この作品で受賞したアカデミー主演女優賞のヒラリー・スワンクと助演男優賞 のモーガン・フリーマン、そして御大クリント・イーストウッドというキャストとなれば、期待するのは当然だろう。
だがその期待以上の感動を与えてくれた作品。
理屈ではない「人生で体験する理不尽さ」を凝縮、人間の魂を揺さぶる作品として仕上げたクリント・イーストウッドは、観る者に歳を重ねることの意味とその価値を教えてくれる。
そういう映画だ。
コーチと選手の師弟愛と厳しい戦いを通して、生きるつらさと、人間の尊厳と権利について、観る者へ問いかけてくる。
人生とは何か?
家族とは何か?
栄光 とは富を求めることなのか?
という点についても、改めて考えさせられてしまう。
このように映画の中で問われるテーマはどちらかというと重く深いものばかりだ。
だが、根底に流れる人間への暖かい愛があるため、絶妙なバランスをとりながら観る者を引きずり込んでくれる。
クリントイーストウッドの監督としての手腕は、実に見事。
2時間ほどの作品で、これだけのテーマを問い続け、しかも ストーリーとしてうまく展開させることができるというのは、驚嘆すべき手腕だ。
この映画は、アイリッシュについて、次のような点をあらかじめ知っておくとより楽しめるだろう。
フランキーとマギーはアイリッシュ・アメリカン(アイルランド系アメリカ人)で、マギーのラストネーム「フィッジェラルド」は、典型的なアイリッシュ・ネーム。
グリーン(緑)は、アイリッシュのナショナルカラー・
「ハープ」は、アイルランドの象徴。
アメリカのボクシング史では、アイリッシュのチャンピオンが一時代を築いた時期があ り、アイリッシュには熱心なカトリック教徒が多い。
ゲール語は、アイルランドの第一公用語として指定されてはいるが、日常的に使われているのは、西部のごく一部の地域だけ。
最近の若い人は、ゲール語を知らなくなっている、つまりゲール語とは「消えゆく言語」なのだ。
フランキーは、ボクシングジムで暇をみては、ゲール語の勉強をしている。
こうした描写は「消えゆく言語」としてのゲール語に、年老いた「消えゆくボクサー」フランキーを重ね合わせて描いているのだろう。
そして、ラストでも「消えてゆくもの」をテーマにしている。
そのため、見終わったあと、さらにその印象は強く余韻として残ってゆく・・
というわけだ。
この映画は魂がブレたり弱くなったとき、軌道修正をしたうえで補強してくれる。
ぜひ手元に置いておきたい作品だ。
しかし、たった一度のチャンスを、見事なKOパンチでものにした、ヒラリー・スワンクは実に見事。
映画ファンなら、必見の作品ではないだろうか。
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