備忘録を兼ね、今までの経緯をまとめてみた。
ウイルス検出せずで書いたように、11月11日という、何故かゾロ目日付のとき、インターフェロン注射をパス。
その日注射を予定していた松本クリニックでは、注射だけは予定通り打ってくれと懇願された。
仕事の関係で、体調とコンディションを考え、注射をパスしたいと希望したのだ。
治療をやめるかのように言われたが、そうではない。
結局主治医の先生の了解を取るため、その日一日奔走することになった。
自分の体調については、何よりも本人が一番よく知っている。
C型肝炎の治療というのは、はじめてのこと。
だから、誰もがまずは医者の指示通りに始めるわけだ。
最初の段階で難しかったのは、体調がどの程度低下したら、援軍を送り込めばいいのか。
判定基準を、どこに置けばいいのか?
という問題だった。
もちろん繰り出す援軍そのものがいなければ、お話にならない。
医者は最も標準的なパターンというか最大公約数的な症状を基準に判定する。
2回目の注射のあと、食欲不振という兆候が、まず最初の異変だった。
さらに薬の影響か?で書いたような症状とあわせ、100%の状態ではないことがわかったわけだ。
だが、何日も寝たっきりの状態で過ごさなければならないわけではなかった。
基本的には余計なことは出来るだけ避け、体力を温存し、時間があればバイオ・マットで暖まる。
というパターンでOKだった。
もしさらに具合が悪くなれば、高濃度ビタミンC点滴へ行くという手も考えていた。
さらにはバイオマット・シングルというサイズのマットを最高温度にして、一時間びっしり汗をかく。
この頻度を状況に合わせて調整する、という奥の手も準備してあったのだ。
要は自己治癒力を高め、抵抗力を付けることが大事になるわけだ。
4回目あたりの時点で、調子が余り良くないと訴えてみた。
だが4日くらい寝たっきりで過ごすのが普通なのだから、贅沢を言っちゃあいかん。
ウイルスを退治するのだから、多少のことは我慢すべき。
これが医者の基本的なスタンス。
このような見えざる逆風に立ち向かうかのごとき状態というのは、つらいものだ。
体調が悪くなっているのは先生ではなく、オレなのだ。
だが、そこをこらえて我慢するわけだ。
バイオマットで、一時間びっしり汗をかくと調子が良くなるのですが・・といっても、その方向へ励ましてくれるわけではない。
そこまでしなくても、寝ていればいいのでは?
というように、先生方にとっての、いわゆる民間療法については、全く相手にされないことがよくわかった。
言うだけ無駄。
何を隠そうオレ的には、4回目あたりのインターフェロン注射あたりで、ウイルスは消えているのではないか?
という、いわゆる「希望的観測」を持っていた。
せめて血液検査を2週間おきにしながら、その時点での状態を知りたい。
こうした希望に対しても、まずは12週打ってからというスタンスが立ちはだかるのだ。
治療の過程でこうした風向きに立ち向かわざるを得なかったというのは、ちょっと意外だった。
だがカミサンは、励ましてくれた。
様々なアイテムの導入時には、ことごとく懐疑的だったカミサンのこうしたスタンスも、ちょっと意外だった。
インターフェロンをパスする件も、大賛成してくれ、実に心強かった。
自分の体調を一番よく知っている、オレが「いいと決めたこと」に何故口を挟むのか。
治療をやめるのではない。
1週間、あるいは2週間、先送りするだけ。
肝臓癌ができているわけでもないし、肝硬変にもなってもいないのだ。
インターフェロンの注射を一回パスすることのリスクってそれほど重大で、大きなものなのだろうか?
そうした問いかけに対しての納得のゆく説明がなかったため、強硬に主張したわけだ。
こうした経緯で6回目の注射を、一回パスすることにしたわけだ。
結局その時点で血液検査。
翌週その後の治療について、相談することになったわけだ。
検査の結果、5回目のインターフェロン注射のあと、血液中からウイルスは消滅していたのだった。
こうした治療で自分の主張を貫く、というのは意外に大変なことなのだ。
これは予想していた以上のものだった。
特に体調が悪くなると、主張すること自体が面倒になってくるからね。
どちらにしても、ウイルスがいなくなったというのは、実に気分がいいものだ。
もちろん肝臓には潜んでいるかも知れないわけだが・・
だが主治医の先生が「100%治ります」というのだから、大丈夫なのだろう。
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