ですが、考え方を変えることで、ずっとシンプルに、そしてわかりやすい世界が目の前に開けるという体験をすることが可能になります。
トレード を経験することで、さまざまな点について、それまでと違った見方をすることができるようになりました。
お金というのは車にたとえると、ガソリンに相当するでしょう。
走っているうちにガソリンがなくなれば、どこかで給油しなければなりません。
誰も行ったことがないほど遠くへ行こうという野望(欲)を持てば、大きなガソリンタンクが必要になります。
そういう場所には、ガソリンスタンドなんてないのが普通ですからね。
貯金の多さというのは、ガソリンタンクの大きさに相当すると考えればいいでしょう。
大きなガソリンタンクを持っていた典型的な昔のアメ車は、今の米国ではほとんど見ることができません。
彼らは石油危機で、スタイルを変えたのでしょうか。
なぜ彼らは貯金をしないのでしょうか?
いくらガソリンタンクが大きくても、いつかはなくなります。
永遠に走り続けられるワケはないからです。
毎日の生計費がかからない生活というのは、燃費のいい車のようなもので、大食いの車に比べれば、同じガソリンの量でより遠くへ行くことができます。
大きなタンクを運ぼうとすれば、大きなエンジンが必要になり、重くなるためガソリンを喰うことになります。
そして、大きく重いガソリンタンクのクルマは、強力なブレーキも必要になるわけです。
野望(欲)が暴走しないように、カーブではブレーキをかける必要があります。
ですが、よく効くブレーキを装備するには、それなりのコストがかかります。
ですから、大きなガソリンタンクとそれを運ぶ大きなエンジンのために資金をつぎ込めば、効きの悪いブレーキで我慢することになってしまいがちです。
ブレーキの利きが悪い車は、長い行程の途中で、突然飛び出してきた動物とぶつかったりして、事故を起こしたりすることにもなりかねません。
トレードは、こうした事態を打開できる大きな可能性を持っています。
一度に大きく儲けるのではなく、毎日コンスタントに利益を出すことができれば、自分の行きたい道の途中に無数のガソリンスタンドがあるのと同じことになるからです。
大きなガソリンタンクへ燃料を補給しようとすれば時間がかかります。
ですが、途中に無数のスタンドがあれば、ガソリンはいつも少しだけ積んでいればいいわけです。
ガソリンが減ってくれば、給油すればいいのですから。
車を軽くすることができるため、軽快なコーナーリングを手に入れることができるわけです。
軽くフットワークのよい車なら、時代の変化や経済環境の変化という、曲がりくねった突然のコーナーが現われても、ヒラヒラと走り抜けることができるでしょう。
大きく重いガソリンタンクを積んだ車は、突然現われるカーブでは、速度を大幅に落とさなければ、曲がりきれないし、ブレーキが利かなければ、コーナーから飛び出して、大きな事故を引き起こすことにな ります。
ガソリンを大食いするハイパワーな車で、ガンガン飛ばして遠くへ行くというスタイル自体に、あなたはまだ魅力を感じるでしょうか?
このような功罪をよく考えずに、大きなガソリンタンクへフルに給油した車でなければ走れないと考え、勝手に先行き不安になっていては、楽しいドライブなんて夢のまた夢 ということになります。
「どこでもドア」はドラえもんの専売特許ではなく、インターネットである程度のレベルまで現実のものとなっています。
「どこでもガソリンスタンド」
語呂は悪いが(笑)「よい響き」に聞こえるのは気のせいでしょうか?
誰でも簡単に手に入れられるというワケではありませんが、熱意と努力があれば、確実に手に入るのです。
それも宝くじを買うことと比べれば、比べ物にならない高い確率でです。
時代は変わるにつれ、いろいろなシステムも変わります。
そして、考えの変革は、運命をも変えることができるのです。
多くの人は、 定年後に収入がなくなることを前提として、自分の限りある時間と引き換えに、銀行口座の残高を増やすため、組織のために懸命に働きます。
ですから日本人の一人あたりの貯蓄額は世界でもトップクラスです。
貯金こそが安心につながる最短距離だと考える人が多いからです。
大きなガソリンタンクにガソリンが沢山入っていれば、安心だと思うのでしょう。
しかし小さいガソリンタンクに適量のガソリンで走る車は、とても軽やかです。
貯金は銀行への投資ですが、日本では見返りという利息は信じられない低さに設定されています。
投資でいちばんおいしいところは、銀行へ吸い上げられる仕組みだからです。
それなのに、貯金を続ければ30年後に3000万円が貯まるなどという皮算用をするのです。
そういった計算は確かに大事かもしれません。
誰に聞いても同じ答えが返ってくるはずです。
ですが、生活を少しずつレベルアップすることの重要性を、こういう計算をするひとに限って、過小評価するのです。
30年後に3000万円を貯めることができたとしても、本当にリッチになることができるとは限らないのにです。
生活の楽しみや、家族の幸せを省みず、爪に火を点すようにしてようやく蓄えができたとしても、そうした毎日の生活はリッチと程遠いものでしかありません。
宝くじに当たった人が、必ずしも全員、その後の生活が幸せになるわけではないのは何故でしょうか?
突然今までマネージメントをしたことのない金額を手に入れても、そのお金を生かした使い方ができなければ、そのお金はいずれどこかへ行ってしまうことにな ります。
お金は、お金を生かした使われ方をするところへ集まるという習性を持っています。
宝くじにあたり、突然大金が入ってくると、どうせ棚ボタなんだからと、まわりはその宝くじのお金をアテにするため、トラブルのもとになることが多くなるのです。
ですが、自分の力で少しずつ生活を向上させ、そうして時間をかけて熟成しリッチになった人には、そうした生活にふさわしい人達が周りにいるはずですし、あなたのお金が、宝くじで儲けたお金と同じように扱われる心配は ありません。
周りの人間の嫉妬ではなく、尊敬をも手に入れることができるのです。
宝くじでは、手に入らないものは意外と多いのです。
トレードというのは、自転車に乗るプロセスと似ている部分があります。
最初はすぐにバランスを失って何度も倒れましたが、ある日突然真っ直ぐに走るという体験は、それまで感じていた難しさゆえに鮮烈でした。
そうなると、行く手には何と無数のガソリンスタンドが見えてくるようになったのです。
その当時、補助輪をつけても、なぜうまく走れなかったかという理由は、実はとても簡単なことだったのです。
あまりにもシンプルなために気づかなかっただけなのだということが、今になるとよくわかります。
パイロットの飛行時間と同じで、経験を積み重ねることで、技術はヒタヒタと上達していたため、それが一定のレベルを超えた時点で、突然補助輪がなくても、走ることができ るようになったのでしょう。
一度そうしたバランスを手中にすると、今度は倒れることが、難しくなってくるほどです。
そうなってくると、補助輪なんて邪魔になるだけ。
大きなガソリンタンクにガソリンを一杯に積んで走るのが夢だったあのときのことは、今では懐かしい想い出です。
出典
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