研究では、つらい体験を書くと気分がラクになるばかりか、病気を癒し、免疫力が高くなることもわかってきているという。
米国医師会報(JAMA)の論文では、ぜんそくや慢性関節リュウマチの症状にも効くという。
テキサス大学の心理学教授ジェームスペネベーカー氏は大学生を対象に、悩みを記述させたグループと、部屋の様子などの詳細を記述させたグループを比較。
同じ頻度でクリニックへ通っていた両方のグループを比べると、悩みを書いたグループは50%もクリニックへ行く頻度が減ったという。
別の研究では、血液中のリンパ球が増えて血圧も下がるという。
どんなに健康な人でも、友人との口論や仕事の失敗などで心に傷を負っているという。
記述という作業で、悩みを理性として捉えられるようになるとの専門家の意見だが、書くことで不安が心に与える衝撃が和らぎ、不安の程度が弱まるのだろうという。
面と向って気持ちをぶつけ合うと、かえって問題がこじれることもあるが、手紙ならその心配がなく日記を書くことで自分へ語りかけることになり精神科医によると、カウンセリングを補う効果があるという。
悩みを記述することで、「自分の心の中をのぞくことができる」ため、この過程で自信や自尊心が養われカウンセリングの治療効果が高まるのだという。
悩みがなくても、頭の中でまとまっていなかったことを、書いてゆくうちに考えがまとまり、モヤモヤしていたものが具体的になると、心も軽くなるというわけだ。
これは別の言い方をすると、頭の中にある考えを、書くことによって調整し、マネジメントするということになる。
私の日記が、ある程度まとまった読み物のようになっているのは、実はこうしたプロセスを経ていることも関係しているのだと思う。
これは慣れてくると、だんだんと短時間のうちに、こうしたことができるようになるから不思議だ。
オフを過ごすときも、何もしないでのんびりと疲れを取りながら、思いついたことを何でもいいから書いておく。
そして、それを一晩寝かしてから、第三者の目でさらに推敲を加えるわけだ。
このようなプロセスを積み重ね、経験することによって「書くことによるマネジメント能力」を向上させてゆくと、リアルタイムでどんどん書き進めることができるようになる。
F1のトップドライバーは普段、酒もタバコもやらず、そのかわり表彰台でシャンパンを浴びている。
たとえばシュウマッカは、レース中の心拍数が異常に低い状態を保つことができるのだが、それは訓練の賜物とある程度の天性だといわれている。
だが、彼は体のコンディションコントロールをするのが非常にうまいのだという。
その影響だろうか、彼はまた車のセッティング能力や、チームのマネジメントについても、非凡な才能があるという。
いくら速くても、ピットクルーへの的確な指示を出せるか出せないかで、セッティングは大幅に変わってしまう。
メカニック側ときちんとコミュニケーションがとれるレベルの語学力なければ、表彰台へは上がれない。
ドライバーのウデ以外の要素が複雑に絡む世界だ。
こういう部分へ関与できる才能が、彼の速さを確かなものにしているのだ。
欧米のドライバーと日本人ドライバーの違いは、ケースに応じた臨機応変な対応能力の違いだといっていいだろう。
マシンやウデだけよくてもシリーズチャンピオンにはなれない。
F1は、チームとドライバーを制御する優れたマネジメントが不可欠な世界だ。
最も高額なコストを注ぎ込んでいるにもかかわらず、ホンダとトヨタが表彰台へ上がれないのは、強力なリーダーシップによるマネジメント能力が欠けているからではないだろうか。
車やシロモノのようなハードウエアは得意なのだが、こうしたカタチのないものに対しての、マネージメントは日本の企業が最も苦手とするものだ。
日本の大学の典型的なスタイル、つまり入学までは丸暗記重視で、入学後は勉強しなくても卒業できるというシステムは、実社会へ出てからの国際競争力という点では、非常に不利だ。
欧米の大学では、在学中に説得をするためのディベートや、それに伴う資料作りの過程を非常に重視している。
日本の学校教育が、白紙に記述させるという方法を捨て、3択のマルベケ方式にしたツケをこういう形で払うことになろうことを、想像できなかったのだろうか。
個々の人材は優秀なのに、マネジメントがダメという日本の現状は、映画製作の世界における日米の想像力と、構成力の力の差だけにとどまらず、どの分野にも及んでいる。
グーグルやアップルのようなリーディングカンパニーが、日本から生まれない理由の一端はこうした点にあるのではないだろうか。
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