一年前には何を書いてたんだっけ?と過去ログを見ていたら、ウンモ星人事件を発見。
続く・・と書いてあるが、そのあとの続編が見つからず。
たぶん、すっかり忘れていたのだろう。(笑)
というわけで、続編であります。
いわゆる宇宙人モノの本というのは、世の中に「ごまん」と存在する。
私はこの手のハナシが好きで、1992年の渡米の前にはすでに、宇宙人というのは、存在すると漠然と考えていた。
もちろん確たる証拠があったわけではない。
死ぬと天国や地獄へ行くとか、いやそれで終わりだ、などと、今の人間の知恵や科学では解明できないことは意外に多い。
だから、これはと思う本を何冊か読んでみるしかないわけだ。
アメリカに住んでいるときは、結構時間があり、こうした本が結構好きなこともあって、普通の人より数多くのこうした関連本を読んできたが、膨大な文字列を読むうちに、何となく共通するものがあることに気づくことになる。
証拠や確証がないのに、何故そう思うのかということになると、アタマにインプットされたそうした漠然とした知識に加え、自分の体験と照らし合わせることになる。
今の時代だからといって、ネットで検索しても、宇宙人は実在する!? 世界のUFO事件簿 5選 などといった断片的な情報はあっても、真面目に検証し、なるほど、と思えるものは意外に少ない。
そのため人の意見というのは、この手の話題に関しては、全く参考にはならないといっていいだろう。
私の好きな Kazumoto Iguchi's blog では、すでに2009年に取りあげられている。
そして最後には「これをだれかのいたずらだろうとか、何か悪ふざけだろうとか、まったくの創作だろうとか、いろんな見方はできる。
しかし、こういった内容を自分なりにチェックして自分の頭で考えて行くというのも大事であろう。私はそう考える。」と、なるほどなコメントが添えられている。
人間は年齢を積み重ねるにつれ、多くの経験を積み、また周りの友人達の生き様というデータベースが積み上がってくる。
そうすると、それなりに何となく、そうではないかな?という仮説が、浮上してくるのは、ある意味自然なことなのだと思う。
オレの場合はだけどね。
ウンモ星人事件を書いたついでと言っては何だが、もう一つ、面白く興味を惹かれたのは、クラリオン星人事件。
グーグルで検索すると、何とオレのブログが上位で表示されるではないか?(笑)
検索しても、クラリオン星人の暮らしとかがヒットするくらいで、こうしたことを扱っているブログが、それだけ数が少ないという証でもあるわけだ。
だからといって、ここでクラリオン星人のことを書き出すと長くなるので、ハナシはここで端折ることにする。
で、ウンモ星人事件に戻るわけだが、何故このブログでこれを取りあげたのか?
「宇宙人ユミットからの手紙」を翻訳された中島弘二氏が、訳者あとがきを読んでいただくのが、説得力の点からも、ベストだろう。
ということで、下記に引用させていただく。
引用ココから ↓
宇宙人からの手紙だって?
タイトルを見て大方の読者は首をかしけるところであろう。
かく言う訳者の私だって、最初に徳間書店からこの本を紹介されたときはにわかに信じがたい思いであった。
とはいえ著者は当時CNRS(フランス国立科学研究庁)の主任研究員である。
押しも押されもせぬ宇宙物理学者である。
とにかく読んで見なければ・・
そうか、一応は納得がいった。
手紙とは宇宙人を自称する存在がスペインでタイピストを雇い、口述筆記させて何人かのスペイン人に普通の手紙として郵送したものである。
地球に飛来できるほどの科学レベルに達した生命体がいるとしたら、地球の諸言語聞を覚えるくらいは訳もなかろう。
手紙には地球では思いもつかないような事柄も含め、高度な科学の展開が、理路整然と述べられていた。
たまたま受取人になった人たちは訳がわからず、オカルト的な人物が中心となってお経のように読み上げていただけだったのだが、ある日、宇宙船飛来の予告が舞い込んだ。
そしてしばらくするとマドリッドの郊外にUFOが舞い降りたとスペイン中が大騒ぎする事件がおきて、ことはにわかに具体性を帯びた。
こうなるともう、いたずらや冗談で片付けるわけにはいかない。
科学者の解明が必要だ。
やがて手紙の一部はスペイン語からフランス語に訳され、そのコピーがプチ氏のところに回ってきた。
彼は一読して愕然とした。
彼自身が最先端と自負していたMHD((磁気流体力学) 応用の高速推進装置が将来どのようなものになりうるのか、具体的に説明されていたからである。
しかも一番の難題である強大な電力を生みながら、空中に生じる衝撃波をいかに消すかということについても、独創的な解決が明示されていた。
なるほどこれならUFOの目撃証言も説明がつく。
空飛ぶ円盤がUnmmoという何光年も離れた惑星から地球に直接飛んでこれたのは、宇宙が双子構造になっており、われわれの知る宇宙の反対側では光速度を限界とするアインシュタインの相対論が通用しないからだそうである。
プチ氏は夢中になって、しかし科学者としては冷静沈着に手紙の内容を分析、理論化し、数学的な証明をすることに心傾けた。
そして巻末資料にも一部添付してあるが、科学アカデミーをはじめとする一流の学会誌に次々とその成果を学術論文として発表していった。
その一方で、論文をベースにして本書のような一般読者向けの著作も統々と刊行し始めたのである。
れっきとした科学者が、大真面目でUFOを論じるなんて:もちろんフランスの科学界は非難轟々の騒ぎになった。
なぜそんな男が大学教授以上に名誉ある主任研究員の職に居座り続けるのか?
だが科学研究庁は手も足も出せなかった。
何しろ彼は非難する同僚以上に立派な業績をつくり、その論文を裏づけに執筆しているのだから、阻止するとなると言論の自由を侵すことになってしまうのだ。
私が本書の翻訳を通じてプチ氏と知り合ったのは、その頃である。
彼は門外漢の私を気持ちよく受け入れてくれ、ユーモアたっぷりに、しかしとうとうたる熱弁を振るった。
話は尽きなかった。
1920年代に遠洋漁船から発せられた強いモールス信号がたまたま宇宙にさまよいだした。
それが事の発端である。
それをキャッチした惑星ウンモの住民ユミットは、色めき立った。
すぐさま探検隊が組織された。
宇宙の双子構造を使えば、何光年の距離もなんでもない。
早い話、歩くところを地下鉄に乗るようなものだという。
戦後まもなく地球に到着して以来、彼らは定期的に滞在し、少しずつその存在を知らせようとした。
維かにユミットのテクノロジーは人間削れしている。
彼らから見ればわれわれは類人猿程度の存在に過ぎないだろう。
直接のコンタクトは不可能だ。
予備段階から徐々に進まなければ、類人猿なりの文明は崩壊してしまうだろう。
だから最初は姿を見せず、普通の手紙なのだ。
これなら地球の誰に当ても確実に届く。
手紙が来ても悪い冗談、だと捨ててしまう者、理解できずに無視する者、そしてコンタクトが中断されるのを恐れて誰にも言わずにいる者を含めたら、世界中でどのくらいになるだろうか。
スペイン人だけは話をまともに受け取るし、おしゃべりなのだろう。
プチ氏自身フランス語の手紙を受け取っているが、すべてを公表しているわけではない。
残念ながら私は受け取ったことはないが、日本人にも出したことがあるとユミットは言明している。
手紙の内容は本書に紹介されているとおりだが、もちろんこれですべてではない。
宇宙論、超テクノロジー、形而上学の真の意味、などはもとより、言語と恩考のあり方、地球における彼らの体験、惑星ウンモの歴史、人類史の隠された真実など、とても一人の人間が、たとえダビンチのような天才をもってしでも考えられるようなものではない。
しかも1962年以来つい最近に至るまで、彼らの説明する科学は内容的に寸文の狂いもなく、常に一貫しているのだ。
その問の地球での科学の変化、もしくは進歩を考え合わせると、まさに恐るべきことではないか。
ひょっとしたらわれわれにわかりそうな初歩的なことだけを小出しにしているのかもしれない。
それでもいまだ解明しつくされていない点は多々あるのだ。
各国の科学界は秘密裏に興味を抱き、ひょっとしたら自分の発見のように見せかけて発表している可能性もある。
本書ではサハロフに言及があるが、ほかに説もいないとは限るまい。
各国の秘密警察が暗躍している気配も濃厚である。
ユミットの手紙は、反響が大きければ今後もこの文庫シリーズとして続刊の予定である。
手紙のメッセージに耳を澄ますことは、現在まさに危機に瀕した地球を救う手がかりになるかもしれない。
われわれの今後進むべき道は、環境との共生と同時に、科学の発達をいかに人間の幸福に結びつけるかということのはずなのだから。
だが科学の否定的な面も知っておかねばならない。
最近になって驚くべき事実が明るみに出た。
アメリカでは手紙とプチ氏の論考に発想を得た秘'街の新兵器がすでに開発済みだというのだ。
それを知ったプチ氏が著した『アメリカが盗んだ宇宙人ユミットのプラズマ科学」(仮題)は、日本でも年内には徳間書庖より出版の予定になっている。
2007年1月 中島弘二 訳者あとがき
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