2016年02月08日 のCoolに過ごそう

新型プリウス試乗記

コメント(0)

前日にゴルフへ試乗したあと、じゃあプリウスはどうなんだろう?

0207prius2.jpg

というわけで日曜の午前中に、神戸トヨペット株式会社・三宮店へ行ってきました。 

    

今回もシエンタ試乗記のときにお世話になった、セールスの方が担当でした。

車好きの方だと試乗中もハナシが弾むうえ、お互い楽しい時間が過ごせるわけです。

今回はゴルフの試乗でも、このプリウスでも、そういった販売員の方と巡り会うことができたのは、ラッキーでした。  

       

0207prius.jpg

       

試乗前は、四方山話。

  

プリウスもよくなったけれど、ドイツ軍勢も同じように良くなっているので、その差は一向に詰まらない・・

アルファードはよく売れている。300万から700万の値段帯。

会社の社長さんは、黒だとそっち方面と間違われるのがイヤで、みなさん白を選択されます・・

キャッシュで買われる方は3割くらいで、あとはみなさん残価設定ローンです・・

前のシエンタはいまだに人気があるので、古いシエンタから、新しいシエンタへの買い換えは意外に少ない・・

   

などと興味深い話を聞くことができ、充実した楽しい井戸端会議を堪能することができたことに感謝です。

        

今回もコースはゴルフ試乗記の時と同じ。

山手線を西へ走り、帰りは2号線で戻る、というルートを走ることができました。     

    

          

エンジン

     

走り出すと、まだエンジンが冷えていたので、スタートはエンジンが掛かった状態で発進。

10分ほど走るとエンジンが暖まってきたので、停止後のスタートは、モーターだけ。

ですから、いわゆるアイドリングストップで止まっているときは、気詰まりなほど静か。

  

で、走り出すと普通にいろいろな音が混在して聞こえてくるわけです。

なので、ハイブリッドカーというのは、止まっているときと、走っているときの、落差がかなり大きくなります。

   

ゴルフの試乗でも、全く同じコースを走りました。

販売店に戻ってもと、もっと運転していたい、と感じたのですが、プリウスは30分も走っていると、なんだか煩く感じてくるのです。

販売店へ戻り、車から降りると、なんだか少しホッとしたのです。

「トヨタおばけ」の亡霊がいるのかもしれない・・と、ふと思いました。

        

コンスタントに、普通のエンジン音、つまり耳障りではない同じ種類の音がコンスタントに聞こえてくる方が神経に障らない。

といえば、わかりやすいでしょうか。 

            

オレのいつものペースで走ると、ほとんどがエンジンでもって走ることになります。

そうした加速中に聞こえてくるのは、まんま「ド実用車」のエンジン音。

強めにアクセルを踏んだときの、エンジン音やフィールはイマイチというか結構ガサツです。

     

インテリアやエクステリアの先進的なイメージから、洗練された回り方を期待すると、ちょっとガッカリします。

    

ゴルフも、エンジンの吹け上がるサウンドは、決して素敵とは言えなかったのですが、プリウスは、それでいて、もっとチカラがないというか、パワー感が不足しているといえばいいのでしょうか。

ガソリンを食わないよう、あまりアクセルを踏まない走り方をすれば、こうした点は気にはならないのかもしれません。

 

ですが、周りより速めのペースで走ろうとすると、プリウスの良さが生きないということになってしまうわけです。

チョット速めのペースで、颯爽と走る抜ける、ということが不得意なようです。

できるだけガソリンを食わないように走る、という意識が強くないと、欲求不満になりそうな車です。 

      

その点DS5のエンジンは、回り方、トルクの盛り上がり方などの点で、ダントツに魅力的です。

車から降りたとき、「結構よく走るよなあ・・」とニンマリすることがあります。

見た目もお洒落なので、所有している満足度も満たしてくれます。    

         

プリウスのオーナーのみなさんは、ガソリンスタンドでの給油時に「安かったなあ・・」とニンマリしているのでしょうか?

     

            

ハンドリング

     

電子制御のステアリンは、かなり自然な操舵感でした。

ですがコーナリングが気持ちいい、というところまでは、残念ですが届いていません。

   

ゴルフのように、ハンドリングに「ピシッ」としたところがないんですね。

ネガをツブして、かなり頑張ったということはわかります。

ですが、コーナーリング中に気持ちいいなあ・・というようには感じないのです。

  

やっと「普通」に直進し、なおかつ曲がるようには、なっていたのですけどね。

たとえばC6の持つ、あの圧倒的な直進性は、湾岸線に乗るたびに感動してしまうわけですが・・

こうした体験があると、無い物ねだりをしたくなるわけです。

   

今デビューしたばかりのモデルなのですから、もうちょっとピリッとしたところがあってもいいのでは?

というのが正直な印象でした。

      

DS5のようにハンドリングの制御が強いのもあれですが、プリウスのこの自然さでは、まだ何となくスッキリしない、といえばいいでしょうか。 

           

         

乗り心地

    

今回の試乗で最も気になったのは、路面からのヒョコヒョコ感が意外に伝わってくるという点です。

直接的なハーシュネスは巧く丸め込まれています。

ですが、そのかわりといってはなんですが、常に細かく、あるいはデコボコに割と忠実に、路面の動きを伝えてきます。

   

同じ金属バネでも、ゴルフは路面からのアタリが、平均してもっと上質でフラット。

そのため洗練された感じさえ受けたのですが・・

こういうちょっとしたところの積み重ねで「いい車」というイメージが形成されるわけです。

            

ブレーキは、サーボの効き具合が均一なため、減速の踏み具合を調節する必要がなく、スムースに停止することができます。

今回のプリウスでは、ここが一番良かった点です。

そのかわり、ペダルを踏んだときの感触は、均一にスポンジー。(笑)

      

ブレーキを踏むたびに、ダイレクトなフィールとは対極の踏み心地を味わうことになります。

試乗が終わる頃になっても、この感覚に慣れることはなく、最後まで違和感がありました。

 

なので、セールスの方に、ブレーキパッドをいい物に変えるとどうなのかと、訊ねてみました。

サードパーティーのパッドに変えても、踏み味は変わらないそうです。

「回生ブレーキなので・・」ということでした       

  

今思い出しましたが、ゴルフは停止すると、ブレーキペダルから足を離しても、自動的にブレーキが掛かった状態になります。

後ずさりしないようになるのですが、あれはなかなか気の利いた仕掛けだと思いました。

 

    

  

まとめ

       

わかりやすく言えば、問題点をことごとく潰してできあがったかのような乗り味でした。

ですから走っていると、車の魅力として、どこか一点でいいから、何か尖った部分が欲しくなってきます。

「それは燃費です」というのが、トヨタからの答えなのかもしれません。

      

ですが、一時トヨタは Fun to Drive って謳っていたはずです。

あれは一体どこへ行ったのでしょう・・

      

世界一という燃費のため、車が本来もっているはずのワクワクする魅力が犠牲になっている。

これって、本末転倒な気がするのはオレだけでしょうか。

でも、そんなことはいいから、とにかく出来るだけガソリン代を安く上げたい。

という人には素晴らしい車に映るのかも知れません。

   

ゴルフも問題点をことごとく潰しているのですが、とてもバランスの良い車だ、と思える仕上がりになっています。

ただそこでとどまらず、魅力として感じるレベルにまでになっていることに、ちょっと感動しました。

 

一体何が違うのでしょう。

         

ここ数日間DS5に乗っていて、ゴルフに試乗したあと、DS5のハンドリングや乗り心地のクセが、何となくより気になっていました。

ですがプリウスの試乗後、DS5で走り始めると、クセが潑剌とした元気良さとして感じるようになったのは、プリウスを体験したからこそ。

この不思議なプリウス効果こそ、今回の一番の収穫だったのかもしれません。

    

オレにとっては、2004年10月3日のプリウス体験記のとき以来のプリウスなので、この前のモデルとは比較できないのですが、セールスの方いわく、凄く良くなっているとのことで、今までのプリウスユーザーなら迷わず買い換えるでしょうとのことでした。

       

 

書くことを習慣にする方法

コメント(0)

日記を毎日書いていると、書くというのはそれほど大変なことではないように思えてくる。

0121writinghabit.jpg

というのは、自分を相対化し、他人の目で見るということの結果に過ぎないからだ。

   

つまり自分の目をハナから信じて、思ったことをそのままをストレートに書くのではなく、仮説を立て他人の目で対象となるものを見る、言い換えれば取材するという言い方に近いことになるかもしれない。

   

だから少し回り道をしなければならないことになる。

そのため、心や気持ちに「ゆとり」や「遊び」が欠落していると、「書き手」としてはちょいと厳しい事になる。

     

車もそうだが、自分の好きなことや興味のあることに対しては、ある程度「無駄遣い」?することにしている。

無駄という「ゆとり」がなくなると、視点から深みや面白みがなくなってしまうからだ。

     

経験則で言うと「その無駄」?は結局は自分のためとなり、最後には自分のもとへ何らかの形で戻ってくることになる。

取材と書くと大げさになるが、こうした行為は仮説を検証する過程で行われることになるのだが、ネットで調べたり文献を読んだり、もちろん自分で出向いて独自で調べることもある。

     

と書くとカッコいいが、蕎麦屋やレストランについての紹介などは、自分で出向いて独自で調べることに該当するわけだけどね。(笑)

    

 

NIKKEI NET にこういう記事があった。  

 

 
「働き過ぎ」で脳・心臓疾患、最多の330人を労災認定

働き過ぎが原因で脳内出血や心筋梗塞(こうそく)といった「脳・心臓疾患」になり、労災認定を受けた人は2005年度、過去最多の330人に上ったことが31日、厚生労働省の調査で分かった。

脳・心臓疾患のうち、過労死に至ったケースは157人だった。ストレスによるうつ病などの精神障害での認定も127人と高止まりしている。

脳・心臓疾患の認定者数は前年度から12%増え、これまで最も多かった02年度の317人を上回った。

脳・心臓疾患の請求者数も前年度比6.5%増の869人で過去最多となった。

厚労省は長時間労働が減らない一方で、働く環境に配慮する企業も増え、社員に労災請求を促すことが多くなったとみている。

内訳は脳疾患が210人、心臓疾患が120人で、特に脳疾患が増えた。病名別では、脳内出血(98人)が最も多く、次いでくも膜下出血(70人)、心筋梗塞(50人)、不整脈などによる突然死(48人)、脳梗塞(40人)の順だった。 (20:50)

      

さてこれを読んで何を感じるかだ。?

  

「働き過ぎ」へ駆り立てるのは、何らかのストレスを感じてのことだろう、という仮説を立てるわけだ。

結構アバウトだけどね。(笑)

     

雇用者側に対し自分の価値を売り込み、価値を認めてもらうため、自分の時間を提供する労働形態は、自分で満足できなくなるとというストレスを受けると、体を壊してまで働くことになる。

労災の人数は、氷山の水面上の部分で、水面下の大きさは想像を絶する大きさなのかもしれない。

    

運動をする時間を惜しんでまで働き続けると、使わない体の筋力は低下してゆく。

ちなみに仕事で歩いたり、通勤のための歩行に運動の効果は、あまりない。

    

そうした状態を何年も続け、やがて40歳も超えるようになると、大した段差もない場所で不意に蹟いたりすることになる。

最新の「人口動態統計」によれば、2003年の「転倒・転落」による死亡総計は6318人に達し、10854人という交通事故死者数に迫る勢いなのだ。

   

日本では一日30人弱が交通事故で死亡し、17人が転ぶか落ちるかで死亡しているのだが、驚くのはまだ早い。

自殺は3,2082人で、一日87人もが自らの命を絶っているのだ。

最も多い年代は働き盛りの40歳から50歳なのだが、人数が多すぎてニュースにもならないのだろう。

   

自殺の直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自分のの名誉を守る、あるいは責任を取る、というような倫理規範として自殺も含まれるが、これは他のアジア諸国やキューバでも見られる傾向だ。

TVCMの影響で、サラ金に手を出す40才台の激増は、こうした自殺と無関係ではないだろう。

自力で稼ぐことが困難になる生活不安と高齢化に伴う病苦の2つが高齢者の自殺率を高くする要因だが、日本は働き盛りの40歳から50歳の自殺率は米国の3倍もの高い数字となっている。

   

これは宗教とも密接に関わっているのではないだろうか?

とこれも仮説だ。しかも連発。(笑)

  

米国では一般的にキリスト教と呼ばれる、カトリックやプロテスタントの家庭が多い。

基本的には性悪説という、人間バレなければ悪いことをするが、神は見ているのだからという概念を叩き込まれる。

 

そのため、神と単独で結ばれたる関係を築きあげることを、欧米では「自立」と呼んでいる。

日本では「うちの子に限って」というような嘆きをよく耳にするが、キリスト教の性悪説では「うちの子だから危ない」と思って日ごろから対策をするわけだ。

   

だが日本では何か事件が起きるたびに「二度とこのような悲劇を繰り返しません」と事件後だけの安易な決意や誓い、場合によっては自殺によって責任の決着をつけ、マスコミも同調して一件落着となる。

だが悲劇は繰り返される。

   

人間は基本的に愚かであり、ましてや全員が同じように反省するわけではないわけだから、同じようなことが起きてしまうだろうと、具体的な対策をするなりの心構えをしておくべきなのだ。

自分のまわりでは悲劇は起きないという、無宗教がもたらすいわゆる平和ボケでは、予兆があったとしても、感じ取ることはできないはずだ。

    

この例のように、仮説を自分で立て、そして取材したり考えたりして導かれた結果は「書く」ことなしには完結しない。

だが、だからといってその仮説が正しいとは限らない。

  

あるときは時間がそれを証明するだろうし、あるときはそうして導き出した結論が違っていることもあるだろう。

だがプロの予測屋ではないのだから、それでもいいと思う。

  

大事なことは、ある物事を「さまざまな角度から見る」ことができるかどうかなのだから。

そうした経験をつむことで、その精度は上がり、やがて大きく「外れる」ことはなくなるかもしれない。

   

自ら時間を割き、会社という報酬を得るという狭い目的のための組織や場所から離れ、さまざまなものを見るという、カイシャの中から見ると一見無駄に見える行為によってのみ、仮説のための引き出しを増やすことができるのだ。

仕事による過労のため、けっして補充されることのない空っぽになったままの引き出しからは、想像力のかけらも生まれないだろう。

日本のCMやTV、映画の世界でつまらなさだけが、どんどん加速している背景には、こうした理由もあるのではないだろうか。

   

このように、「書く」というのは、自分を知るための終わりなき仮説の旅の記録なのだと思う。

だから「志」がある限りいつまでも続けることができるわけだ。

 

こうした幸せを、ワーカホリックという仕事中毒病になってまで引き換え手放すなんて、正気の沙汰ではないと思うのは私だけだろうか?

   

  

出典

  

2006年6月6日

  

 

朝の雲

コメント(0)

0208clouds01.jpg

自宅ベランダから大阪湾方面

 

  

0208clouds02.jpg

灘・東灘方面

   

0208clouds03.jpg

SONY α7R II + Vario-Tessar T* FE 16-35mm F4 ZA OSS

          

      

今日撮った写真 人気ランキングに参加しています。

クリックしていただけると嬉しいです。^^;

 ↓ < ありがとうございます。

にほんブログ村 写真ブログ 今日撮った写真へ
にほんブログ村

  

 

2016年2月

« 前月 翌月 »
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29          

2016年2月

月別アーカイブ