ゆったりと構える世界
世界を変えることは難しい。
だが可能だ。
世界というのは、自分の世界も含めてのことだから、まずは自分の回りの世界を変えてゆけばいいわけだ。
その第一歩として、ゆったりと過ごす時間を組み込んでみる。
すべてを一度に変えることはできなくても、その気になって少しづつなら変えることができるからだ。
そうしてその割合を増やしてゆけば、世界を変えることができるかもしれないのだ。
2008年8月、東京から神戸へ引っ越したのは、ゆったりと流れるサイクルの住環境がほしくなってきたからだった。
2001年9月だから9年前になるが、日本へ戻ってすぐに書いた日記がある。
ゆっくりとしたリズム
久しぶりに日本で数ヶ月余り生活してみた印象は、とにかく慌しいというか、忙しい社会だということ。
みんな顎が上がって歩いている。というとちょっと大げさだけど。
時間がもったいないのか、タバコを吸いながら歩いている人も多い。
そんなにうまいのなら、どこかでゆっくりと落ち着いて吸えばいいのにと思うのだけれど、忙しいからつい歩きながら吸うということになるのだろう。
それにきちんとした姿勢で、ちゃんと歩ける若者の何と少ないことか・・
多くの商売が、若者をターゲットにしているということも影響しているのだろう。
決まった時間の中に、できるだけ多くのことを詰め込もうとする風潮が、社会全体にどんどん浸透している。
まあこれは日本だけに限ったことじゃないだろうが、特に東京はその傾向が強い。
ハイテクはたくさんの情報を提供してくれるが、本当に大切なものを見分けて、その時間をどう使うかということまでは教えてくれない。
トレードでもそうだよね。
ニュースを鵜の目鷹の目で探し、よい銘柄を探そうとする人が多いが、私が見るのはチャートだけ。
セクターだって、私のメインのトレード方法では、面倒なのでいちいちチェックしたりはしない。
これはスタイルの問題で、どちらがいいとかいうことではない。
余計なことはしないで、大事な時間は自分がじっくり取り組みたいことのために使うというスタイルを大事にしたいと思うからだ。
本が売れなくなっているという。
みんな忙しくて、じっくり読んでいる暇がないのか。
携帯電話などの費用に予算をとられて、そっちまで回らないということもあるという。
WEBだって玉石混合だから、賢く選ばないと、時間ばかりとられることになる。
いつも忙しいと言っている人は、「あれもこれも・・」という自分の欲望を満たすために、自分でただ忙しい思いをしているだけなんだけれど、そういうことにさえも気づかないほど忙しいのだろうか。
こうしてスピードアップしてくると、まず集中力がなくなってくる。
これは多くの人が誤解をしている点だと思うが、集中する時間が短いという、いわゆる忙しい人は、長い間の集中力に欠けるようになる。
テレビというマスメディアがこの状況に拍車をかけている。
面白くない1時間番組を見れば、視聴者の注意をを引くために、あらゆる手段が使われていることがよくわかるはずだ。
それも、今ではあからさまにわかるようなレベルで使われていることがよくわかって、これはこれで別の意味で面白い。
面白くもないのに、ヤラセのような笑い声を入れて、面白いと錯覚させる。
必要もないのに画面にわざわざセリフを字幕で出すと言うのにも驚いた。
裏返せば、面白い内容の番組じゃないことを告白しているようなものだ。
すぐにつまらなくなるため、視聴者を釘付けにするための方策として、目と耳へ訴えかけるように使われているとしか思えないものが多い。
本当に面白ければ、何とかして一生懸命に聞こうとする人間の心理を、製作側は忙しくて忘れているのだろう。(笑)
そのうえ聴覚障害者のためという大義名分を振りかざせば、誰も文句を言わないだろう。
興味を繋ぎ止めることのできる番組が少ないという事実が、退化している集中力に重くのしかかり、次から次へと番組を切り替えることになる。
何故、スイッチを切れないのか?
集中する時間が短い、テンポの早い忙しい毎日を過ごすという生活を、進歩と勘違いしている人が増えているのかもしれない。
一つのことに対して長い時間をかけてじっくり取り組むのではなく、素早く短い時間で済ませてしまうのは、創造力が高いからではない。
本当に創造的で、素晴らしい仕事をする人は、ズバ抜けた集中力を持っている。
そしてそれを持続させることができる。
音楽・絵・科学などあらゆる分野での、いわゆる本当のプロは、何時間も、また何年もかけて集中し、そして素晴らしい結果を残していることがそれを証明している。
少ない時間へ多くを詰め込もうとする悪い習慣を身につけてしまったら、そこから抜け出すことはとても難しくなる。
ではそうした方向へ進むためにはどうすればいいのだろうか?
すべてをやろうとする、自分の欲望を抑えることだ。
見たいもの、食べたいもの、そして楽しみを最大限に手に入れるという欲望に打ち勝てるかどうかだ。
そうしたことを続けることは不可能なことに気づき、ゆっくりとしたペースに変えると、確実な変化が始まる。
シアトルには多くの日本からの駐在員が住んでいる。しかし、いずれ日本へ戻るためのいわゆるカイシャでの出世コースのなかの一つの場所ととらえ、生活をしている人が多い。
その子供たちの多くは、日本に帰ってから、いわゆる「いい学校」へ入れたいと言う親の希望で、土曜日に日本人学校と称する、いわゆる塾へ通わされている。
子供たちに機会を与えることは悪いことではないが、その正しい選択はまず親が最初にするべきなのだが、これを間違えている親が多いようだ。
子供には時間の管理がまだ十分にできないだけなのだから、それを考える方法を教えることだ。
子供の生活にバラエティーが多ければいいと、単純に考えている親が多いようだが、愛情と関心を持っていれば、それで十分なのではないだろうか?
学校、日本人学校、ピアノ、サッカーの練習、誕生会、買い物と忙しい毎日を送らなくても、子供たちが損をすることは何もない。
子供が自分で何をしたいのかを決めることができる時間的余裕と、やりたいことが見つかったときに、それをできるだけの時間的な余裕を持ったスケジュールで毎日が過ごせるように考えてやるだけでいいのだ。
肝心の大黒柱はどうかといえば、ウィークデイの仕事が終わると、カミサンや子供たちを家に残し、早朝からやれゴルフだ付き合いだと、忙しい休日を過ごすという生活 だ。
アメリカにいるのに、典型的な日本でのスタイルをひきずりながら、過ごしている人が多い。
大人ができることは、まず子供たちのために、食べ物・生活環境・愛情のある教育・遊ぶ時間をバランスよく考え、ゆっくりと毎日を生活できるように、子供の時間を管理してやることだ。
親が自分の夢を託して、子供にプレッシャーを与えたり、急がないとこなせないようなスケジュールを与えてはいないだろうか?
難しいことではない。 少し考え方を変えることだ。
親が生活のスタイルを少し変えることで、子供によい影響を与えることだってできるのだ。
神戸へ引っ越してこの8月で2年になる。
山と海に囲まれた神戸という環境は、ゆったりと過ごす生活を、ほどよく後押ししてくれる。
神戸での生活が1年を経過した頃、こうしたサイクルの中から自然に生まれたのが、エグゼキューショナートレーニングという、チームによるトレーディングの訓練だった。
自分だけ、という優先順位を下げて、人に分け与えることを優先し、お互いが力を合わせることで、よりよい結果が生まれる。
こうした考え方を、より具体的にトレーディングへ組み込んでみようというわけだ。
時間がないとこぼす人は多いが、それは「自分のやりたいことをすべてやるための時間がない」だけだ。
自分勝手な目標を達成することとの引き換えに、失うものに気がつかなくなってしまう。
だがこの無関心さのツケは必ず回ってくるものと、相場は決まっている。
常に急ぐという心が、とっさに急いで行動する習慣となり、その「とっさの反応」が適切な判断に取って代わるという事態が生まれる。
これは当然トレードにも影響する。
じっくり検討するという余裕がないから、慌てふためいて判断することになる。
車だって、スピードを出しすぎると、コントロールがだんだんと効かなくなってくる。
すると周りへの気配り、つまり警告のサインの見落しや、事故を防ぐ判断の時間がなくなり、物事を的確に判断することができなくなってしまう。
そのため、ただ反射的に行動することになり、それが何度も繰り返される。
このように感情的な反応、同質の欲求が繰り返されると、それが強い衝動に代わり、ちょうどタバコをやめられなくなるように、習慣性を持つことになるのだ。
急ぐ大人に急がされて育った思春期の人間が、突拍子もない衝動的に見える行為で事件を起こすのは、こうした、「急ぐ心」が関わるからだろう。
「急がず、慌てずにこの方法を身につけてください。」
トレードセミナーでは、最後に常に繰り返している言葉だ。
この言葉には先ほどから書いているような意味を込めているのだが、急ぐ人は違う意味に理解してしまう。
あまりにも多くのことを一度に詰め込んでしまうと、自分が遅れているように錯覚することがあるのは、誰もが体験することだ。
その結果として、皮肉なことに急げば急ぐほど結果的に時間を失うことになる。
一日をゆったりとした気分で過ごし、毎日起こることに対して注意を払いながら、優先することだけに集中するようにしながら生活するということを、私たちはつい忘れがちだ。
トレードでのチェックシートは、「急ぐ心」がある限り、書き込まれることはない。
なぜなら、そういう時間が惜しいため、とにかく急いでクリックすることばかりに神経が向いているからだ。
ゆったりと構える心さえあれば、チェックシートへ書き込む時間を惜しいとは思わなくなるはずなのだが。
言い換えれば、チェックシートというのは、「ゆったりと構える心」を持っていることの証明書でもあるのだ。
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