プライドは「自尊心・ 誇り・ プライド・ 矜恃(きようじ)」とも訳される。
だがこのプライドにも、トレードと同じように「順張り」と「逆張り」があるのだが、トレードのようにその結果がハッキリとわからないため「混乱」しやすく、判定間違いのサンプルは、至るところで見つけることができる。
プライドが高いというのは、自分の才能に自信や誇りをもつ気持ちが高いということで、ワガママだということではない。
もちろん「うぬぼれ・高慢・傲慢・驕慢・思い上がり」という意味もあるように、人のことを省みないという、そういった「自分勝手」なサンプルは、いたるところに腐るほど転がっている。
分かりやすい例を挙げると、渋滞で進めない交差点だからこそ、右折車のために開けている前車との車間へ、鼻先を突っ込み割り込もうとするタクシー。
こちらは特に急ぐワケではないので先に行かせるが「毎日車を運転しているプロ」としての知恵と自尊心に感動するチャンスなどというものは皆無に等しい。
それを当たり前だとする大人を見て育った子供が社会人になったとき「粉飾」と呼ばれる「バレなければ誤魔化そうとする」風潮として、まさに Pride will have a fall. 「おごる者は久しからず」で、そのツケが支払われた例を我々は最近も見たばかりだというのにだ。
自分の欲求と、他人の欲求という相反する要素に対して、どのように折り合いをつけるのか?という、いわゆるバランスをとる行為というのは、常に大人としての了見を問われていることになる。
売り手に対して、お客様は神様ですという姿勢をとる客は意外に多い。
欲求を満たすために、客だからと言って必要以上にへりくだってガマンをしたり、客だからと言って、自分の欲求ばかりを主張するという、両側のプライドのなさが蔓延してくると、住み心地が大いに悪くなってゆく。
何かがうまくいっても自慢をせずに「運がよかっただけだ。いい気になってはダメだ」という謙虚さも度が過ぎると、少しずつ自分の能力を低く見積もる感覚を正しいと感じ始めることになる。
能力と違って人間関係は「努力したから評価される」というものではないのが、コトをややこしくするわけだ。
さらに相手によっても違ってくることもあるため「ありのままの自分」でありたいという欲求を抑え続けても、それが評価されることは少なくなりがちだ。
そうした環境に長時間いると「ありのままの自分で充分価値がある」という気持ちが持ちにくくなってゆく。
特に会社という組織では、男性に比べると女性は、自尊心を持ちにくい環境に晒されることになる。
収入を得るための資質として男性的と思われている、決断、実行、効率のよさなどは高く評価されがちで、いわゆる女性的な資質と思われている、やさしさ、ほがらかさ、他人に対する共感や同情などへの評価は低いのが日本では一般的だ。
だがこれは女性だからと常に人を優先し、自分のことよりも、人に尽くす、やさしさを優先するため「ありのままの自分」の欲求を抑えつづけ、人から愛されることが一番大切だと教えられ育ってきた人にとっては大きな矛盾となるわけだ。
会社でつちかった「思いやり」はエレベーターに乗っても発揮され、見ず知らずの男性を先に行かせようと、エレベーターのドアガールを演じることになる。
これを「心遣い」と評価すべきなのだろうか。
「自尊心」は、英語だと「self-esteem セルフ・エスティーム」つまり自己評価、自己尊重などという意味で使われるのだが、判定はそれほど難しいことではない。
高い「セルフ・エスティーム」は心の健康と幸福な生活になくてはならないものだ。
自己評価が低いと精神が不安定になりやすく、人間関係もスムーズにゆかなくなる。
社会生活にうまく適応できない人は、単に「わがまま」なだけで「セルフ・エスティーム」の低い人に多く見られる。
社会生活で上司との衝突が多くなったり人とのコミュニケーションがうまくゆかないと「うつ気味」になり、精神的にゆとりがなくなるため、食べることで満足度を満たすという方向へ向かうことになる。
肥満の最も大きな原因は、ほとんどが精神的なものから生まれるケースが多いのだ。
さてあなたは「順張り」?
それとも「逆バリ」?
私はもちろん逆張りでは有馬温泉。<出た!(笑)
出典
2006年2月21日