書評でいえば、アマゾンなどのサイトなどで書く場合と同じで、基本的にこれは面白いですよ、といういわゆるヨイショ方向のトレンドで書くというものです。
悪いところには触れずに、いいところだけを探して、誉めればいいわけです。
映画会社の宣伝サイトで評論家が書いているアレです。
こうした書き方の場合、ポイントは誉めるべき点が少なくとも3点、見つけられるかどうか。
3つ以上、平均的な映画より優れていると思った理由があれば、それを素直に書くだけで、説得力のあるヨイショをすることができるはずです。
もし見つからない場合は「何故優れていると思う点を3つ挙げられないのか?」を考えてみることです。
映画の評論では、最初から先入観を持つことなく見る必要があります。
これは大事なことで、基本的には「いいところを3つ見つけよう」という姿勢で書くことです。
特別なケースの除いて、最初から面白くないと分かっている映画を見る人はいないはずで、幾ばくかのレンタル料を払い、あるいは映画館で出向いて、楽しみたいと思って見るわけです。
ですが面白いだろうという期待と、面白さを楽しもうと思って見たにもかかわらず、その面白さが自分の期待以下だった場合は、その理由を考えてみてください。
単に自分が嫌いなタイプの映画だったのか、あるいは出ている俳優が好きになれなかったのかなど、様々な点を冷静になって振り返って見ることで、その理由がわかるでしょう。
面白いと思えなかった理由が3つ見つからない場合、比較的簡単に問題点を3つ上げることができるはずです。
その作品に対して問題を提示する場合は、はっきりとした主張が必要になります。
ただ突拍子もなく思いついた「ある点だけ」をあげつらってもダメです。
なぜなら映画を評論する場合、一つや二つの問題点だけを根拠にあまり強い論調で主張すると、単に「いちゃモン」をつけているようにしか受け取られないからです。
どちらかというと、問題提起をするわけですから、映画を見ていようと見ていまいと、その映画評論を読む80%以上の人が「なるほど」と思うだけの理由を、きちんと書くことです。
映画評論を読む人は、次の3種類のタイプに分けることができます。
その映画を見て面白かったと思う人、見なかった人も含めてどちらでもない人、面白くなかったと思う人、の3種類です。
どちらでもない人、面白くなかったと思う人は、問題点についての意見に対し比較的簡単に賛同してくれるはずです。
ですが、その映画が好きだとか、いいと思った人もいるわけです。
映画の評論で問題を提起する場合は必ず、この点を頭に入れながら書いてください。
その映画が好きだとか、いいと思う人が、その映画の問題点を読んだ場合、どのように感じるでしょうか?
その映画が面白くないという評論を書いたからといって、その映画が面白いと思った人に対して、どうのということとは全く別問題です。
ですが、人は自分が面白いと思ったことを、他の人にも面白いと思って欲しいという本能的な部分を持っています。
そのため、問題点を指摘した場合「反感を持たれるケースが少なくはない」ということを覚悟して書くことです。
アメリカでは学生の時から授業で「ディベート」といういわゆる「討論」の訓練をしていますから、それとこれとは別ということで、主張が反しているからといって、主張をする人に反する感情を持たないのが普通です。
日本人の場合は学校でそうした訓練をしていないため、主張が反していると、主張をする人に反する感情を持つことが多くなりがちです。
ですから自分が感じた問題点つまり「何故そう主張するのか?」という根拠がきちんと書けていないと、読み物としても、またその映画が好きだと思う人に対しても、より説得力がなくなってしまうことになります。
それができない人、書くことによって反感を持たれたくない人は、面白かったと思う映画だけに限定して、書くことです。
逆に言えば、面白かった映画だけではなく、面白くなかった映画の評論を書くことは、書くというスキルを上げるにはとても「よく効く」ことになります。
なぜなら読み手の「見えざる反感」を恐れず、堂々と書くという勇気が必要になるからです。
映画の評論というのは本来とても単純なもので、その映画が好きか嫌いかです。
ですから好きになれなかったのなら、その理由を3つ挙げることは簡単なはずで、当然逆も真なりです。
余計なことを考えずに、シンプルに考え書くこと。
自分の感情に対して素直に、そして真剣に書けば、本来怖いものは何もないはずです。
出典
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