大阪地震
地震があった日の備忘録日記であります。
さっき7時59分に大きな地震がありました。まだ揺れてる・・外は大丈夫なのか?
神戸で7時59に大きな地震がありました。11階でもかなり揺れました。
と地震発生直後にツイッターや掲示板へ投稿。
電話はすべて繋がらず、エレベーターは20階までのは動いたが、高層階用のは動かず。
センサーがついていて所定の振幅以上になると、自動的に停止状態にするのだという。
電話もすべて繋がらない。
だが1時間半くらいで繋がるようになった。
仕方ないので20階から再び11階のオフィスへ戻る。
11階でもかなり揺れたので、自宅のある階はさぞ・・と心配に。
というわけで、歩いて戻ろうと階段を使って自宅の階へ。
結構キツかった。
だがドンと言っただけで、ほとんど揺れなかったという。
地震の揺れの周期の影響で、そういうこともあるのだろう。
結局エレベータが動いたのは11時前。
なので、午前中のルーティーンだった父のところでのDRTは午後に延期。
カミサンとランチの後、父のDRTのため六甲台方面へ向かう。
が、国体道路は両方向とも動かず。
仕方ないので、できるだけ山側の道を走ることに。
神戸は海に並行して何本かの道路が走っている。
最も山側の道は1車線。
だが、地元の人しか知らないので、車が少なく、意外に早かったりする。
まあそれなりには混んでいたが・・
最後は勝手知ったる奥の細道を使うことに。
案の定スカスカでした。
父の入所している施設に着くと、まだエレベータが動かないという。
なので階段で上がり、2時頃からDRT。
いつものように3セット。
最近は凝りが顕著に分かるようになってきたようだ。
なのでそれが「ほぐれてゆく」感じが堪らないのだと思う。(笑)
思い返すと、DRTを始めた2ヶ月前にはひどい状態だった。
「けいれん」を起こし、病院で検査を受けたが原因は分からず。
これはまずい!
と思い毎日DRTのため、片道40分の道を通うことにしたというわけだ。
凝りの山脈
たぶん「石灰岩」というイメージがわかりやすいと思う。
そういった固いものが脊椎から少し離れた横側に飛び出している。
いわゆる「山脈」のようなものが、連なっていた。
当時はね。(笑)
1週間で杖なしで歩けるようになり、6週間後には「凝りの山」が崩壊し始めた。
左側の脊椎の隣あたりの「凝り群」が分かれ始め、ゴリゴリになってきている。
そしてそのゾーンあたりが痛くなってきているのだ。
と同時に、あの凝りがほぐれてゆく快感との狭間で、気分的にかなり悶絶しているはず。
97歳まで知らなかった、痛みと快感という二重構成による「快楽の園」。
今まさに、それが花開こうとしているのだ。(笑)
だが、「まずいもの」を教えてしまった、という思いはない。
父にとっては素晴らしい出来事なのだ。
炭水化物の取り過ぎで、体調が悪くなりはじめるのは大体40歳あたりから。
つまり57年ぶりに、自分の体の状態を意識できるようになってきたのだ。
みんなどうやっているのだろう
自分が本当に健康かどうかは、どうすればわかるのだろう。
まず一定レベルの性能が、体のセンサーである神経組織に備わっていなければならないのではないだろうか。
そしてそのセンサーの情報を元に、どのように対応すればいいのか。
このノウハウの組み合わせが肝といっていいだろう。
だがセンサーの感度は、どうやって復活させればいいのだろうか?
そこさえ押さえておけば、体の状態がわかるようになるのは、当然のこと。
手持ちの知識を組み合わせることで、どう対処すればいいのか?
そうしたケースで強力な兵器となるのがDRTだ。
これを考え出した上原先生は偉い。
この揺らす、という効果が素晴らしい。
そしてそれが素人でも簡単にできる。
これも、「揺らす効果」に負けず劣らず素晴らしい点ではないだろうか。
だがよく考えてみると、バスや車のシートに座っていても同じように「揺れている」。
「周期」以外に変わりは無い。
もちろん列車のシートでもね。
だったら、車でもタカダイオンと銀布を使えばいいのでは?
どんどん元気にそして健康になってゆくわけですからね。
車を運転していると、どんどん元気にそして健康になってゆく。
という今までの常識となっている理屈に合わない現象を体験できる。
アルピナD3の車内では、こういうことが起こっているのでした。
午後3時前。
父のところからだと最初の合流地点。
なので、交通の流れで考えたルートを使って帰宅。
結構あちこちの意外に邪魔なところで工事をやってたりするんだよね。
りーく画像
質問にはお答えできません。
フォローしませんか?
コメント