2011年6月アーカイブ

復興とマイクロバブルの続きです。

科学技術振興機構社会技術研究開発センターの東日本大震災支援プログラムの選考過程がわかるようなまとめです。

大成さんご自身のブログによる解説です。

 

・・というわけで、大成さんのブログから転載させていただきます。

 

2011年6 月19日 (日)東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(7)

2000年の3月より、北海道噴火湾でのホタテ養殖改善の研究開発事業が始まりました。

この噴火湾は、広島江田島湾(水深20m)よりも広くかつ深い海(40m)です。そしてホタテの筏も大きく、かつ長いものでしたから、そのことを考慮して装置の設計をすることが求められました。

そこで、広島で用いたM2改良型(カキ筏のなかに垂直に吊るすために、そして横方向に広げるために、装置の下部に円盤状の衝突板を取り付ける工夫をしたタイプ)から、M3型と呼ばれるステンレス製の装置を開発しました。

これを海水用水中ポンプに2機配備しました。この改良は、マイクロバブルを一方向に噴出させることによってより広く拡散させるために工夫でした。

また、噴火湾では海が荒れることもあり、ステンレス製にして丈夫にすることの配慮もなされました。

この装置を噴火湾の水深15mの位置に入れ、マイクロバブルバブルの出具合を水中カメラで観察し、マイクロバブルが問題なく発生していることを確かめました。

同時に、陸上の水槽内でも、M2型を改良したステンレス製のマイクロバブル発生装置の配備もなされました。

これは、稚貝の分散や耳吊り作業時の貝の斃死防止に威力を発揮しました。

結果として、約2倍の成長促進と、それらの作業時におけるホタテの大量斃死の防止が完全にできるようになり、さらには、ホタテのグリコーゲンが増加して、その肉質改善もなされました。

これらの飛躍的な改善の基礎に、上記のようなマイクロバブル発生装置の改良と工夫があり、装置の進化がなされました。

当時、漁業関係団体の幹部の方が、次のようによく言われていました。

「これまでの漁業の技術開発においては、先端技術が開発されても、それが回りまわって、それこそ最後の段階でようやく、漁業の分野に適用されるという歴史を繰り返してきました。

ところが、先生は、マイクロバブルという最先端技術を、いちばん先に漁業に適用してくださいました。これはとてもありがたいことです」

これに対して、私は、こう返答していました。

「そう言ってくださって、とても光栄です。私には、その順番は関係なく、求められているところに、すぐに使うことが大切だと思っています。

それから、海水マイクロバブルは、淡水のマイクロバブルよりも数倍の効果がありますので、海に適用することの方が成功する確率が高いのです。この利点を発揮させることをおろそかにするわけにはいきません」

こういうと、彼を含めて漁民の方々も大変喜ばれていました。

それだけ、マイクロバブル技術は海に適しているのです。しかし、私を含めて、この海への応用問題、さらには海水マイクロバブルの科学的解明が意外と進んではいません。

なぜでしょうか?

ここにも、重要な問題の所在があるように思います(つづく)。

 

2011年6 月21日 (火)  東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(8)

広島カキ養殖、北海道ホタテ養殖に続いて、2001年から三重の真珠養殖改善にも取り組むようになりました。

この場合は、より深刻で、2000年には、国産真珠貝の大量斃死現象(ほぼ100%に近い)が起こっていました。

これは、「赤変病」と呼ばれる、貝柱が赤くなる病気を伴う現象であり、その防止が重要な課題となっていました。

この舞台となった英虞湾の平均水深は約10m、アコヤガイの筏を下げる位置は水表面から3mまでした。

しかし、この筏の範囲は、80m四方と広く、ここにいかに有効にマイクロバブルを供給するか、この点を考慮して装置を設計することが第1の問題点でした。

その第2は、ほとんどの真珠養殖業者が海岸沿いに自分の工場を持ち、そこでの作業を行うときのことでした。

卵抜き(アコヤガイの卵巣内の卵を吐き出させる)、挿核(卵抜き後に、核の珠をアコヤガイの卵巣に入れる作業)、から養生(挿核後に、貝を静かに海中で養生させ、真珠層の巻きを促す作業)までの作業を行いますので、ここにもマイクロバブルを与える問題がありました。

前者においては、より大きな装置が必要であり、後者においては、小型の装置が必要でした。

そこで、このときに考案したのが、M2ーM型装置を4連結させて、船に備え付けの洗浄用ポンプに接続させるシステムでした。

そのときまでには、発電機を丸ごと船に搭載させる方式でしたので、ここで重要な変化が起こりました。

これは、ある浜に視察に行った時に、若い漁師から、この船に付属のポンプを利用できないかと相談されたことがきっかけでした。

圧力が大きくて、流量もかなりあるポンプが、アコヤ貝の洗浄用としてすでに備え付けられていましたので、それを利用できないかという提案であり、「これはよいものがあった」とすぐに、その採用を決めました。

この4連結の装置の威力はすばらしいものでした。この装置を船に搭載し、広いアコヤガイの筏の中を順繰りに動きながらマイクロバブルを発生させていきました。

これだと、筏がいくら広くても大丈夫で、マイクロバブルを与えては移動し、さらにマイクロバブルを与えるという作業を繰り返すことで、広い筏内のアコヤガイの成長を促すことができました。

すなわち、この移動方式で海の広さの問題を解決できたのでした。

また、このマイクロバブルが発生している様子を水中撮影して見事な映像を撮ったのが、当時NHKの有名カメラマンであったKさんでした。

このKさんとは、この時がきっかけとなり、大変親しい仲となりました。今では、彼にとってマイクロバブルはなくてはならないものとなり、実際に彼の窮地を何度も救ったのがマイクロバブルでした。

これらの様子は、ほんの一部ですが、このブログでも紹介させていただきました(K1さん)。

水中ポンプと一体になった小型の2機装置も、卵抜き、挿核、養生に活躍しました。それらの3過程において、マイクロバブルの適用が功を奏したのです。

これは、それまでの真珠養殖の常識を根本から覆す画期的な試みとなりました(つづく)。

 

 

2011年6 月26日 (日)東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(9)


こうして広島江田島から、北海道噴火湾、三重英虞湾と続いた一連の水産養殖改善の結果を踏まえますと、そこには次のような特徴がありました。

①マイクロバブル発生装置を、その都度改良していくことで、より効果的な装置開発が可能となり、現場に役立つことになりました。

すなわち、M2ーL 型のカキ用、M3ーL型のホタテ海面用、M2-M型4機のアコヤガイ用と装置が進化していきました。

②ここでは、装置の構造の単純化と小型化が模索されており、それが持続的に追及されることになりました。

③同時に、広島カキ養殖改善の研究において見出されたマイクロバブルの生物活性作用、これについても、その後に重要な解明がなされていきました。

その第1は、この生物活性が酸素濃度の変化とは無関係に発生する固有の特徴であることを明らかにしたことです。

これは非常に重要な解明であり、マイクロバブルの生物活性作用のメカニズムを解明するうえで決定的なヒントになりました。

「マイクロバブルの生物活性には何か独特の今まで知られていないメカニズムがあるのではないか」

この仮説を抱くようになっていったのでした。

第2は、水温が高温になり過ぎると、マイクロバブルの効果ですら及ばなくなるということでした。

真夏の暑い時に、三重の英虞湾で実験をしているときでした。アコヤガイの心臓に血流センサーを付けてマイクロバブルによる、その促進効果を調べているときに、その限界を見出したのです。

「おかしいな?マイクロバブルをいくら与えても、血流促進が起こりません」

このようにいわれ、首をかしげながら、その原因を探っていくと、その時の水温が30℃近くにまで達していたのです。

アコヤガイも植物と同じで、水温の高温限界が約28℃であることを後に知りましたが、その時には、その限界があることを知りませんでした。

「おかしいな?と思いながら、水温が下がるまで待ってみましょう」

こういいながら、水温が29℃以下になると、マイクロバブルによる血流促進の効果が発揮されることを見出すことができました。

こうして、装置開発とともに、マイクロバブルによる生物活性に関する貴重な成果が一歩一歩現場で積み重ねられて行きました。

2011年6 月27日 (月)  東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(10)

広島カキ、北海道ホタテ、三重真珠に続いて有明海タイラギ漁改善にも取り組みました。この時には、装置をさらに改良しました。それらの特徴を列挙してみましょう。

①広島カキ マイクロバブル発生装置(カキ筏用、M2-L型、水中ポンプ1台に発生装置2機)

②北海道ホタテ マイクロバブル発生装置(M3-L型、水中ポンプ1台に装置2機)

③三重真珠 マイクロバブル発生装置、M2-M型(洗浄船配備のポンプを利用し、装置4機)

④有明海タイラギ マイクロバブル発生装置、M2-MS型6機と4機を各2セット、合計20機

 タイラギは、実験用の浜に沖から移植して専用の実験地域(浜)で行うことにし、その周囲に、実験用水中ポンプと合計20機のマイクロバブル発生装置を配備しました。

そして、水中ポンプは潮の干満に応じて自動的にスイッチがオン、オフになるようにし、一日12時間のマイクロバブルの発生を自動的に可能にしました。

この浜では、すでにタイラギが住めなくなって久しく、ここで立派に成長すれば、それこそ人工的にタイラギを養殖できることにもつながりますので、少なくない関係者から注目されることになりました。

しかし、このころから、沖で獲れていたタイラギがめっきり少なくなり、ほとんど見当たらないという状況に追い込まれ始めていました。

それゆえに、この浜でのタイラギ移植実験実験の持つ意味も小さくありませんでした。

私たちも、月に1、2回、それこそ足しげく、この有明海の三井港の浜に通いました。このとき、装置は、海岸壁から約80mに設置し、それこそ浜の砂の上に据付ました。

この辺りは、砂といっても粘土質の黒いもので臭いを嗅ぐとわずかに腐敗臭がして、やがて生物が住めなくなる恐れのある砂浜でした。

それでも、場所によっては、アサリが獲れるところもあり、それを掘りに来る漁師の方もあるところでした。

この浜に装置を据え付けたのちに、それが正常に作動しているかどうか、この点検を行いました。

ここで困ったことは、装置がすっぽりと砂浜の上に現れるのは大潮の時のみであり、その時刻に合わせて、こちらも入浜するというスケジュールを組まざるを得なかったことでした。

その大潮で一番潮が引く時刻、これがいつも、早朝の3時~4時であり、その時刻に合わせてホテルを出て、短時間に、その点検を済ませる作業を行いました。

しかし、この作業に手間取ると、潮が満ちてきて、それこそ、冬の海中で濡れながら作業をすることもあり、それこそ試練を経験し、文字通り心身を鍛えられました。

そして、その鍛錬が進むとともに、マイクロバブルの効果が徐々に現れてきました。何が変わってきたのか、それを、それこそ鋭い観察力で見分ける必要があり、そのために、足しげく浜に通い、その浜で、じっと時間の許す限り、佇み、足下を見続けることが重要でした。

現場に赴き、手早く点検と修復の作業を行い、おして隈なく観察する、しかも鋭く丁寧な観察を行う、それを何度も行うことで、マイクロバブルによる微妙は変化を認識できるようになるのです。

このころ、よく、次のような発言をしたことがありました。

「あなたは、何も変わっていないとよく仰りますが、現場にいって、浜を歩いて、じっくり足下の浜を観察したことがありますか?」

「遠くから眺めているだけでは何もわかりませんよ!」

「スコップで砂浜の表面の砂を除けて砂浜の中を観察したことがありますか?」

「マイクロバブルの装置の近くの浜と遠くの違いがわかりますか?」

これらは、、それこそ足で現場を踏んで確かめながら、自問自答を繰り返し、「そうか、ここに違いがあったのか、こうして何度も確かめないとわからにことだ!」という思いを抱くことで形成された観察の結果として生まれたことでした。

「観察力」、これは、現場に足しげく通い、そこですべてもものを丁寧に、そしてじっくり観て、その場で考える、さらには、この観る目を養い、修行するというとても大切なことが問われていて、マイクロバブル博士としての私も、随分、修行をさせていただくことになりました。

そして、その修行のおかげでしょうか、そこには、驚くほどの「マイクロバブルの世界」が創造されることになりました(つづく)。

 

復興とマイクロバブルの続きです。

科学技術振興機構社会技術研究開発センターの東日本大震災支援プログラムの選考過程がわかるようなまとめです。

大成さんご自身のブログによる解説です。

 

・・というわけで、大成さんのブログから転載させていただきます。

 

2011年6 月 8日 (水)  東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(3)

調査員の方を見送った後で、今回の東日本大震災支援プログラムが持つ意味をじっくり考えてみました。

まず、これは東日本大震災に関する緊急支援の公募であり、たしか120数件の応募があったとのことでした。

もともと、この公募の主旨は、すでに実績があり、それを用いて復興支援に確実に役立つものであることが優先されることにありました。

いわば、すぐに対応できて、震災後における社会経済的価値に富む課題を背負っての競い合い、アイデア対決が、その審査でなされたのだと思います。

そのとき、震災・津波の大災禍のなかで、何が最も有効か、このアイデアに関する、「鋭く、大きな直観(intuition)」が必要とされたのではないでしょうか。

そして、どのようなアイデアで勝負しようかと考えたあげく、ここは、もっとも確実で、実績がある海の浄化問題がよいということを思いつきました。

「そうか、私には、これがあったのだ」と、このアイデアを思い浮かんだ後は、ストンと妙に納得する気持ちになりました。

この推測の通り、海の問題を取り上げ、マイクロバブル技術を適用しようとしたことが評価されたようで、その候補に残ったとのことでした。

「海の蘇生のことを取り上げた応募はあったのですか?」

こう尋ねると、ほとんどなかった、唯一のテーマだったとのことだそうで、この点でまず他との差別化に成功したのだと思いました。

そこで、次に問われたのが有用性です。実際に、あの広い海域で何をどうするのか、ここに現実性と有効性がなければ、絵に描いた餅で終わってしまいます。

そこで、広島カキ養殖、北海道噴火湾のホタテ養殖、三重英虞湾の真珠養殖などの実績をしっかり示すことが大切だと思い、これらに説得力を持たせることにしました。

思えば、何もわからずに、「頼みの綱はマイクロバブル」と思って、無我夢中で取り組んできたことが、今も脳裏に蘇ってきます。

幸運にも、これらに成功し、少なくない実績を得たことが、今度は、この復興支援に結び付こうとしているのだと深く認識できました。

「これは、大変なことになりそうだ!」

「今度は、もっと、それを大規模に発展させ、東日本大震災で被害を受けた方々を救う必要がある!」

いまだ、「候補」の段階でしかなかったのですが、このような思いが、幾度も脳裏を過っていきました。

「さて、これから、どうなっていくのであろうか?」。

調査員を見送った後で、遠望した瀬戸内海が明るく見えていました(つづく)。

 

2011年6 月10日 (金)  東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(4)

120数件の応募の中から採択の候補のひとつになれたことから、それがもたらすものについてより真剣に考えるようになりました。

「もしかして、採択されることになれば、どうしようか。何をどのようにすればよいのか?これをもっと真剣に、そして詳しく考えなければならない」

しかし、もう一方で、次の考えも過りました。

「まだ、候補の段階だから、それが本決まりにならないかぎり、何もならない。決まってからでないと何も考えられない」

それにしても、閉鎖海域とはいえ、あの広い海をどうするのか、この命題も頭の中に浮かんできました。

これは、1998年に、広島カキ養殖改善に取り組む時に真正面から問いかけられた命題でもありました。

あのときは、若い研究者に、「あの広い海で何ができるのですか?」とまでいわれ、それでふかう動揺してしまった私でしたが、今度は、それから幾分成長を遂げてきましたので、その次元で留まることはありませんでした。

それに、今回は、とてつもない破壊と壊滅がもたらされた東日本大震災に立ち向かうのですから、そんな弱気ではとても通用するはずはありませんでした。

そこで、今回の東日本大震災支援プログラムに応募するために、いろいろと考えたことをもう一度呼び起こしてみることにしました

これまでの広島湾、噴火湾、英虞湾、そして有明海、いろいろと試してきたのですが、それらの方式と規模では、おそらく、この困難を解決することはできないであろう。

それでは、どうすればよいのか、これを具体的に検討するために、まず、これまでの装置の検討から開始することにしました(つづく)。

  

2011年6 月11日 (土)  東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(5)

今夜のNHKスペシャルは、震災後3カ月の特集がなされていました。いまなお、100年以上もかかるという瓦礫の山が、地上に、そして海の中に残っています。

仮設住宅はできても、その半数が入居できていないようで、その主な理由は、仮説住宅に入ることは自立とみなされて、食糧の供給がなくなるからだそうで、その入居よりも、いま食べれることの方が大切だと思われている方々が少なくないからだそうです。

また、仮設住宅に入っても、先行きが不安で、仕事が見つからない、これから、どう生きていけばよいのか、それがわからずに暗くなってしまう、このような方々が少なくないようです。

被災から3カ月、先が見えないまま、「もう限界」という声が上がり始めています。「いったい、国は何をしているのか」、このような声が上がり始めています。

現地では、自治体と住民の懇談会が開催されていますが、そこでは、まず瓦礫をなくし、そしてしっかししたビジョンをまず、自治体側が示すべきだという意見が続出しています。

自治体側も、そのビジョン作りを検討しているのですが、そこで必ず問題になるのが、国の方針が明確になっていないことから、肝心のことがいくつもわからない、決まっていないので何もできない、結局、この問題にぶっつかってしまうのです。

そこで、自治体の中には、国の方針が決まるまで待っておれないと独自の進むべき方向を模索し始めているところがあります。

そのなかに、根こそぎ、それこそ何もかも奪われてしまったので、新しい産業を起こせるような知恵や学者を集めるようにしなければならないというすばらしい指向がありました。

これは、ある意味で、その模索の結果に導かれた当然の帰結であり、被災を受けた自治体が、そのような社会的経済的価値を生み出すシステムについて考えを及ぼすようになったことには小さくない意味があります。

私は、この4年間、ある学会に設置された「ブレイクスルー技術研究所」の所長を務めてきましたが、その活動を通じて考えてきたのは、その価値を生み出せるような科学技術的成果を生み出すには、なにをどうすればよいかということでした。

そして、このような災禍のなかでこそ、その生活と産業を創成することが可能な学問こそ本物と考え、それを「ブレイクスルー技術」と呼んできました。

いまこそ、このブレイクスルー技術の創成のために、多くの学者が力を合わせる「天の時」が来ており、その軸の一つとして、全国的な高専連携があるのではないかと思います。

この連携によって、全国51の高専が知恵を出し合い、持ち寄り、練り上げ、そして、自治体と一緒になって実践的に確かめる、このような試みが今求められているのではないでしょうか(つづく)。

 

 

2011年6 月14日 (火)  東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(6)

まず、広島湾の事例から振り返ることにしましょう。この時は、最初のマイクロバブル技術の適用ですから、いろいろな試行錯誤がありました。

「ひょっとしたら、この泡でなんとかできるかもしれない」

見学に来たカキ養殖業者の直観がきっかけで、この取り組みを行うことになりました。

このとき、今のM2-L 型装置をカキ筏用に改良し、それを200V の水中ポンプ(海用の750W 出力)に2機設置して、それを1セットにした装置を開発しました。

次に問題となったのが、このセットをいくつつくればよいかでした。広島のカキ筏は、縦22m、横11mであり、通常は、これが2つ接合されていて、合計で22m四方の広さでした。

この284平方メートル内に、何セット用いればよいか、それが解らなかったのです。

そこで、現場に赴き、実際にマイクロバブルを発生させて、その拡散状況を観察し、5セット(10機)程度が必要であると判断しました。

ここで1機あたりの広さを求めますと約28平方メートルとなります。これは5m×6m程度の四方のなかにマイクロバブル発生装置が1機の割合とやや密になりますが、これが結果的に功を奏することになりました。

なぜなら、マイクロバブルが隣の筏に流れたらどうするかという心配もなされたのですが、それは海中に吊り下げられたカキが制約になって、そのカキ筏中に、ほとんどのマイクロバブルが留まっていたからでした。

同時に、大半のマイクロバブルは上昇しながら収縮を遂げますので、その過程で海中に消滅・溶解してしまうことも観察することができました。

このマイクロバブルを高濃度な状態で供給する方式が結果的によい結果をもたらしました。

そして、マイクロバブルにカキが反応し、大幅な血流促進を伴う生理活性現象が起こるという重大な発見をすることができました。

この活性によって、カキは見事に成長し、成貝になるまでに大幅な時間短縮(従来の約半分)を遂げることができるようになりました。

また、マイクロバブルの供給時間も現場での適用の結果、夏場は3日に1回、一日5時間、冬場は2週間に1回5時間程度という目安も明らかになりました。

この場合、夏と冬で、なぜ異なるかといいますと、前者では海水が高温になるためにカキの代謝が活発になり、それだけ酸素や栄養(プランクトン)がより多く必要になりますので、その分をマイクロバブルで補強するということが重要でした。

また、夏場の高温状態では、酸素が不足気味になりますので、その貧酸素化を防ぐことも有効でした。

もう一つの利点は、マイクロバブル発生装置を船で自分のカキ筏に自由に持って行ってマイクロバブルを供給できるようにしたことでした。

これで何か所ものカキ筏にマイクロバブルが供給できましたので、機動性を発揮できたことも注目を集めることになりました。

このように、カキ筏専用の装置開発になりましたが、それはあくまでもカキ養殖業者の筏でのマイクロバブルの供給に焦点を当てた開発でした。

すなわち、江田島湾や広島湾規模の比較的大規模な海域でのマイクロバブルの供給には至らなかったのです。

その意味で、マイクロバブルが拡散するとはいえ、その適用範囲は、個々のカキ筏に限られたものでしかありませんでした(つづく)。

 

復興とマイクロバブル

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ご本人のブログにも書かれているので、もう書いても大丈夫でしょう。^^;

実は5月23日に大成さんから次のようなメールをいただいたのです。

 

ハッチ殿

このところバタバタしていてブログも書けませんでした。

以下の件があったからです。朗報です。これを大事業にしていくつもりです。

さて、この度、科学技術振興機構社会技術研究開発センターの東日本大震災支援プログラム
に以下のように採択されました。

 

前回お会いしたときも、大成さんとハナシをするうちに、内から沸き上がるかのようなエネルギーをお持ちだということが伝わってきていました。

多くの人と産業へマイクロバブルを活用するために日頃から精力的に活動されていることは、日記からも伝わってきていたのですが・・

実に素晴らしいことです。おめでとうございます。

こういうことは記録しておかないと・・というわけで、大成さんのブログから転載させていただきます。

 

2011年6 月 1日 (水)申請書づくり(2)

昨日は、早朝から申請書づくりを行い、このところ続いていた早朝散歩も取りやめざるを得ませんでした。

おかげで1万字ぐらいは書いたでしょうか、ようやく仕上げて提出、締め切りに間に合わせることができました。

この申請書の内容は、激烈な競争下で審査されます。それゆえ、運よく採択されるには、他との競争に勝ち抜かねばなりません。

そのためには、まず審査員に対する説得力、そして、何をどうするかの構想力がまず重要になります。

その際に、新規性と独創性も求められます。

こうなると書く方もなかなか容易ではなく、それらを簡明に、しかも要領よく書くにはどうすればよいか、ここで智恵と工夫をしきりに廻らすことになるのです。

そして、さらに難しいことは、これから行うという計画において、いかに実行が可能か、どうすれば研究が進展するのか、それらをわかりやすく述べる必要があるのです。

しかも、この計画においては、その前の先行的試みがかなりあり、しかも、その実績に基づいているかどうか、これを述べながら、その成果を引き継いで、このようにすればもっと発展するという方式で書くことによってより現実性や説得力が出てくるのです。

審査する側も、最初から何もかもわかって審査するわけではありません。むしろ先端的なことはほとんど理解できていない、そのような手探り状態で審査を開始するわけですから、こちらもそれを見越して書き進める必要があります。

こうなると、それこそ異分野の方でも理解できるように、しかし専門的にも奥行きがあり、さらに、その研究自体がおもしろいものである必要があります。

まさに、井上ひさしさんのいう、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」書く必要があるのです。

こんなところで、文系の井上ひさしさんの言葉が役立つことは驚きですが、やはり、実践的に得られた極意の籠った言葉ですから、このような分野にも適用できるのですね。まことに立派です。

さて、無事提出できて、しかも昨年と比較すると、少し(もしかして、かなり)余裕を持って提出することができましたので一安心しましたが、その分、ストレスも大いに蓄積してしまい、それこそ手足、肩、首が最高にこってしまいました。

その疲れのせいでしょうか、昨夜はマイクロバブルの風呂にも入らずに眠ってしまいました。

それゆえ、今朝起きても昨日の疲れがかなり残っており、本日はたっぷりと早朝のマイクロバブル入浴を楽しませていただきました。

さて、この申請はどうなるか? 提出後は、「宝くじ」が当たるかどうか、これと同じ気分になります。そして、この申請の数が多いほど、貧乏性でしょうか、楽しみが増えてきて、毎日がやや楽しくなりそうです。

 

 

2011年6 月 3日 (金) 東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(1)

本ブログも欠落部分がなくなり、ようやく正常化しました。そこで、本日から新シリーズを書き始めることにします。

みなさんもおわかりのように、この課題は非常に重要なことですので、私も心して書き続けたいと思っています。

すでに紹介してきましたが、じつは、国に準ずる機関からの公募がありました。その締め切りは4月22日で、いつものように、その締め切り時刻ギリギリで危うく申請を済ませたものでした。

その後、どうなるか、少しは気になっていましたが、おそらく応募者が殺到して大変厳しい審査がなされるはずだから、「今回も採択は難しいだろうな」と思っていました。

「駄目もとで、この申請をしておきました」

とある方に報告をしたのですが、この時に、この方の反応が予想外でした。

この方は、このような申請に長年関わってきたプロ中のプロですから、その話を聞くだけで、なにか感じるものがあったのでしょうか、「駄目もと」どころか、「これはおもしろい」という「意外な」反応を示したのでした。

これを見て、今度は私の方が、「もしかしたら」と考えを改めてみようかという気持ちになりました。

「そうか、可能性はありなのかもしれない!」

こう思うと、少し目の前が明るくなってきたような気がしました。

このような再考が始まったころに、その機関からの連絡がありました。じつは、100件以上もあった応募のなかから、あなたの申請が候補になったから、直接調査に伺いたいので、都合はどうかと尋ねられました。

これが5月の連休前のことでした。そこで連休の計画を急きょ変更し、それに対応することにしました。

こられた調査員の方は、予め、今回の申請の内容をよく理解されており、「すぐに成果が期待されるのか」、「装置は間にあうのか」などの前向きの質問をしてきました。

この席で、私も詳しくマイクロバブル技術について説明をし、この調査員の方は満足して帰っていかれたようでした。

「そうか、候補になると、このような調査を受けるのか」

このとき初めて、このような事前調査がなされることを知りました。

そこで、この調査があったこと、その内容を上記の方に、その可能性が高まったことを報告しました。

そして、この調査を受けたこと、調査員の質問の内容を改めて考えてみることにしました(つづく)。

 

 

2011年6 月 4日 (土)東日本大震災復興支援の夏(1150回記念)(2)

連休の中日に、東京からわざわざ調査員が訪ねてきました。

すでに、これまでの私の研究については事前にかなり詳しく調べてきたようでしたので、初歩からの説明をほとんど省くことができました。

主に、その調査員から尋ねられたことは次の2点でした。

「本当に成果がすぐに出るものなのでしょうか? 出るとしたら、どのくらいの時間がかかるのでしょうか?」

「装置はすぐにできるのでしょうか? 現地での実験に間にあうのでしょうか?」

これに対し、私は次のように返事しました。

これまでの広島カキ養殖、北海道ホタテ養殖、三重真珠養殖などの実績を踏まえますと、およそ1カ月で、重要な変化が変化が始まります。

生物はマイクロバブルに正直に反応しますので、長期間にわたって成果を待ち続けるということはありません。

それから、装置の製作期間の問題ですが、これは発注から約1カ月で用意が可能になりますので、この点も心配する必要はありません。

このように述べておきましたので,すぐに,その調査員には了解していただけたようでした。

それから、話が徐々に展開し始めたのですが、そのなかで、海の復興に関することがほとんどなかったということが話題になりました。

それだけ意外で、いわば盲点になていた課題だったのだと思います。

私も最初に考えついたのは、農業の問題であり、マイクロバブル技術を用いて水耕栽培をすることはどうかなというアイデアが浮かびました。

しかし、これだと、栽培空間や栽培量に限界が生じてしまい、広範囲にわたってインパクトのある効果をもたらすことがなかなか難しいと思っていました。

それに、今回は震災復興の問題ですから、かならず小さくない成功を修める必要があります。

そうなると、これまでにも実績があり、失敗のない方法を考える必要があり、そうであれば、海の問題が一番よい、これまでに、広島や北海道、そして三重の実績がある、そうだ、これでいこうというアイデアが浮かんできたのでした。

このアイデアに到達してからは、その申請書書きも比較的円滑に進み、それでも一、二度見直してから申請を済ますことができました。

この調査員を見送ってから、「もしかすると、東日本大震災復興支援に何か役立つことになるかもしれない」という思いが湧いてきました。

そして、広島カキ筏の上でカキの成長を喜んだこと、北海道の荒波の上で観測を行ったこと、さらには三重の英虞湾で立派な真珠が育てられて驚いたことなどが脳裏に浮かんできました。

「これらに取り組んできた甲斐があった!」

しばし、このような思いに耽ることができましたが、しかし、それはいまだ「候補」になっただけのことであり、正式に、その採択が決定されたということではありませんでした(つづく)。

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