さて肝心の記事の評価だが・・
毎月モーター・ジャーナルを購読している俺の目には、まさに別世界のことのように映ったのだった。
車雑誌が売れなくなる理由で書いたように、こうした有料メルマガという選択肢の幅が広がって以来、本屋でカミの媒体を買うことはなくなってしまった。
というわけで、普通なら、要点をまとめて書くところなのだが、モーター・ジャーナルの記事の場合、そうはゆかないのが辛いところ。
なので、該当するであろう部分を引用させていただくことにした。
オリジナルは非常に読み応えがあるので、気になる方は、沢村慎太朗 FMO を購読されてみてはいかがだろうか?
1990年代中盤にメルセデスが行った大転換で、ベンツはそれまでの哲学を捨てたことは、今さら何をの既知事項だろう。
では、その革命的転換のあとベンツはどういうクルマ作りをしてきたのか。
この20年間に彼らが目指してきたのは、たぶんこんなことだ。
クルマの根幹エンジニアリングは、これ以上の大進歩はしないと彼らは見た。
だから開発に必要以上のコストや人手を掛けないようにする。
その代わりに二次的だったり付加的だったりするシステムの発明や開発には力を入れる。
そうしたシステムは有用であれば商品性を高める切り札になり得る。
また、そうしたシステムの開発にはコストも時間もが掛るが、いったん出来上がってしまえば、モノを作るのにはさほど多額のコストは要らない。
しかも、それらはオプション扱いになるから客からお金が取れる。
根幹エンジニアリングにカネを掛けてしまえば、最廉価グレードを生産するにもコストが要る。
しかし、付加デバイスにカネを掛けるぶんには、オプション代でお客からカネを利益を乗せて取り戻せる。
高利益体質を目指すには好適である。
こうして、ベンツは世界中の他社を圧倒した金庫のごとき車体や8重構造のシートは昔の伝説として過去に置き去ってしまったのだ。
その代わり電制サスや先進の安全システムなどを武器にすることにしたわけだ。
旗艦たるW222系Sクラスは、車格も売値もその方策を徹底的に施行するには最適の材料だ。
だから最近のベンツは、持てる限りの付加デバイスをこれでもかと盛り込んでいる。
W222系Sクラスは、自動車としての根幹エンジニアリングの凡庸は水面下に潜ませ、水面上にひしめいて浮く付加デバイスでお客の気を引くという作戦だ。
もうベンツは、あのころのようなベンツは作らないだろう。
ベンツは目に見える現世利益に細かく値札を付けて、そこで商いをする会社になった。
クルマ屋でなくアプリ屋になったのだ。
そしてSクラスの次にメルセデスはCクラスをデビューさせた。
では、ベンツ流の付加価値を取り除いたとき、W205系は佳いクルマだったのか。
というと、その答えは微妙だ。
W201系190は、自動車史上に間違いなく永遠に残るであろう傑作セダンであった。
また創立以来ずっと小型車で失敗を重ねてきた大艦巨砲主義の彼らとしては、唯一の成功作がW201系であり、その唯一が史上に残る名作となったのである。
そして、この3シリーズ迎撃機は、Cクラスと名前を変えつつW202系、W203系、先代W204系と代を重ねて、宿敵BMW3シリーズと、そして世紀の変わり目に参戦の名乗りを上げてきたアウディA4をも交えて、プレミアムDセグメント商圏で火花を散らしてきた。
だが、ではCクラス歴代モデルが3シリーズを完全に打ち負かすことができたかと言えば、公正に見てそうとは言えなかった。
走りのダイナミズムを前面に押し出すBMWに対して、Cクラスはドライバーの過誤に対してそれを鷹揚に飲み込む懐の大きさを基盤にするメルセデス・ベンツ特有のシャシー仕立てをされた。
それがゆえに、非常に分かりやすい商品である3シリーズに対して端的なアピール度で後れを常にとっていた。
とりわけカンパニー・カー制度がある欧州市場では、商品イメージの落差は大きかった。
現役時代にEクラスを会社に与えられ、引退後に自費でCクラスを買うという消費行動パターンがお馴染みになり、そのイメージからCクラスは定年退職者のクルマという、あまり有難くないイメージで見られることになってしまったのである。
この状況を打破すべく開発されたのが先代W204系Cクラスだった。
W204系は、あからさまに3シリーズを意識して、アジリティ(俊敏性)をキーワードにクルマを仕立ててきたのである。
そして、W204系で叩きつけた挑戦の第二幕が新型W205系Cクラス。
今回も掲げる主題はアジリティである。
確かに、仕上がりが甘いBMW3シリーズや、すでにメカニズムの仕上がりが古い感じになっているアウディA4と比べれば、それらを横目に開発されて生まれてきたばかりのW205系Cクラスには間違いなく優位があるわけだ。
そしてシャシーやエンジン駆動系にこれと指摘できる瑕疵は見当たらない。
だが、3シリーズやA4や、はたまたレクサスISやスカイラインに比べて圧倒的かと言えばさに非ず。
そのアドバンテージはちょっとした跳躍で追いつかれてしまいそうな程度だ。
ライバルとの差は、購入者が相応の資金を拠出してデバイスの物量投入を甘受したときに初めて得心が行くものになるのだ。
こういう商品を、現時点で3シリーズやA4と比べて、「新型Cクラスは佳いクルマ」と言ってしまうことに躊躇を覚える。
かつてW201系190は、素の直4SOHCでもじゅうぶん圧倒的に傑作だった。
その上で、直6エンジンやDOHC4弁化した直4と上を望めば、さらなる傑物になって行ったのである。
W124系Eクラスもそうだった。
しかし、W205系Cクラスはそうではない。
おまけに、日本仕様のW205系には、物量投入の一環でありつつも逆効果としか思えない付加デバイスが強制的についてくるのだ。
電制可変ギア比ステアやランフラットタイアだ。
前者は、レーンキープなどのハイテク運転支援機能や自動縦列駐車機能との兼ね合いで必要なのだろう。
だがこれらがオプション扱いになるのならば、電制可変ギア比ステアリングも一緒にオプションにすればいいではないか。
運転モード切替などという余計な玩具をつけるなら、通常運転時に操舵ギア比の増減速を完全にカットするモードを仕込んでほしい。
こうした問題は、本質的にはメルセデス・ベンツ本国の開発部門の咎でもあるが、日本法人において仕様設定を決めているマーケティング部門の責任でもある。
少なくとも廉価を打ち出したいC180には、電制可変ギア比ステアやランフラットも外して更に定価を下げる手もあったのではないか。
もり蕎麦やかけ蕎麦がなくて、天ぷら蕎麦や山菜蕎麦しかない蕎麦屋があるものか。
フランス料理レストランならばフルコースだけという商いもあるだろう。
しかし、これはDセグメントである。
プレミアムの接頭辞がつくとはいえ、Dセグメントであるということは贅沢品ではなく実用車だ。
立ち食いではない老舗名店の蕎麦屋くらいの商売だ。
だとすれば品性を疑われる商いの仕方である。
浅草は並木の藪にも、池之端の蓮玉にも、もり蕎麦はある。
そして、その旨さで、名店の誉れが伝聞によって膨れ上がった幻ではないことを教えてくれる。
そもそも、こうした店で天麩羅蕎麦を注文するのというのは、もり蕎麦で味わう旨さを飽きるほど知り尽くしたリピーターの気まぐれか、あるいはアレコレ乗っかっているもののほうが上だと単純に信じ込んでいる成金根性のどちらかである。
加えて、デビューして間もないW205系には、まだ仕上がりの粗さがあれこれと目につく。
おそらくメルセデス・ベンツのことだから、伊仏メーカーとは違って年次改良あるいはそれを待たずに短いスパンで玉成の作業をしてくるだろう。
つまり待つほうが吉ということだ。
だから、仮にCクラスにアテンザのディーゼルが2台買えるほどの札束を投じても構わないと考えるひとがいたとしても、急いでW205系Cクラスを買うのはどうかと思う。
これがポルシェやフェラーリなら、あるいはSクラスなら、多少の仕上がりの粗さに目をつぶって、登場したばかりのニューモデルを乗り回す晴れがましさのほうを優先する選択もあるだろう。
しかし、これはただのCクラスだ。
隣りに並んで横目で羨ましがるのは、先代W204系に乗る小金持ちのオバサンくらいのものだろう。
おれならばアテンザ・ディーゼルにする。
アテンザ・ディーゼルならば、抱き合わせで買わされるのはMT仕様を選んだときの19インチくらいのものだ。
正気ならば絶対にそうするだろう。
なんたる違いだろう。
スポンサーから金を貰っている商業雑誌と、読者からだけの購読料で成り立っているメルマガとは、これだけ違うのだ。
ここでは取りあげていないが、Cクラスも3シリーズも、シートに対してステアリンは、最新モデルは、何とポフセットしたままで放置されているのだ。
みんから メルセデス・ベンツ Cクラス(総合) > ハンドルセンターとシートセンターがオフセットしている
WEB上の試乗記で、このことに一言でも触れた記事が一本でもあっただろうか?
知らぬは読者ばかりなり。(笑)
メルセデス・ベンツ C180 アバンギャルド MOTOR DAYS
おまけ
CLA250 4マティックは、かなり芳しくないクルマだった。
C180アバンギャルドも諸手を挙げて推せるクルマではなかったが、こちらよりはずっと得心できる自動車である。
もしも、ディーラーで両車を乗り比べたら、確実にW205系Cクラスが佳いセダンに思えるだろう。
そこまで計算していたとしたら、恐ろしい深謀遠慮ではある。
まさか、そこまで考えてはいないだろうと思いつつ、試乗車を引き渡す前にCLA250 4マティックの姿をあらためて眺めてみた。
そこから漂うのは、作り手が真面目に作っている感じの絶無。
遊び心の派生車種という企画骨子の元に、守るべき一線を逸脱してしまった感がそこにはあった。
2014年、買ってはいけないクルマのこれは最右翼である。