昨夜写真を撮りに007へ出かけたら、結構寒かった。
本格的な寒さだ。
つまり実に冬らしくなってきたわけだが、体調がいいと、こうした寒さも意外に堪えないものだ。
寒さが気持ちいい、といえばいいだろうか。
土曜日の午前中にクマチャンところで2時間ケアしたのも影響しているのか。
というわけで、すこぶる調子よし。
しかり最近特に凝り感がなくなってきたため、ある意味危険だ。
さすがに2週間近くケアなしだとまずいからね。
足と右肩はそれなりに疲れてはいたけれど、1回のケアでほぐれるため問題なし。
深いところの凝りが取れていると、こういう風に戻せるからねえ。
かけた時間とコストは、結局自分に戻ってくるというわけだ。
タカダイオンを使い始めたのが5月の末。
なので今月の末で6ヶ月が経過することになる。
タカダイオン効果を書いたのは1ヶ月ほどが経過してから。
そのときに奇妙な現象が起こり、時間の経過が、ゆっくりと感じられるようになってきたという点を指摘した。
そして次のようにその理由についても言及している。
子供の頃学校通ってた時の1日というのは、誰でも長く感じていたはず。
だが25歳を過ぎると、1年が過ぎるのがグッと速くなり、30代は、さらに早く過ぎてゆく・・
というのが普通だろう。
イロイロ調べてみると、この説明はジャネーの法則とも一致するのだ。
つまり「時間の心理的長さは年齢に反比例する」のだという。
人生をなるべく長く引き伸ばし、限りある時間の中からより多くの経験を引き出すための最も単純な方法でもあるのだという。
日常の些細な出来事に対してより多くの注意を向け、感覚を研ぎ澄ませることで時間を長く感じることになるのだという。
つまり、新しい刺激を一杯詰め込むと言うようなことをするといいのだという。
マンチェスター大学のチームが行なった研究では、クリック音を用いて、体内時計の加速がもたらす影響を調べたことがあるのだという。
その結果、体内時計のペースが速くなっているとき、われわれは周囲の世界が実際より遅く動いていると感じるのだという。
そして、その間のことをより多く記憶していることが明らかになったのだ。
新しい情報をたくさん受けとると、脳が処理し終えるまでに少し時間がかかることになる。
そしてこの処理に時間がかかるほど、時が長くなったように感じるのだという。
時間が長く感じられるのは、毎日が経験したことのない新しい一日になっているからで、それは新鮮に感じることが、起こっているということになる。
フランスの医学者アレキシス・カレルは血管の縫合(ほうごう)に成功し、ノーベル賞を受賞している。
同時に「細胞」の研究にも打ち込み、高齢になると細胞分裂の周期が長くなることを突き止めている。
ケガの治りが遅い、筋肉痛がなかなか治らないなどは、細胞の再生や分裂が起きにくいからであり、真の原因は体内のタイマーが遅くなるからだという。
「自分リズム」が細胞レベルで遅くなれば、全体的に動がゆっくりとなり、相対的に時間は速くなる。
「もう、1日経ったの?」と感じることになるというわけだ。
人生をなるべく長く引き伸ばし、限りある時間の中からより多くの経験を引き出すための最も単純な方法は、日常の些細な出来事に対してもっと注意を向け、もっと感覚を研ぎ澄ませることだという。
たとえば、休暇をより長く感じたいならば、砂浜で昼寝するのではなく、新しい刺激を一杯詰め込み、「自分のしていること」に集中すると、実際に時の流れが遅くなるという。
このように体内のタイマーが遅くなるとケガの治りが遅くなり、筋肉痛などがなかなか治らなくなるのだ。
これは細胞の再生や分裂が起きにくいからだ。
だが、体内のタイマーが早くなれば、逆の現象が起こるわけだ。
時間の経過ははゆっくりに感じるうえ、ケガの治りは早くなり、筋肉痛などもすぐに収まることになる。
つまり細胞の再生や分裂が起きやすくなるためだ。
この現象についてはタカダイオン使用一ヶ月後レポートでも再び触れている。
わかりやすい言葉で表現すると、「一日が長く感じる」のだ。
だがそれはネガティブな意味ではなく、いい意味で長く感じるということになる。
さらに「一瞬一瞬が充実している」状態で、「一日が長く感じる」というのが凄い。
この「充実感」は、ある種の感触として一日を通じ、フィードバックされ続けることになる。
物事への取り組みや、受ける感覚の密度が濃密に圧縮されたのものとして感じるのだ。
この独特の感覚は、今までに感じたことのない、「たぐい」のもの。
なので「慌てて何かをする」というアクションがなくなってゆく。
具体的には、カミサンが時間に遅れなくなってきているのだ。
バタバタと忙しく立ち回っても、結果として約束の時間に遅れたりする、ということはありがちなこと。
頭の中で考えていることが、行動と一致しないときに限って「早くしないと遅れる」という余計なことを考えるわけだ。
そうなると、アクションをこなすことに集中できなくなるのは当然のこと。
だが、的確な方向へ集中力が高まるにつれ、時間に遅れるという現象が解消されてゆく。
とはいっても、それは集中しようと意識しての結果ではなく、気がついたら余計なことを考えることなく、行動していた、といえばいいだろうか。
なので余計なストレスとは無縁となり、精神衛生的にも良い、というサイクルへと勝手に回り始めるというわけだ。
他人から見れば「落ち着いている」ということになるのだろう。
こうした現象が半年近くも続くと、すっかり慣れてしまう。
言い換えれば体内時計のペースが速くなるということが、当たり前になるとどうなるか?
時間の経過を遅く感じると同時に、筋肉痛などもすぐに収まるわけだ。
当然のことながら筋肉が固くなる「凝り」も固まる暇が無く収まるはず。
そのため、肩が凝ったなどという「凝り感」がなくなるのは当然のことなのだ。
もちろん全く凝らなくなるというわけではないが、かなり緩和されるのは確かだ。
さらに強く意識することなく、自然に集中することができるようになるというのも、大きなポイントではないだろうか。
つまり力まず、無駄なチカラを入れることなく、やらなければならないことに取り組めるようになってゆくのだ。
このように高い集中力によってより良い結果が生まれる、というサイクルが自然にできあがると、どうなるか?
それが毎日積み重なることによって、よりよい「未来」が自動的にやってくるというわけだ。
6月・7月・8月と夏が終わると、その成果は9月・10月・11月の秋に実るはず。
というわけで、過去ログにザザッと目を通してみた。
すると8月の末にALSの友人のレスキューを決意し、実行し始めている。
それまでと変わったことで、何か新しく始めたことといえばまずこれだろう。
そして007へ写真を撮りに行くようになったのだが、これもノーギャラだ。
いわゆる「ビジネス」という観点から見ると、かなり不可解な行動だといえるだろう。
じゃあ、何故こういういわゆる「一銭の得にもならないこと」をやり始めたのか?
損得勘定とは真逆の方向へ踏み出した理由はどこにあるのだろう。
どうやらこのあたりにありそうだ。
というのは、筆者には物事を決めるときの基準がある。
◆誰かに貢献できるのか。
◆それは自分にとって楽しい、あるいは楽しめることなのか。> 魅力があるか。
楽しさは大事。
楽しければ、どんどん進んでゆく。
まずはそのきっかけだ。
そしてやる気があるかどうか。
あとは実行力。
もちろん続ける努力も必要だ。
多くの人は考えつくことはあっても、それだけで終わってしまう。
やる気も、実行力もなければ、努力もできない。
となると、どうなるかは、言わずもがな。
幸せになる方法・2016月06月24日(金) で書いた5箇条はこのコラムでも繰り返し書いている。
1・今日も一日親切に過ごしました。以下同文
2・明るく朗らかに過ごしました。
3・素直に過ごしました。
4・謙虚に過ごしました。
5・感謝の気持ちで過ごしました。
「そういえば今日は何だか暗い自分だったなあ・・明日は少し気をつけよう・・」
と最初のウチは、毎日反省の連続だ。
だが毎日続けていると、気ががつないうちに、そういう考えになっていることに気づくだろう。
そうなれば次のステップが自然に見えてくる。
今ベストを尽くしているのか?
というように、より「質を上げる方向」へと進んでゆく。
毎日行う、こうしたバージョンアップを365日続けると、どうなるか?
1年かけて良いプログラムが脳へインストールされることになる。
すると今の自分が、勝手に未来を切り開くようになる。
これは「宇宙の法則」だからね。
というわけでザッと検証してみると、フムフムと納得できるものだった。
と無事にオチが付いたところで、お後がよろしいようで・・