追悼 予備校講師「金ピカ先生」が我々だけに語った「最期の言葉」
「かつて一斉を風靡した人びとに、近況を尋ねに行く」という趣旨の取材で取り上げられた、予備校文化全盛時に絶大な人気を得た佐藤さんが享年68で亡くなられた。
派手なスーツに18金の腕時計や、ネックレスを身につけ、教室に愛用の日本刀を持ち込むパフォーマンスで、テレビにもひっぱりだことなり、Vシネマでの役者デビューに加え、秋元康氏のプロデュースでCDまで発売。
最盛期の講義料は90分で200万、年間2億円以上の収入があったという。
だが、数千万円するクラシックカーを次々購入するなどの浪費がたたり、やがて一文無しに。
荒んだ生活を送るようになったきっかけは、長年連れ添った妻からの三行半だった。
そして中年に差しかかったころ、脳梗塞や心筋梗塞と立て続けに病気を患い、妻は献身的に支えていたという。
だが、収入が激減しても変わらぬ放蕩ぶりについに愛想を尽かし、2年半ほど前のある日、突然出ていったという。
2009年には「金ピカ先生」の届出名で鹿児島県西之表市の市長選に突然出馬し、話題を呼んだものの、落選。
以来、めっきり姿を見かけなくなっていたという。
2018年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けたときにはまだ、独りで過ごす日々を「バラ色の余生」と語る余裕が残っていたという。
子供もいないため、誰もいなくなった部屋で、タバコをくゆらしながらぼんやりと過ごす毎日。
人生に対する希望をすっかり失い、世間の注目を集めた時代は遠い昔に過ぎ去り、自らの放蕩で財産もみんな失ってしまった。
何より、長年連れ添った妻はもういない。
残されたのは、心身の耐え難い苦痛だけ。
幾度となく漏らした「早く死にたい」という言葉が、佐藤さんの紛れもない本心を表しているようだ。
気づけば自暴自棄になり、耐え難い心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで酒をあおり続け、身体は、とっくに限界を迎えていた。
記事からは、寄り添ってくれる人がいなくなった原因、つまり金に目が眩み、自分勝手な行動を続けたことれで、妻がいなくなったいきさつも綴られている。
絶頂期の写真を見ると、典型的な炭水化物太りのように見える。
そして最近の写真を見ると、これまた典型的な栄養不足で、タンパク質不足の様相。
タンパク質が不足すると、鬱状態になりやすく、当然前向きな考えはできなくなる。
愛情を持ってアドバイスをしてくれる家族がいなければ、孤独がさらに追い打ちを掛けることになる。
心が負の連鎖でがんじがらめになれば、精神状態はおかしくなるのは当然のこと。
歳を取るにつれ、誰もが自分の考えに柔軟性がなくなって行く傾向が生まれる。
だが、そうした心を癒やしてくれるのは、謙虚に感謝の気持ちを持ち続ける自分自身の考え方や、家族の愛情ではないだろうか。
人生も折り返し点を過ぎるとタンパク質不足による栄養不足は深刻になり、様々なサインが出始めるようになる。
糖質や炭水化物の摂取を続けると、血管がダメになり、脳梗塞や心筋梗塞を発症する。
孤独というストレスによって受ける、カラダへのダメージによって精神は異常をきたし、負の連鎖をさらに加速させてゆく。
この記事にあるような、極端な生き様から、我々が学ぶべき点は決して少なくはないはずだ。
誰であろうと、健康を維持するために最も大事なものは、水と食べ物の質なのだ。
そして人生を共に歩むパートナーを大事にしながら、自分自身の生きがいを見つけることで、幸せな人生を歩むことができるはず。
亡くなられた、佐藤さんのご冥福を、心からお祈りします。