世の中では毎日、厭な事件や出来事が頻発しています。
ニュースばかりを見ていると、精神的に何らかの影響を受けることになります。
それも悪い方向へです。
またそうした世の中の変化に対応できないと、自分を守るため、勝手な思考や行動を正当化するようになります。
そして、将来への不安が頭をもたげてくるのです。
それが、自分には夢や希望もない・・という思い込みへと繋がってゆきます。
将来への夢を持つ。
これは毎日を幸せに過ごすうえでとても大事なことです。
ですが大事なのはその中身です。
子供ならいざ知らず、大人になれば夢物語ではなく「実現の可能性が高い夢」を持てるはずです。
人は「夢を抱く」ことで限りなく強くなれる、生き物なのです。
これは、歴史が証明しています。
映画の持つ根源的な魅力は「夢を持つ」という感覚を、映像を通して疑似体験できる、という点にあります。
ですから映画の好きな方は「夢」の持つパワーは、想像を超えるチカラを持っていることを、実感されているはずです。
逆に、夢がないとどうなるでしょうか?
人を無力にし、あるいは限りないネガティブな妄想へと追いやり、死をも恐れぬ絶望へ追いたてるのです。
ですが夢は、会社や社会から与えられるものではありません。
もう25年近く前のことです。
東急ハンズの前を歩いていたら、あれは多分アメリカ人の女性だったと思いますが、歩いている人へ何やら聞いているのです。
ですが、みんなそのアメリカ人を避けているのです。
これは何かの、勧誘か何かだろうか・・
と思っていたら、そのアメリカ人がつかつかと寄って来たのです。
そして流暢な日本語で、「あなたの夢は何か教えてください」と、いきなり聞かれたのです。
まさに「意表を突いた」質問でした。
「夢ですか?」と聞き返し、夢を話しました。
何やらメモをしていたようですが、それ以上詳しいことを聞くでもなく、「ありがとうございました」と答え、私から離れ際に、にっこり笑いながら一言。
「あなたの夢はきっと実現しますよ」
不思議な体験でしたが、ちょうどその頃、確かカーネギーの本を読んで、すっかりその気でいた頃でした。
そのため私の夢は、手帳にしっかりと書かれていたのです。
それも年収から、生活から、かなり具体的にです。
「あの時ボクは、若かった・・」という歌がありますが、そういういきさつで、このアメリカ人の「ハンズ前奇襲攻撃」にも無事答えられたというわけです。
今でこそ、この具体的な夢を持つことは、大事だということを実感できるのですが、その教訓?から学んだことがあります。
それは自分の夢を現実化するためには、その目標をできる限り具体化しておくことです。
仮に、自動車ディーラーへ行き、「自分がカッコよく見える車が欲しい」とセールスマンへ聞いたとします。
ですが、それだけでは、いくら経験豊かなセ―ルスマンといえども、答えに窮するはず。
自分は、速い車が好きだし、運転するのが楽しい車が欲しい。
といえば、セールスの人はすかさず、それじゃ「フェラーリなんぞはいかがでしょうか」というように、ハナシが進展するでしょう。
「でも、ちょっと予算が・・」というように展開できるワケです。
こういう物質的なものだと、夢を求めるのは比較的ラクですが、想像するという「イマジネーション」のパワーは、ハリウッド映画と日本映画の違いを見ると、歴然としています。
具体的なイメージを持つ。
それも前向きに、想像するというのは、アメリカ人に比べると、日本人は不得手です。
具体的な夢のため、今日はこうしようという、その毎日の積み重ねこそが、夢を実現するのです。
あきらめるか、諦めないかというのは、言い換えれば、このように毎日続ける事ができるかどうかなのです。
少しずつの積み重ねはやがて、5年後あるいは10年後のあなたに、劇的な変化をもたらすのです。
レースを始めた頃は、他人と競争することで、自分の速さを知ります。
しかし走り続けていると、相手は2番手以下の他のレーサーという他人ではなく、自分の記録や、自分の目標へと変わってゆくはずです。
自分と向き合う姿勢へと変わってゆくのです。
自分はどこへ向かって走っているのだろう・・
とふと思った時こそが、自分と向き合う大きなチャンスなのです。
ですが、そのためには目標が必要になります。
ですが自分と向き合うことに、ムキになってはいけません。
本末転倒です。
夢を見つめる眼差しの熱さと、その状態を継続させる努力が、夢を引き寄せるのです。
そのため、向きあっているうちに、だんだんと幸せな気分になってゆきます。
今まで夢と向き合うことなんてなかったからなあ・・などという心配はご無用。
大丈夫。
夢を抱くのに遅すぎるということはない、というのが、夢の素晴らしい点です。
あなたの夢は何ですか?
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