どうやったら金持ちになれるだろうか?「そのヒントは、聖書の中にあります」、と言うのは不動産セミナーで有名なロバート・キヨサキ氏だ。さっそく少し話を聞いてみよう。
「金持ちになれない最大の理由は、それなりの努力を怠っているからです。次の理由は、よこしまな心が金持ちになることを妨げています。お断りしておきますが、私は聖書の専門家ではありません。それに、あまりに宗教熱心な人も苦手です。宗教を信じる信じないは個人の問題であり、だれからも強制されるべきものではありません。
少しそれましたが、新約聖書にはよこしまな心と富に関する記述があります。もちろん、聖書の解釈方法は一つだけではありません。あくまでも私流の解釈ですから、皆さんを批判するつもりは全く無いこともお断りしておきます。
物語は、マタイによる福音書にあります。ある一家の主人が、長い旅に出ることになりました。出発前に主人は、ある召使に5枚の金貨を与えました。次の召使には2枚の金貨、そしてもう一人の召使には1枚の金貨を与えました。
旅から戻ると、5枚の金貨を受け取った召使は、金貨を倍の10枚に増やしていました。2枚受け取った召使も同様に倍に増やし、枚数は4枚になっていました。これを見た主人は大喜びです。「よくやった。あなた方は忠実な召使だ。少ないものに忠実だったから、これからはもっと多くのものをお前たちに管理させよう。」
さて、三人目の召使はどうなったのでしょうか。この召使は、主人を恐れていましたから、金貨を増やすことは考えず、与えられた1枚の金貨を土の中に埋めました。主人はこう言いました。「よこしまな心を持った怠惰な召使だ。もしお前が、私が蒔かないところから刈り取ることを知っていたなら、私の金を銀行に入れておくべきだった。そうすれば、利息付きで返してもらえたのに。」
けっきょく主人は、何もしなかった三人目の召使から1枚の金貨を取り上げ、それを金貨を10枚に増やした召使に与えました。これが物語ですが、聖書はこうしめくくっています。「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。」
私の解釈はこうです。人々が貧乏になるのは、よこしまな心を持ち怠惰だからです。私の好きな箇所は「少ないものに忠実だったから、これからはもっと多くのものをお前たちに管理させよう」です。この主人が神だとすれば、神は怠惰な、よこしまな心を持った貧乏人が嫌いです。」
さらにキヨサキ氏は、こんなことを付け加える。「多くの教会リーダーは、金を邪悪なものと決め込み、貧乏な人々を擁護します。しかし、聖書は逆です。主人が好むのは、少ないものを忠実に増やせる召使です。」