大学の先輩

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先日、一通の見慣れないメールが・・

ひょっとしてお知り合いでしょうか?

元芸大・ビートルズメンバーのドラムです。

 

Stars On 45 - The Beatles

    

と facebook のアドレスが・・

ご本人の写真で、すぐに思い出しました。

確か、1年か2年先輩だったFさん。

     

オレの記憶力はまだ健在だった。(笑)

   

この頃のグループについては、確かどこかで書いたよなあ・・

と検索すると、こちらの過去ログで発見。

全てリンク切れでしたが。(笑)

      

2000年9月1日(金)

フィフィザフリー

というのが学生時代のバンドの名前なので、ひょんなことでちょっと検索をかけてみた。

そしたらあるんですね。さすがネットというか・・(笑)

これには驚いた

何とこれはメンバーの一人が開設しているWEBではないか!
懐かしい写真があった・・おーい元気かーい。


以下、それぞれのサイトから該当部分を引用しますと・・

    

日本のポップスとロック

あまり有名ではない後期GSのフィフィ・ザ・フリーなんかいいですよ。有名でないといっても、最近のソフト・ロック(ハーモニー・ポップ)の見直しで、ずいぶんと有名になりましたが。この時代、日本ではバンドごときが、「はもる」ことが許されなかった時代なんですよ。ダーク・ダックスのような合唱団あがりでないと、世間は許さなかったんですよね。全体としての楽曲の出来具合いがというよりは、「音が下がっている」とか、「ちょっとフラット気味で」…などという、重箱の隅をつつくような評価基準しかなかったセと思います。音程は悪いよりは正しい方がいいに決まっているのですが、だからといって、楽曲のすべてを否定されるようなものではないと。

 
In my Room

Softrock Drivin' 栄光の朝/V.A. \1650 古 国内盤 帯有り

96年にレコード会社5社から出た和物ソフトロック・シリーズの1枚。これはアルファ社編。最近モーレツにこれ聴きたかったんだけど、廃盤なのか既に何処にも無く、中古でも全然見かけないので途方に暮れていたところある人のご好意により、5枚中4枚は聴くことができました。感謝感謝。
7曲も収録されてる赤い鳥や、5曲収録されてるガロはもちろん最高。収録曲のほぼ半分を作曲してる村井邦彦には脱帽。帯に伝説のソフトロックGS(そんなのあるのか?)と紹介されてるフィフィ・ザ・フリーも素敵。
こんなにお得なCDが3,4年前には普通にレコード屋に並んでたのかと思うと悔しすぎる!

 
このページはルーベッツ以外に、コーラス&ハーモニー溢れたお勧めのCDを紹介するコーナーです。ぜひ一聴を。

日本のソフトロックのコンピとして各社合同のシリーズの内の1枚。フィフィ・ザ・フリーの「栄光の朝」が入っているので紹介。これだけでこのCDを購入する価値は十分ある。開放感あるコーラスが本当に素晴しい。まさに歌謡曲史上に残る名作である。なお、フィフィ・ザ・フリーにはその後キーすら合っていない「素晴しきGT」とかいう作品もあるのだが、これもぜひ聴いて見たいものである

 

5月に買ったCD

ここは、私が買い求めたCDなどを、公開しているページです。大したことは書いてませんが、それぞれ簡単な解説なども付けてあります。あなたの音楽探究の助けに少しでもなれれば幸いです。それではお楽しみください。

フィ・フィ・ザ・フリーの「ひとりぼっちのバラード」はかなり甘さが目立つものの、この後のソフトロック的展開を予感させる曲です。実は恥ずかしながらこの曲のシングル持っているのです。たぶん彼らの友達の大阪芸術大の人に無理矢理売りつけられたのだと思う。A面よりB面のこの歌が気に入って、学校の廊下で「オーオ、神様、お願い神様」と怒鳴ってひんしゅくを買った記憶があります(^^ゞそんな縁で、このバンドには注目していたのです。その後「栄光の朝」で、アソシエーションを思わせるサウンドを見せるのですが、残念ながらボーカルの力が全くなかった。この曲をひっさげて「全日本歌謡選手権」に出演したものの、生でハモる事が出来ず、なんと口パクをやってしまい、審査員の竹中労さんに、ぼろくそに言われていたのを思い出します。

マニアとは、どの世界にもいるものですね・・

ちょっと気になる部分があるので訂正を。

「全日本歌謡選手権」の記述ですが、まあ昔のことだからよく覚えていないけど、確かプロダクションが勝手にスケジュールを入れたような感じだった。

 

どちらにしても、誰が見ても我々のバンドは場違いだったことは覚えている。

ナマでなく録音してからというのも、あったけれど、このときナマだったかどうかは覚えていないけれど、このナマか「録画での口パク」かは当時全くテレビ局の都合で決められていた。

我々は、そりゃナマの方がいいのに決まっている。

 

口パクなんて、全く手持ち無沙汰というか、あんなのは音楽を好きでやっているものならみんな同感だと思うけど、誰もやりたくないよね。

我々は、生でのハモリがイノチだったし、コーラスが好きだったからね。

六本木の防衛庁の裏にあった「ミスティー」に出ていたとき、そこの社長が我々のことを随分気に入ってくれていたので、あるとき鎌倉にある大邸宅へ呼ばれたことがあった。

 

たしか、話のなりゆきで、イカ釣りかなんかに連れて行ってやろうなんてことになって、こっちは夜中の3時ごろまで演奏してから、一睡もせずに社長と鎌倉へ・・

睡眠不足だし、船は揺れるしで、イカ釣りに行ったって、船酔いで気分は最悪。

別にイカを釣りたくはなかったけど、なんか強引な社長だったからなあ・・

 

まあこっちもヒマだったし・・・

そのあと釣ったイカをサカナに、社長と飲むんだけど、酔っ払ってくるとシャチョーはご機嫌になって、「おまえら何かやれ」なんてことになる。

ギターだけで、コーラスの曲をやってそのハモリが素晴らしいと、社長はご機嫌だったくらいだからね。

 

だから我々のバンドを気に入ってくれて、結構長い間出てたなあ・・

まあ、あまり気に入られて、ちょいちょい呼ばれるのも、困りもんだったけどでも色々ご馳走してくれたし、豪傑なシャチョーで、いいおっさんだった。

確か10年くらい前に、懐かしくて店の前を通ったら、店はもうなかった・・

     

     

全てリンク切れだったので再検索してみると・・

    

     

希望に満ちた1970年の香り★「栄光の朝」フィフィ・ザ・フリー

 

フィフィ・ザ・フリー

 

あなたの「幻のバンド」を教えてください

「幻のバンドの条件」といえば、優れた楽曲を残しながら、当時の時代背景などから受け入れられず、消えていってしまったバンド、というのが、私の考える条件です。

この条件にあてはめると、私にとっての幻のバンドは「フィフィ・ザ・フリー」(Fi Fi The Flea)です。

わが国ではGSブームの最中だった1967年に、大阪の某私立大学の学生により結成され、メンバー・チェンジの後、68年にレコード・デビューするも不発で、またメンバーの一人が交代した後、69年秋に、後年サーカスやYMOなどを見出した村井邦彦氏設立のアルファ・レーベルより、第一号アーティストとして「栄光の朝」(Glorious Morning)で再デビュー。この曲は当時地元TV曲ではプロモ用の映像が頻繁にオンエアされ、小学生だった私もいい曲と思っていたのですが、いきなり英語の歌詞から始まるのは当時としては斬新すぎたのでしょうか。3~4万枚くらいしか売れなかったそうです。

こんな曲は、CDでの復刻もなかなかされないものですが、96年に「ソフトロック・ドライヴィン・アルファ編」(ALCA-5089)というオムニバスに収録された際、この曲を聴いて大いに感動しました
こんないい曲が、なぜヒットしなかったのか。不思議なくらいです。 なお、このCDは残念ながら廃盤となったそうです

    

本当は理屈なんかいらない栄光の朝

   

ソフトロック・ドライヴィン ~栄光の朝

アマゾンで何と¥5500円で売られていた。^^;

    

フィフィ・ザ・フリー Wikipedia

かなり詳しく記載されているが、誰が書いたのだろうか?

    

というわけで、続きます・・

   

 

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この記事について

このページは、hatchが2015年8月19日 08:15に書いた記事です。

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