記録アプリや睡眠トラッカーの落とし穴
米国の成人のうち、疾患の症状をアプリを使って定期的に、またはときどき記録している人は15パーセントに上るという。
睡眠記録アプリを使用している人もほぼ同数だ。
しかし、症状の綿密な記録をとるのも考えものである。
というのも、それが症状の悪化につながることがあるからだ。
不眠症などの病気の症状についてあれこれ考えるほど、むしろ症状が起こりやすくなることがわかっている。
これは「ノセボ効果(nocebo effect)」と呼ばれるものだ。
効き目のある薬だと思いこんでいれば、たとえ砂糖でできた偽薬であっても回復がみられる現象を「プラセボ効果」と呼ぶが、ノセボはその邪悪な双子のような存在である。
症状の記録は体調の変化を把握するうえで役立つが、同時に不安状態を生み出す場合もある。
さらには、苦痛を増幅させる可能性すらある。
これは期待や予想がわたしたちの感覚をかたちづくるからだ。
症状を記録することで、こうしたものに注意を向けて増幅してしまう可能性があるのだ。
人生はさまざまな症状で溢れている。
症状を回復の指標にしたとして、ずっと症状に注意を払い続けた状態で回復などできるだろうか?
睡眠不足は、それ自体が疾患である場合もあれば、ほかの健康問題の症状のひとつという場合もある。
眠れない人もいれば、眠り続けるのが難しい人もいる。
あるいは、必要な睡眠時間を確保できるくらい長くベッドにいない人もいる。
FitbitやApple Watchなどの睡眠トラッキング機能を備えたデヴァイスは、こうした問題をデータに変え、睡眠パターンのグラフを作成する。
夜間の深い睡眠の量は、年齢とともに減少してゆく。
高齢男性のなかには、ほとんど深い睡眠をとっていない人もいるが、だからといって睡眠障害とはみなされない。
トラッカーでは前夜の眠りは最悪なのに、気分よく目覚める日もあり、逆に睡眠は良好だったのに、ひどい気分の日もあるはず。
ならば、症状を記録することはまったくの無意味なのだろうか? もちろん、そんなことはない。ただし、使い方には注意が必要だ。
わたしたちは記録やモニタリングと愛憎半ばの関係にあるのではないだろうか。
痛みデータを記録することは、痛みから気をそらそうとする試みを妨げてしまうことがある。
知らぬが仏ではないかもしれないが、消えない頭痛のことを思い出させられるよりはマシだろう。
つまり、自分のカラダの症状について、必要以上に神経質になると、逆効果になるケースもあると言うことだ。
過度に受け止めず、適度に受け流すという姿勢が、こうしたデバイスを有効に使うポイントではないだろうか。
効果的に利用するには、細かいことにこだわらないことが肝心だ。
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