Tokyo Walk
藪そば
近所の「まつや」と並んで、神田界隈では有名な蕎麦屋。
藪蕎麦の総本家。
100周年記念の初代創業者像
本来の店名は「爺が蕎麦」だが、竹薮に囲まれた一帯は「藪の内」と呼ばれ、人々は藪そばと呼んで親しんだという。
その俗称が有名になって、他にも藪そばを名乗る店が各所に現れたが、その中でも特に有名なのが駒込団子坂(現文京区千駄木)の蔦屋。
藪睦会の贈呈のようだ
大変繁盛したというが、相場の失敗で明治39年に三代で消え去ったという。
この蔦屋には、神田連雀町(神田淡路町)に支店があって、明治15年堀田七兵衛が譲り受け、団子坂本店がなくなった後は「藪そば」の本家として看板を受け継いだ。
藪御三家とは、神田と浅草・並木、上野・池之端。
「並木藪蕎麦」は「堀田七兵衛」の三男の「勝三」が大正2年(1913)に浅草並木町に出店、長男の「平七郎」が後をついでいる。
「池之端藪蕎麦」は「勝三」の次男の「鶴雄」が出店。
奥は屋根付きの行列ができた場合に並ぶ待合所。
美しい庭は一見の価値あり。
藪と並んで有名なのが、「更科」。
更科の総本家は麻布永坂(東京都港区)。
初代太兵衛は先祖が信濃布の行商をしていたことから屋号を布屋とつけて、寛政二年(1790)に「信州更科蕎麦・布屋太兵衛」の看板を上げたという。
御膳粉(一番粉)という白い粉を使った「御膳そば」は、永坂更科系の店では欠かせない看板商品だ。
藪系は江戸下町好みの辛汁で黒い器を使うが、更科系は少し甘いつゆで、朱塗の器が特徴だ。
正面に止めた自転車が見えている・・
蕎麦屋の3大屋号のひとつ「砂場」は大阪が発祥。
現大阪府西区新町にある南北筋川の南側は、俗に砂場と呼ばれて、和泉屋・津国屋の二軒のそば屋があり,屋号よりも俗称の地名=砂場で呼び親しんだといわれている。
浪花随一の砂場和泉屋は幕末に衰退し、嘉永ごろ廃業。
江戸では寛延頃に日本橋薬研堀の大和屋が「大阪砂場そば」 の看板を掲げ、評判の高かった麹町砂場は明治時代に移転して南千住砂場となった。
この他に、室町砂場、巴町砂場などが有名だ。
蕎麦について
晴天で直射日光がきついから
明暗の差が大きくデジカメにはキツイ撮影条件だ。
昼食時をはずすと、とてものんびりとした気分で過ごすことができる。
奥の帳場でおかみさんが注文を通すときに・・
せいろいちまい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪
と甲高いソプラノ歌手風の声が店内に響きわたるのが、歴史を感じさせる。
逆光なので若干画像を補正
店員は「ありがとうございます」ではなく
全員が必ず「ありがとう存じます」と言うが
そのような教育をしているのだろう。
店内完全禁煙は今の時代に合っている。
量はかなり少ない。
藪そばが120年ほどで三大暖簾の名声を得たのは、老舗の暖簾を守るだけではなく「時代にあったふさわしいそば」を常に追求していったからだそうで、「せいろうそば630円」は、薄い緑なだが、その理由は何とクロレラが入っているのだという。
だから、この店で「純粋な蕎麦の味がどうの」と言うのはちょっと筋違い。
美しい日本の庭と、独特の濃い客層に囲まれて、店の雰囲気と一緒に蕎麦を楽しむ店だと思う。
東京都千代田区神田淡路町2-10
03-3251-0287
11:30〜19:00 年中無休
神田味のデルタ地帯 < 地図
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