大成さんのこの日の日記を読んでふと思ったことなのですが、私もたった3ヶ月ほとなのにマイクロバブル風呂なしの生活は考えられなくなってきています。
いままでよく「なし」で生きてきたなと、ふと思ったりするわけで、ある意味ヤバイ。(笑)
日記の中で「ヒトは,時と場合によって,自らの意志をどこまでも弱めることができる動物である」と書かれていますが、その逆もまた然り。
「ヒトは,時と場合によって,自らの意志をどこまでも強く保ち続けることができる動物である」ということを、マイクロバブルを通じて強く実感しています。
「我が家に帰りついたときは,いやというほど,その患部にマイクロバブルを当てて,その復讐を遂げることができた。」という感覚は、体験者以外実感できないかもしれません。
人との出会いは不思議なもの。
マイクロバブルと出会った日から、目に見えない大きな力によって、まるで薄皮を一枚一枚重ねるかのように、何かが変化してきていることを、今は確かな手応えとして感じるのです。
これが気のせいだけではないことは、具体的な現実の変化を伴っているうえ「自分の本能的な部分がそう思わせる」たぐいのものだけに、そこから得も言われぬ自信に繋がるという不思議さとあいまって、これからの自分の行く末が日々楽しみに思えるのです。
そして、そこから生まれる感謝の気持ちに包まれながら、毎日生活できるというのは、なんと幸せなことでしょうか。
PS
『自然は緑の薬箱』買いました。
ちょっと時間があるときに少しずつ読んでいます。
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