2016年01月20日 のCoolに過ごそう

カットロス

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ご質問をいただきました。

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11月13日のCPHDはマイナス150にはなっていない状態でカットロス。1月15日のGOOGはマイナスになってもホールドされていますが両者の違いは下髭の有無で決めておられるのでしょうか?

 

11月13日 の クイックマジックWatch での総トータルは ▼470ドル。

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CPHD この時点でマイナス 140ドル。

150ドル以上のロスは獲れないので手仕舞い。

  

この日は LULU 一撃でマイナス600ドル。

結局この時点で勝ち目はなかったので、損失を大きくする可能性のある選択はできなかったのです。

確率は低くても+236をスッポ抜けたら、さらに損失は大きくなりますからね。

この時点での最低の損失を選択したわけです。

    

   

米国ナスダックマーケット15(金

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GOOG +270ドル 50株銘柄

クイックマジックWatch での解説では 両サイド10銘柄トータルで ▼790ドルでした。

つまり上のCPHDと似た状況だったわけです。

 

ただプルバックの幅はたった40ドルです。

ですからホールド。

  

カットロス幅が150ドル以下ならば全てホールドというわけではありません。

同時にホールドしている銘柄の組み合わせや、それまでのトータルの損益によっても変わります。  

 

このケースでは、そういう風に判定したと言うことです。

CPHDをホールドしていれば上がりましたけどね。^^;

 

上記手仕舞いで、ヒゲの長さを考慮することはありません。

ローソク足フォーメーション決定の確率を判定するためには使います。

     

届かず

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クイックマジックWatch

QMALL クイックマジックオールプレイ 昨夜の成績は?

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米国ナスダックマーケット19(火)は、カットロスが大きくトータルで負け。

   

10銘柄全てにエントリーすると?

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ロングサイド・クイックマジックで5銘柄 ▼1930ドル     

BRCM ▼320ドル

SBUX ▼190ドル

AVGO ▼460ドル

EXPE ▼480ドル

ADI ▼480ドル

   

ショートサイド クイックマジックで5銘柄 +1520ドル

FAST +500ドル

DLTR ▼180ドル

CMCSA ▼60ドル

PAYX ▼70ドル

SPLK +1330ドル

   

両サイド10銘柄で ▼410ドル

 

 

ロングサイドだけでトータル▼1930ドル!   

 

だが捨てる神あれば、拾う神あり!(笑)

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FAST +500ドル

 

エントリーからマイナスになることはない銘柄だったので、ひたすらホールド。

しかしゲインは意外に少なく500ドル・・ 

 

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SPLK +1330ドル

 

2本目で81.6%のガイドライン(赤)を突破したのでホールド。

レンジアベレージ手前で、長い下ひげをつけた、短い陰線5本目が出現。

これは次で手仕舞いの合図。

   

よく頑張ってくれて+1330ドル

  

トータルのロスが500ドル以内で収まったのは不幸中の幸い?(笑)

ロングサイドのトータルロスがこれだけ大きくても、ここまで挽回できれば、まずは上々の展開だといっていいでしょう。

今晩のマーケットで挽回だ!

  

サービスと感動

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もう一度行きたいかどうか。

という視点で考えれば、そのレストランの問題点や優れている点というのは「あからさま」にわかるものだ。

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たぶん店側としては最も知りたい点ではないだろうか。

  

客になって自分が訪れて見ればたわかる結構簡単なことを、なおざりにしているところというのは意外に多い。

「客の心」をつかむというのは、そう難しいことではないのだ。

  

まずは客へ「店の何をアピールしたいのか」が明確で、それが伝わっているかだ。

客側からいえば、客が考えているその店の「セールスポイント」に対して対価を払うことになるのだが、これが店側が考えている価値と違っていると、うまく行かなくなるというわけだ。

  

  

では客はどういうときに満足感を覚えるのだろうか?

  

  

店の経営者というのは、えてして忙しさにかまけ、自分が客になった素直な目で自分の店を客観的に見るということが、全くできていないか、その努力をハナからしていない例が多い。

経営者は店でウロウロしている時間があったら、客になって同業種のいわゆる「はやっている」店を「はしご」してみることだ。

  

飲食点が成功するための要素として、「味」「ハード、雰囲気」「サービス」の3点が挙げられる。

まず基本は味だ。

味さえよければ「ハード、雰囲気」「サービス」がよくなくても、一定の客が付くものなのだ。

  

だがその努力や情熱がないとなると、お金で買えるのは「ハード、雰囲気」だけということになってしまう。

だが、内装や話題性で客を呼べるのは3回までだという点を忘れてはならない。

   

日本の接客業で最も劣っているのが「サービス」だと思う。

こう書くと、アメリカ人のおおざっぱで無愛想さより、日本のキメ細やかな接客サービスの方が圧倒的に優れていると、反論される方もいらっしゃるだろう。

  

では接客サービスでの満足度というのは、いったいどういうものなのだろうか?

マクドナルドでは客は自分で運び、席を探し、食器を指定された場所へ戻さなければならない。

だが、だからといって客は「接客が不満」だと感じることはない。

  

時々従業員が「ありがとうございます」「恐れ入ります」と、トレイを受け取り戻し場に戻してくれると「ここは結構サービスがいいよな」とさえ思ってしまう。

不満が出ないのは、客がマクドナルドに料亭のようなサービスをハナから期待していないからだ。

セルフサービスを前提にしているため、自分でトレイを片づけるのは当たり前だと思っているところへ、「期待していなかったサービス」に出くわすと、思わず感動してしまうというというわけだ。

 

だが、普通のレストランでは、ウェイトレスが無愛想だったり注文に対しての返事などが期待度と少しでも異なると「不満」だと感じてしまう。

これは「事前の期待値に対する価格差」が埋められないことによって起こるわけだ。

マクドナルドの接客サービスというのは「注文したものがすぐに出てくる」ことに集約されている。

 

たとえばの例としてだが、もし普通のレストランで、期待以上の速さで料理が運ばれてきた場合、期待していなかったサービス」に出くわすことになり、思わず感動してしまうというわけだ。
 


たとえばファーストフードのコーヒーが1杯150円で、レストランや喫茶店でのコーヒーが500円だとすると、その差額350円の一部は、味かもしれないし椅子などの座り心地代金であったり、その残りがウェイトレスのサービスの代金ということになるだろう。

十分な資金を投入すれば「ハード、雰囲気」に含まれる椅子などの座り心地代金は対等に持ってゆけるだろう。

  

だがそこで、ウェイトレスのサービスが少しでも期待値と達しないと、それは不満として客に強く印象付けられてしまう。

では客が求めるウエートレスのサービスとは具体的にどういうものだろうか?

最もわかりやすいのは「呼んだらすぐに来る」という点だ。

  

近くに従業員がいるかどうかは気にしないで、「すみませ~ん」と普段の声の大きさで呼びかけ、手を上げ、視覚的にも注意を促し30秒間に普通の声量で1回呼び掛けをしてみればいい。

人は心理学的に3回以上同じことを繰り返すと嫌になるものなのだ。

「仏の顔も三度まで」という昔からのフレーズは何も根拠がないわけではないのだ。

 

3回以内に従業員が客のテーブルに来なければ、その店は飲食業としては失格なのだ。

そのためレストラン業では従業員教育が必要になり、優秀な従業員が辞めないために「常に夢を見続けさせることが必要」だとか「この人なら一緒にやってくれると思える上司になること」などといった難しいテーマを克服しなければならなくなるのだ。

トヨタなどの典型的な日本企業は「終身雇用に即した、長い経験がカイゼンにつながる!」と断言してきた背景には、こうした事情があるというわけだ。

  
 

アメリカのレストランは、こうした点をチップ制でカバーしている。

だが観光地によくあるあるチップの全額がウェイトレスに支払われないようなシステムの店だと、チップのもたらされるサービスの良さは相殺されてしまう。

 

たとえばクレジットカードで支払われた場合、そのカードのバーセンテージが引かれ、その残りから、バスボーイ(食器をかたづける人)、バーテンダー、また場合によってはマネージャーともチップを分けるというようなシステムの店も多いから、こうした店へ行った人は、チップ制度に不満を持つかもしれない。

だがウエートレスにとっては、チップの額は死活問題に直結するため、まともな店なら、用事があって手を上げたなるような状態になる前に、ウエートレスが気を利かせて、しかるべき手を打ってくれる。

 

「呼んだらすぐに来る」のではなく、手を上げる前に察してテーブルへやってくるのだ。

だがそのかわり、チップというのは料金の15%から20%が相場だから、もし10%のチップしか置なかったときなどは「サービスになにか問題がありましたか」と遠回しに聞かれることがあるくらいだ。

 
  

アメリカに住んだ経験をお持ちで、まともな店でのサービスを受けた方なら、そのサービスの質のあまりにの違いに舌を巻く経験をお持ちのはずだ。

日本は、おもてなしの文化で常に相手のことを考える国民性があるといわれているにもかかわらず、こうした制度の違いもあって、日本の飲食業というのは、オペレーションに知恵・労力に対してお金を使ってこなかったという歴史を持っている。

 

だが逆に言えば、サービスはどの店でも最も後回しにされているため、最も差別化の要因となりうる要素なのだ。

飲食店のスタッフと客関係は、本来50対50の関係だから、本来とてもパーソナルなものだ。

それにサービスというものは無形のものだから、常に数秒で勝負が決まってしまう。

 

本物のサービスを知らないために、そのレベルの高さに感動できない人が、どうやってそうした類の感動を人に与えることができるのだろうか?

チップがもたらすプロフェッショナルなサービスのグレードの高さに、時給と企業に対する忠誠心で対抗するにはどのような方法があるのか。

 

日本の飲食店の経営者が考えるべき点は、まだまだ多い。

 

 

出典

 

2006年5月12日

  

ファイナンシャル・リテラシー

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セミナーでは、トレードだけではなく、折に触れて経済の仕組みについても言及している。

参加者の方の中には、50歳から上と思しき方が含まれていることが少なからずあるためだ。

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メディアで報じられているように、2007年あたりから「団塊の世代」(昭和22年から24年生まれ)が大量に退職を迎えている。

  

ある試算によると、団塊の世代を中心とする五年間の退職者数は700万人、退職金支払い総額は50兆円とも80兆円とも言われている。

60歳代の人々にとってはリタイアしたあとで豊かな生活を送るには、自分の資産の運用益からキャッシュを手に入れるか、年金に頼るしか術はないのが現状だ。

  

また定年退職が近付いている50歳代にとっても、定年後の第二の人生のスタート時点までにどれだけの資産を積み上げておくことができるかが、その後の人生の「ゆとり」を決めることになる。

人生の後半は誰もが好むと好まざるとに関わらず「投資家」として、資産を運用・管理し、老後の生活を送らなければならないのだ。

  

我々が頼ることになる年金も医療・介護などの保険も、その掛け金は将来の給付に備え、同じように「投資」「運用」されている。

いずれにせよ、我々は何らかの形で「運用益」を睨みながら、自分の生活のプランを立てることになる。

  

だが50歳代の退職予備世代の人たちは、金融(ファイナンス)や投資(インベストメント)についての知識を十分にお持ちだろうか?

会社勤めの間に意識してこうしたスキルを身につけてるのでなければ、退職金を始めとする自分の資産運用について、明確な方針を持つことさえできないのが普通だ。

 

「投資」や「運用」の果実を年金や保険金という形で受け取る当事者として政府や金融機関の行動や運用方針をチェックし、自分の意見を持津ことができるだけの「目利き」の能力をどの程度お持ちだろうか。

これは何も「団塊の世代」だけのことではない。

  

セミナーでは1960年(昭和35年)以降に生まれた世代の方もかなりの割合で参加されている。

こうした世代の人たちにとって、事態はさらに深刻なのだが、ほとんどの人はそれを自覚していないのだ。

    

急速な少子化のため、公的な年金や社会保障だけに頼ることができない世代にとっては「団塊の世代」よりもさらに厳しい状況が待ち受けている。

その理由だが、このままでゆけば1960年代以降の世代では、一生のうちに受け取る年金やサービスの総額(厚生年金+健康保険+介護保険)から、支払う保険料の総額を差し引きするとマイナスになってしまうからだ。

 

若い世代ほど、こうした公的扶助に頼ることなく、自分のチカラで資産を増やす努力が求められているのだ。

では、将来に備えてどのように資産を運用していけばいいのだろうか?

 

この世代の大多数の方は、自分の状況に応じて、数ある運用商品の中から、最適なものを選択する基準をお持ちだろうか?

  

「そんなことを言われても学校では教えてくれなかったし、分かるわけがないじゃないか!」というのが普通の反応かもしれない。

だが、実を言えばそのこと自体が大きな問題であり、この問題の根源となっているのだ。

 

日本の社会では、学校教育でも社会教育でも、資産運用や金融知識をきちんと教えるということに対しては全く行われてこなかったのだ。

知りたいと思っても、学べる環境や制度が整っていなければ、普通機会にめぐりあうことはない。

  

今の時代は英語とITとファイナンスが社会人にとっては重要な武器であり、この三つを有効に活用できる「リテラシー」はこれからの時代の日本人が身につけておくべき基本的能力だといってもいいだろう。

コンピュータやインターネットなどの「ITリテラシー」や、英語や中国語などの「言語リテラシー」を高める必要性は声高に叫ばれている。

 

だが「ファイナンス(金融)」や「インベストメント(運用)」に関する知識・情報を活用する創造的能力、すなわち「ファイナンシャルリテラシー」を高める、というテーマはそれ以上に重要だ。

 

アメリカでは小学校教育から「お金」に関わる教育を実践しているが、日本では、教育現場も政治も社会も、そのような動きは皆無といってもいいだろう。

その背景には「お金に関わることを教えるのが揮られる」という、日本人の心情や美意識とされる概念が根強くはびこっているからだ。

「お金に頓着しない生き方」は素晴らしいと思う。

だが「金融や投資のことは分からない」という状態で、これからの時代を安心して乗り切ることができるだろうか?

 

国や公的機関をあてにすることができない以上、にこうした能力については、我々自身が、基本的な金融(ファイナンス)や投資(インベストメント)に関する用語を理解し、知識を習得することが必要になる。

資産運用を誤れば、将来の老後の生活に影響が及び、それは取り返しのつかない悲劇を生み出すもとになるのだ。

 

一人ひとりが「ファイナンシャル・リテラシー」という能力を高めることは、これからの社会生活での質を高めるためには、不可欠な要素だといっていいだろう。

トレードを通して経済をよく知ることで、本からは得ることのできない面白さを通して、まず強い興味を持つことが、なによりも初心者にとっては大事なことなのだと思う。

 

そこさえ通過すれば、あとは「のめりこんでしまう」ほど、面白い世界が待っているからだ。

多くの受講者の方が、セミナー会場を後にされる時の目の輝きが、このことを雄弁に物語っている。

  

 

出典

 

2006年8月23日

 

 

 

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