「また読みたいと思ってもらえる日記を書く」という返事になってしまうわけですが 、それだと、あまりにも抽象的ですね。
というわけで、日記を書くときに心がけている点を中心に、できるだけ具体的に書いてみることにします。
まず自分の日記が面白いかどうかを、何を基準に判定すればいいのか?
ここが最初の難関になるでしょうか。
手がかりとしてmixi では「コメント」の数を参考にされる方もいらっしゃると思います。
「コメントが多い=面白い日記」と判定したくなるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。
mixi へは招待というカタチで参加されていますから、アンチな意見は表面に出てきにくいという特性があります。
いわゆる知り合い同士のため、コメントはどうしても「基本的には同調するコメントをできるだけ残す」ということになりがちです。
コメントが多いのは「コメントが書きやすい」ということにはなるでしょうが、だからといって面白い内容かどうかという点については、また別のことだと思います。
面白いかどうかというのは、むしろ足あとやアクセスの数で計った方がいいでしょう。
私の mixi の日記で言えば、コメントがたくさんつくのは書き込みやすいエンディングであったり、書き込みがしやすいテーマの場合です。
ですがだからといって、その日の足あとの数が特に増えるわけではありません。
コメントがない日記の日も、その翌日も「足あとの数」というのはほぼ同じで一定しています。
ということはコメントの数は余り気にしない方が、気分的にも安定して書き続けられるような気がします。
つまりコメントの数で日記の方向や書きたいことを決めるのではなく、自分なりに何かひとつにテーマを絞り、書きたいモノを書くのがいいのではないでしょうか。
まあこれは私の日記によるリサーチによる勝手な推測ですから、そのつもりで読んでくださいね。(笑)
新着日記をランダムに読んでみればわかりますが、はっきりとしたテーマで書かれた日記というのは、意外と少ないものです。
ということは、はっきりとしたテーマを設定し、そこを絞り込むことを意識して書けば、目立つということになります。
ではテーマをはっきりさせるためには、具体的にどうすればいいのか?いうこと なのですが、テーマを決めるというのは、言い換えれば「何を書いて何を書かないかと」いうことなのです。
要は「いらない部分は思い切って書かない」ということです。
たとえば小学生の作文というのは、ほとんどの場合このテーマがないため「昨日は家族と一緒にティズニーランドへいってきました」というところから始まり、自分の身の回りで起こったことを書き連ねる ことになります。
ただそういう日記が大体どのように展開するのかということは、そこにいなかった人でも大体わかってしまうわけで、意外性という面白さという部分は、スッポリと抜け落ちてしまうわけです。
何故人の日記が面白いと感じるのかというと、自分とは違う価値観や観点で、違った世界に触れることができるという「意外性」があるからなんですね。
またそうした文章は、無駄で邪魔になる部分が絞り込まれ、贅肉がそぎ落とされているため、とても読みやすく感じるもので す。
ですがこれは「文を短くする」ということではありません。
シェイプアップされている文章は、描写が鮮やかで面白く感じますから、一気に読める わけで、文の長さは、おもしろさとは関係ないのです。
面白いハナシというのは、むしろ長くなるものなのかもしれません。
短くてもつまらない文章は退屈で、結局は読み飛ばされてしまうのです。
良くあるパターンとして、たとえば家族との旅行や誰かと会ったということを書く場合を考えてみましょう。
書く本人にとっては、ただ起こった出来事を並べるだけで、その場面を思い出すことができますから、どうしても他の人も面白いと思いがちです。
ですが読み手はその場にはいなかったのだ、ということを忘れないことです。
書き手が感じていた面白さというのは、ただ起こった出来事を並べただけでは、伝わらないものなのです。
そこでテーマを明確にして、さらに描写も絞り込むわけです。
言い換えればあるシーンのどの部分を切り取って見せるのかをはっきりさせ、シンプルに表現すればいいのです。
「どこを省くのか?」という、いわゆる「切り捨てる部分」を明確にし、描写を単純化させることで、日記の切れ味がシャープ になるはずです。
最も簡単で効果的な方法は、どこに焦点を当てるのかを、はっきりさせること、つまり映画と同じで、主人公を誰にするのか? を決めることです。
多くの場合、えてして「そこにいた全員」を主人公にしてしまいがちです。
そうなると、人物を追う目線が複数になるため、どうしても焦点がボヤケてしまいます。
焦点を当てるのが、店なのか、料理なのか、一緒にいた誰かなのか、自分なのか、という点を明確に絞り込んで書くことです。
これで日記はグンと面白くなるはずです。
また、ほとんどの人は自分を主人公にして書きたくなるようですが、主人公は第三者にした方が、断然面白くなります。
主人公を第三者にすると、書き手であるあなたの目線を通して、その主人公を見るという味つけを、読み手は楽しむことができるからです。
ですが自分を主人公にしてしまうと、主観的な自分の思惑が紛れ込みます。
これが面白いと感じるケースというのは、いわゆる有名人とか著名人が書くいわゆるエッセイのようなものに限られるのです。
というのはそういった著名人に対して、私たちは一定のイメージを持っています。
そのイメージと、本人の書いた主観的な思惑のギャップが、面白さになるからです。
ですから、読み手が持っていたイメージと違っていたり、予想通りだったなどという点がはっきりとしている ほど、読み手は楽しむことができることになります。
ですが、いわゆる普通の書き手が主人公だと、読む人にとっては、比較対象となる書き手のイメージがハッキリとしていないため、あまり面白く感じられなくなるというわけです。
それに自分はこうなんだ、こう考えているという書き方は、論文などには適しているのですが、読み物を楽しみたいという場合には、押しつけがましく なりがちです。
というのは「自分はこうなんだ、こういうイメージの人物なのだ」ということを自分で書くと、人は本当にそうなのかと、考えてしまうものなのです。
人は考えなくても、いいものや本物に出会ったときにはわかるものなのです。
ですからそこを信じ、そこに働きかけることです。
第三者やあるものの描写を通して、書き手の考え方や感性を、間接的にそして、ジワジワと伝わるような書き方をした方が、読み手の心に伝わりやすいのです。
手前味噌で恐縮ですが、具体的に例を挙げると「忘年会」では「抱負」をテーマにしているため、行った先のレストランのことには全く触れていません。
店や料理の事は切り捨てるかわりに、「抱負」をテーマにしているからです。
自分の抱負については、最後に少しだけ触れてはいますが、一貫しているのは「抱負」というテーマで構成されているという点です。
またテーマを絞り込むというのは、逆に書きたいことを「はっきりさせる」という利点があります。
これは映画評であっても、レストランガイドであっても同じことです。
それができるようになれば、あとは絞り込みの案配で、おもしろさの質を調節できるようになるはずです。
明るいレンズは、絞りを開くことで、暗いところでもブレずに撮ることができます。
逆に明るいところでは、絞ることによって、よりピントの合ったシャープな映像を撮ることができます。
そう考えると「書く」というのは、写真を撮ることと似ているのかも知れません。
ですから日記に掲載する写真についても、上で書いたことと同じように考えればいいと思います。
じゃあ面白い写真を撮る人が、面白い文章を書けるかというと、それは手法と技術の問題が絡みますから、一概にそうとは言えないと思いますけどね。
と最後は、絞りを開き気味に、ボカしてみました。(笑)
出典
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