怒涛の展開とアクションで見せる、クローン技術の進歩を題材としたSFアクション映画。
決して目新しい題材ではない「新天地を求める男女の逃避行」という映画の常套手段で手堅くまとめ、「自分はクローンだった」というオチをあえて物語を転がすための素材として扱っている作品だ。
だが、病疾の要因がコピーされないのか?とか、70階の高さから落ちても地上のネットに無事着地するとか、追跡の展開のご都合主義など言い出せばキリのないほど見る側のツッコミどころも満載。
だが不思議なことに、そうしたことをものともしない「ダイナミックで実にアクティブな体育会系ノリ」が全編に渡って漲っているため、気にならないという仕組みのようだ。
とにかく走る、壊す、という単純なアクションの迫力と、巨大なセットを惜しげもなく使った大きなスケールが見るものを圧倒する。
さらにストーリーは快いテンポで展開されるため、007シリーズのオイシイさをまとめて観たくらいの満足感を得られるといえばいい過ぎだろうか。
斬新なアクションシーンを畳み掛けるように挿入し、お手軽さと大作感を両立させ、あくまでもリウッドらしい痛快活劇を貫き通しているのは立派だ。
特典映像で、監督はまさに大きな子供のように、黙々とどんどんととにかく早く撮影する点が他の監督と大きく違っていたという説明があったが、見終わった後、とにかくテンポのよさが印象に残る作品だ。
監督はバッドボーイズ、ザ・ロック、アルマゲドン、パールハーバーなど大ヒット映画を連発しているマイケル・ベイ。
2001年の「パール・ハーバー」は潤沢な製作予算にものをいわせて、アクションシーンをやりたい放題で撮った映画で、マイケル・ベイ監督はこの作品で、日本人にかなり嫌われたと思う。(笑)
制作費をかければ凄いシーンが撮れるのは当然かもしれないが、その金額に見合った映像を作り続け、なおかつ結果をしっかり残しているのは、確固たる映像イメージを頭の中で作り上げることができる才能の成せる技なのか・・
アクションシーンでの俳優たちの振る舞いや顔の表情の捉え方は、この監督独特の美学があるようで、スローモーションの使い方や、編集のリズムを考えたカットの撮影センスは天才的だ。
この作品では面白ければ何でもありの徹底した娯楽主義が、比較的良質な脚本とマッチして、娯楽の方向性がうまいところへ収束したようで、この監督の嫌味なところが希薄になったのが、面白さの要因かもしれない。
マイケル・ベイはMTVやCM出身の監督だという。
MTVやCM出身の監督はどちらかといえば映像は作ることができても「映画」は作ることができないことが多いのだが、彼はそうした面から言えば稀有な存在だ 。
彼はこの作品が初めてのドリームワークスでの映画製作となるのだが、そのためこれまでのスタッフとは違って初めてのチームでの制作となったのだが、チームは違えども、そのスタッフたちとともに、ヒット作品として仕上げた力量はなかなかのものといっていいだろう。
どちらにしても、ある種のご都合主義で物語は進んでゆくのだが、映像の勢いとテンポのよい編集で押し切ってしまうのだ。
一難去ってまた一難と、とにかくこの監督、映画を面白く見せるという点では、実に優れたバランス感覚のようだ。
巨大なものに対してミクロなもの、広大な空間に対して窮屈で狭い場所、超近代的なものとアナクロなもの、清潔と不潔などなど、それぞれ対極にあるものを巧く対比させている。
ビジュアルにはスケール感があり、ストーリーもスピーディかつテンポよく運ばれるため、動と静がバランスよくまとめられている。
さらにスリルを台無しにする死体は映さない、などといった見せ方が、巧みなため、要するに飽きないのだ。
緊張と緩和が織りなす按配が秀逸なため「アッというまに終わった」とか「ダレるなあ・・」とかいうこともなく、むしろ「この上まだ見せ場があるのか?!」というほどおトク感を醸し出している。
女にクレジットカードを渡してはいけない、などというジョークも登場させるという観客の期待を裏切った心憎い演出も施されている。
思わず身が縮むカーチェイス&クラッシュは様々なアイデア満載。
ノリとハラハラドキドキが生み出す臨場感はかなりのもの。
しかもちょっと落ち着いたかと思えば大立ち回り、それが終わったかと思えばまた次のアクションというようなバランス感覚が冴え渡り、丁度いい具合に少しづつ息抜きのカットも挟みながら、展開してゆく。
何度も手に汗握る割にはヘトヘトになることもなく、とにかく楽しめる作り方をしているのだ。
だが映画の後半になると逃げることをやめて、破壊と再生の物語へと突入するのだが、そのあたりから展開が失速気味になるのがちょっと残念。
映画では命の尊厳より金に執着する悪役の医者が登場する。
看護師がクローンに死をもたらす注射をしながら無表情で彼女が絶命するのを見届けたり、技術者が子宮代わりの合成樹脂製の袋を切り開き、生まれる前のクローンを残殺する場面などがあるのだが、クローンのセットは5ヶ月をかけて制作されただけあって、とてもリアル。
なわけで、こうしたシーンの好き嫌いで、評価はさらに分かれるかもしれない。
まぶたから目の中に入って脳をスキャンする虫のような超小型ロボットなどのシーンでは、なかなか凝ったCGも登場する。
ユアン・マクレガーとスカーレット・ヨハンソンはマイケル・ベイ作品に似つかわしくない、などと危惧されていたようだが、違和感なくアクション映画をこなしている。
リンカーン・シックス=エコー役のユアン・マクレガーは「スター・ウォーズ」でのオビ・ワンのイメージが強いのだけれど、この映画ではオリジナルとクローンの2役を演じている。
クローンと本人が対峙する場面では、ユアン・マクレガーが善と悪の両面を自然な演技で対等に演じ、俳優としてもなかなかのできだといっていいだろう。
真珠の耳飾の少女、ロスト・イン・トランスレーション、などに出演していたスカーレット・ヨハンソンも、この映画ではアクティブに動き回る役回り。
残念ながらジョーダン・トゥー=デルタ役であるスカーレット・ヨハンソンのクローンは登場しないものの、人工的なクローン感?がうまくマッチしてクール。
なかなかナイスであります。
ロスト・イン・トランスレーションのような静的な役ではパッとしなかったが、この作品ではまさに別人のようだ。
余談だがラブ・シーンでスカーレット・ヨハンソン自身は、ブラを外して演技してもよいと申し出たそうなのだが、PG-13だからダメなんだよと監督に止められたそうで、監督余計なことを・・ということで、この点がちょっと残念か。(笑)
印象的だったのはスティーヴ・ジャブロンスキーの音楽。
映画でもかなり頻繁に登場するヘリコプターのローターが低空で空気を叩く音と、祭りの太鼓を連想させるようなサウンドは人間の鼓動を思わせるようだ。
極低周波の唸りような音楽は全編を通じて高く低く流れ続け、あるときはゆっくりとリズムを刻むかと思えば、あるときは追い立てる波のようにズシズシと迫り、見るものに陶酔感を与える効果をうまく演出している。
音のいい音響設備があれば、大音量で楽しみたい作品だ。
高層ビルから落ちて怪我一つしないのはおかしいとか、うまい具合に都合のいいことが起きるとか、公衆TV電話ブースに登場するMSNのでっかいロゴが妙に未来感を損ねているとか、細かい点を言い出せば、またキリのない映画でもある。
だから高質なSF映画に期待し、精緻に作られたサイエンス・フィクションが好きな人や映画の辻褄やリアリティが気になったり、物語に細かな整合性を求める人には、楽しめないかもしれない。
だが派手なアクションで、スカッとしたい時にはぴったりの作品ではないだろうか。
迫力、緊迫感、見終わった後の満足感という点からも、カップル向きとしてもオススメの映画だ。
この映画の根底にある「怖さ」と「リアリティー」は「人間は生き残るためには何でもする」という点だ。
「アイランド」の前半で描かれているのは「管理社会」そのもの。
その構造は人間社会という「管理社会」と、その中にあるクローン達にとっての人為的「管理社会」というように2重になっている。
人間社会には「きまりごと」があり、それは支配する側の都合のいいように作られているという点で、この映画は現実社会とオーバーラップするために、とてもリアルだといっていいだろう。
一般の市民は支配する側のために、働き蜂のように搾取され続けているのだが、「きまりごと」のために反対することもなく「義務」だと従っている。
もちろんそれを果たさなければ「罰則」や「経済的な相応の報酬」という縛りがあるために従わざるを得なくなっているからだが・・
この映画で描かれている「管理社会」の本質は、我々の実社会となんら変わらないために、妙に現実感がある。
クローンに学ばせないことによって支配する姿は「規則」によって我々に考える余地を与えずに理解させないこととよく似ているといっていいだろう。
主人公が様々なことに疑問を持ち、知ろうとする「知的欲求」が逃亡へのきっかけとなり、さらにそれがトリガーとなって自立するためには何が大事かという「真実」へと導かれ、それが変化をもたらすというわけだ。
「知的欲求」を失うと人間は「支配」されやすくなるという、明快な主張がきちんと貫かれているのはさすが。
人間社会を生き残るサバイバルで大事なことは「知る」ということであり、言い換えれば、本当に恐ろしいのは「無知」なことなのだ、ということをこの映画は物語っているのではないだろうか。
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