娘夫婦は、ダンナの海外赴任で、来年からタイヘ移住。
まずは、やっと東京から脱出できることになって、ヤレヤレ。
今年はインターフェロン11回目まで無事終了。
副作用を封じ込めるで書いたように、様々なアイテムを組み合わせることで、毎日の生活の質を希望するレベルで維持できるという事実。
何て素晴らしいことだろう。
ネットを使って情報を集め、取捨選択する知恵さえあれば、こうした夢のような治療が現実のものとなるわけだ。
もちろんコストは掛かるわけだが、複数の選択肢から、選ぶことができるわけだからね。
だが現実には、様々な問題が待ち構えている。
「ヤマアラシのジレンマ」という言葉をご存じだろうか?
やりたいことがあるのにできない。
希望はあるのに実現できるとはとうてい思えない。
これを「ジレンマ」と呼ぶ。
寒空に震える2匹のヤマアラシ。
互いに身を寄せ合って暖め合いたいのに、針が刺さるので近づけない。
何かをブレイクスルーするとき、あるいは何かが大きく変わる時というのは、自発的であろうと他発的な理由であろうと、そこには「感動」がある。
ニワトリが先か卵が先かの違いはあってもだ。
アクションを起こすことで感動が生まれるのか、感動があるからこそアクションを起こせるのかはさておき、どちらにしても「感動」が関わっている。
言い換えれば、つまりジレンマに陥った時に最も効くのが「感動」というクスリなのだ。
だれもが自分なりに「感動」したことはあるはず。
なのに、どうして自分が抱える問題に対してブレイクスルーできないのか?
これには理由がある。
毎日の生活の中で、最も錆び付きやすいのが「感動」を関知するためのセンサー。
若いときというのは、心も柔軟で、なおかつ汚いものを知らないという事情もあって、感動しやすいもの。
だが人は年をとるに従って頑固になり、世の中の仕組みを知るにつれ、その汚さや、複雑さに疲れ、メゲてしまう。
さらにはカラダにも疲れが蓄積し、これらの要素が積み重なることで、いつの間にか「感動」を呼び起こすセンサーの感度は大幅に下がってしまうのが現実だ。
私は常日頃から友人や周りに、こうした感動を共に分かち合えるチャンスを振りまくようにしている。
何故なら、「感動」は人から与えられたり、戻ってきたりすることによって、その結果は1+1が3以上になることを、体験で知っているからだ。
だが、感動センサーの感度が落ちてしまっていると、それがチャンスとは映らず、そう見えない、思えなくなってしまう。
だが一方で、何がきっかけでセンサーが甦るかは、理屈でわからないものでもあるのだ。
だからこそ、ネバーギブアップ、ネバーサレンダーが大事。
最後に以前コントロールで書いた言葉・・
自らの運命をコントロールしろ。さもなければ、他人にコントロールされることになるだろう - ジャック・ウェルチ
真に重大な自由はただ一つ。それは経済的な自由 だ - モーム
でもって、締めの言葉とさせていただきます。
今年一年、当サイトにおつき合いいただき、ありがとうございました。
良い年を、お迎えください。
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