どうしたらはっちさんのように、長い日記が書けるようになるでしょうか?
というご質問をいただきました。
人間は感情の動物です。
勘定の動物という説もありますが・・^^
いきなり冒頭から駄洒落で何ですが、人間って一晩寝ると結構気分も変わってしまったりするものです。
長い日記や長編ものはどうしてもある程度時間をかけて書くことになります。
結構いいデキだと思って書いたものでも、翌日読むと「何だかなあ・・」とぶん投げてしまうことがあるように、気分に任せて書いているとなかなか完成しないことがあります。
どちらにしても、かなり長い日記になると、作業としては文章を書き継ぎながら仕上げるわけですが、こうして書き継ぐときに必要なのが「文体」です。
長距離を走るときは、きちんとした文体というフォームで走ったほうが、タイムもよく、また完走する確率も高くなります。
正しいフォームを身につけるためには、走ってみて自分にとって、いちばん自然で走りやすい姿勢を見つけることです。
早いハナシ、一定のフォームを身につけるには、走ってみるしかないということになるのですけどね。
文章には、作者の視点が含まれているため、当然それが文体にも反映することになります。
たとえば、その日の気分によって一人称を「僕」「私」「俺」などを混在させるとどうなるでしょうか?
文体としてバラバラに感じられることになります。
同じことを書いているうちに、一人称が「僕」と「俺」では、書き進めているうちに、書く内容が変わってくることがあります。
同じように「である・だ」と「ます・です」の違いによっても、変わってきます。
まあ一つの文中で「である・だ」と「です・ます」を混在させてしまうことがありますが、それを統一しようと、「である」で書いた部分を「ですます」に直したりすると、どうも据わりが悪くなったりすることがあります。
「である」と「ですます」のどちらを選択するかによって、表現が揺れ動き、場合によっては書く内容や論旨まで別のものになる可能性があるというわけです。
実際に両方を書いてみると、「です」ます」のほうが難しいと言えるでしょう。
なぜなら肯定文では語尾が二種類しかないからです。
否定文や疑問文である、「・・でしょうか」を混在させたり「・・かもしれません」と混ぜることでバリエーションを増やすことができますが、この日記もほとんどのパラグラフで最後は「です・ます」になっています。
「である・だ」の場合のほうがバリエーションが多く、さらには「少し減っていることが判明。」などのように語尾を切ってしまうというワザも使えますからね。
つまり「です・ます」のほうが単調になりやすいため、内容が面白くないと、より「つまらなさ度」がアップしてしまうという、意外な落とし穴があるわけです。
このように文体が変わることで、内容までもが影響を受けて変わることがあるのですが、ということは、言い換えると文体には著者の「視点の位置」が含まれているということになります。
大げさな言い方をすれば、書き手の世界観までが含まれているともいえるのではないでしょうか。
長い文章を書くために文体を一定に保つということは、どんな気分の日も、常に同じ視点から物を見ようと努力することになります。
そうして書き継ぐという毎日の作業によって磨かれ、次第にはっきりしてくるものが文体となり、その人のスタイルにもなってゆきます。
ひいてはそれが「プレない視点」を持つことも、同時に可能にしてくれるのです。
つまり文体を確立することによって、書き手の視点をも確立することにも影響をするということになります。
ですから、自分の文体を確立したければ、まず自分の限界まで長いものを書いてみることです。
こうして考えてゆくと「自分の色を出す」とか、誰かの文章を写すとか、バクるとか、そういうレベルで文体を考えるというのは、いかにも「アマチュア」的な発想だということがわかってくるはずです。
ジャズのアドリブと同じで、目で譜面を見ているうちはダメで、耳だけで音を聴きながら演奏できるようになる必要があるのです。
つまり考える暇なく、泉から水が湧き出るように、どんどんと書いてゆくというリズムで書けるようになると、感覚的なものが浮かび上がり、読み手にそうした心地よいリズムが伝わるのではないでしょうか。
とにかく何でもいいから最初は自分のチカラでどんどんと書き、苦しくても書きながら感じ、書きながら考えることです。
短文の場合は、短距離走ですから、多少悪いフォームでも最後まで走り抜けることができますが、毎日コンスタントにコラムを書く場合などには、やはりよいフォームが必要になってきます。
水泳と同じで長距離を泳ぐには、よいフォームでなければ泳げないし、泳いでいるうちに正しいフォームになってくるのです。
こうしたアプローチで、書く速度も早くなり、自分の中での最高速をコンスタントに保つことができるようになります。
本を書く場合などは、文章の長さに制約があるため、全体の長さの感覚をフィードバックすることで微妙に文体を整えて書くことが要求されますけどね。
いずれにしろ、文体は自然にできあがるものですから、あまり考えすぎる必要はありません。
千本ノックで鍛える。
まずこれです。
出典
2006年12月16日