2006 0515-
0531 Wed.
3連休明けとなった米国マーケットは、ギャップダウンオープニング。日足チャートで言えば当然のフォーメーション。GOOGはリバーサルで呑み込みパターン。わかりやすい展開で、ギャップを埋める手前まで上昇で2.5ポイント上昇というやめられませんモード。ハイローバンドも分かりやすい展開でスイングスキャン表示をそのまま鵜呑みパターンでOKという、鵜飼モードでウハウハだったはず。(笑)詳細はこちらからどうぞ。
スイングスキャンに特別気配銘柄を表示する新機能
日本株では、マーケットのオープニングで、特別気配のため寄り付かない銘柄が見られる事が多いのは
、みなさんご承知の通り。
今までのスイングスキャンでは、スイングスキャンで監視している銘柄で、特別気配で寄り付かない銘柄は、寄付きからしばらく経って突然表示されていた。
今どの銘柄が寄り付いていないかを知ることができれば、一通りチェックした後に、これから寄り付くはずの銘柄をチェックすることができるだろう。
というわけで、スイングスキャンの新しい機能として、Visible symbol of not open を追加することにした。
設定のチェック
>> Conf
を選択すると
↓
デフォルトでは Visible にチェックが入っているため、設定については、何も変更する必要はない。
Visible
symbol of not open
はVisibleに設定されているため、寄り付いていない銘柄があると、フィルターの状態に関わらず該当銘柄を黒字で表示する。
黄色いゾーンに表示されているのが特別気配の銘柄
↓
寄り付くと特別気配の銘柄名が消えて、表示されている黒い銘柄名の数が減ってゆく。9時0分。
↓
09時02分。
↓
これはすべて寄り付いた状態。09時08分。
過去ログの使い方
スイングスキャンと、ブレイクスキャンプロには過去の状態をチェックすることができる機能を追加。
これを使ってシミュレーションすると、短期間で素晴らしい効果を上げることができる。
これは過去ログの最も古い4月3日のスイングスキャンの表示だ。
さてこれを片っ端からエントリーして最長5日間ホールドするとどうなるか?
チャートをきちんと見てエントリーしてルールどおりトレードするとどうなるか?
まず日経平均を見ておくと・・
問題ないですね。
つまりロングサイドへバイイングパワー全開でエントリーしてもいい日なわけです。
陽線が続き過ぎですね。パス。
これは理想的。ロング。
ロング。
27日のあとでギャップアップが一度起こっているのでパス。
陽線が続き過ぎですね。パス。
ロング。
陽線が続き過ぎですね。パス。
ロング。
ギャップアップが起こっているのでパス。
ロング。
ロング。
陽線が続き過ぎですね。パス。
ロング。
さてこれを片っ端からエントリーして最長5日間ホールドするとどうなるか?
13戦10勝3敗。
チャートをきちんと見てエントリーしてルールどおりトレードするとどうなるか?
8戦8勝。
ということになります。
ギャップ幅が一日の値幅の20日の平均値によるローソク足本体の30%以上のもので、ギャップ幅が100%以下で、50日の高値抜きで、移動平均線の並び順がナイスという、4つの条件を満たした銘柄が表示されています。
赤いボタンの条件をご覧になると、こうした条件で選択された、ハイローバンドギャッププレイに適合した銘柄だということが、お分かりいただけるはずです。
これを毎日すべての過去ログで続けてみてください。
答えあわせが即できるうえ、驚くほどスキルがアップするはずです。
トライアルできる数も増やしましたからね。
Enjoyed !
0530 Tues.
モータースポーツと経済
タースポーツの最大の魅力は、道具の進化度合いと、それを限界まで操作しようとする人間との闘い、という点にあると思う。
だが、日本ではこれがスポーツとして、一般に認知されていない。
その理由は先進国としては他に類を見ない独特のもので、「レーシソグドライバーは暴走族の延長」という偏見をもつ人がかなり多いことだ。
この誤解は、狭い日本の国土のためモータリゼーションが遅れたことと、無縁ではないだろう。
私の父のそのまた父の時代には、車に乗るということはほとんどありえなかったわけだが、欧州なら同年代の人々が「父はこれこれの車を運転していたんだよ」という話題になるだろう。
もうひとつの原因は、日本人のヒーロー不在だろう。
2005年に史上最年少のワールドチャンピオンとなったスペイン人ドライバーの、フェルナンドアロンソは国王から祝福の電話を携帯電話で受けている。
優勝が決まった時スペインでは、約4000万の人口の約30%に相当する1350万人あまりが観戦し、この年同国で最も視聴率を稼いだ番組になったという。
日本のF1のスポーツとしての認知度の後進性は、10%に満たないフジテレビのF1視聴率の低さが象徴しているように、レース結果が一般のスポーツニュースとして大きく報道されないということにある。
日本では、もしホンダやトヨタが優勝したとしても、それは車を作る「会社」の勝利だと報道され、ドライバー自身による生身の「スポーツマン」の勝利、という扱いは受けないのだ。
NHKは週末に「サンデースポーツ」という1時間番組を放送しているが、ここでは余程のことがない限りF1のことは報道されない。
1時間ものスポーツ専門番組の中で、一言もF1について触れられない現状を欧米人に話したとすると、彼らは非常に驚き「何か特別な理由があるのか?」と説明を要求するだろう。
オリンピック競技などでは、国威発揚ということで政府の選手養成の支援があるが、モータースポーツに対して日本政府がそのような支援に乗り出すことは、残念ながら期待できない。
モータースポーツに対する国民の認識を変えるには、日本人のヒーローが出てくるのを待たなくてはならないだろう。
だが、ヒーローは突然に生まれるものではなく、日本の野球の場合でいえば、すでに高校野球という伝統的な基盤や、いやその前段階のリトルリーグという底辺がしっかりと社会に根を張っている。
これと同様にモータースポーツも、子供の時からカートレースのような競技が普及する必要があるのだ。
現在の日本人F1ドライバーである佐藤琢磨は、大学時代にようやくモータースポーツの世界に入ったというから、F1界では非常に稀な、遅咲きドライバーなのだ。
多くのF1ドライバー達はそれこそ、よちよち歩きの頃からゴーカートで競走しているわけで、フェルナンド・アロンソも、3歳の時からカートに乗っているのだ。
もう一つの理由は、お金が絡むものはスポーツとしては認めないという、アマチュア至上主義が日本には強く根づいているという点にもあるだろう。
特に日本ではポピュラーな野球の世界というものが、多くの日本人の一般的な金銭やビジネス感覚の基準になってしまっている影響というのは少なくないはずだ。
日本の野球は、いわゆるビジネスになっていない前近代的なシステムで運営されているが、もともとが球団自身がプロ野球というコンテンツをどう売っていくかという視点が希薄で、
経営のかなりの部分を親会社に依存し、親会社の広告塔でしかないという現実がある。
メジャーリーガーの年金は年1500万円以上のためメジャーリーガーになれば老後の心配はなくなるが、日本のプロ野球選手の年金は年100万円-150万円くらいという格差があるのはこうした点の影響なのだと思う。
GDPが日本の約2倍とはいえ、米国で、NFL、NBA、NHLといった強敵と競争しなければならないメジャーリーグは年間4000億円強稼いでいるが、日本で独占的人気を誇るプロ野球は1000億円そこそこなのだ。
だがF1の総生産額は推定値だが1$=110円として3300億円(30億ドル)にも達している。
たった20台の車を競走させるだけで、1年間にこれだけの金が動く仕組みでF1の世界は回っているのだ。
ちなみに、タイガー・ウッズの2002年の収入はフォーブスの有名人高額所得者の4位にランクイン。ちなみに1位はスターウォーズの監督、ジョージ・ルーカスで2千万ドル。2位がオプラ・ウィンフリー、3位がスティーヴン・スティルバーグ。そしてシューマッカが6位。マイケル・ジョーダンは28位の3千6百万ドル。アレックス・ロドリゲスが42位の2千5百万ドル。ちなみにこれはエアロスミス、ビル・クリントンと同額だ。
こうして数字を並べると、おおよその規模の比較になると思うが、実はF1の商業権を牛耳るバーニー企業群がかなりの部分を牛耳っているうえ、仕組みは複雑で、すべての「カネ」の動きが外部からは見えにくいのだ。
つまり「おこぼれ」が少ないため、マスコミや他のスポンサーにとってはあまり魅力がないというのも、日本でイマイチ人気が出ない理由の一端なのではないかと思う。
F1のメディアでは、断片的な報道はあっても、まとまった数字はなく、また公表されている数字も一切ないのが現状だ。
バーニー・エクレストンが英国人であり、特に彼が傘下企業を上場する計画をもっていることにも関係するのだろうか、英国の経済専門誌「エコノミスト」が、2000年以降のF1の商業権について調査をした数字がある。
最も金額の大きい全チームのスポンサー料の合計はメーカー系6社がそのメーカー自体の車体スペースを買う額も含め、後に一部紹介するチームの財務諸表から類推して平均1億6000万ドル、6チーム合計で9億6000万ドル。
2005年時点で収入トップのフェラーリと、6チーム中最下位と思われるBARホンダの収入差は大きいが、押しなべての推定だ。
非メーカー系4社もリッチなレッドブルと他チームでは差があるが、平均6000万ドルとして2億4000万ドル。10チーム合計で12億ドル。
エンジンやタイヤなど無償供与分はチームの収入には計上されていないが、合計5億5000万ドル程度と推定。
開催サーキットの入場券収入だが、サーキットの採算は興行権料の支払額を少なくともカバーしているとして、2億5000万ドルと推定。
この内訳をまとめると、次のようになる。
テレビ放映権料495億円
サーキット興行権料253億円
サーキット看板(含タイトル・スポンサー)198億円
ホスピタリティ99億円
その他のライセンス料55億円
サーキット入場料収入275億円
チーム・スポンサー合計1320億円
エンジン、タイヤの無償供与分605億円
F1総生産額(推定値)(1$=110円)3300億円(30億ドル)
参考文献・F1ビジネス・田中詔一著・角川書店
参考資料
「2003年世界プロスポーツ選手年俸ランキング」
1 タイガー・ウッズ ゴルフ 85億5600万円
2 ミハエル・シューマッカ F-1 83億800万円
3 レノックス・ルイス ボクシング 34億7200万円
4 アレックス・ロドリゲス MLB 31億2480万円
5 シャキール・オニール NBA 29億7600万円
9ジャク・ビルヌーブ F-1 24億8000万円
(MLB=米メジャーリーグ、NBA=米バスケット、NFL=アメフト)($1=124円)
30位以下には、ヨーロッパのサッカー選手も顔を出している。
ジネディーヌ・ジダン サッカー 14億1360万円
デイヴィッド・ベッカム サッカー 13億1440万円
2003年の国内総生産・ GDPは第1位米国が10.88兆ドル。
第2位の日本が4.33兆ドル。
参考資料
「2000年の先進国・地域の経済力比較」
経済規模
人口
米国2億7000万人
EU2億9000万人
日本1億3000万人
GDP
米国8兆1000億ドル
EU6兆3000億ドル
日本4兆2000億ドル
世界貿易に占めるシエア
米国15.9%
EU17.5%
日本8.4%
金融規模
債権市場残高
米国13兆8000億ドル
EU6兆3000億ドル
日本4兆5000億ドル
株価時価総額
米国9兆4000億ドル
EU3兆ドル
日本2兆8000億ドル
為替取引に占める各通貨のシェア
米国92%
EU46%
日本26%
0529 Mon.
月曜日5月29日(月)は
戦没者追悼記念 ・ Memorial Day のため米国マーケットは休場です。
綴り字のシーズン BeeSeason
レンタルDVDで「きみに読む物語」とセットで送られてきたもう一枚のDVDがこの映画。なわけでご紹介。
綴り字のシーズン BeeSeason という原題のBeeは「みつばち」という意味で、トロフィーが「みつばち」形どられているようにスペル・コンテストのシンボルとなっている。
全米でベストセラーとなったマイラ・ゴールドバーグの原作をもとに「ディープ・エンド」のスコット・マクギー&デイビッド・シーゲル監督が映画化。音楽はピーター・ナシェル。
積極的に家事をこなし息子とクラシック音楽を奏でる良き夫であり父であると自負するリチャード・ギア演じる宗教学者のソールを中心にナウマン家の物語は展開する。
幼い娘イライザは父の期待を一身に集める優秀な兄アーロンに引け目を感じていたが、スペリング・コンテストで才能を開花させ、その立場は逆転することになる。
ユダヤ神秘主義に傾倒し文字や言葉に神と対話する特別な力があると信じるソール(リチャード・ギア)は、全米大会へと勝ち進んで行く娘の能力を伸ばすことに夢中になる。
ジュリエット・ビノシュ演じる妻ミリアムの不安など知る由もなかった。
これ以上はネタバレになるので書かないが・・
日本語は綴りと発音が一致するが、英語などのラテン語系は、ご承知のようにスペルと発音が違う。
つまり文字を単独にアルファベットで発音するのとは違うために、この映画のようなスペルコンテストが存在するというわけだ。
コンテストは、出題者が読み上げた単語のスペルを言うという単純なものだが、出題者は出場者に対して順番に出題し、回答者が間違えた時点で失格となり、最後まで残った者がチャンピオンとなる。
この映画は、家族の絆や宗教的な哲学まで含まれ、かなり最後までどのような展開なるのかが分からない。
途中で単純な感動物語ではないことはわかるが、果たしてどのように終わらせるのか?という点で最後まで観客を引っ張るのはリッパ。
妻の行動がなかなか分からないのがミソだったが、分かってしまうと、あーっ!・・・でしたね。(笑)
どんなに優秀でも複数の人間が関わる家族では、こうした問題が起こりえるという意味では「問題をかかえていない家族はありえないし、また人間は完全でない」」というメッセージを託しているともいえるだろう。
そのうえに「壊れたものは修復できる」という父親の言葉に象徴されるように「家族の再生」というテーマを重ね、完璧さのハザマで壊れかけている家族に対して「ほどほどがいい」と悟らせることで真の修復を促すという、そういう解釈のできるエンディングだ。
エンディングは勝利の女神が微笑むという道を選ばず、オチをつけているが、妻・息子・娘への愛情と、娘の最後に取った行動を絡め、かなりユニークな視点で制作されているのは、できるだけオリジナリティーのある作品にしようという制作陣の意図が伺えるようだ。
自信喪失の疲れた母親を演じるジュリエット・ビノシュは、どうなるのかとハラハラさせてくれる。
理想家だったが現実派ではなかったという設定をこなすリチャード・ギアは、はまり役だに近いといっていいだろう。
父親が最後まで自分を見つめることができないと見るのか、彼の信じるところを突き進む父親と見るのかは、まさに観客の見方次第というところか。
神秘主義というちょっと夢のあるテーマのため、サスペンス風のテイストが中和される効果があり、最後まで展開が読めなくなるというような、なかなか考えた演出がされている。
主人公の少女に、言葉に含まれる様々な背景を感じ取りスペルを当てる事ができるというちょっと神がかりな才能を持たせ、宗教や歴史的背景を盛り込み、映画を神秘的に観せている。
宗教哲学を含ませ、ちょっとサイコの調味料もふりかけた、文学系ヒューマン・ドラマといったところか。
「ビューティフル・マインド」っぽい雰囲気で、ストーリーが読めないという点ではかなり面白いと思ったが、まあこのあたりは見る人の好き嫌いがかなり影響するかもしれない。
途中でカミサンと「最後はどういう展開になると思う?」って何度も話したほどで、とにかくオチを見せずに、あそこまで観客のアテンションを引っ張れるとは・・恐れ入りました。
0528 Sun.
キング・コング
次々と送られてくるレンタルDVDの久しぶりの話題の新作「キング・コング」をご紹介。
実は、見る前はあまり期待していなかったのだ。
だがナメてはいけない。
ニュージーランドで制作されたこの作品は、総製作費は何と1億1000万ドル!
何と130億円もが投入されたのだ!
「ロード・オブ・ザ・リング」3部作を作り上げたピーター・ジャクソン監督に予算を湯水のように与え、恐るべき荒業でその手腕を遺憾なく発揮させた映画だ。
ヒロインの女優アン・ダロウに扮するのは、ナオミ・ワッツ。1930年代の衣装に身を包み、コングに愛される女性を観客に納得させるだけのブロンドと青い瞳が備わった容姿は圧倒的な美しさで、この映画の魅力をより引き立たせている。
自らの野心のために無謀とも思える冒険に皆を巻き込む映画監督カール・デナムは、「スクール・オブ・ロック」のジャック・ブラック。
自分勝手で、すべては自分の欲望のためというキャラクターに、どこか憎みきれない魅力を注ぎ込んでいる。
アン・ダロウに献身的な愛を捧げる映画脚本家ジャック・ドリスコルは、「戦場のピアニストでアカデミー賞主演男優賞を獲得したエイドリアン・ブロディ。
誠実であるがゆえに、カール・デナムに振り回される不器用で「もどかしい男」の役を好演している。
舞台は世界恐慌時の1933年制作のオリジナル「キングコング」とまったく同じ設定で、タイトルロゴも、CGではなく、シンプルなアールデコ調のタイトルから始まる。
何となく「アビエイター」「ギャング・オブ・ニューヨーク」などのオープニングと似ている。
こうしたモンスター映画は、モンスターを見せるまでに、登場人物のキャラクターをどれだけ丁寧に描けるかが勝負となる。
船に乗り込むまでに、すでにそれぞれのキャラクターに観客の感情を移入させる手腕は、さすがロード・オブ・ザ・リングで、多数のキャラクターを描き切った監督だけあって見事な手腕だ。
ジャクソン監督が、9才の時にオリジナルの「キング・コング」を見たときに映画監督になると決断したそうだが、そうした逸話が納得できるだけの仕上がりで、日本映画との距離がまた一気に開いた気がする。
日本の若者もこの映画を見て、この映画のスケールを基準に未来の監督を目指してもらいたいものだ。
脚本もよく練られ、ジュラシックパークにキングコングとラブストーリーがくっついたって感じで、観客は感情のジェットコースターに乗ったが如く、笑い・泣き・恐怖といった感情に揺さぶるられる出来事が次々とテンポ良く展開する。
アクション・ホラー・ラブ・パニックとすべてのジャンルの映画のテイストが盛り込まれているにもかかわらず、その要素がすべてうまく絡み合った成功作となっているのだ。
「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディと、ヒロインのナオミ・ワッツに恋が芽生え恋に落ちてゆくのもつかの間、霧にまみれた中を船は座礁しかかって目的地の島へ難着。
船長の反対を押し切り、映画クルーたちは島の中へ。
そこで待ち受けたものは・・
コングの愛情表現は最初やりすぎと思えるほどハードだ。
ナオミ・ワッツの首が鞭打ちにならないかと心配になるほどだし、ナオミの甘いサービスシーンも存在しない。
ナオミがコングの目を盗んで逃げだしても、コング以上に凄惨な生物に、襲われ、髑髏島の名にふさわしい、不気味な原住民とあいまって、観客の恐怖心を煽る仕掛けもまた一級だ。
このあたりのシーンで、次々と襲い掛かる恐竜や昆虫軍団と対比させて、監督はコングを情緒的に「常識のある人」と描いているのがミソだ。
コングよりヤバイ「原住民」をあらかじめ登場させるという伏線も見事で、ナオミ・ワッツは、最初コミュニケーションもできなかった野蛮な野性動物が、自らの体を犠牲にしても自分を守ってくれたところから信頼を寄せ始めるというパターンを、ごく自然に観客へ納得させることに成功している。
だがそれは恋愛感情ではなく、自分の命を懸命に守ってくれた者への敬意から生まれるものだ。
そしてコングとの奇妙な感情の真っ只中へ、恋に落ちた「戦場のピアニスト」が救いに現われるという寸法で、このあたりは、観客がどっちの側に立てばいいのかを迷うような、微妙な作りになっているのがまたうまい。
だがナオミは「一時の平和」より、ピアニストの勇気と共に、この場を逃げ出すというリスクある「将来性」を選択してしまう。
コングは生け捕りにされ、ニューヨークに「見せ物」として、人間たちに拉致られてしまうのだが、このあたりの展開は思い切って端折っているが、まあここを見せるとさらに長くなるからね。(笑)
そしてなぜか、誰もいないところで、コングはナオミと再会する。
このあたりから、観客の心情はコングサイドとなってしまう設定も見事だ。
セントラルパークの氷のはった池で、コングはナオミとデートをするのだがが、現在なら、人質の安全を考えるとムヤミに攻撃はできないはずの軍隊が、この当時はお構いなしなのだろうか、容赦なく軍隊はコングへ攻撃を開始する。
ナオミを握ったまま、コングはより安全な場所を求め、エンパイア・ステートメント・ビルへよじ昇る。
という有名なシークエンスへと突入するのだが、泣き叫ぶシーンだけがスローモーションでゆっくりと流れる。
コングが堕ちてゆくシーンは何故か「タイタニック」でデカプリオが海に沈んでいくシーンのようだ。
「静」の中でコングが落ちてゆくシーンを、観客はそれぞれの自分の経験での「絶叫」を心の中に響かせながら呆然と見守るわけだが、このあたりの作りは絶妙で、思わず映画に見入ってしまう。
その悲しみの絶頂に、「戦場のピアニスト」の登場だ。
戦場のピアニストに躊躇なく抱きかかえられるナオミに「コングのあの気持ちは・・」とコングに同情したくなる流れは、まさに監督の思う壺なのだろう。
もちろんアラ探しをすれば、ニューヨークで暴れるコングの前に、ナオミが姿を現わす必然性、エンパイアステートビルの上で、執拗にコングをかばう彼女の行動、狭い峡谷をぶつかり合いながら暴走する恐竜の群れの足下で踏みつぶされない多数の登場人物、不慣れなマシンガンで人間にたかる巨大昆虫だけを撃ち落とせるジミーなど「気になる」部分は確かに存在する。
だがその圧倒的な迫力に伴う満足感によって、見事に帳消しにしてしまうそのパワーもまさにキング・コング並だといっていいだろう。
骸骨島に到着するまでの船内でのシーンなどが少し長く、批判があるとすれば映画の作りではなく、この部分に集中するはずで、上映時間が3時間を超えてしまった原因の一因ともなっている。
だがその代償として島での数々の冒険シーンはとても面白く感じるわけだし、スピード感溢れる怪獣達の動きも相対的に小気味よく感じることにつながり、「単純な怪獣映画」ではないレベルに仕上がっている。
恐竜も「ジュラシックパーク」よりさらに進化し、人間がちっぽけな虫みたいになるシーンも挿入されているが、現代の最高水準のCGを楽しむことができる。
一級の娯楽作品だと断言していいだろう。
この映画にはアンの美しさ、夕日朝焼けなどの自然の美しさ、スカルアイランドという人間に毒されていない島の美しさ、そしてコングの心の美しさというように色々な「美」が存在する。
ジャック・ブラックが演じるカールの最後のセリフは、「It was a beauty killed the
beast」野獣を殺したのは「Beauty(美)」だと言ったのだが、日本語字幕では「美女が野獣を殺した」となっていたが、こうした点はもっと気を使って訳してほしい。
本編は3時間もの長さだが、面白い映画は時間の経つのが早い!
コングの顔の表情のリアルさや重量感、摩天楼の空撮など、特撮はとにかくお金をかけているが、その甲斐あって気がつけば、ピーター・ジャクソンの映像マジックに釘付けとなっているというわけだ。
3時間なんてあっという間で、もちろん映像だけではなく、演出、編集、ストーリーなども格段に素晴らしいレベルで、キングコング映画史上最高峰の出来栄えと断言していいだろう。
別の見方をすれば、女心は複雑だということを前提としたラブストーリーともいえるわけで、美男じゃなくてもオッケー。
野獣にもチャンスがあるということが、わかって安心できる映画?だが、でもゴリラ(ブ男)も美女には惚れるが、とどのつまりは、美女はゴリラ(ブ男)に惚れない。
というラストとなってしまうのが切ないか?(笑)
0527 Sat.
米国マーケットは反転し始めたものの、ハイローバンドギャッププレイの場合、ロングサイドへはMAの並び順からしても、まだ我慢のときです。
こういうときは、イントラデイで楽しむのがマル。ブレイクスキャンプロなら30分マジッククロス銘柄をチェックしておけば、たやすく対象の銘柄を見つけることができますね。
少し長めの30分足の情報が豊富に表示されるブレイクキャンプロは、こういうときのためのツールなんですね。今日のギャッパーズアイで解説をしておきました。
みなさんよい週末を!
きみに読む物語
昨日の日記を読まれた方は次の映画紹介は「24」だろうと思われたかもしれない。だが残念ながら今日ご紹介する映画は、そうでは有馬温泉。> 出た(笑)
オープニングは夕陽の映える湖を横切る赤く染まった白鳥たちと一艘の手漕ぎボートがゆっくりと進んでゆくシーンから始まる。
「よさそうな映画だなあ・・」という事が、すでにこの時点で伝わってくるかのような、美しい夕陽のシーンだ。
今日ご紹介するのは きみに読む物語 The
Notebook
過去を失った老婦人(ジーナ・ローランズ)に、来る日も来る日も、物語を読み聞かせるデュークと名乗る老人(ジェームズ・ガーナー)。
読み聞かせるのは、ノアとアリーの出会い、別れ、そして、再会までの愛の軌跡で、老人性痴呆(認知症)となってしまったアリーはどうなったかを、年老いたノアから聞かされるのを楽しみにしているという設定だ。
離れても、愛は色褪せることなく、その想いをノアは365日休まず手紙に書く。
しかし、その手紙はふたりが再会するその時まで、アリーの手に渡ることはないという純愛映画だ。
ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムスが、年老いた二人(ジーナ・ローランズとジェームズ・ガーナー)の二人の若かりし時を演じるので、基本的には二人が主人公なので、合計4人が主人公ということになる。
ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムスが演じるノアとアリーの物語が映画の大半を占めるが、後半は老いたふたりの物語の比重を多くして、観客により深い愛を感じさせる演出はなかなか見事。
若い二人の物語が60年代で展開するシーンでは、華やかな色合いの衣装や、アリーの屈託のない明るさを前面に出すことで、人生における色鮮やかな時期を強く描くことで、老年時代の色褪せてきた時期との対比をより鮮明にさせるいう演出陣の力量は、さすがハリウッド映画だ。
この映画には、最初は階級の違い、そして戦争、最後には、認知症という名称に統一されている痴呆症という障害を、愛がパワーを得て乗り越えてゆくという、この作品の作者の意図がしっかりと根底に流れている。
そのため、ストーリーや、設定について制作側と観客側の希望がずれている点があっても、あまり気にならないのだ。
たとえば、最初のうちは、この2組は別のカップルのように描かれるのだがこの「仕組み」を観ている側にいつバラすのかのタイミングというのは、なかなか難しい作りなといっていいだろう。
「もしかして」と思わせる布石を打ちつつ、ハイライト部分で明かすというように観客を「じらす」という手もあるが、そうした手法を使わず終始ストレートな描き方に徹底している。
このように「やり過ぎない」演出の積み重ねによって、無理に泣かせようという「あざとさ」が感じられないため「上品」な味付けの映画に仕上がっている。
ただラストに関しては、その上品さゆえに、ちょっと綺麗にまとめすぎたきらいはあるかもしれないが、多少無理はあっても、このエンディングはこれで良いと思うがみなさんは、どのように感じられるだろうか?
じゃあ具体的にどのように終わらせるのか?と考えると、なかなか難しいことがわかる。
どちらかを残すというもの、モヤモヤがのこるしねえ。(笑)
生涯ただ一人、この人のために生き、この人とともに終わりたいと思うような相手に10代で巡り会うことは、現実にはなかなか難しいことなのだが、それだけに、ある意味で映画らしい展開で見るものを楽しませてくれる。
1940年のアメリカ南部のとある町で出会う10代の二人の恋愛シーンは
かなりゆっくりなテンポで進行するが、あえてこうした進行のテンポで「時代の持っているリアリティー」さを演出しているのだろう。
アリーの鮮やかな青いドレスが印象的な再会シーンは、象徴的な「青春」をあらわすようなシーンだ。
そしてその青春が終焉するかのようにその後のシーンで、一気にエンディングまで持ってゆく脚本はなかなか見事。
そして、ワンクッション置いて、ゆっくりとラストに持ってゆく、この後半のテンポの緩急の間合いもなかなかよく考えて作られている。
良くある恋愛人間ドラマが陥るありきたりパターンに感じられないのは、こうしたきめ細かな工夫が施された脚本によるものだろう。
また、壊れてゆく彼女に対して、物語を読んで聞かせるという形で全身全霊愛し続ける夫というのは、なかなかうまい設定だ。
髭が生えてから(?)のライアン・ゴズリング、のアリーを見つめる目が、優しく包み込むようで、ノアが如何にアリーを愛しているかを、うまく演じている。
彼が年老いた役のジェームズ・ガーナーも、深い愛を持った「普通のおじいちゃん」を淡々と演じているが、このあたりは前半がよく作りこまれているだけに、非常に効果的に感じられるのだが、こうした点を見ても、演出陣の力量がよくわかる作品だといっていいだろう。
老人性痴呆症、特にアルツハイマー病は病状の進行を遅くすることは可能でも、治癒させることは現代医学ではできない事を前提に作られているため、こうした点を理解していると、映画の中での「奇跡」をより楽むことができるはずだ。
この映画では「今」に至るまでの描写は比較的少ない。
つまりは二人がどんな人生を歩んだのかの部分を見る側に想像させる余地を残してあるのだ。
こうした点もなかなかよく考えられた演出で、年老いてからの二人の関係をより切なく哀しいものに感じさせることに成功している。
アリーは、ノアを選ぶのか、婚約者のロンを選ぶのかという点は、物語では説明されていないが、その結末は老婦人本人たちは当然知っているわけだが、観客側にはあえてこの点を知らせないことで、観客に想像させるという点も、なかなかよくできている。
ラストに近いところの老いてからのシーンで、一瞬アリーがノアを思い出すのだが、次の瞬間には彼を忘れてしまう、という場面があるのだが、ノアを突き飛ばし泣き叫ぶアリーを、ノアは見つめながら、堪えるというシーンは実に見事な演出だ。
登場する4人の行動のひとつひとつが、相手を慈しむことから始まっているのだが、それがうまく噛み合わないことで、相手を傷つけてしまう結果となる、もどかしさもとてもうまく表現されている。
このあたりは現実にもありがちなシチュエーションがうまく演出されているから、感情移入がしやすいのだろう。
彼が読み聞かせる物語の中に出てくる若い恋人たちの情熱的な恋は、先にある障害を見せているだけに切ない。
2人の交際をやめさせたいと見える彼女の母の本当の心情についてもラスト近くで観客へ見せることで、観客は娘の気分となって、映画の主人公の心情により共感することに繋がっている。
映画としては定番の手法なのだが、こうした心のひだに染み込むようなきめ細かな演出を、地道に積み重ねることで、この映画を見るものの心理状態を、完璧にコントロールしようとする演出は、まさにプロフェッショナル。
老人性痴呆(認知症)患者は、今後高齢化の進む日本では増加の一途をたどるだろう。
年寄りになると、よく何度も同じ話を繰り返すようになるが、あの行為は、自らの生き様を「確認」しているのかもしない。
自分の人生を声に出すことによって復唱し、その存在を主張したい気持ちを考え、そういう場面に遭遇したら嫌がらず、お年よりの話は何度でも、何度でも聞いてあげなくてはいけないということがよくわかる。
こういうことを考えるきっかけになるという意味でも、この映画の存在価値は大きいと思うし、若い方にも是非見ていただきたい作品だ。
この映画を一言で言えば「純粋さを失っていないかどうかを知るため」の、いわばリトマス試験紙のような映画だと言ってもいいと思う。
純愛映画であっても、ベースは人間ドラマであるという大きなトレンドをベースにしている。
青春ドラマにもかかわらず、死までも見据えたシーンも見せることで、涙を誘うためのイベント的な死をあえて演出しなくても、感動をきちんと伝えるこに成功している。
こういう点もこの映画を上質なものに感じさせる要因なのだと思う。
大きく感情を揺り動かし、見るものの涙を誘うというあざとい手は使わず、しみじみと胸の内に訴えかけて目頭を熱くするという手法のため。年配の方がご覧になっても十分に鑑賞に堪える作品に仕上がっている。
最後のエンドロールが流れ始め、こうしたレベルを達成している日本映画があるだろうか?と考えると、なかなかツライものがある。
情の繊細さやキメ細かさには、どの国の民族にも負けないというこだわりがあると自負しているはずの日本人が、このレベルの演出ができないというのは、ホント情けない話だ。
日本の映画製作陣は、こうした映画をじっくり分解研究?して、こうしたレベルの水準の映画を早く作れるようになってほしいと、切に願う次第だ。
0526 Fri.
プロの条件
何かの目利きになったり、職人として、あるいは専門家としてある分野でプロを目指すとき、何を基準にすればいいのか?
これは、本職以外の何かに取り組んで、さらに次へステップアップしたいとき、必ず考えなければならないポイントです。
自分で決めたことは守る責任感を持っている
常に一定水準の成果が出せる
依頼者が存在し、対価を払うだけの期待に応えられる
依頼者が期待する品質の内容を提供できる
たとえば映画「24」のCTUエージェントであるジャック・バウアーにあてはめてみると、その条件をきちんと満たして仕事をやっていることがわかります。
これはサラリーマンでも同じこと。
プロのサラリーマンとは、会社が給料を支払っても良いと考える仕事をすることで、それはそれは給料に見合った、あるいはそれ以上の成果を出すこと
です。
プロは、大きく分けて次の2つに分けることができます。
まずは、自分の専門分野でフルに能力を発揮し、依頼主をリードしてゆくタイプのプロです。
料理人、一般の医者や弁護士などがこれにあたり、依頼主が素人であることが多いケースだといえるでしょう。
もう1種類のプロは依頼主が与えたテーマを徹底的にこなそうとする
タイプです。
依頼主の意志や意図に徹底的に従うため、一見自分の意志がないように見えます。
ですが、このタイプは自分の専門分野に対する深い知識と経験で、依頼主の要求に100%応えようとします。
スナイパーや職業軍人が代表的な例です。
この場合依頼主は素人だけではなく、プロであることも多
くなり、一般的にはあまり表には出て来ないことも多いのです。
個人トレーダーとしてのプロの場合は、依頼者が自分だという点が少し違いますが、どちらかといえば、後者に属するでしょう。
「ビジネスマン」と呼ぶジャンルでのプロを考えると、条件としては、組織からの命令を冷徹なまでに高い水準で遂行するタイプが好ましいわけです。
映画「24」のCTUエージェントであるジャック・バウアーは本来ここに属するのですが、独断で一匹狼のような行動をするために、さまざまな問題を引き起こし、それが映画の面白さに繋がっているというわけです。
一見、組織の言いなりのように見えて、彼は彼なりのやり方やノウハウで、要求をクリア
しようとするのですが、人間ですから時には失敗します。
その苦悩が見るものに共感を覚えさせるのでしょう。
彼は「首」または逮捕されることを前提で取る行動でしか解決方法がないと考えれば、そこまで踏み込める勇気を持っています。
そのため映画では、彼以外のタイプだと、中途半端な「セミプロ」や「単なる雇われ」
に見えてしまうほどです。
例えば、この映画では「批判をするだけで何も行動に移さない」という傾向の上司がよく登場します。
批判することで自分の頭が良くなった気でいる、頭でっかちのMBAタイプですね。
「ビジネスマンの出来損ない」
エージェント?で、出世の欲だけは人一倍強いというタイプです。
このタイプは平均的に「知恵が回る」ため、インテリに多いのですが、批判するだけで何も建設的な案は提案しません。
何故なら、自分の立場を最優先で考え、保身を最も優先してすべてを考えるからマイナスポイントがつくことを恐れるからです。
当然、行動力がないので現場では、何一つ実行に移すこと
はできません。
安全なCTUの中からジャックバウアーへ命令するだけで、
上から言われたことを基準としてしか、判断できないわけです。
言い換えれば、上には従順で不平不満は言わない、自分自身では「あきらめ」ている「万年平上級職」タイプですね。
映画でも、始末に負えないヤツとして描かれています。(笑)
まあ映画ではこういうヤツは必要なのですが、現実社会でもやはり存在するわけです。
問題はこういうヤツは「自分は仕事ができる」と「本当に思いこんでいる」ため、威圧的で誤った判断をすることが多いという点です。
映画ならストーリーを面白くしてくれている役割はあるのですがねえ。
ジャック・バウアーは、組織を変えてしまうようなバイタリティとパワーを持ち、前へ前へと進むタイプのプロ
で、ある意味では理想のプロ像といっていいでしょう。
だからこそシリーズ4まで続いているんでしょうけどね。
って着地点が違うなあ・・(笑)
0525 Thurs.
金利
2005年09月の「アメリカが赤字のワケ」では、アメリカが何故赤字を流し続けているのかについて書いた。
だが「何故アメリカは赤字なのに力強い成長を続けられるのだろうか」と、疑問をお持ちになった方も多いはずだ。
こうした経済の仕組みについては、新聞を読んでもわかりやすく解説されたものは皆無だ。
経済について、さまざまな視点から解説されているものの最右翼といえは、ニューズウィーク誌だろう。
経済誌を定期購読をするなら、これ一冊で十分だと思う。
以下のような点について、きちんと解説されたものは、残念ながら日本のメディアではお目にかかることがないのが実情だ。
5月のFRBの利上げ決定は、数日後から世界の市場に大きな影響を与えることとなり、最近ではこの影響で、日本もアメリカもマーケットは大きく下げ始めている。
このように経済活動の大きな流れに対して、金利を増減させて経済活動を調整するというのが金利政策の目的なのだ。
その理由は、金利政策をうまく運ぶことによって、紙幣の印刷量を変えることなく、経済活動を刺激する通貨量を、増減させることができるからにほかならない。
では金利と物価とは、どういう関係があるのだろうか?
過熱する経済に対しては金利を上げることによって、ブレーキをかけること
ができる。
住宅ローンや企業への融資、クレジットカードローンの金利などが上がると、住宅や車などの売れ行きは鈍り、経済活動は冷え込む。
今回の利上げで株価が大きく動いたことでもわかるように、金利がほんの少し変わるだけで、失業率や物価など、あらゆる経済指標が影響を受けることになる。
このように、国際金融市場においては、世界経済の動向を見極めるには、
まず金利に注目するのが基本だ。
とりわけFRBによる金利の変更は、アメリカの金利だけでなく、世界中の金利と経済成長に、重大な影響を与えている。
だがこのような金融政策の匙加減というのは、一般的にかなりむずかしいのが実情だ。
車の急ブレーキと同じで、あまりに急激な利上げは、経済成長を急減速させかねない。
逆に金利を下げることで、経済成長を加速させることができるが、副作用として物価がはね上がる可能性がある。
アメリカの例で言えば、2001年のテロ後、FRBが経済活動を刺激するために金利を下げると、日本車やフランスワイン、中国の繊維製品など、あらゆるものの消費に火がついた。
そしてアメリカ史上まれに見る不動産価格の上昇にもつながることになったのだが、ただし金利操作がこのように、すぐにうまく効果を発揮するとはかぎらない。
経済政策の金利政策の匙加減がまずいと、全く効果がない場合もあるのだ。
たとえば、日本はデフレから脱却するためには、5年にわたって「ゼロ金利」を維持し
なければならなかったことは、みなさんよくご承知のとおりだ。
アメリカ経済は2001年に短い景気後退に陥ったが、それ以降は着実に成長している。
外国への雇用流出で失業者が増えるとの懸念も高まっているが、雇用の伸びも順調だ。
では、米経済は今後も力強い成長を続けられるのだろうか。
ここで冒頭の赤字についての話へ戻るが、米国の昨年の貿易赤字は7260億ドル。
一方で資本収支の黒字もほぼ同額だった。
この二つの現象は同じコインの表と裏といえばわかりやすいかもしれない。
貿易収支で輸出を上回る額の輸入が可能なのは、アメリカが資本の純輸入国だからだ。
昨年、外国人がアメリカの資産に投資した額は、アメリカ人が外国の資産に投資した額を上回った。
資本収支の黒字というものの基本的な性質を誤解している人が多いのは、資本収支の黒字を「借金」ととらえているからだ。
アメリカの繁栄は借金に基づくもので、借金の返済を迫られれば経済が破綻するというもので、日本のメディアでは常に繰り返されているフレーズだ。
だがその根拠は、貿易黒字の日本の方が健全だという結論に結び付けたいからだろう。(笑)
アメリカが外国から得ている資本の一部は、確かに借金といえるかもしれない。
いい例が、政府支出と税収の差を埋めるために発行される短期国債だ。
だが、それは05年にアメリカに流入した外国資本の15%にすぎないのだ。
アメリカに流れ込む外国資本の大部分は、外国人による民間資産、つまり企業の株式や債券への投資だ。
米企業はその資金をもとに投資を行ったり、事業を拡大したりしている。
アメリカが今後も他の国や地域に比べて政治的に安定し、投資の見返りを期待できる場所であるかぎり、投資は外国から流れ込む。
アメリカ以外に最適の国があれば話は別だが、いまのところすべてのバランスから最も安全な投資先といえば、まずアメリカが筆頭に挙げられるはずだ。
アメリカは、今後も資本収支は黒字、貿易収支は赤字という状況が続くだろう。
だがそれは米経済の弱さではなく、強さの証しなのだ。
もちろん、アメリカの資産や債券を保有している外国人が、大挙して売りに走ったら、アメリカの金融市場が不安定になったり、米経済が破綻したりするかもしれない。
日本のメディアでは、日本がアメリカの国債を売れば、アメリカは破綻するなどという馬鹿げた論調をよく目にするが、バカも休み休み言ってほしいものだ。
もちろんその可能性はゼロではないだろう。
だが、外国人が一度は魅力的だと感じた資産を売ろうと考えるのは、世界の金融市場で思わぬ変化が生じて大混乱に陥ったときだけだろう。
その場合でも、資産の売却は経済的な問題を引き起こす原因ではなく、予想外の事態が招く結果に過ぎない。
今も、アメリカ人のスキルやリスクを恐れぬ姿勢、独創性を高く評価する経済環境が米経済の大きな原動力となっている。
過去25年間に2度あった短期間の景気後退を除いて、米経済が好調さを維持できている理由はここにあるのだ。
もちろん、誰もが平等に経済成長の分け前にあずかれるわけではない。
アメリカの社会だけではなく、どの国にもスキルや学力には大きなばらつきがある地域が存在し、それが収入の格差を生んでいる。
とはいえ、昔に比べれば、最貧困層の人でも、あまり苦労せずに生活必需品を買えるようになっているし、生活水準は向上している。
貧困層に対して今以上に富が配分されるようになるのを阻んでいるのは、劣悪な教育制度だけだろう。
人種の多い米国では、こうした問題が浮上しやすいのだが、それでも経済は好景気を維持しているし、アメリカ人の生活水準は向上し続けている。
より豊かな生活が手に入るチャンスがあるからこそ、過去30年間に2000万人を超える外国人がアメリカへ移住したのだ。
貧しい生活を送らざるをえない移民も多いが、だが彼らは、いずれ豊かな暮らしを送れるようになると信じて生きている。
この希望がある限り、アメリカの経済は大きな破綻を招くことはないだろう。
0524 Wed.
きっかけ
そもそもは、職を失ったのが、今の仕事をすることになった、きっかけでした。 1997年の前半のことです。
今では、こうしたことは当たり前かもしれませんが、他の人と少し違っていたとすれば、それがアメリカに住んでいたときに起こったという点でしょうね。
いってみれば日本の会社から派遣されてシアトルに住んでいたのですが、突然仕事がなくなってみると、どうすれば全くわからない状態になってしまいました。
そのうえ、私を手伝ってくれていた同僚のアメリカ人Jも同時に職を失ったのです。
とても一生懸命に手伝ってくれていたこともあって、何だか私のせいで仕事がなくなったようで、とても申し訳なく、特に奥さんには合わせる顔がありませんでした。
これは後になってわかったことなのですが、まあいってみればある策略に嵌って職を追われたと言った方が正しいのですけどね。
まあそんなことがわかっても、何の助けにもならなかったのですが。
茫然自失とはまさにこのことで、特にカミサンはとてもショックだったようです。
私だってこれから先、どうすればよいのかが全く考えが浮かばないわけです。
日本なら言葉がスカスカ?通じますから、仕事を探せば何とかなったかもしれませんが、英語といったって、中年になってから5年や6年アメリカに住んだからって、ネイティブのようになんて喋れるわけはありませんしね。
第一アメリカ人相手に何かの仕事をするという自信なんて、全くありませんでした。
やることがなくなるというのは、ホント不安になるもので、頭の中が整理できないまま、とにかく家でゴロゴロしていました。
そうしたある日、同じ仕事についていたために、というか私を手伝ってくれていたために仕事を失ったJから電話がかかってきました。
話を聞くとパソコンで、株をやっているというのです。
どこかで、その方法についてのトレーニングを受けているというのですが、私は当時株には興味はなかったため、ウロ返事をして電話を切りました。
ですがまた数日したら電話がかかってきたのです。
「面白いから見に来いよ、どうせ暇なんだろ?」
というわけで、マイクロソフトの本社があるベルビューというエリアにある、オールテックインベストメントというところへ、ノコノコ出かけて行きました。
Jのいいところは、どんなときにもポジティブだという点ですが、そのオフィスへ行くと、大勢のアメリカ人に混じって、何だか結構楽しそうでした。
私は以前一時期、日本で文例集を販売する会社をやっていたことがあったので、パソコンのマウスやキーボードには慣れていましたから、パソコンで何かを操作するということに関しては、全くアレルギーなどがなく、どちらかといえばむしろ得意なくらいでした。
Jは、それまで習ったことについて、熱心にいろいろ説明してくれました。
細かいことは覚えていませんが、とにかくうまくやればパソコンでお金が稼げるとのことで、でもそんなにうまくゆくのかなあって、ちょっとは思ったものの、それよりも「これで稼げたらいいなあ」って思いましたね。
だって仕事がなかったし、他にできることがなかったのですから。
で、結局もう一回見に行ったのですが、この方法を習うには5000ドルかかるらしいのです。
それに5万ドルあればまずは始めることができるというのです。
幸いなことに、歳が歳ですから多少の蓄えはありました。
よく考えてみれば、何か起業しようとしても、5万ドルくらいでは、大したことはできないことくらいは知っていましたしね。
これが、まず一ヶ月のトレーニングを受けることになった、そもそものいきさつでした。
トレーニングでは、まず言葉を理解するのが大変でした。
トレードには専門用語が出てくるのですが、イマイチよくわからないうえに英語ですからねえ。
分からない部分があっても操作は回りの人のを見れば分かるので、まあ細かいところは、分からんでもいいかと、気にしないことにしました。
売買するソフトの売買ウィンドウを10個くらい並べて、上がってゆくものを片っ端から買って、適当なところで売るという、今から思えばとんでもないやり方でしたが、そうやれと教わったのです。
当時はドットコムバブルが始まったばかりで、マーケットが始まると、よく上がりましたから、確かにマーケット開始直後あたりの最初では勝つんですが、下がってくるところでも、同じ調子でやってると、勝った分を吐き出すことになるので、適当なところでやめるわけです。
トレーニングでは、シミュレーションですが、一ヶ月で100万円くらい勝てたので、すぐに実トレードへ移行することにしました。
ですがカミサンが心配したので、1ヶ月で1万ドル負けたらやめる、という約束をしました。
あとで考えると、この歯止めが大きな転機を掴むことになるわけですが、そんなことは、そのときは知る由もありませんでしたけどね。
で実際に始めてみると、1997年の8月、つまり始めた月はマイナス6000ドル弱で終わりました。
おかしいなあ・・何で負けるんだろう・・
翌月の9月はプラス5000ドル弱で、ほらやっぱりうまくゆくじゃん。
10月はマイナス5500ドル弱で、ありゃりゃ?
という出入りの激しいものでした。
シミュレーションでは、売買のウィンドウだけ出していましたが、チャートを見なければ、自分がどこの位置にいるのかがわからないので、見よう見まねでチャートを表示して、それを見ながらはやってはいたのですが、売買する段になると「ガー」と上がってゆくので、それを見て思わずクリックしてしまうんですね。
パブロフの犬です。(笑)
ですから、そのあと上がるかどうかはまさに運任せ状態。
というようななわけですから、どうして負けるのかが分からなかった。
そりゃあ勝てませんわな。
一日トータルで負けると、カミサンに説明するための資料作りを念入りにやるので、帰るのが遅くなるわけです。
ガレージからキッチンへ入ると、必ずカミサンには「どうだったの?」って必ず聞かれますからね。
「いやあ、朝のうちはほらここでこうして500ドル勝ったので、もう一発と思ったら・・」といきさつを説明するわけです。
「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが、同じ間違いをやると「この間も同じことを言ってたのにどうしてまた同じ事をやるの?」と渋い顔で言われるわけです。
ごもっとも。
返す言葉がないわけです。
うーん・・なんで同じ事をやっちゃうんだろうねえ。
何を隠そう、自分でも分かりませんでした。
「オレは意外にも自分が思っていた以上に意志が弱い人間だ」ということは、よくわかるようになりましたけどね。(笑)
売買するときは、「勝てる」と思ってクリックするのですが、なかなかそうはいかない。
何故か?
それは、はっきりとした決まりがなかったためです。
そんなことは、自分でもうすうすは分かっていました。
周りのみんなも、それらしいことは言ってましたが、誰一人として確証をもってやっているようには見えませんでした。
みんな、朝になるとトレードフロアへ行き、クリックして、いろいろあってそして一日が終わる。
それの繰り返しでした。
ですが10月にマイナス5500ドル弱負けたあと、ちょっと考え込んでしまいました。
このままではダメだ。
シアトルは西海岸なので時差の関係で、朝6時半からマーケットが始まるため、毎日朝5時には起きるわけです。
そして毎日一生懸命やった挙句が、1ヶ月6000ドルも負けていたら、何やってんだかね。ってなりますよ。
で翌月の11月は月半ばで、すでに5000ドルも負け始めていました。
1ヶ月で1万ドル負けたらやめる、という約束をしていましたから、このまま行けばやめなければなりません。
負けてはいましたが、でもこれって結構楽しいんですね。
よーし、今に勝ってやるからなあ・・って、闘志もフツフツと湧いて来ますし。(笑)
やめないためには、何とか負けないような手を考えなければならないわけです。
自分でもうすうすは分かっていた「はっきりとした決まりがない」という点を何とかしなければと真剣に考えました。
そして、ある考えに辿り着きました。
そうだ!負けなければいいんだ。
勝つこともあるのだから、負けさえしなけば、結果的に勝てるのだ!
オーマイガッ!
続く・・
0523 Tues.
経済と情報
アメリカでは、グーグルやアップルなどの影響で、経済に対する考え方や流れが大きく変わり始めている。
不必要な不安から開放され、自分の将来についてかならず関わりを持つことになる、「お金に関する実際に役立つ経済」について、知っておくことはとても大事なことだと思う。
こうした「今」の経済の流れや仕組みを知ることは、これからの自分自身の生き方にもプラスになるはずだ。
最近のナスダックに上場され人気のある企業は、いわゆる「情報」そのものを商品にしているケースがほとんどだ。
それは、今までのカイシャの概念では計れないシロモノだといってもいいだろう。
というのは商品としての「情報」は、既存の商品とはまったく異なる性質を持っているからだ。
モノの価値はふつう、数量が少ないほど高くなる。
たとえば原油価格が急騰するのは、原油不足または、不足するかも知れないという不安感が原因の場合が多い。
だが情報の価値というものは、こうした一般的な概念とは全く別のメカニズムで決定されることが多い。
ウォークマンであれだけの足跡を残したソニーが、アップルのiPodに見事にしてやられたのは、この価値の違いを有効に生かすことができなかったからに他ならない。
コンピュータやインターネットの登場でわかるように、情報というものは、普及すれば普及するほど価値が高くなる。
たとえば、ファクスは1台だけあっても役に立たないが、どこのオフィスにも「普及」すると、簡単で手軽に文書をやりとりする便利な道具となる。
パソコンやネットワークも然りだ。
分かりやすい身近な例で言えば、iPodというハードウエアそのものは、単なる部品を集めたものでしかない。
だが、Podの商品としての魅力はハードウエアではなく、ソフトウエアにある。
もちろん斬新なデザインも魅力的な要素の一つだ。
だがiPodの持つ強い競争力は、ライバル製品より簡単に音声データを取得し管理できるソフトウエアの仕組みであり、この部分こそが、この商品の商品としての真の魅力となっている。
ハードウエアは真似ができても、ソフトウエアの仕組みさえ独創的であり、それが普及してしまえば、他社はトータルの商品として、その価値の真似をしようにもどうすることもできない、という時代になっている。
先週米国では金利が引き上げられたが、その影響を受け住宅ローンやクレジットカードの返済負担が重くなる。
当然消費者の懐具合は苦しくなり、iPodの売れ行きに多少の影響は出るかもしれない。
だが、金利の上昇によってアップルが大打撃を受けることはない。
その理由は、昔の製造業と違って、膨大な借金を抱えているわけではないからだ。
生産設備を整えるために借金をしているのであれば、金利が上昇すると出費が増えるが、そもそもがアップルは、商品の「生産」を行っているわけではない。
アップルの社内で行う独創的な部分というのは、商品の企画やデザインのセクションだ。
実際に商品を作っているのは、ほとんどがアメリカ国外の工場でだ。
さらに企業の吸収・合併に積極的でないところも、アップルが従来型企業とは違う点だ。
M&Aは、状況が悪化したときに行われる傾向が強い。
新しい音声通信技術が登場したときには、電話会社は合併を繰り返すしかなかった。
だがが、今のグーグルやアップルのようなハイテク企業は、じっくり段階を追って成長するため、企業の吸収・合併はそれほど重要な要素ではなくなってきているのだ。
企業が合併する理由とは何だろうか?
それは、規模が大きくなれば競争に勝てると考えるからだ。
だがモノではない知識や創造性を売る情報経済型の企業の場合、事業の規模と創造性はほとんど関係がない。
そのため、会社の規模を大きくするだけでは競争には勝てないのだ。
情報経済型の企業が吸収・合併に強い意欲を示すときというのは、他社の保有するコンテンツ、つまり情報の内容が欲しい場合だけに限られる。
では、次に貿易赤字の点から、iPod のビジネスモデルを考えてみよう。
iPodのハードウエアの生産委託先の台湾企業インベンテックにアップルが支払う金額は1台当たりで150ドルほど。
昨年第4四半期のiPodの売り上げは1400万台に達したため、アップルはアメリカの貿易赤字をおよそ21億ドル増やした計算になる。
この金額は、同時期の米国の貿易赤字額の1%余りに相当する。
では、iPodはアメリカ経済の足を引っ張っているのだろうか?
そうではない。
iPod
が成功する前の株式市場でのアップルの株価は9ドル台まで低迷していた。
だが現在は6倍以上にはね上がっている。
この株価急騰をもたらした最大の要因は、投資家がiPodの大成功を高く評価したからだ。
このように、一部では盛りを過ぎたと考えられている米国で何故 iPodが莫大な富を生み出しているのだろうか?
その理由は、iPodの生産委託額は、アメリカの貿易赤字の一部となっているかもしれないが、それをはるかに上回る額が、株などへの投資として還流され、米国経済を押し上げているからだ。
このように製品のコンセプトや仕組みをデザインし、国外で安価に生産することは、情報経済で生き残る有効な手段の一つだ。
貿易赤字は増えても、富が増えればバランスが取れるから問題はなくなるというわけだ。
アメリカから流出したお金は、アメリカ市場への投資という形で還流する。
このように「経済における先進国」は、社会の少子高齢化などで「経済が盛りを過ぎた」ことを心配する必要はなくなるということを実証し始めている。
自分たちは頭を使い、モノづくりはよその国にやらせればいいという、交際社会での分業を効率よくスマートに行う術をすでに手に入れたのだ。
グーグルの400ドルにならんとする株価が、何よりもその価値を雄弁に物語っている。
私もそうした経済活動に、トレードという仕事を通じて日本から加わることができるのだが、よく考えればこれだって、よくできた仕組みだと言っていいのではないだろうか?
0522 Mon.
雇用拡大にはチップ制?
日本ではどうしてチップ制が導入されないのだろうか?
ウェイトレスのサービス改善には劇的な効果があるし、もともと細やかな気遣いが得意な日本人には得意な分野だと思う。
もし日本でもこうした制度が導入されれば、中高年の雇用拡大にも効果があるはずで、シアトルの一流フランス料理店などのウェイターやウェイトレスは、いわゆる中高年以上ばかりのスタッフを揃えているところが多い。
彼らの人生経験を生かしたソフィスティケイトされたサービスを一度でも味わうと、本当の気遣いとはどういうものなのか?という点について考えるよいきっかにもなる。
腕のいいウェイターやウェイレスになると、比較的高い単価のいわゆる高級店で働くことができるため、高給取りが多い。
味や料理そのものについてはウェイターやウェイレスの責任ではないのだが、彼らにとっては死活問題だから、料理の味などに関するリクエストがあれば、大人の会話として話しておけば、あとは察してくれるから、店側にもしっかりとこうした情報が伝わるというわけだ。
そのため、もし店側がきちんと対応しないとなると、ウェイターやウェイレス側から見切りをつけることもあり、そうなると、ウェイターやウェイレスには固定客が付いているから、ウェイターやウェイレスが移籍?すると客もついて他の店へ移ってしまうことになる。
こうしたサービスの基本として「リコグニション」つまり客を個人
として認知するというものがある。
具体的にいえば、たとえば2度目の来客の時に、前回座った席や、食べたものなど認知してお
き、そうした点があらかじめわかって接客できれば、客にとっては「非常に心地よい」を提供できる可能性が高くなるというわけだ。
来る時間、服装、業者に来る人、食べたもの
、癖や好みを知っておくことで、あたかもストーカーのごとく、客の心理状態を観察して相手を認知することができるようになるのだという。
たとえば、グラスの水を飲んで水が減ってきたら、さりげなく水を注ぎにきて、ついでにテーブルの様子をチェックするというわけだ。
そうしてまさに「痒いところに手の届く」サービスを客が気に入り、おまけにうまいワインでいい気分になったりすると、チップをうんと「はずみたくなる」ことにもなり、ウェイターにとっては、ガッポリとチップをもらえるというわけだ。
家の娘も以前ファクトリアにある、テイストオブ東京というレスランでバイトをしていたことがあったのだが、閉店間際にときどき、あのビル・ゲイツが奥さんのメリンダさんを伴ってやってくるのだという。
オーナーは有名人だしということ、大喜びだったらしいが、ウェイトレスたちにとっては、それほどチップを弾む客でもないらしく、おまけに定刻には上がれなくなるわで、すこぶる評判は悪かったようだ。(笑)
娘の話によると、チップ制の店のウェイトレスたち、チップの多い客と、少ない客だけは絶対に忘れないそうだ。(笑)
チップは大体15%がアベレージなので、ワシントン州のタックスつまり日本でいうところの消費税は確か8%くらいだったから、その2倍の金額をおいてゆけば、かわいい、ウェイトレスから「チップも少ないケチな客」という目で見られることはなくなるというわけだ。
アジア系統の客は、自分の国にチップ制がないために、悪気はなくてもどうしてもチップというのはケチって払うことになってしまいがちだ。
どのみち払うのだから、どうせ払うのなら大目に払っておけば、次に行くときには、気分のいい笑顔で迎えてもらった方が、トータルではお得だと思う。
ただ、かわいいウェイトレスに、チップを多目に払ったのがカミサンにバレると、レストランを出てから不機嫌な顔を拝まなくてはならなくなるから、注意が必要だけどね。
こうした方向へ突き進んだのが、Hootersという、ぴちぴちのTシャツを着たセクシーなウェイトレスを売りにするレストランバー・チェーンだ。
ラスベガスにも積極的に進出しているのでかなり有名だが、一時「セクシーさで従業員を選ぶのは不当差別」と訴えられたのだが、優秀な弁護士を雇い「Hootersのウェイトレスは雑誌のモデルと同じで、彼女たちのセクシーさは、Hootersならでわのユーザーエクスペリエンスを提供するために必要不可欠なもので不当差別には当たらない」と弁明したことでも有名な店だ。
顧客サービスの多様さを理解した判決は、アメリカの法廷らしいけどね。(笑)
チップ制も慣れないと、客にとっては、なにかと気を使わなければならないことにもなるのだが、客側も少し緊張感を持って、レストランの食事を楽しむことができる、こうしたチップ制というのはけっして悪くないと思うのだが、みなさんはどう思われるだろうか?
0521 Sun.
亡国の日本映画
レンタルDVDは2枚セットで送られてくるのだが、先日の日記で書いた「戦国自衛隊1549」と同梱されていたのがこの「亡国のイージス」だった。
調べてみると、2000年に日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、大藪春彦賞をトリプル受賞したのだという。
また、これを基にした漫画が連載されこの物語の後日談としてコーエーがプレイステーション2用ゲームとして「亡国のイージス2035
〜ウォーシップガンナー〜」が発売されているらしい。
原作は小説として1999年8月に講談社より刊行され、2002年には、講談社文庫から文庫版が上下巻に分けて発売されている。
防衛庁・海上自衛隊・航空自衛隊の協力で、2005年7月30日に公開。
配給元は角川ヘラルド・松竹。阪本順治監督作品。音楽はトレヴァー・ジョーンズ。製作費は10億円台だという。
日本アカデミー賞!に名を連ねる大物俳優を加え、海上自衛隊の本格的な全面協力の元に製作されたと宣伝されただけあって、日本の映画としては、近年かなり注目度が高かった作品だ。
訓練のため、イージス鑑いそかぜに乗り込んだ先任伍長の仙石は訓練の最中に不慮の事故で部下が一人なくなったことから、艦長に話を聞きに行こうとするが、そこには副長の宮津がいて、彼らから自分たちはDAISという秘密公安であると教えられ、仙石の部下・如月が工作員であると聞かされる。
だがしかし、実は如月がDAISの人間で、副長たちは国家に疑問を持ち、ある国の工作員達とともに反旗を翻すというもの。
ある国の工作員達は、アメリカの化学兵器を盗み、副長たちと一緒に日本政府に訴えようとするヨンファたちだった。
ヨンファたちは関係ない仙石たち自衛官を避難させるが、如月を助けるために仙石は一人で艦へ戻り、持ち込まれた化学兵器を取り戻すために戦う。
だが日本政府はいそかぜを爆撃することを決めるが、最後には如月を助け、ヨンファから化学兵器を奪い取り、攻撃は回避される。
とネタバレさせたのには訳があり、原作者の福井晴敏氏ご自身の言によると「ダイ・ハード」をイメージして書いたというが、映画好きの方なら、マイケル・ベイ監督の「ザ・ロック」にそっくりだと思われただろう。
ちなみに「ザ・ロック」というのは、アメリカ海軍の准将(エド・ハリス)が反乱を起こし、自分の部下と共に難攻不落のアルカトラズ島を占拠するところから始まる。
特殊兵器の照準をサンフランシスコに合わせ、アメリカ政府を脅迫するが、大統領は、最後には米軍の新型プラズマ爆弾を使い、アルカトラズを爆撃する事を決めるが、その前にエド・ハリスの計画を阻止するため、ショーン・コネリーとニコラス・ケイジが立ち向かう!というストーリーだ。
最終的に、ニコラス・ケイジの活躍によって危機は回避されるという、クライマックスの展開に至るまで全く同じだ。
ということは、ストーリーとしての面白さは同じはずなのだが、話が進んでゆくとなんだか昔からあるような、ありふれた日本映画になってしまっているのだ。
なにが原因なのだろうか?
実物大のイージス艦のオープンセットは静岡県相良町に作られ、艦首と後部甲板を除いた全体の3分の2ほどの大きさで、総工費3億円をかけて作られただけあってよくできている。
それでも全長77メートル、高さ27メートルというのはセットとしては破格のデカさだそうだが、せっかく作ったセットも撮影に使用したのはわずか一週間程度だったという。
阪本監督曰く「掛かった金額をカット数で割ったら、1カットあたり1000万円になりました」ということらしいが、事前に強行収入と予算などを考えた、いわゆるビジネスとしての映画製作が行われていないということが、よくわかる逸話だ。(笑)
この映画の最大の快挙の一つは、海上自衛隊が映画の撮影に全面協力した事だという。
当初、映画化の話を海上自衛隊に持っていったら、あっさり門前払いをくらったのだという。
「現職の自衛隊員がクーデターを企てる」というのは、自衛隊にとっては「とんでもハップン駅まで10分ということなのだろう。(笑)
だが「事実は小説より奇なり」。
幸いなことに、伊藤海幕広報室長が原作のファンだったそうで、当時の海幕長だった古庄幸一にこの話が伝わると「誰が勝手に断ったんだ!海上自衛隊として全面的に支援する!」といきなり対応が逆転したのだという。
実は古庄前海幕長も原作の大ファンで、しかも大の映画ファンでもあったのだという。
そればかりか、石破前防衛庁長官までもが「本がボロボロになるまで読み込んだ」ほどの、熱狂的な「亡国」ファンだったのだというオチまであるのだ。
この奇跡的な偶然を、小滝プロデューサーは「惑星直列」と呼んだというが、アメリカではこの手の映画に海軍が協力するのは普通なのにね。
まあ、いろんな意味で凄い状況だったことは確かなようだ。(笑)
どちらかというとこの映画は、「国家とは何か、戦争とは何か、平和とは何か」というような曖昧な主張に力点が置かれ「生きろ。絶対に生きろ。未来は渡さない。」などというこっちが照れくさくなるような、ちょっとクサイ台詞も聞かれるのだが、そういう「曖昧な主張」を映画として描くというのは、本来とても難しい事なのではないだろうか。
日本通の俳優であるセガールの戦艦映画「沈黙の戦艦」のように割り切ったほうが、映画としてははるかに面白くなるだろう。
あるいは「ダイハード」的な閉鎖空間でのアクションに徹するとか、アメリカ映画のパクリをしていいということなら、他にも山ほどお手本があるはずだ。
見始めた時点では一瞬「真田広之がスティーヴン・セガールみたいな超人的活躍を見せるスーパーマン的映画か?」と少しは期待したのだが・・
単身艦に舞い戻り、潜行というか隠れ回って敵と戦う主演の先任伍長・仙石役の真田広之は、スティーヴン・セガールというよりも、まるで「ダイ・ハード」のジョン・マクレーンをうんと軟弱にしたようなキャラだ。
だが仙石役としては「どんなにみっともなくてもいい、絶対に生きろ!」という台詞の割にはアクションがきれい事過ぎるし、説教くさく感じるのが気になってしまう。
如月の母親の死とかヨンファの妹の声とかも省略されているから、「どうなっているんだ」とよくわからんし、他にも宮津副長が何故、反旗を翻したのかもイマイチでわからない。
そのため某国の工作員と結託してというか騙されてイージス艦を乗っ取り、政府を脅迫する寺尾聰演じる副艦長・宮津はまるで「ザ・ロック」のハメル准将を間抜けにしたように見えてしまうし「まだ戦っている人間がいるんです」と訴えて艦への攻撃をやめさせるというかやめてもらう内事本部長・渥美は「ダイ・ハード」を腰抜けにしたパウエル巡査のようになってしまうのだ。
人望厚い寺尾聰演じる副長が、何故このような行動をとったのか、幹部自衛官達が何故彼に賛同したのか、小太りの将軍様の「あの国」の工作員が何故我国のイージス艦を占領したのかなどといった、最後に映画を盛り上げるための伏線の張り方がおざなりなため、役者のよさが全く生かされていないのだ。
だがこの作品の魅力は?と聞かれれば、日本人には馴染みのあるという条件はつくものの、豪華な?俳優陣にあるといえるだろうか。
寺尾聰は信頼の厚い男が冷徹になる役だが、悪役になりきれない悪役は好演といっていいだろう。
だが役柄としては、冷静を装っていても、特に解決策を考え出すわけではなく、何も出来ないだけで、クールさよりも無能さの方が目立つキャラとなってしまっている。もったいない話だ。
最後に東京を守るため、副長がイージスともども自爆するシーンは「何だかなあ」であるが、まあこれは役者の責任ではないのだけどね。
ポリティカルサスペンスにしては、フィクションとしてどうにでもできるのに、妙に現実的で情けない日本の国防会議には緊迫感がまるで感じられない。
佐藤浩市が知的な本部長をさらりと演じていたが、どういう立場なのか今ひとつ判然としないうえもったいぶった設定で」いまどき「タバコをスパスパ」はいかがなものか?
安っぽすぎてハナにつくだけだ。
リアリティーはこういうところで出すものではないだろう。
映画らしいカッコのいい役周りに徹するとか、キャラクターの設定はもっとやりようがあるはずだ。
とこれも役者のせいではないのだけどね。
岸部一徳とのやり取りも、なんだか安物のTVドラマのようだし、翻訳して世界に出すという視点からいえば、再考の余地は大いにありだと思うが、日本人はああいうキャラが好きだという前提なのだろうか。
中井貴一は久しぶりに見たが、「あの国」の工作員として何を考えているのか分からない不気味さを醸し出し、何が起こっても想定範囲内と言った感じで顔色を変えない男を演じていたが、せっかく悪役で凄んでいたにもかかわらず、最後の方では無能無策となり、爆弾を抱えてあえない最後を遂げてしまう。
なんだか見掛け倒しだ。
アメリカ映画の面白さは、悪役がかなり強いという点にもあるのだが、日本映画に出てくる悪役は、総じて凄みの演出が足りない。
観客がどういう心理になったときに、恐怖心を抱くのかを、日本の映画制作陣はもっと研究すべきだろう。
というか、大人として、人間としての深みが足りないのでは?と言いたくなるというのは、言いすぎだろうか?
オレだってもうちょっと策略を考えるのに・・というレベルで腰砕けになることが多い。
普通は正義の味方をついつい応援しているうちに、その映画の世界へ自然にのめり込めるのだが、悪役に「頑張れ」と言いたくなるようではダメなのだ。
私は原作を読んでいないので、キャラクターの心理状態や行動原理や人間関係は「分かりにくいことだらけ」で、息子を失った宮津副長の苦悩や反乱に至る動機、あるいはテロを企てたヨンファの思想などが、うすうす分かる程度であって、十分に伝わってこないのだ。
原作ではしっかりとした人物描写によってそれぞれの思惑や関係性が理解できるようになっているのかもしれないが、映画ではキャラクター描写がおざなりにされているため、説得力や感情移入ができなくなっている。
たとえば、唯一の女性工作員ジョンヒが、いきなり潜水艦から潜り込むというか乗船してくるのだが、いったい彼女は何者なのか?
一言もセリフが無いのでわからないのだが、どうやら日本語が「しゃべれない」設定であったらしいが、映画の中でそれを判断する手がかりは全くない。
ヨンファとの関係はもちろん、何のために出ているのかさえ良く分からないという不思議。
途中で突然水中でのキスシーンが飛び出すのだが、何のサービス・カットなのかもわからず、映画を観る限りにおいては必然性が全くないのだ。
彼女がいなくても映画のストーリーに全く支障は無いため「原作に出ているから取りあえず出しとけ」ということなのだろうか?といろいろ調べてみると、どうやら脚本家の長谷川康夫が、彼女をはずすと男ばかりになってしまい、画面に「華」が無くなるのでどうしてもはずせなかったというのが真相のようだ。
ということは「秘密工作員」ではなく「お色気要員」だったということになる・・(笑)
テンポも、イージス艦を占領して、ハープーンをぶっ放してたあたりまではまだよかったが、その後はダレダレだ。
いそかぜでは既に内部分裂が始まり、副長の部下達は皆迷いまくり、これじゃあテロリストというより、銀行強盗して立てこもり、強盗したことを後悔しているチンピラである。
極刑も覚悟で蜂起したのなら、死んでも最後まで敵と戦えよ!と突っ込みたくなるのだが、物語の中でまで、情けない平和ボケの日本人を演じるのはいかがなものか。
自分の信念も貫けず、周りに流されて戦う情けない兵士たちという実情を描いているのか?(笑)
結局、どこかで見た役者が、どこかで見たような設定で演じる、どこかで見たような典型的な日本映画になってしまっている。
リアリティーが妙に薄いのも、また日本の映画の悪しき伝統なのだが、その点も残念ながら見事に継承されている。
自衛隊員としてイデオロギーを持っているはずの主役の真田演じる仙石は、ただの熱血野郎でしかなく、終盤の仙石のセリフ「ヨンファの部下も、早く離艦しろ。何が何でも生きろ!」で決定的にズッコケたが、何じゃ、それは?
「普通の国」なら全員その場で射殺になってもおかしくないような「敵」に対して、艦長代理の任を託された現役先任伍長が「早く逃げろ」っていうのは、いくらなんでも不自然だ。
しかも、そのヨンファの部下たちがどうなったのか、離艦して逮捕拘束されたのか、それとも艦内で自決でもしたか、そのあたりはウヤムヤのままで、後半はいつの間にか人情ドラマと化してしまうのだ。
最後に宮津の原田美枝子扮する妻君が墓前で「何の話してるの?」「また船の話でしょう」なんて呑気なことを言っているシーンが突然挿入されるが、これも唐突だ。
結果的に「命がけで大惨事を阻止した」ことになった宮津が「殉職」扱いで昇進になったらしいことが分かるシーンだが、これも必然性のない、なくてもいいシーンだ。
寺尾聰演じる「わが子を亡くした」宮津の妻君役が、やけに老けていた原田美枝子っていうのは「半落ち」のパロディーなのか?
日本の映画はいつも「情緒最優先」で、最初の設定はそっちのけのシーンがあったり、思いがけないエンディングを迎えるというのは日常茶飯事で起こるから、満足感がないままで、見終わった後の脱力感がつきまとうのだ。
だが、最大に緊迫した場面が冒頭に来て、その後だんだんとフェードアウトという日本映画の伝統は見事に継承されている。
寺尾が途中で善人に心変わりした影響で、部下が全員「へなちょこ」になる設定のため、後半が全く盛り上がらないのだ。
真田以下主役3人はいくら撃たれても致命傷にならない不思議はさておくとしても、
すべての細かいストーリーにも決着をつける割には、映画のテンポには無頓着だ。
「東京壊滅まで**秒!!」「全てを握られた日本政府!」「ひとり立ち向かう主人公!」というタイトルを見ると物凄い大パニックサスペンス映画のようだが、意外にもタイトルほどの緊迫感がないのは、テンポが悪いせいだろう。
ハリウッドのポリティカルアクションに慣れている観客には、この程度のものでは全く物足りないというレベルだ。
ハラハラもドキドキもしないうちに淡々と物語は流れてゆくが、編集はウィリアム・アンダーソンという「トゥルーマン・ショー」や「グリーン・カード」などの緊迫感を必要としない作品ばかりを手がけた人物に担当させたようだが、では人間模様を中心の作品かというと、そうでもない。
最初にあれだけ大上段に謳っていた肝心の「国家」だとか「国防」だとかいうテーマが後半にはストーリーやアクションシーンからは見事に消え去ってしまっているため、結局は中途半端な印象しか残らないのだ。
残るといえば、もし実際にこの国が突然危機体勢に陥った時「本当に自衛隊の力で何とかなるものだろうか、やはりアメリカに頼るしかないのだろうか?」と考えさせてくれる点くらいだろうか。
音楽も横文字の人間が担当した割には凡庸で、照明も相変わらずのベッタリした平面的なライティングだ。
細かく書くと多すぎるので割愛するが、産経新聞はこの映画の協賛企業だからか「カンヌで絶賛」というニュースも報じたが本当だろうか?
海外からの買い付けが多くあり、評価も高かったとニュースで報じたが、貴社の記者は帰社してちゃんと映画を見たのだろうか?(笑)
問題は物語より何よりも、キャラクターの掘り下げ不足だろう。
これはもう「原作付き」の宿命なのかもしれないが、膨大な小説を2時間前後の映画に納めるためには、色々なものを捨てるしか方法は無いワケだ。
それは登場人物の背景であったり、個々のエピソードであったり、いずれにしても取捨選択を迫られ「断腸の思いで決断を迫られるのだと思うが、要は「どこをどのように切り取り」どう見せるか?という判断が非常に重要なのだ。
この作品の場合、最初に出来たシナリオは300ページを超え「これを映画化したら5時間になる」という事で大幅なカットを余儀なくされたのだという。
だが、大胆にハサミを入れたのは、脚本家でもプロデューサーでもなく、なんと福井晴敏本人だったというのだ。
普通、原作者にしてみれば自分が苦労して書いた小説を、削除するのは抵抗があるはずで、思い入れの強いエピソードならなおさら切りくないはずだ。
ところが福井氏は「必要無い」と判断したら躊躇無くどんどん切り捨てていったという。
その姿は「あんなに割り切りのいい原作者は初めて見た!」とプロデューサーを呆れさせるほど凄まじかったそうだ。
それどころか、原作者が最も気に入っていた「阿久津徹男のエピソード」を自身であっさりカットしてしまったため、プロデューサーの方が慌てて「ええっ!福井さん、そ、そこを切るんですかあ!?」と慌てて原作者に詰め寄ったという逸話まで残っているらしいが、これじゃあまるで立場があべこべだよなあ。(笑)
映画のラスト付近で、副長は爆弾を破裂させてイージス艦をお台場の沖で沈没させてしまう。
「ショボいCG」は映画を一瞬でウソ臭くしてしまうというのにだ。
副長や幹部クラスの人間であれば、あのシチュエーション、つまり原爆が爆発したりするわけではないのだから、艦が岸へ突っ込むというだけで、自ら艦を沈没させることはないはずだ。
このこと自体が、リアリティーをなくしているのだが映画ではその説明は全くないまま、最後の大事なシーンで「イージス艦が沈没するシーン」を観客に見せてしまっている。
私が監督なら脚本を変えて、艦は沈めないだろう。
少ない予算を無駄なCGや特撮のシーンで使う必要はないからだ。
副長が沈める前に、謀反を起こした連中は全員死んでいるわけだし、沈める理由は見当たらない。
予算のせいだろうか、この作品のCG合成のカットは意外に少なく、前半の「いそかぜ」対「うらかぜ」の戦闘シーンを含めたったの98カットしかないのだという。
当初は、自衛隊が本物のミサイルを撃っている所を撮影しようとしたらしいが、不可能という事が判明。
イージス艦は高価で、所有している国はほとんどないうえ、我々はめったに見ることができないのだから、どうせイージス艦を登場させるならその機能や、内部構造などをもっと見せてくれてもいいのにと思ってしまう。
観艦式に参加すると、5インチ砲(祝砲)とボフォース砲(対潜ロケットランチャー)の発射を見る事はできるらしいが、ハープーンミサイルやシースパローの発射は演目に無いのだという。
特にハープーンは射程が100キロメートルを超えるため、日本近海では訓練が行えないという事情で、ミサイル発射シーンは全面的にCGを使用する事になったようだ。
結局米海軍の記録映像等、集められるだけの資料をかき集めて、可能な限りリアリティを追求したのだという。
これは、阪本監督が「ドキュメンタリー的な本物っぽさにこだわったから」だというが、最後の「イージス艦いそかぜ」の沈没シーンは、8メートルのミニチュアを使用して実際に撮影したのだという。
案の定、最後のイージス艦炎上は「プラモデルが壊れて沈んでゆく特撮」シーンに見えてしまっているため、それまでかろうじて踏みとどまっていた土台が、崩れ去るように、すべてがうそ臭くなってしまっている。
最後の最後で、何だかなあ・・である。
だが実はその前に仙石の「ある行動」によって、それまでの映画の雰囲気が見事にブチ壊されているから、幸いなことに?最後のイージス艦炎上のCGの酷さの印象は、薄いものでしかなくなっているのだが・・
「ザ・ロック」のクライマックスにも同じ場面が出てくるのだが、要は自分の存在をアピールし、ジェット戦闘機からの爆撃を停止させるため「最後の行動に出る」というシーンがある。
本作の中でも最後の非常に重要なシーンとして描かれているが、はっきり言って「ザ・ロック」の256倍ダサかった。
というのは、偵察衛星が真田広之つまり仙石の姿を映し出すと、総理大臣が一言、「・・・・・あいつは何をやっとるんだ?」と言い放つのだが、まさに「何をやっとるんだ?」としか言いようがない衝撃映像がそのあとに炸裂するのだ。
何を隠そうこの衝撃映像を見たその瞬間、不覚にも笑ってしまった。
ネットで調べてみると爆笑の渦に包まれた劇場もあったという。
これはお笑い映画か?(笑)
これは「行動」自体に問題があるのではなく見せ方の問題で、真田広之がやっている事は理屈で言えば決して間違ってはいないのだが、ただどう考えても、バラエティ番組のゲームにしか見えないのだ。
なぜ、もう少しかっこいい見せ方ができないのだろう?
いずれにせよ、一番大事な最後の場面で、意図に反して観客に笑われてしまうのは致命的と言えるだろう。
これがOKされるまでのプロセスで誰もこのシーンについて、異議を唱えなかったのだろうか?
まさに「亡国の日本映画」である。
0520 Sat.
東京もナスダックのマーケットも軟調だが、でもかなり分かりやすいマーケットだといっていいだろう。特にここ数日のナスダックはナスダック総合指数さえ見ていれば、作戦はとてもシンプルなものでOKだ。
こちらのギャッパーズアイを見ていただければ分かるが、スイングスキャンや、ブレイクスキャンプロは余計な銘柄を表示しないので、間違ってエントリーする可能性は低いわけで、なかなかおいしいマーケットだといっていいだろう。下がるときは、早く大きく動くからね。(笑)
ただ間違ったサイドへ入った人は、悲惨な結果が待っているだろう。基本的なことが分かっているのと、そうでないのとではまさに天国と地獄。(笑)
東京はとてもいい天気です。みなさんよい週末を!
スキャンシステムの現在の改良点と今後の予定
現在スイングスキャンの過去ログ実装をテスト中です。
過去ログのカレンダーの反映は18時に自動で行う予定で、ブレイクスキャン(プロ)のAjax対応とログ対応はこれから。現時点ではページを自動読込しているときに、SWINGSCAN
の文字の色が変わるのですが、まあこれはあまり実用では関係ないかもしれませんね。
実はサーバーへの負担を考え、重くならないように、スイングスキャンのリフレッシュ時間は、現時点でも、かなり細かく制御されています。
たとえば、日本株は特別気配があるので
寄り付いた銘柄が10銘柄以下 15秒
寄り付いていない銘柄がある 30秒
全て寄り付いたあと 60秒
という按配で制御していますが、ナスダックは即寄り付きますから、すぐに60秒周期となりますから、それほど重くなりません。
ただまだバグがあるようで、ブロークンアローのアイコンが Break! やTestを表示していないと出ていなかったのですが・・
やけにスッキリしていると思いませんでしたか?(笑)
これはログ版をリリースしたときに一緒に変更する予定です。
というのは表示すると負荷がまた上がるんですね。
軽くできないと、人数制限をかけるとか、オークション方式で値段を決めるとか・・これはジョークですが(笑)とにかく負荷をどのように減らすのかが課題となっています。
現在検討中の具体的な方法としては 長い周期のときに、F5で頻繁に更新されると重くなるので、load
リンクを追加するというもの。
具体的には Conf の中に、Reload period
を追加し、12秒〜60秒周期で変更できるようにするというものですが、現在は12秒周期での更新ですが、実際には画像込みなのでもう少し遅くなっています。
初期値は15秒にして、保存可能なパラメータにして使われる方が独自に設定することができるようにするというわけです。
変更可能にした目的は、早く変わりすぎて困るというケースのための使い勝手向上のためで、たくさんの銘柄を表示しているときに、めまぐるしく変わると、かえって見づらくなりますからね。
それに使うタイムフレームによっては、それほど頻繁にリフレッシュされる必要はありませんから、ここの設定を軽くしておくと、サーバーにも使われる方のシステムにとってもメリットが生まれるというわけです。
これは、ブレイクスキャンとブレイクスキャン・プロともに実装する予定ですが、あくまでも予定ですので・・(笑)
0519 Fri.
mixi で足あと100万個
がついた。
昨年の5月25日からだから、一年には8日足らない357日で100万。つまり、一日平均では2800人がこの日記を読まれたということになる。
ありがたいことだ。
というわけで、今日はこうして「足あと」が日記ネタになっているのだが(笑)まあ時々何を書こうかと迷うことはあるけれど、それなりに何とか書いて一年が過ぎたというわけだ。
思い起こせば、昨年のアドバンスセミナーの参加者の方からの「mixiって知ってます?」という会話から始まったのだが、ちょうどカミサンの誕生日のあとだったので、どれくらい続くかわからいけれど、まあ何とかなるだろうと、始めたのがこの日記だった。
自分のトレードに関するWEBサイトでは、1998年5月19日から日記を書き始め、ほぼ毎日更新してきているので、8年間の実績があるわけなので、毎日続けるということに関しては、まあ習慣になっているから、それほど大変なわけではない。
デイトレードネットの6月のヒットを見ると上のようになっているが、最も多い時間帯は、下のように、夜の10時代でナスダックマーケットの始まる時間帯だ。
もっともトレードに関することだと、毎日ネタはあるので、そういう意味では自分のWEBサイトの方がラクなんだけどね。
mixi は基本的にトレードのことは書かないと決めていたので、ネタ的には mixi
の方が大変だったけど、手ごたえという意味では、「足あと」があるので、誰が見に来ているかがわかるため、はるかにモチベーションを持続しやすい。
とはいっても最近は、何の仕事をしているのだという問い合わせをいただくことも多くなってきたので、最近の日記で書いたのだけれど、だがネタとしてトレードのことを書くことはあまりない。
つまり、ほとんどは、どうでもいいことをタラタラと書いているわけだが、2箇所で書くということは、こちらで書いたことをあっちに転用したりあっちで書いたことを、こっちに転用できるので、そういう意味では2箇所で書くというのは、それなりにラクなんだけどね。
まあ、100万個の足あとがついたからといって、じゃあ明日から何かが変わるかといえば、それは全くないわけで、いつもと同じことだろうし、第一人格が変わったように急な変化が起こる方がかえって、おかしいからね。
何とか「一年間続けられてよかった」というのが正直な感想だ。
ってテンション低いかな?(笑)
なんだかんだといっても、見に来ていただいている「証」としての「足あと」は、書くための大きな原動力となっていることだけは確かですから「足あと」が一つでもあるうちは、書き続けたいなと思ってい
る。
しかし5月の頭から中旬までは、数年来のプロジェクト、スイングスキャンがようやく始動
し、年に一回開催しているセミナーの配布テキスト作りなど、いろいろな締め切りが重なったので、盆とクリスマスと正月が一度にやってきたような忙しい気分だった。
なわけで、ちょっと睡眠不足気味だったのだが、でもしっかりと昼寝はするけどね。(笑)
だから起きている時間帯が分断されることになるのだが、ものすごく寝つきがいいので、そういう意味では、こういう事態での対応力はかなり高いといえるだろう。
まあこれは音楽をやっていたときの恩恵だろうが、こういうところが神経質で眠れない人はつらいはず。
脳への一番のご馳走というか栄養は、睡眠だから、寝不足は何かと影響が大きいのだ。
ということで今日鍼と指圧に行ったら、O先生は「背中にかなりきていましたね」と笑っていたが御意。
こういうときに、うっかり溜めるとアトが大変だ。
アドバンスセミナーのテキスト作成では、Publisher という日本ではかなりマイナーなMSオフィスのアプリケーションを使っているのだが、これは意外と便利。
テキストや、チャートなどの画像に、矢印やマークなどを混在させて作る時は、何かと作業がしやすいアプリケーションだ。
だが250ページもあるとPDF化するのに、やたら時間がかかるんだね。
ということで、実は mixi どころでは、なかったのだけれど、かろうじて日記は中断することなく、工事中で時間を稼ぐとかで、見かけ上は普通どおり。(笑)
日記を慌ててアップすると、誤字脱字、おかしな送り仮名などの表記のバラつきなどがどうしても頻発するので、Just
Right!2 を最近導入した。
これはなかなか使える。
テキストファイル
HTMLファイル
PDFファイル
Microsoft Word
Microsoft Outlook(R)
Microsoft PowerPoint(R)
ATOK
Shuriken Pro
などに対応しているので、アップの前にチェックをかけると、うっかりミスを防ぐことができるというわけだ。
ATOK は使っていないけれど、これは結構使える。
と最後はジャストシステムの営業マンモード。(笑)
おあとがよろしいようで・・
0518 Thurs.
昨夜のマーケットは絶好のショートデイ。だがGOOGはロング。(笑)イントラデイはアドバンスプレイの例を受講者の方のためにギャッパーズアイへ掲載。ハイローバンドは銘柄数が多かったので、フィルターの数を増やしてチェック。
はじめまして。**と申します。いつもCoolに過ごそうを楽しく拝見しております。
最近、株に興味を持ち、知人がデイトレードネットのセミナーを受講したこともあり、私も馬渕様の手法に非常に興味を持ちました。本来はセミナーに参加したいのですが、仕事の関係上、なかなか参加できません。
よって、DVDだけでも購入し、勉強をしようと、先日DVD3を購入いたしました。
そこでご質問ですが、DVDのなかで、5MA(Hi&LO)の代わりに、ボリンジャーバンドを使用するとのことですが、ボリンジャーバンドの設定も6日の設定ができません。5日の設定と6日の設定では、HLBギャッププレーで使用する際、かなりの差が出るものなのでしょうか。
また、クロパンダさんのチャートを見ると、当方と同じソフト(マーケットライダープレミアム)で3本のMAが引かれています。どのように設定してみえるのかお解かりでしたら、ご教授いただけると幸いです。宜しくお願いいたします。
上はハイローバンド。
下はボリンジャーバンド。
ボリンジャーバンドの中央の線は白を選択して見えなくしてあります。
6日移動平均線と、シグマあるいはStandard Deviation
は0.7の組み合わせですが、ハイローバンドと似ればいいので、多少設定値はこの値と違っていてもかまいません。トレードの仕組みさえわかれば、細かい数字はまあ、いってみればどうでもいいわけです。(笑)
スキャンシステムその後
ブレイクスキャンプロと、スイングスキャンプロのサービスが始まり、無事1週間が経過したが、それぞれのスキャンシステムには、引き続きさまざまな改良が施されている。
ブレイクスキャンドットコムに登録してログインすると、適時そうした情報が公開されているので、メンバーの方はぜひきちんとチェックしていただきたい。
これだけの性能のものが、一ヶ月で2万円というのは破格だといいっていいと思う。
日本株と米国株の両方のマーケットで使えるわけだし、スイングスキャンなどはブレイクスキャンの何倍ものゲインを狙えるわけで、基本さえできていれば、一日でカバーできるコストなのだ
。
多くの方はそうした点を先刻ご承知のようで、契約されたメンバー数が当初予想以上のため、ちょっとサイトが重くなってしまっている。この点については現在対策中なので、今しばらくお待ちいただきたい。
また、リアルティックについても近い将来、日本株がトレードできるようになるよう水面下でいろいろと働きかけているところなので、今から操作に慣れておかれるといいだろう。
自動実行の機能もついているので、トレードをプログラム化することも計画している。
リアルティックは、1997年から使っているソフトなのだが、トレードストリームよりはるかに細かい設定が可能だから、わからない部分はブローカーへ積極的に問い合わせをすることだ。
単独ではダメでも、機能を組み合わせれば、必ず目的とする機能は実現することができるのだから。
特にプロとしてトレードされている方は、どんどん自分から積極的にアプローチをするべきだろう。
小学校じゃないのだから、基本的には待っていても誰も手取り足取りでは教えてはくれる訳ではないと考えることだ。
このソフトでは必要な機能はすべて網羅されているから、右クリックメニューをどんどんクリックして、設定を自分で見つけることだ。
失敗してグシャグシャになっても、あらかじめ保存してあるもとのページを呼び出せば、また元に戻るのだからね。
私はそうして細かい機能を見つけ、わからないところは、ブローカーへ問い合わせている。
日本語のサポートスタッフがいるから、利用しない手はない。トレードフロアには、ブレントというリアルティック使いもいるのだから。
だがそうはいっても(笑)、こちらのリアルティックガイドは随時更新しているので、定期的にチェックされるといいだろう。
ブレイクスキャンプロには新機能を追加したが、リアルティックのマーケットマインダーへ一発で銘柄を追加できるようにティッカーシンボルをクリップボードへ簡単にコピーできるので超便利だ。
日本株だって銘柄コードを一発で銘柄リストへ追加できるからね。
トレードストリームユーザーだった方は慣れないと、使いにくいと感じるかも知れないが、こうしたソフトは慣れの部分が多いからね。
こういっちゃあ何だが、セミナーでの解説にしても、私にとっては使いにくかったトレードストリームから、リアルティックへ戻ることができて、ホッとしているというのが正直なところだ。(笑)
May 15,
2006 スイングスキャンの動作環境についての注意
スイングスキャンの動作仕様について、大きな変更を実施しましたのでご連絡いたします。
いままで、スイングスキャンの情報更新に HTMLのMETAタグ のRefreshを使用してきましたが、今後は
JavaScriptの機能により情報更新を行うようになります。
この変更では、最近Google Mapsなどで脚光を浴びている Ajax
(エイジャックス:JavaScriptによる非同期通信)を使用し、見た目上ページの更新が発生せずに、情報更新が出来るようになりました。
Ajax は、最新のほとんどのウェブブラウザで動作しますが、一部のウェブブラウザでは動作しないこともあるようです。
今回の変更にあたっては、Windows XP SP2 上の Internet Explorer 6.0 SP2 、および Firefox 1.503
で動作確認を行っています。
この他にOpera
8.54でも動作確認が出来ていますが、Mozilla 1.7.13 では定期的な情報更新に不具合(※)が起きています。
Mac OS X や
Linux などのOSでは動作確認の予定はありません。
ウェブブラウザで、JavaScriptの機能を制限している場合には、このウェブサイトでの制限を解除してください。
今回の動作仕様の変更は、スイングスキャンが多くのトレード情報を効率よく視認するためにアイコン(画像)を多用していますが、情報更新の度にアイコンの読み込みも行われるため、サーバー側の負担が大きくなっていました。
日本株が始まる9時台には、反応の低下が顕著なものとなってきていて、早急の対策が必要と認識し検討、準備してきました。
Ajax
により、表示しているページの再読み込みすることなく最新のトレード情報を取得することができ、画像の再読み込みも行わなくなるので、サーバーの負担が軽くなり、レスポンスも向上します。
サービス向上のためにご理解をお願いいたします。
Ajax での実装にあたっては、http://prototype.conio.net/ のprototype.js を使用しています。
なお、ページの最下行に (Server time: 時分秒) などと表示していますが、サーバーがウェブブラウザへ情報を送信したときの
ウェブサーバーの時刻です。
この時間が更新されないとき(最大60秒周期)は、キーボードからF5キー(更新)を押すことにより更新されます。
F5キーを頻繁に押すことはサーバーの負担になりますので、なるべく押さないでください。
(※)Mozilla 1.7.13 では情報の更新周期が他のブラウザに比べて遅くなっている。
0517 Wed.
日本映画
レンタルDVDで久しぶりに日本の映画を見た。映画館へ見に行ったという娘が「間違ったと」訳のわからんことを言ってたので、怖いも観たさにマークをつけておいたら、速攻で送られてきたというわけだ。
レンタルで借りたといったら、娘に「観ないほうがいいよ」といわれたのだが、へそ曲がりな私としては、楽しみにカミサンとWATCHしたわけだが・・
今後の日本映画のために、画像付でいくつか気になった点を指摘しておこう。でその問題作は「戦国自衛隊1549」
。
ストーリーはこうだ。
人口磁場発生器!の秘密実験中に事故のため一部隊丸ごと戦国時代に吹っ飛ばされ、その後過去の歴史干渉が原因と思われる「ホール」が全国的に発生。
このままでは未来が変わってしまう!という緊急事態で、救出部隊「ロメオ隊」が結成され、二度目のタイムスリップで戦国時代に向かう。
だが、74時間26分以内に同じ場所に戻ってこないと二度と戻れなくなる、という条件で映画が展開する。
フィクションの場合、「いかにリアルに見せることができるのか」は、その作品の成否を決める大きな要素なのだが、この映画の場合CGの使用は予算から言ってかなり無理があることは明白だ。
「ステルス」の場合は、この「リアリティー」を出すためにCGを頑張ったわけだが、これにはコストがかかる。
「ステルス」はCGだけで34億円。だがこの「戦国自衛隊1549」の場合、総製作費は15億円。
もしCGを入れるとなると、どれくらいの予算が割けるかは、素人でもおおよそはわかるだろう。
クライマックスでミサイルが発射されてしまうシーン。
まるでゲームのようなレベルの、ミサイル発射シーンを見せられると、よほど予算がなかったのだろうと、余計な心配をしなければならなくなってしまう。
肝心のクライマックスで、城が炎上するCG?では、火山の噴火にミニチュアの城を撮ったものを合成したのでは?と容易に推測できるものが使われている。
CGをできるだけ使わずに済ませ、
CGのできの悪さについて観客の注意をそらすには、現代の人間が過去にタイムスリップするという、同じような展開の「バック・トゥザ・フューチャー」のように、コメディーな味付けの作品にするという手がある
。
だが「戦国自衛隊1549」の場合、こうした「笑い」の要素はまったくない。
かわりに、大そうな「マジ」が全編を貫いているのだが、かえってそれが痛々しいものになってしまっている。
映画の面白さとはなんだろうか?
主人公二人が、過去に飛ばされた部隊が向こうで織田信長に成り代わり戦国時代に君臨し、上官の自衛隊員が織田信長として激しく現代に牙を向けてくるのをどうやって止めるのか?
未来に対する責任とは?
といういささか重いテーマを描くには、その重さに負けないリアリティーが必要なのだが、それがペラペラに薄いのだ。
戦国時代の武士たちは、全員バミューダパンツのようなものを履いているが、総じてこの作品では、時代考証がされていないようだ。
だが、いくらなんでも当時の合戦で、兵士たちが半パンを履いているということはないだろう。
こうした無神経さのため、戦国武将はただの変装した現代人にしか見えず、ライティングのまずさとあいまって、チャンバラ時代劇に自衛隊を混ぜたとしか思えない、合戦シーン
となってしまっている。
自衛隊員が、腰だめで89式小銃撃ったり、ノーヘルで髪を振り乱した女性隊員が乱射するとかのシーンを見るにつけ、演出面でのリアリティーという点からも、カンベンしてほしい。
だから手に汗握るようなハラハラ感やドキドキ感もないし、戦闘シーンも何だか、TVの大河ドラマの合戦シーンのようになってしまっている。
3人の後姿のシーンが何とも・・
「ステルス」のように、ストーリーを捨て、思い切って製作陣が楽しんで作っていればまだ救いがあるのだが、それもない。
監督の言によると、現在自衛隊が抱えているサマワでの援助や国際貢献などが「戦国時代に行ってしまった仲間を救出するために作戦を決行する」という状況と似ているため25年前の作品「戦国自衛隊」をリメイクしたのだという。
実弾の使用を巡る葛藤も描いたということだが・・
プロデューサーの言によれば、旧作の「戦国自衛隊」は、若い人たちの間で「もう一度観たい、もう一度作ってほしい」という要望が非常に強い作品だったという。
現在の日本では陸上自衛隊が様々な形で注目され、25年前とは状況が大きく違うため、旧作と同じ形にはできなかったが、陸上自衛隊という素材を使うことで、人間とは、友情とはどういうことか、若い人たちに大きくアピールできるのではないかということで、今回の製作に至ったのだという。
それなら、戦闘シーンはできるだけ見せずに端折り、CGも使わずにすむように何とか工夫をして、人間関係の情を徹底して描くとか、意外性を持たせるとかの工夫が必要
だろう。
だがこの作品は、本来はコストのかかる要素もおかまいなしで、中途半端に全部てんこ盛りにしてしまったため、なんだか「まずいお子様ランチ」みたいになってしまっている。
ヘリコプターを動かし続けるためには、城と一緒に石油精製所も作る必要があるという理屈で、リアリティーを出そうとしたことは理解できるが、ダサいCG?で製油所を見せているため、結果は全く裏目に出てしまっている。
予算の関係だろう、コンピューターも何だか、その辺のPCを使っていることが見え見えなのだがし、こういうところもああいう風に見せる必要は全くないはずだ。
どうしても見せたいのなら中途半端なことをせずに、思い切って作り物でしかできない、デザインにするとかの工夫をするべきだろう。
城のCGも、ハリウッド映画を見慣れてしまっている目には、ちょっと受け入れがたいレベルのものでしかないのいが、なんだかなあ・・である。
タイム・パラドックスに対して深く考えるとか、あるいは開き直ってドンパチやるにしても、その有効性・合理性を考えるとか、伏線を張って大どんでん返しとかも、一切な
しだ。
映画がエンターテイメントであることをすっかり忘れてしまっている制作陣が、原作を台無しにする脚本とあいまって、役者まがいのタレントの薄っぺらな演技に一旦OKを出してしまうと、こうも歯止めがきかなくなるものだろうか。
プロダクションとどういう契約があったのかは知らないが、若い女性タレントを姫に仕立て上げ、台詞を棒読みさせるのはいかがなものか?
リアリティー以前の問題だ。
もう、ただそこに姫や侍の格好をしてる役者がいて、同時に自衛隊の迷彩着てる俳優がいるだけといえば、言いすぎだろうか?
演出としてこのレベルでOKを出してしまうと、戦闘シーンにしても、火薬を使える場所としても富士山の自衛隊の演習所の近くで、撮影しても大丈夫そうな適当な場所を見つけ、特殊効果、カメラワーク、天候に対しても「ほいきた撮影」でやっつけたとしか思えない仕上がりとなってしまう
のは無理もない。
そのため、現代兵器になくてはならない重厚感が微塵も感じられない。
平和ボケした日本を世界に知らしめるリアリティーのなさがシュールで、そこを楽しむという楽しみ方ならできるかもしれない。
そこまで、来てしまっている。
拳銃の弾が一発戦車に当たっただけで、こういう火花が出るものだろうか?
戦車にはあれだけの火花が散った弾のあとがない。
こういうシーンを残す神経がよくわからない。
コスト削減と、リアリティーのため、構図にも工夫をすべきではなかろうか。
城が崩れてゆく中で平然とまわりを見渡してる主人公や、舞台俳優出のわざとらしい演技、情を描くたびに、戦いの最中とは思えない妙な「間」があちらこちらに見られるなど、リアリティーという点では20年前のアメリカ映画にも及ばない。
かつて陸自の特殊部隊で実力トップだった主人公の江口洋介が、居酒屋の店長としてのんびり暮らしているというのは、リアリティーのなさにダメ押しをするものであり、そこへ突然現れた隊員らにより半ば強引に召集されるというのも、何をかいわんやである。
映画の冒頭で、神崎怜2尉(鈴木京香)らが口頭で説明しまくるため、そこから先での予期せぬ意外性という部分が全くなくなってしまう。
普通は伏線となるさまざまな要素を丁寧に描き、積み重ね、リアリティーを出すものなのだが、その過程をすっ飛ばし、「歴史干渉が原因と思われるホールが全国的に発生している」といきなりいわれてもねえ・・
はい、ぬかりなく説明しましたよ、とばかりに「歴史干渉が原因と思われるホールが全国的に発生している」という説明とリアリティーのない特撮による「ホール」らしきものを
見せられても、見る側にとっては、にわかには信じがたい心理状態でしかないということについて、制作陣の誰一人として気がつかなかったのだろうか?
タイムスリップした主人公の自衛隊が戦う相手が、「現地の武士」ではなく「暴走した別の自衛隊」であるという、やりようによっては意外性として使えるアイテムを、こうまであらかじめ説明してしまう必要性が
、いったいどこにあるというのだろうか?
そのため、観客側が先回りしてしまう想像力のはるかに下のレベルでの意外性とあいまって、普通はこの手の映画のセオリーである戦闘場面にちりばめられる、真実の暴露という意外性という面白さも全くない状態では、早く終わらないかと、残りの時間が気になり始めることになってしまう。
この映画の監督は平成ゴジラシリーズで何度も自衛隊と特撮の組み合わせで撮影した経験がある人らしいが、そのためだろうか、主演の二人には現実の自衛官らしさが薄く、キャラクターとしても血が通っていない演出のため、主演の二人は外見だけは美男美女風以上には見えず、なんだか自衛官募集映画のようになってしまっている。
作り手側の政治的な主張や立場がまったく見えないかわりに「大切な人を守るために戦う」という、どう見ても後付けのいいかげんなテーマが、ぬるい状態で貫ぬかれているだけだ。
江口洋介と鈴木京香は、よほどこの作品のギャラがよかったのだろうか?
だが役者としてのキャリアで言えば、作品は選ぶべきだと思う。
とにかく制作側がこうした体たらくなので、俳優が頑張っても、どうにもなるものではないのだが・・
物凄い破壊力を持つという最終破壊兵器を膝に乗せているようだが、そんなに軽かったか?確か運ぶときは二人で重そうに運んでいたのに・・
江口洋介の膝は大丈夫か?(笑)
表面の光の反射の具合で、まるで作り物のように見えるのはまずいよなあ。
圧倒的な火力を持つ近代兵器と、刀や槍の物量軍団との戦いという構図は捨ているのだから、かわりに自衛隊同士のド迫力バトルがみられるかというと、それもない。
今回は陸自の全面協力をもらっているから、戦車もヘリも本物が使えるうえ、おまけに演習場での撮影ということで、火薬も安心して炸裂させることができるということに製作側が満足してしまっている節がある。
「ホンモノの自衛隊の装備を使ってるんだぞー」というのは、世界レベルで見ればそれは手法の一部であって、映画の面白さとは直接関係はないものなのだが、何となく「ここ」を前面に押し出そうとしていることが、画面からそこはかとなく伝わってきてしまっている。
登場する車両とか銃とかが、ずいぶん新品のようで綺麗なのが、リアリティーという面からは完全に仇となってしまっている。
泥を吹き付けて、実際の戦場というリアリティーを出すということが、自衛隊に遠慮してできなったのだろうか?と思ってしまう。
映像は光の反射や影のコントロールを考えていないようなベタなライティングばかりで、シーンによっては、スモークを炊くとかしてはどうだろうか?
「ラストサムライ」くらいは見て研究すべきだろう。
最終兵器とやらに、そのへんにありそうな電源プラグとギター用のコードのようなプラグを使うのはやめた方がいいと思う。
本来であれば自衛隊の全面協力に感謝し、その行為に報いるためのその段階からの制作陣のさらなる工夫が、映画の面白さをプッシュアップすることになるのに、そこを放棄してしまって
いるのでは、何をかいわんやだ。
本物を使っているのに、張りボテみたいに見えるというのは、やろうとしてもなかなかできるものではない。
こればかりはハリウッドも真似はできまい。(笑)
始まりがピークで、そこから徐々にフェードアウトし、最後は予算もなく収拾がつかなくなったので、そこをエンディングにしたのではないだろうか?という疑惑を持たざるを得ない、日本人としては耐え難い日本映画の悪しき伝統が、この作品でも見事に貫かれていた。
見終わった後の脱力感によって、自分の仕事に誇りを持てるという効果を狙って制作されたのであれば、見事な手腕である、と締めくくるとしよう。
ガックシ。
0516 Tues.
アドバンスセミナー3日目
さて今日は最終日なので、セミナーは夜のナスダックマーケットで実際にどのようにそれぞれのプレイを使うのかという点をセミナー参加者の方に見ていただく日。
実は朝9時から、ブローカーのJ氏と六本木ヒルズにある、リーマンブラザーズのさるセクションでのミーティングへ。
うちの近所でよく見かける、ロータスエキシージとバッタリ。なわけでパチリ。
こちらは六本木ヒルズの駐車場。
「カッコいいのに乗ってるなあ・・」と写真を撮ってくれというので、我がボクスターSと2ショット!(笑)
ついでに誰のかわからないが赤い車と一緒にパチリ。
っておのぼりさん状態だよなあ。(笑)
リーマン・ブラザーズへ・・
今年中には日本株マーケットで個人トレーダーにとっては、素晴らしいことが起きそうなのであります。
というか、そういうことが起こるようにと、お願いに行ったのですが、今はこれ以上は書けませんので悪しからず。
Iさんのオフィスがあまりにも眺めがよかったので、黙ってパチリ。
Iさん、ごめんなさい、撮っちゃまずかたかな?
ディーリングルームはなかなか壮観だったのだけれど、さすがにそこは撮るのを憚られたので、残念なりであります。
で夜のセミナーは途中でワインブレイク。
ハイローバンドの練習を兼ねて、人前で演奏する練習を・・
譜面を見ながら・・
私は一応メロは覚えているので譜面を見ないで・・
でこのあとはマーケットのライブWATCH。
がどうだったのかに興味のある方は、こちらからどうぞ。
0515 Mon.
ブレイクスキャンプロに新機能追加
>>Confi に Go copy symbols & paste any application.
を追加。米国株の場合、リアルティックのマーケットマインダーへ一発で銘柄を追加できるようにティッカーシンボルをクリップボードへ簡単にコピーできる機能を追加。日本株は銘柄コードを一発で銘柄リストへ追加できる機能です。
↓
↑
米国株の場合、銘柄コードがこのように表示されます。
Ctrl + C でクリップボードへコピーします。
リアルティックのマーケットマインダーの右クリックメニューで Select All を選択。
デリートキーですべての銘柄を消去したあと、 Ctrl + V で一発貼り付け!
↓
日本株の場合はこのように銘柄コードリストが表示されます。
↓
トライアルができるようになりました。
本サービスへの影響を考慮して一度にアクセスできる数に制限がありますが、ブレイクスキャン、ブレイクスキャンプロ、スイングスキャンのトライアルができるようになりました。ただし、すでにサービスを受けられている方は、トライアルはできません。
アドバンスセミナー二日目
午前中はスタディー
ランチはフォーシーズンスホテル
ニューヨークスタイルの料理だ。
John Jessum 氏のセミナー
鎌田氏のセミナー
ディナーは?
蟹料理。
エプロンはボタンホールつき!
↓
このようにセット!
肴
日本酒のグラス
フカヒレとかに身
刺身
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0515-