昨夜の米国マーケットは「感謝祭・ Thanksgiving Day 11月22日(木)」のため休場
今年、あと残る休日は、クリスマス・ Christmas 12月25日(火)だけ。
日本では今日23日(金)は勤労感謝の日で祭日です。
この違い・・(笑)
連邦政府の祝日における民間企業の条働状況
1.連邦政府が定める休日には政府機関や銀行は休業しますが、一般企業や学校は休業するとは限りません。
いつ休むかは個々の判断によります。
この点で、米国のNational Holidaysは日本の「国民の祝日」とは意味合いが異なっています。
休業する会社が多い祝日は、元日、メモリアル・デー、独立記念日、労働感謝の日、感謝祭、そしてクリスマスです。
ごこれらの祝日には米国の一般企業の90%以上が休業します。
各休日ごとの企業の稼働状況を米国のシンクタンクが調査した結果は以下のとおりです。
感謝祭の伝統とネイティブアメリカン
古くから、毎年成功した収穫に感謝する習慣は、世界で最も早い祭りの基礎を作りました。
収穫に対する感謝は一般的に主要な近代的イベントではそれほど重要ではなく、国の創設のための「感謝」と収穫です。
アメリカにおける感謝祭の伝統は、巡礼者がプリマス・ロックでの最初の豊富な収穫に感謝した1621年にさかのぼります。
入植者は1620年11月に到着し、ニューイングランド地方で最初の恒久的な和解を築きました。
巡礼者はアメリカに上陸し、ボストンがあるところのプリマスの南にある地域に定住したのです。
ですが冬になると過酷な寒さに見舞われました。
春が来ると、ネイティブアメリカンのスクワントに助けられ、巡礼者は自分の作物を植えて栽培し始めたのです。
先住民達は、入植者に魚や狩りの方法を教え、トウモロコシ、カボチャ、スカッシュを植える方法を教えました。
これらのスキルで、冬の過酷な時期にも、十分な食糧を蓄えることができたのです。
そしてネイティブアメリカンたちは感謝祭の巡礼者たちと共に収穫祭のために参加したのです。
開拓者は、乾燥した果物、茹でたカボチャ、七面鳥、鹿肉などの原住民と宴会を楽しだと伝えられています。
こうした経緯で、感謝祭として、多くの人々に知られるようになりました。
以来、アメリカの伝統となり、おいしい食べ物やワインで祝うことになったのです。
この最初の感謝祭は3日間祝われました。
感謝祭実施までの経緯
しかし、1789年にジョージ・ワシントンがその年11月26日の木曜日に祝祭日を宣言し、11月の最後の木曜日の先例を設定して数年後からは、祝典は繰り返されなくなりました。
感謝祭の休日は州ごとに異なる日に祝われていました。
リンカーン大統領が11月に最後の木曜日に1863年に感謝祭の国民の日を宣言するまで、感謝祭は全国的な休日にはならなかったのです。
その後毎年、大統領は感謝祭の日を宣言しています。
感謝祭は11月の最後の木曜日から11月には最後の木曜日にルーズベルト大統領によって1939年に切り替えられました。
大恐慌後に経済を回復させるため、クリスマスの買い物期間を長くしたいと考えたのです。
これは、議会が1941年11月の第4木曜日を法的休暇として制定するまで、この変更を無視した多くの州との混乱を広げることになりました。
直訴
サラ・ジョセフ・ハレは、「メアリー・リトル・ラム」の作家ですが、17年間にわたり感謝祭を宣言し、国民の休日を宣言しました。
彼女が送った多くの手紙は無視されましたが、アブラハム・リンカーンへの手紙は、結局、1863年に感謝祭を休日と宣言することになりました。
感謝祭の食事
愛する人と集まり、祝い、多くの祝福を感謝しながら、トルコ、マッシュポテト、詰め物、クランベリーソース、ヤム、カボチャパイなどを食べますが、これらは、最初の感謝祭で巡礼者が食べたものに由来しています。
メーシーズの感謝祭の日パレード
アメリカの感謝祭の伝統として有名なのは、メーシーズの感謝祭の日パレードです。
そのパレードは、感謝祭が法律上の休暇になる前から、1924年に始まっています。
その年、メイシーの従業員は、145番街から35番街へニューヨーク市を通り、フロートの隣に行進しているピエロ、カウボーイ、 、ライブバンド、セントラルパーク動物園から借りた25頭の生きている動物などとパレードをして、25万人もの聴衆が集まりました。
パレードは大成功!
そしてこのパレードは、以後年中行事となりました。
第2次世界大戦中の3年の休息の後、パレードは1945年に全国的にテレビ放映され、アメリカのすべてが参加できるようになり、パレードはアメリカの感謝祭の休日の伝統の不可欠な一部となっています。
カナダの感謝祭は10月の第二月曜日に祝われます。