳の痛い話だ。
アルコールは百薬の長どころか「万病の元」だ 東洋経済オンライン
習慣とは恐ろしいもので、仕事を終えて片づけが済んだ後、ほっと一息つくために始めたものの、気付けば休日も含めて毎日飲んでいたという。聞けば、アルコールが好きなわけではなく、気持ちを切り替えるために飲んでいるとのことだった。
そこで、仕事中に気分を切り替え、かつ体が固くなるのを防ぐために、簡単なストレッチング(1回3分程度)を1~2時間ごとに行うことと、ビールをノンアルコールのものに替え、つまみも少なめにするように指導し、2カ月後に再診に来るよう伝えた。
再診に訪れた男性は診察室に入ってくるなり、満面の笑みを浮かべて開口一番こう言った。
「先生、とても楽になりました。膝や腰の痛みもそうなんですが、体中が楽になりました。朝起きたとき、こんなにすがすがしく感じられるのは久しぶりです!」
1日にわずか1杯でも飲酒をすると、寿命が縮まる可能性がある。最新の大規模研究がそんな結果を導き出した。
飲酒する60万人を対象に調べたところ、1週間に5杯から10杯のアルコール飲料を飲むと、寿命を最大6カ月短くなる可能性があると判明したという。
研究によると、寿命を縮めるリスクはアルコール消費量が多くなるにつれて高まる。1週間に18杯かそれ以上を飲む人は、寿命を最大で5年失うという。
専門家はこの研究が、軽い飲酒は健康に良いという説に異議を唱えるものだと話している。
アルコールは1日1杯でもリスク? 「適量」に再定義の必要性 Forbs
研究者の中には、安心して「これなら安全」と薦めることができるアルコール量はないとする人たちもいる。一方、医師の一部は、少量であれば健康上の利益があるとして飲酒を勧めている。だが、後者は明らかに、健康に関する専門家たちに受け入れられる見解ではない。
新たに発表された研究結果は、アルコールの「適量」と「推奨量」について、政府当局に再考を促すものになるかもしれない。健康に関しては大半の分野において、「適度」が良いとされている。アルコールについては特に、まずは何が「適度」であるかの定義を明確にすることが重要だ。
アルコールとがんの関係が明らかに DNAを損傷、二度と戻らない状態に Newsweek
アルコールを摂取すると、分解する過程でアセトアルデヒドが生成される。このアセトアルデヒドがDNAを損傷することは、培養細胞を使った研究で確認されていたのだ。しかしそのメカニズムははっきり分かっていなかった。今回初めて、パテル教授のチームがマウスを使い、生きている臓器の反応を確認。納得いく説明ができるようになったという。
人間は通常、アルコールからのダメージに対して2つの自己防衛機能を備えている。1つは、アルコールを分解する過程で生成されるアセトアルデヒドに対するもの。アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)が、有害なアセトアルデヒドを酢酸に分解し、細胞のエネルギー源に変える。今回の研究では、ALDHの一種、ALDH2が欠如したマウスにアルコール(エタノール)を投与したところ、ALDH2が機能しているマウスと比べ、DNAの損傷は4倍に達した。
研究チームは、この酵素が十分でなかったり欠陥があったりする人は、東南アジア人に特に多いと指摘。科学系ニュースサイトのサイエンス・アラートはこれを受けて、ALDH2が変異している人(つまりうまく機能しない人)の数は、アジアに5億4000万人いると具体的な数字を挙げている。
英国のがん研究所は、アルコールとの関係が特に指摘されているがんの種類として、口腔がん、咽頭がん、食道がん、乳がん、肝臓がん、大腸がんを挙げている。そのリスクは、ワインやビール、蒸留酒などアルコールの種類とは無関係で、飲む量についても「がんに関しては安全な飲酒量などない」と断言している。
アルコールの飲み過ぎが「認知症」の原因に リスクは3倍以上に 糖尿病ネットワーク
世界保健機関(WHO)は、慢性的な大量飲酒をアルコール換算で、男性の場合は1日当たり60グラム以上、女性の場合は40グラム以上と定義している。
アルコール10グラムは、ビールでは250mL(ロング缶の半分)、ウィスキーでは30mL(シングル1杯)、ワインでは100mL(グラス1杯弱)に相当する。
20歳以上の成人がアルコール依存症になると、平均余命が短縮するという報告がある。
認知症が主要な死因となっている可能性がある。
「アルコールがもたらす脳のダメージと認知症は予防が可能。
アルコールをコントロールすることで認知症の発症をくい止められる可能性があります」と、レーム氏は強調する。
こうした記事を読む限り、「成功しているトレーダーで酒が好きな人」に会ったことがない、というのは一理あるようだ。