2016年02月15日 のCoolに過ごそう

報道管制

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福島原発事故の5年前(今から約10年前)に書いた記事を再掲載。

事故が起こった後の今、読んでみると・・

 

英国のBBC放送のネットには大飯原発での2006年3月22日の火災事故が掲載されているが、「大飯原発」のキーワードでググッても日本語では一つのサイトも出てこない。 

日本語では、かろうじて「時事通信」が報道したようだが、大手のメディアはだんまり。

気味の悪い話だ。

  

念のため、BBC NEWS のサイトの内容を、以下に転載させていただく。
  

  

Blaze at Japanese nuclear plant
 
Nuclear power supplies a third of Japan's energy needs
A fire has broken out at a nuclear plant in western Japan, injuring two people but causing no radiation leak, officials say.
The blaze took hold in a waste disposal facility at the Ohi power plant in Fukui, 380km (236 miles) west of Tokyo.
  

  
Two workers were taken to hospital with smoke inhalation. Officials have told the AP news agency the fire is now out.
 
Japan is heavily reliant on nuclear power but confidence has been hit by a series of incidents in recent years.
 
The Ohi plant is run by Kansai Electric Power Co (Kepco).
 
Although the waste disposal facility is situated between two reactors, Kepco said the generators were not affected and were operating normally.
 

 
'Thick smoke'

Kepco said the blaze appeared to have begun in an area where ash is packed into steel barrels.
 
Some employees were evacuated after smoke filled the facility but workers in other areas were allowed to remain at their stations.
 
Kepco's Ikuo Muramatsu said the smoke had delayed fire-fighters getting to the blaze for two hours.
 
A prefectural official said the waste facility contained very low-level radioactive waste.
 
"There was no impact on the environment and we have verified that the employees did not come in contact with unusual radiation," Reuters news agency quoted the unnamed official as saying.
 
Japan has 55 nuclear reactors supplying one-third of its energy needs.
 
The government says it wants to build 11 more plants.
 
In August 2004 Kepco closed its plants temporarily after the worst-ever accident in Japan's nuclear power industry.
 
Steam from a broken pipe killed five workers at one plant.
 
   

以下は「ハッピープラネット」での記事内容をまとめなおしたもの。

 

日本政府は原子力発電は、近年ブームの感もある「地球温暖化」に効果があると謳っている。

だが実態は、温暖化にやさしいどころか、消費電力をアップさせ、二酸化炭素の排出量を大きくし、しかもコストアップによる電力料金が割高になるのだ。

  

その理由は構造上出力調整が細かくできないため、需要がないときの余計な電力の捨て場である揚水発電所を建設しなくてはならないからだ。

そのため、消費される無駄な電力の分、余計に二酸化炭素を増やすことになるのだが、さらに電力の需要にあわせて供給することができないので、常に多量の電力を出し続けなければならず、結果的には電力を大量に消費して、二酸化炭素を大量に増やすことになるわけだ。
   

しかも、揚水発電にかかるコストは水力発電として記録されているため、原子力発電はコストが安いように発表されているが、実はそうではない。

原発を増やすと火力発電が減ると思われているが、原発はベースロールという深夜で使っている電力分しか充足できず、昼間の変動分は、ほとんど火力で調整運転をしているのだ実態だ。

  

つまり原発というものは、深夜電力を超える電力生産をしていないと、成立しないのだ。しかも、現在、原発は容量一杯のところまで来ているが、政府はさらに20基の増設を計画している。20基増やすということは、夜の深夜電力も20基分増やさなければならないということなのだ。

  
夜の消費電力が増えれば、必然的に昼間の消費電力が引き上げられ、炭酸ガスの発生量が増えることになる。結局、これは省エネにも、石油の節約にも、炭酸ガスの発生抑制にもならない。それよりも、いかに夜の消費電力を増やすかということが課題になる訳だ。

  
例えば日本は清涼飲料水の自動販売機だけで、200万キロワットの電力を使っているが、これは原発2基分にも相当するのだ。

アメリカで自動販売機がないのは、盗難だけの問題ではないのだ。
  
 

 
 
永続する放射性廃棄物の毒性

  
 
原発では、作られたエネルギーの3分の2が海に捨てられる

海水温が上昇し、水に溶け込んでいる二酸化炭素が放出されることになる。

つまり炭酸ガスの抑制にはならないのだ。

  

さらに原発は、基本的に最も大きな放射能の問題が未解決なのだ。

    

原発には次の3つの問題があげられる。
 
1.大事故が起ったときの大気汚染
2.日常的な原発の運転による被爆労働者問題
3.放射能廃棄物問題。
    

放射性廃棄物の量は膨大で、1基の原発で発生する廃棄物の量は、広島の原子爆弾の千発分に相当する。
それが日本に52基、世界で420基以上あり、毎年生産されているのだ。

 
死の灰 と呼ばれる放射性廃棄物には、多くの種類の放射性物質が含まれ、それぞれの放射性物質は、それぞれの物理的性質によって放射能が減衰して半分の量にまで減衰する時間があり、これを半減期と呼んでいる。
 
チェルノブイリの事故で、一番強い放射能を出しているのは、セシウム137という物質だがこれは、半減期が30年。1000分の1まで減衰するには、半減期の十倍の時間が必要なので、300年で1000分の1になる。

 
プルトニウムの場合は、半減期が2万4000年。十半減期では24万年。

物理現象の時間は、10倍単位の対数メモリで計測するが、30年前というと、ベトナム戦争が終わった頃で300年前は赤穂浪士の吉良邸討ち入り、3000年前だと、ソロモン王の旧約聖書の時代、3万年前は、クロマニオン人時代で30万年前は直立猿人の時代になる。

 

そういった時間スケールで毒性を持ち続ける廃棄物を人間の技術で扱えるのか?

これが最初からの重要な問題だったのだ。
  

 
   

行き場のない放射性廃棄物
  

  
放射性廃棄物を処理するに当たっての大原則は、水に触れないということだ。
 
水に触れると人間の環境のなかへ放出されるため、水とどう隔離するかが切実な問題となる。

当初、南極の氷は何万年分の雪が降り積もって固まっているから、南極の氷の中に捨てようという考え方があったのだが、南極の氷の下は水だということが分かってボツ。

  

次に岩塩鉱にスポットライトを当てたのだ。

岩塩というのは、塩だから水に溶けるわけで岩塩鉱を掘った跡の穴というのは、地下水と接触しないのではないかと思われていたのだが、アメリカの岩塩鉱は、水没していたことが分かってボツ。

次に考えられたのが、宇宙廃棄でロケットで宇宙へ捨てようと言うわけだが発射成功確率から言えば、一度でも失敗すると大惨事が発生することになるわけで、これもボツ。

  

そこで、推進派は2つの方法を考えついたのだ。

一つは、放射能を消滅させようという考え方。

死の灰をもう一度原発の中に入れて、中性子線をあてて他の元素に変えてしまおうというわけだ。
  

 
だがそのためには、莫大なエネルギーが必要で、しかもある物質を消滅したときに他の物質を放射能に変えてしまう可能性も出てくる。

もし、それを本気でやろうとすると、膨大な量の何百種類もある死の灰を全部分離するという分離工場を作る必要が出てくる。
  

 
もう一つの方法は再処理という考え方で、そのためには死の灰の中からプルトニウムだけを取り出す工場が必要になる。

それがいわゆる「再処理工場」なのだが、これだけでも、あれだけ大変なしかけが必要になるのだ。

 

何百種類もの原子核を分離するには、実は何百種類もの工場を作らなければならない。
 
そしてそこから出る放射能廃棄物の量は、膨大なものになる。

ということで、消滅処理は、机上の空論であって、技術的には不可能なのだ。
    

 

   
日本における放射性廃棄物の実態

  

 

今日本がやろうとしていることは、放射性廃棄物を溶けたガラスの中に混ぜて冷やし、ステンレスの容器に詰め、さらに厚さ10センチ程の鉄の容器に密閉し、その周りを粘土で固め、地下100メートルに埋めるというもの。

これを最終処分と呼ぶが、最終処分場をどこに作るかが問題になっているのだ。

候補地として上がっているのは、北海道の幌延町、青森県の六ヶ所村、岐阜県の瑞浪市、岡山県の人形峠。
  

 
候補地が全部駄目になった場合、永久的に6ヶ所村から運び出されない可能性があるわけだが、じつはもうほとんどそうなりかけているのだけどね。

ところで、皆さんご存知のように日本という国は4枚のプレートの攻めぎ合いでできた島で、毎年太平洋プレートは、7cmから9cmのスピードで押し寄せてきている。

だから数万年という時間単位の中で、そうした地層が安定であるということは、とても考えられないわけだ。

  
現在、瑞浪市の東濃鉱山で予定地としての工事が始まっているのだが、地下1000メートルのボーリングしたサンプルを見ると、ずたずたに石が崩れ、表面は赤く変色し、明らかに地下水が流れた形跡があるのだ。

つまり、日本に地下水に触れない安定した地層が存在する可能性はゼロ

だから、放射性廃棄物の処理や処分というのは、永久的に不可能なのだ。

  
  

 
日本の奴隷制度 > 被爆労働者問題

 

  
原発では、TVの画面でよく登場するのですでにおなじみだと思うが、コンピューターの入っている中央制御室で運転をすれば済むと思われている。

だが定期検査の場合や、事故が起きたときには、大量の労働者が原子炉の格納容器の内部など放射性の高い領域で働かなければならない。

 

それは、多重下請け構造に支えられ、過酷な労働になればなるほど、第二次、第三次・...第五次という下請けが担当することになる。
 
最も過酷な労働は、修理をする人達が現場で働く前に、その現場の放射能をぞうきんで拭き取る作業をする清掃労働だ。
 
これに最も大量の労働者が動員される。
 

そこで働くのは、農村、漁村からの出稼ぎ労働者、それからヨセバ労働者、野宿労働者など、社会の最下層労働者が主に従事することになる。
 
今、福島第一原発では、原子炉の一番中心部にあるシュラウドという構造体の交換作業が行われている。

原子炉の中に千人余りの労働者が入って作業をするわけだが、それは今まで考えられたことのないほど、過酷な被爆労働になるのが実態なのだ。

  
原子炉の中に人が入るということは、もともと考えられていなかったことなのだ。

 

寿命の来た原発の寿命を、60年を延ばそうとすると、部品は全部交換しなければならない。

ほとんど新品の原子炉へ作り替えることになる。

そのため大量の被爆労働が、今この瞬間にも行われているのだ。
 
   
 

 
日本では原子力に関する報道はタブー

 
 
日本では原子力問題は、基本的にタブーで、原子力を扱ったジャーナリストは、飛ばされるのだ通例となっている。
つまり知ってても報道しないというか、できない構造になっているのだ。
良心のある報道ディレクターは、一発報道して転職するしか方法がないわけだ。
 
特に被爆労働の問題は、差別が絡むため難しい問題となっている。
こうした問題に取り組んでいる民間の心ある人たちは、ヨセバ野宿者に「原発に行くな、殺されるぞ」いうチラシを配布するという運動を行っている。

 

横浜の駅周辺の野宿者のパトロールを手伝いながら、日本中の野宿者にメッセージを送るわけだが、そこには在日朝鮮韓国人、被差別部落の人達、アイヌの人達、琉球の人達が住んでいるのだ。
  
こういう人達が汚い、臭い、恐いなどという差別蔑称の中で路上で暮らしているわけだが、Kさんという52才の男性は5年近く福井県の大井原発に溶接工として働いていたのだが、きっかけは新聞広告による「溶接工募集」だった。

 

だが現場では溶接ではなく、原発の蒸気発生器の交換作業で、主な仕事は、汚染されたところを雑巾で拭いたり、ビニールシートを貼ったり、という作業だったのだ。

  

ある日、配管を切る作業があったのだが、その配管の中にもし少しでも水が残っていると、放射能が漏れることになる。

そのため2人でビニールシートで持って、待機していたら、運悪く配管は水が抜かれていなかったため、大量の水を頭から浴びることになったのだ。
 
そのため、恐くなって退職して以来、ヘモクロマトーシスという難病で寝たり起きたりの生活が続くことになった。

そうして入退院を繰り返し生活保護を受けて暮らしていたが、あるとき倒れて救急車で運ばれたあと、連絡がとれなくなってしまったという。

    

これまで日本の原発で働いた人の数は約30万人。

これまで、恐らく数百人の規模で死亡していると思われるが、野宿者などは補償がなく、また住民票もないことが多いため、実態は全く闇の中だ。

そういう人達の命と引き換えの犠牲の上でしか成立しないのが日本の原子力発電の実態なのだ。

 

さらに言えば被爆と病気の因果関係を実証することは、事実上できない。

ガンで亡くなった場合、原発で働いていたからなのかそれとも、排気ガスなのか、たばこなのかの原因が特定できないわけだから、因果関係を立証することができないのだが実態だ。

それをいいことに、使い捨て労働者を導入しているがこれはまさに、日本の奴隷制度といってもいいだろう。

  
  
科学技術庁では、原発が他の電力源より安いコストを見積もっている。

だがこのコストには廃棄物処理コストは、入っていないのだ。

 
これからの問題になるのだから、現時点では分からない訳で、そのため計上できないのだという。

膨大な額になる可能性があるのだが、安く済ませようと穴を掘って埋めるわけにはゆかない。

 

安くあげようとすると、いい加減なことしかできないのだ。
 
処理をきちんとしようとすれば、我々国民が負担しなければならないし、いい加減にやれば、日本中が放射能で汚染されるかもしれないのだ。

     

それに万が一事が起こったら誰が責任を取るのか?

これはコストの問題はなく、仮にコスト安かろうが、やっていけないことというのはあるわけで、原子力問題がまさにそうなのだ。

つまりこれはコストの問題ではないのだ。

 
1万年後も消えない毒物を生産した会社が100年後に存在しているだろうか?

動燃という組織は30年で解体してしまったという実績があるのだ。

 
   
電力会社は、戦後まだ50年ほどしか経っていないが、東京電力が1000年後に存在しているだろうか?

それ以前に日本という国家が存在しているのか、という問題に突き当たるわけだ。

 

数百年後に放射能汚染の問題が顕在化したときに、一体誰がその責任をとるのか?

  

  

 
エネルギー問題という壁

   

 

では原発をやめたら、どういうエネルギーが考えられるだろうか?

こういうエネルギー問題は短期、中期、長期、超長期、というレンジで考える必要があるのだが、一番長いレンジで考えると、縄文時代から勘定すると約2000年が経過するのだが、これからの1000年間は、頭に2がつくことになる。

頭に1のついた時代は、千年続き、さきごろ終わったばかりだ。

  
100年単位をセンチュリー、1000年単位をミレニウムと呼ぶのだが、今我々は3回目のミレニウムに入ることになる。

実は過去一万年くらいの人類の使った一人当たりの消費エネルギーというものは、あまり変わっていないのだ。
 
もちろん増加はしているのだが、長いスパンで見るとあまり増えていないのだ。

第2ミレニウムの最後のセンチュリーの最後の50年というのが1950年で、ここらあたりから石油に依存した社会構造になり、エネルギー消費量が飛躍的に増えたわけだ。
 
  

成長経済が続くと消費は増え続けるという考え方で、もし本当にそのまま増え続けていったらどうなるのか?

一つは資源枯渇つまり資源の制約がある。

もう一つは環境の制約で、資源を使ったことによる環境汚染によって、生命の活動に重大な問題をもたらすわけだ。
 

つまり今の段階では、資源制約と環境制約の問題が第3ミレニウムの早い時期に起ることが予想されているのだ。

だがそれは、たぶんエネルギー問題ではなくて、食糧危機というみたい形で地球全体に大騒乱が起るということが言われている。
   

  
どちらにしても、何千年も続いてきた成長をどのようにして、元の水準にもどすのか?

これが原子力発電問題を考えるときの、難しさなのだ。

二十世紀人が三十世紀の人たちにどういう地球を残すのか?

 

千年単位でものを考えるには、やはり、できるだけ早い段階で1950年の水準にエネルギーの消費構造を転換してゆかなければならない。

ドイツでは今一生懸命「戻す」というか、「前向きに戻してゆく」ということに対して取り組んでいる。

だが日本政府の原発推進への方向は変わらない
  
ヨーロッパでは、チェルノブイリの事故以降、原発廃止の方向に向かっている。

アメリカでは、スリーマイル島の事故後、規制がきびしくなり、原発ではコスト高で採算が合わないことから、天然ガスなどへの切り替えが行われたのだ。
  
日本の原子力安全委員会は、「安全に対する万全な対策は充分に実施する」と述べているが、地震列島の日本で、はたして本当に大丈夫なのだろうか?

それよりも、何故今回の事故を報道しないのだろう?

    

   

出典

   

2006年3月24日

 

 

量を増やせば質は上がる!

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コンスタントに毎日書き続けていると、比較的楽に書くことができるようになってくる。

何故だろう?

0211quarity.gif

    

書くことで自分の内にある、書こうとするチカラが高まってゆく。

自らが持つそうした内圧そのものが、考えるチカラとして変換されてゆくのか?

   

書くことが苦にならなくなり、量を書くことが面白いと思うようになると、書いているうちに量をこなす自信が生まれてくる。

すると、自然に質も伴ってくるようになるようだ。

つまり必然的に質は高くなってゆくことになる。

   

具体的には、ある種の工夫が生まれるからだろう。

 

何故なら毎日書くことで、自分の向いている方向が正しい風向きなのかがわかるようになるからだ。

つまり自分と向き合いながら文字に残すという作業を通じ、客観的にわかるようになってゆくという寸法だ。

これは、他の手段ではなかなか実現できないことではないだろうか。

  

これも具体的に言えば、どのカテゴリを対象に書くのかということになる。  

   

モチベーションやさまざまな気力を支えるためには、自分が生きる意味を確認できる実感の持つパワーが不可欠だ。

これは自分でやるしかないことだ。

だがそれを人に求めると、誰も支えてくれない、というという事実と向き合わなければならなくなる。

  

それを何とかしたいという強い願望は、誰かに自分の話を聞いてもらいたいという思いへと変わってゆく。

すると意味のないメッセージをやりとりをすることで、空しさを埋めようとすることに繋がることになりがちだ。

    

だがそうして自分を分かろうとしても、それは叶わない。

何故なら、こうした方法でエネルギーを吐き出してしまうと、書くための圧力が抜けてしまうからだ。

  

書くことによって、自分の感情を客観的に見つめるというのは、最初は難しくまた苦しいものだ。

だが、自分が今興味のあること、疑問に思うこと、悩んでいることなど、探せば必ず何かが見つかるはず。

     

こうして自分のことを話したいという欲望を、書くチカラへと転化させるわけだ。

これが自分を掘り下げることになり、書くことが容易に感じられることへと繋がってゆく。

言葉と違い、書くことで自分を支える。 

これができるのは、自分の書いたものを自分の目を通し、もう一度自分の頭の中へインプットし直すことができるからだ。

    

このように、もう一度見つめなおす作業は、自分を肯定することに繋がってゆく。

なぜなら、自分の内側にある興味、疑問、悩みなどと向きあうからだではないだろうか。

 

それが自分への自信として蓄積されることで内から湧き起こるチカラとなるわけだ。

     

こうしたチカラが存在することは日記が文学として残っていることからも「証」として知ることができる

量を書くことができるようになると、考えを巡らせるチカラとその量も比例して高まり、またその思考の質も当然向上することになる。

     

そう考えることができるようになるのは、書くというチカラの成せるワザなのかもしれない。

     

    

出典

  

2007年5月20日

 

ひと味違う手仕舞いパターン

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米国ナスダックマーケット12(金) は トータル ▼730ドル で終わったのですが・・

advancedExecution.gif
さて手仕舞いの工夫で、どこまで挽回できるのか?

     

VIAB0212.gif

VIAB ▼400ドル

エントリーした足が反対方向へ動いたら、次のアタマで手仕舞い。

という基本ルール通りのカットロス。

 

下は1分足チャート 

VIAB0212-2.gif

VIAB ▼180ドル

▼220ドルのカットロス分が軽減。

  

  

DLTR0212.gif

DLTR ▼430ドル

  

下は1分足チャート  

DLTR0212-2.gif

DLTR ▼430ドル

 

これは1分足6本目が長いので手仕舞いしてもゲインはほとんど変わらない例です。

ただしこの例では6本目がギャップアップして始まっています。

ですから 陽線が伸び始め、ブレイクイーブンの位置で手仕舞いすることができます。

 

つまり・・

▼430ドルのカットロス分が軽減。

ということになります。

 

VIAB220ドル と DLTR430ドルで 合計650ドル分のカットロス幅を軽減できるわけです。

 

両サイド10銘柄トータルで で ▼730ドル が ▼80ドルにまでロスが減ることになります。

 

QMALLの手法に慣れ、経験を積むことで、こうした改善ができるようになります。

こうした工夫の余地が残されているのが、トレードの楽しさであり、また醍醐味でもあるわけです。 

 

 

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