「18時間ハラペコプレイ」の実行中に、どうなったのか?
日記としても面白く、また書き方の参考になる例ではないでしょうか。
段落の改行や文字などもオリジナルのままでご紹介。
事実の記述と、ご本人の感想の割合がどうなっているのか?
さらに、事実と感想の記述の位置関係に注意して読むと、面白さはさらにアップするはず。
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◆一日2食健康法 途中経過
一日2食健康法を始めて今日で3日目。今日は朝からサーフィンだった。朝から何も食べず水だけ飲んでサーフィンである。7時前くらいから初めて、9時半くらいにはもうフラフラ。10時くらいに海からあがった時には腹が減って死にそう。その後、昼をみんなで食べにいって15分待ちと言われ、まじでそんなに待てんと思い、同じ店のショーウインドウにあったブルーベリーマフィンを買って食べる。一緒にいった人達は「またあいつなんか変なこと始めたぞ。」みたいな反応。基本的にアメリカの今の常識的な食生活をしている人達なので、朝を抜くということに対してものすごく批判的である。「朝の一番大事な時にエネルギーがないと困るじゃない。」みたいな反応。
みんなの考え方は、食事は朝たくさん食べて、ちょっとずつ少なくしていくというパターン。こまめに間食も取るのが望ましい。夜は少なめにして寝るというのが理想。私が江戸時代まで日本人は朝食を食べてなかったと説明しても信じてくれない。
オーダーが済んで、出てくるのを待つ間もずっとウェイトレスの動きを目で追って、早くこないかなーって感じ。大昔に人間は獲物を追ってこういう目をしてたんだろうと思う。待っている間にコーヒーを飲んで、いつもは食べないクラッカーまで食べてしまう。そこについに運ばれきました。野菜オムレツ + フルーツ。オムレツを食べ始めるとなんとも幸せな時間が始まった。舌がいつもより敏感になっているようですごくおいしい。体が一種の飢餓状態になっているようである。スイカを食べると味がすごく濃く感じる。こんなにスイカっておいしかったっけ?メロンもうまい。隣の人からオニオンリングをもらって終了。さすがにお腹一杯である。
帰ってきてから今度は夕食が楽しみで待ちきれない。6時くらいにラーメンと寿司を食べる。明日の昼まで何も食べれないと思うと名残惜しい。量を8割にしないといけないのであるが、まだ100%食べてしまう。しかしご飯が楽しみになってなんでもおいしく感じるようになったのはすごく良い。なんとなく睡眠も深くなってきたようだし。頭も軽くなってきた。なんとなく小学生の時の脳みたいな感じ。ここ最近はなんとなく浅い睡眠、食欲があんまりないけどご飯の時間だから食べるみたいな状態だったので。。。
1週間続けてどうなるか楽しみである。明日も朝から水だけなので、サーフィン行って時間が勝手にすぎるのを待とう。マーケットも休みだし。
◆1日2食ダイエット その後 & 周りのリアクションから
朝ご飯を食べなくなってから6日。体が慣れてきた。一番の変化は脳みそがスワップしている感じがなくなったこと。これまではハードディスクがジリジリいうような感じが常にあった。それがすっきりである。それからタンが出なくなった。さらに睡眠が深くなった。子供の頃のような熟睡をしているようだ。またご飯がおいしく感じるようになった。昼ごはんを食べるときは1時間くらい前から、「今日は何にしようかな」とニヤニヤしながら考えてる。それで今まで鈍感になっていたのがわかるくらい個々のものの味を感じる。人参とかジャガイモとかレタスとか。いいことばっかりだが昼前の2時間くらいはものすごく辛抱である。腹が減って。。。
その反動でちょっと昼ごはんを食べ過ぎているので、これからちょっとづつ量を減らしていこうと思う。今日なんか食後のデザートにアイスクリームまで頼んでしまい。会計はチップいれて$18。昼ごはんに2000円も使っている。これは食べすぎである。
先生がホームページで書いているとうり、私も周りのNegativeな反応に囲まれている。朝食を取らないことは犯罪だったのかと思うくらいの反応である。この話をすると必ず短い説教を食らう。マルチ商法のあのマネージャーからも説教を食らった。アホである。どうして社会のその他大勢が信じていることを民衆は信じるのであろう?人にそれはダメだと言うまえに自分で試してみたら良いと思うが。
こういったことは良くあることで社会的な常識(マスコミがつくった)という枠の中に民衆はこもってしまう。日本の場合は特にそこからはみ出るものに対しては「出る杭」扱いしてなんとかへこまそうとする。このままでは人類は滅亡すると言う学者もいるくらいの今の社会の現状なのに、なぜ現在の社会の常識が正しいという自信があるんだろう?
一例をあげると現在の社会常識的には少なくとも20歳くらいまで結婚を待って、子供はその後ということになっている。社会人として一人前にならないと子供を作ってはいけない(常識では)。しかし人間は15歳くらいでもう子供を作れるようになる。これが人間じゃなくて動物だったら常識がないから本能的に子供を作るのである。でも人間も動物だよね。その動物としての自然な欲望を抑えるような社会常識が正しいということになっている。それが正しいと信じる社会的な理由はたくさん並べられるけど、生物学的な理由は誰にも聞いたことがない。いろいろな角度から分析したらどっちがいいかわからないじゃん。それなのになぜ社会的は常識が正しいということに絶対の自信があるのであろう。それで少子化が進むことを懸念している。多角的にものを見れる人が少ないのである。
私がこれまでTryして良かったと思うもの、これは失敗だったなと思うものと社会的常識(評判)を比べると、、、
良かったこと
1.新興の外資系ソフトウェア会社
就職活動のときに私のいっていた大学では、まだまだ日本の一流企業に入ることが当然とされた時代だった。ちょうどバブルが終わりかけの頃である。理科系だった私は周りの友達が学校推薦で次々といわゆる1部上場企業に内定していくのを横目で見ながら「絶対学校推薦はやだ。」と思っていた。なぜならば工学部であるにも関わらず、私は工場勤務になるのが絶対嫌だったからだ。そこで自分で就職活動をしていたのであるが、そこで1社だけ初任給が高い会社があった。なんと27万円。メーカーの初任給は18万くらいだったから、それを比べると破格である。アメリカに本社があるということで世界で社員は5000人。日本ではまだ300人ということだった。ものすごくかっこいい楕円形の本社ビルの写真を見て「もうここに入れてもらうしかないでしょう。」と思ったものである。
しかしながら教授は内定を報告しても「学校推薦でNTTがあるからそこにいかないか?」とか「SONYもいけるよ。」とか言っている。しかし私が内定をもらった企業に比べるとパンフレットがださい。初任給が安い。本社ビルもただの四角のビル。ということで「いや辞めておきます。」って感じ。教授は信じられないという顔で私を見る。ここの大学名があれば1流企業に推薦で入れるのにお前は何を考えてるんだということである。
教授は「外資系の会社は、社員をコキ使い、使えないとわかったらすぐ首にする」というマスコミによって作り上げられたイメージを信じていたのである。さらにそれがソフトウェアの会社だからなおさらやばいというわけである。まあ私のことを心配してくれてたんだけど。。。それでその会社に入ってみると、忙しかったけど、首をすぐ切るようなことはなく、社員旅行はビジネスクラスでカナダ、バリ島という感じ。3年弱で辞めたがなかなか良い社員生活だったと思う。
ちなみに同期60人中、私が一番最初に辞めた。ということは新入社員が3年間も誰も辞めなかった。これは良い会社のサインだよね。(これも世間的な常識からの判断であるが。。。)やっぱり入ってみないとわからない。あの時日本企業行かなくて良かったと思う。
2.レーザーアイ手術
ここ数年レーザーアイ手術が普及してきた。私は4年くらい前に手術したと思うが、これはやってよかった。コンタクトとメガネから開放されるだけで日常生活におけるストレスがすごく軽い。$3000かかった。最初に受けるときには「レーザーをやると年をとってから白内障になる」とか「失敗した人を知っている」とかいろいろネガティブな意見が周囲からあったが結局自分で決心してやってしまった。「100人受けたら3人は再手術になります。」と言われ、私は残りの97人になる自信があったので。。。
3.1日2食ダイエット
これは言うまでもなくやって良かった。1週間たっていないがもう幸せである。信じられない人は2週間くらいでいいからやってみて欲しい。どっちにしても長い人生2週間くらい朝ご飯食べなくても死なないから。それで体に合わなかったらやめればいいだけで、他人がTryしてるのを止めることはない。
4.デイトレ
世間のデイトレのイメージはおそらく「禿げ鷹ファンドの個人版」といったところだろうか。まずその前に1クッションあって、「株」という時点でなにかやばいことをしているというイメージを持たれる。それがさらに1日で何回も売り買いするとなるともうほんとに超やばいって感じであろう。
しかしながらよく勉強してみると、リスクを回避するためにあらゆる方法を使い、群集心理を利用して稼ぐ。私が思うにリスクはすごい低いように思う。逆に怖いと思うのは1つの株を長期でずっと持ち続けること。これほど怖いことはない。右肩上がりでずっと上がっていく時代ではないからである。しかし群集心理はいつの時代、またいかなる人種でも同じように働く。それを利用している時点ですごく確実な方法だと思う。まあこれを言うのは実トレードで成績を残せるようになってからであるが。
デイトレの勉強しないでマスコミの作るイメージをそのまま信じていたらどうだろうか。おそらく一生こういう世界を知らずに死んでいくのであろう。これは損である。やっぱりなんでも自分でやってみないと。マスコミの作ったイメージで自分の可能性をつぶしてしまうのはもったいない。
◆1日2食ダイエットその後2
68キロくらいあった体重が今や63キロ。ズボンはちょっときつめだったのが、楽になったなーと思っていたら、今度は買い替えが必要なくらいダブダブになってしまった。
甘いものを食べると頭の調子が悪くなってしまう。いつもの調子でドーナツなどをたくさん食べると頭がくらくらする。脳に砂糖が浸透していくのがわかる。甘いものは極力少なめにするようになった。
目で見える景色が明るくなった。これは会社辞めるからかな?
カップラーメン、ハンバーガーなどのジャンクフードを食べるとどうも調子が悪い。まあ悪いといっても以前と比べたら元気なのであるが、最近の目がらんらんと輝くような感じではなくなってしまう。こういった食事がどれくらい体に悪いかを敏感に感じるようになった。
あかちゃんの肌のようにおでこがつるつるになった。
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彼はたぶん、多分ですが、日記の書き方なんていうことは一切考えずに、どんどんと書き進めているのでしょう。
まあご本人に聞いたわけではないので断定的なことは言えませんが、何となくそういう気がします。
今度機会があったら聞いてみようと思います。
上の文章の持ち味を独断と偏見で言わせてもらえば、「ストレートさ」でしょうか。
彼はアメリカに住む30歳を越えた子供さんもいらっしゃるいわゆる家族持ちですが、文章からもその中で書かれている考え方からも、彼のオリジジンが伝わってきます。
そのスタイルが、好きか嫌いかは人それぞれだと思いますが、面白い日記です。
その理由はどこにあるのか・・
アメリカに住んでいるから?
ではドル表記を円に変え、彼が日本に住んでいるという前提で読み替えてみると・・
それでも依然として面白い。
彼の日記では状況の記述、つまり「事実」を並べている部分が大半を占めています。
最初の「一日2食健康法 途中経過」はほとんどがこうした記述ですし、3番目の「1日2食ダイエットその後2」も状況や事実の説明に終始しています。
2番目は「1日2食ダイエット その後 & 周りのリアクションから」ということで、自分と周りの社会との関わりについて書かれていますが、これだけは他の2つとは違うスタイルになっています。
彼の日記ではところどころで、自問自答が入っているのですが、結論には触れずに、グイグイと書き進めています。
読んでいる人はこの自問自答を読んでどういう風に感じるでしょう。
自然に自分への投げかけと感じ、一緒に考えてしまうはずです。
この部分で書き手と読み手は、自問自答している部分の問題にについて別々に考えることになります。
その結果というか書き手である彼の考え方は、ときどき次のセンテンスで書かれています。
ですがこれは、「感想」とは少し違います。
よく読むと、その部分で彼は「気持ちを吐き出す」ために書いているのではなく、その時のテーマに対する考え方を書いているのだということがわかります。
いつか「日記を面白くする方法 その1」で、「事実」 + 「感想」という構成が基本だと書きました。
ですが、ここでの彼は「感想」をもとにして「気持ちを吐き出す」ために書いているのではなく、心からそう思っていることや感じていることを書いています。
何故それがわかるのか?
それは段落の最後に「良かったこと、楽しみにしていること」などというような、いわゆるポジティブなことしか書かれていないから。
心の底から湧き上がってくる素直な感情というものは、もともとは、とても純粋でポジティブなもの。
たとえば感動する映画を見て涙する時に湧き上がってくる感情を思い出すと、それがどういうものかが、よくわかるはずです。
ネガティブなことから沸き起こる怒りの感情は、いやな感情や後味の悪さとして残ります。
心の底から溢れ、そして湧き上がってくる感情はすぐに消えてしまうはかないものなのですが、その寿命の短さ?に反比例し、それは強烈にその人の感情のヒダに刻み込まれます。
その蓄積が多い人は、すぐに心の底のセンサーが反応しやすくなり、直ぐに純粋な状態になることができるというわけです。
人は心の奥底が常にクリーンで純粋な状態のときには、常に何かが湧き上がっているため、ネガティブなもので汚れるというスキがない状態というかそういうヒマがないのです。
ですからネガティブなことを書きそうになるときというのは、考えがまとまっていないため混乱していたり、本当に心の底からそう思っていないというバロメーターなのだと考えることにしています。
ちょっと本題とはそれましたが、要は面白い日記を書こうと考えなくても、心からそう思っていることや感じていることを書けば、それは人に伝わり「面白い」という印象を残すものなのだと思います。
そこへ到達するためには、誰もができる「事実」 + 「感想」というスタイルでスタートを切るのが、最も簡単なのではないかと、「面白い日記を書く方法 その1」で書きました。
なんだか「すごろく」のように、「面白い日記にする方法 その1」へ戻ってしまいましたね。
ということで無事「無限ループ作成」に成功。 < オイオイ。(笑)
出典
2005年7月1日