人は誰もが、自分の「内に宿る神」を持っています。
そうした自分の境遇に感謝の気持ちを持てるようになれば、毎日が幸せに過ごせるようになります。
なぜなら、幸せ度は外的な原因や自分の所有しているものによって、左右されるものではないからです。
もしそうなら持っているモノのが増えるにつれ、どんどん幸せになってゆくはずなのではないでしょうか。
欲しいモノが買えない。
そういう人は、幸せではないのでしょうか?
では、深く眠っているときというのはどういう状態でしょう?
自分の身体を含め、所有しているものは何もない状態のはずです。
幸せを感じる夢の中では、モノを持っていないにもかかわらず、幸せを感じることができるのです。
なぜなら睡眠中というのは「肉体を持たない、精神だけの自分」でいる状態だからです。
人が死ぬと、現世の所有物は肉体も含め、すべて置いてゆかなければなりません。
モノというのは、いつかは必ず捨てなければならない宿命なのです。
にも関わらず、人はこうしたモノのため、あるいはお金のために、他人からモノを奪い、他人を傷付けるのです。
人はモノが無いという状態を、不幸だと錯覚してしまいがちなのです。
ですが金が無い、仕事が無い、恋人がいない、結婚できない、ということが、本当に不幸なことなのでしょうか?
もし、これを不幸だとするなら、この状態と逆になれば、幸福になれるものなのでしょうか。
金持ちで仕事があり恋人がいる。
あるいは結婚して子供もいる。
というように全てが叶えられても、幸福には感じられないことがあります。
なぜなら、モノを所有するにつれ、別の問題が浮上してくるのが、この世の習わしなのです。
幸せかどうかは、心の問題で、すべては脳にある考え方に依存しているのです。
モノの中に、幸せはありません。
テレビのCMや通販を見ていると、あたかもそのモノを手に入れれば、幸せになれるかのような、錯覚に陥ることがあります。
小さな子供が、無一文の裸でも、嬉々として走り回るのは何故でしょう?
子供は成長するにつれ、自我が大きくなります。
すると、オモチャが無い、お菓子が無い、と不幸に感じ始めるのです。
肝心なことは、モノを味わうための心、気持ちなどの「精神」なのです。
すべての不幸の原因は、毎日を過ごせていることに対し、それが当たり前だと錯覚することから始まるのです。
人が生きているということは、ありえない奇跡の連続から生まれているのです。
科学者は生命を追求すればするほど、「奇跡」としか表現できない体験をするといいます。
そのため真に優秀な研究者ほど、無神論者から転向し、信仰を持ち始めるのです。
NASAの宇宙飛行士の多くは引退後、神父になる事が多いのはそうした理由からです。
こうした考え方が身につくと、今まで気付けなかった、様々な「有り難さ」に気がつくようになります。
そして自分の心に、安心と感謝の念が湧き起こり、自然に安定した気持ちのままで、様々なことに集中することができるようになるのです。
幸福は本来人の中に備わっているのに、考え方と気持ちの持ち方で、それを感じることができなくなってしまいがちです。
環境やモノなどの外的な原因によって、幸福度が高くなったり、不幸になるのではありません。
人間に生まれつき備わっている純粋な幸福感は、一人一人の心の中にあるのです。
こうしたことを時に触れ、意識することによって、物が溢れ返っている世の中で雑念を抱くことなく、毎日を過ごすことができるようになるのです。
自分の心を、どの位置に置いて、この世界を見るのか?
その見方によって、景色は大きく変わってゆくのです。
ある人は、「この世は監獄だ」と言い、別の人は「この世は美しい世界だ」と言います。
全く同じものを見ているのにもかかわらず、これだけの違いが生まれるのです。
このように同じ今を生きていても、このように、どう考えるかによって、世界は違って見えるのです。
目の前に見える光景に、騙されないことです。
見える光景よりも、遙かに大事なことは、自分の心が「今」どんな状態にあるのか?です。
怒り、悲しみ、心配は自分が今見ている景色の、どこに視点を置いているのかによって生まれるのです。
多くの人は、自分の心の状態を意識することなく、目の前に見える景色を優先して生活しています。
毎日を幸せな気持ちで過ごすには、自分の心の状態がどうなっているのかを、折に触れ意識することです。
そうすれば、相手の嘘も見えるようになります。
そうした心持ちで毎日を過ごしていると、それはやがて奇跡を生み、同時にあなたの見える景色も変わってゆくはずです。
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