少し難しいテーマの質問をいただきました。
すみませんが、質問させてください。自分の投資暦は、まだ1年位で全くの初心者です。自分自身は、利益を得たい為にやってますがふと社会貢献となると、自分は貢献しているのだろうかと、なんか心のつっかえみたいのがあり、プロのトレーダーの方はどのようにお考えなのかと、知りたく連絡させていただきました。
馬渕さんの様に、セミナー等はとても大きな社会貢献と思いますが。個人的なトレードだけだと、やはり社会貢献よりは道具として割り切るべきでしょうか?
株式投資、特にデイトレードという仕事は社会貢献と考えると、どのように考えればいいのですかね?
デイトレードだと、企業に投資するわけでもないですし。自分さえ儲かればいいだけなのですかね。社会貢献とは別物なのでしょうか。あくまで道具なのでしょうか。
突然失礼かもしれませんが、自分の中でふと疑問が出てしまったので、よろしかったらお答え頂けると大変うれしいです。
日本の自動車会社や電機メーカーのWEBサイトを見ると、社会貢献のための活動について触れられていることがあります。
経団連(経済団体連合会)の定義によると「社会の課題に気付き、自発的にその解決を目指し、直接の対価を求めることなく、その持てる資源を投入すること」ということなっています。
では企業が社会貢献を行うのは、純粋な博愛精神によるものでしょうか。
企業は、ある特定の目的のため商法によって、存在が認められる制度的なものですから、本来企業の目的は「博愛精神」とは相容れない性質のものです。
現在の企業のほとんどの形態の株式会社では、投資家からの投資による資金をもとに、モノやサービスを顧客に提供して、元手の資金以上の対価を得て、利益と投資家への配当を生み出す仕組みになっています。
社会貢献活動は、「直接の対価を求めることなく、その持てる資源を投入すること」ですから、社会貢献活動にかかる費用は、全額コストには参入できません。
そのため、社会貢献へコストをかければ、企業を維持するために、そのコストを顧客へ負担させる、あるいは利益を減らして株主への配当を減らす、そうでなければ従業員の給与カットなどで、成長するための資金を減らすことになります。
そうすると顧客、株主、従業員に対して不利益を与えることになります。
このように構造上博愛精神を持ち得ない企業が、利益やコストを削ってまで、社会貢献活動を積極的に行わなければならないという理由は何でしょうか。
拡大解釈をすれば、カイシャは法律で存在が認められていますから、企業の活動の目的自体が、何らかの形で社会に貢献していることになります。
何だか矛盾しているように感じるのは私だけでしょうか・・
こうした理由にもかかわらず、日本の企業が本来の目的以外の社会貢献活動を行う根拠はどこにあるのでしょうか。
チャリティとボランティア
では欧米ではどうなっているのでしょう。
欧米では、こうした行為は「チャリティ」や「ボランティア」に分類されます。
「チャリティ」はイギリスで浸透し、主に教会を中心とした慈善活動、貧者や弱者救済のための寄付活動を意味しています。
「ボランティア」はもともと「志願兵」という意味で、お金や物資の提供以外の、いわゆる知的・肉体労働を無償で提供する行為を指しています。
ですから欧米では利益追求を目的とする企業が、構造上利益には貢献できない「社会貢献」をすれば、訴訟社会の米国などでは特に、株主から訴えられかねません。
アメリカでの社会貢献活動の寄付やチャリティーの殆どは、ロックフェラーやカーネギーなどに代表されるような、個人によるものです。
このようにもともと社会貢献というのは、個人ベースのものなのです。
米国では、こうした寄付に対しては税金面での控除があるため、資産家が中心の社会貢献が盛んなのですが、欧米ではこうした仕組みによって、社会貢献を促進するシステムができているのです。
日本はこうした控除がないために、カイシャと言う組織で社会貢献をしようと考えたのでしょうが、利益を追求する組織である以上、従業員の志気向上、または企業イメージをアップさせるためという計算のうえで、社会的貢献という名目をつけて行われているというのが実情です。
本来なら会社の社長が、誰にも言わず、個人でやればいいことだと思います。
このように社会貢献は、個人が余裕があれば自分ができる範囲ではじめればいいことなのですが、その前に忘れてはならないことがあります。
誰のために貢献するのか?
それはまず自分の家族に対して十分に貢献をすることだと思います。
「自発的にその解決を目指し、直接の対価を求めることなく、その持てる資源を投入すべき対象」は自分の配偶者であり、子供がいれば家族なのではないでしょうか。
その次は自分の両親や親戚、という優先順位となるのが普通でしょう。
企業が社会貢献のために社員に労力の提供を求めることはできませんから、あくまでも従業員の自発的な意思のうえでなければなりませんが、自発的に家族への貢献をしていない、またはできない個人に社会的貢献ができるでしょうか?
それに企業が貢献をするのであれば、まず自分の従業員に対して貢献するのが筋というものでしょう。
従業員に対して、従業員の配偶者と家族に対し、一緒に食事をする時間を持つことができるように、残業をさせることなく定刻に帰宅させ、家族に対して愛情を持って毎日を過ごすことができるような給与を与える配慮を、どれくらいの企業がどの程度実際に行っているでしょうか?
自分の配偶者や家族に対して十分に貢献している個人が集まることで、健全で住みやすい社会というものが形成されるのです。
つまり個人が自分の家族に対して貢献すれば、十分に社会的貢献ができているという考え方が、世界での普遍的な考え方です。
それでも余力があれば、コミュニティーに対して、そしてさらに広い範囲への社会貢献を考えればいいというのが、欧米の社会貢献に対するスタンスなのです。
人は、こうした家族へ貢献するためには、経済的な基盤が必要であり、そのために企業で働いたり、トレーダーという職業を選択するわけです。
会社でも、トレードでも一定の収入があるという前提で、家族への貢献という視点から見た場合に、どちらの職業が適しているでしょうか?
これは職業というより、むしろその人の考え方による部分の方が大きいのではないでしょうか。
なぜなら、すべてはそこから始まるのですから。
関連記事
考え方・モチベーション の過去ログ