メンテナスとチューンアップで、ほとんどの人が「心配をする」という習慣を身につけてしまっている現実について書いた。
だが、そういう考え方は、今すぐアタマの中から一掃することができるのだ。
なぜなら、誰でもすぐにできるからだ。
とはいっても、習慣化したクセはなかなか取れないだろう。
だが、心配する必要はない。
ここにとても良い方法がある。
それは心配し始めた瞬間、現在進行形に置き換えてしまうという方法だ。
たとえば、今月5万円足りない > 5万円が手に入るところだ > (幸せ)
と置き換えてしまえばいい。
大事なことは、心配と同じ強さ以上で、置き換えるという点だ。
「今月5万円足りない」と心配する強さより、「5万円は手に入る」と「思い込む強さ」の方が強くなければならない。
つまり「心配する」強さの上から、思考を上書きするとき、「5万円は手に入った」と「思い込む強さ」の方が勝っていないと、「心配」が透けて見えてしまうのだ。
幸せのルールで書いたように、長年擦り込まれてきた、恐怖心と欲という概念から、自分を解放するには、これはとても大事なポイントなのだ。
人間の想像主は、心の中で願うだけで、どんなモノでも願った物質を瞬時に目の前へ作り出す能力を持っている。
だが我々の場合、少し時間がかかるのだ。
これには個人差があり、数時間から数ヶ月と結構な幅があるのだが、決して諦めてはならない。
このサイクルを身に付ける時に忘れてはならないことがある。
それは、ネバー・ギブアップ・ネバー・サレンダー、という信念だ、
それが、あなたに真の幸せをもたらすのだ。
なぜなら人生の本質は「意志の強さ勝負」が生み出すのだ。
このことを忘れてはならない。
たとえばトレーディングでも、この方法は非常に有効だ。
まず最もやってはいけないこと。
それはエントリーする前に、負けたらどうしよう?、負けるかも知れない、と心配することなのだ。
負けたらどうしよう? > 負けるという事実を創り出したアトの処理を、具体化している行為。
負けるかも知れない > 負けるという事実に直面したときの心理状態を着々と準備している行為。
こういうことを常に考えていると、現実にそういうことが起こってしまうのだ。
なぜならアタマで考えたことが、現実化するというプロセスそのものだからだ。
では何故、勝ってしまったらどうしよう?勝ってしまうだろう。
と考えられないのか?
それはできなかったときの恐怖心が植え付けられているからだ。
多くの人間を使って、自分だけが得をしたいと考える人間は、後を絶たない。
なぜならそういうサンプルが、世の中には、ごまんとあるからだ。
自分一人でできなければ、誰かを雇って働かせる。
雇われた人間は、働かないとお金がもらえない、という恐怖心を植え付けられてしまう。
そしてお金がないと、何とかして手に入れたいという欲が生まれ、もっと働かなくてはと考えてしまうのだ。
これは欲と恐怖心を利用した非常に巧妙な方法だ。
オマケに、働くことでできあがったモノやサービスは、人のために役立つ、という大義名分があるため、まさに鬼に金棒。
しかも誰もこのシステムについて、疑問を抱かないよう、子供の時から教育されるわけだ。
だがそれが、本当に自分のやりたいことなら?
「自分一人でできなければ、誰かを雇って働かせるのだ。」と考える人のために役に立ちたいと、心から望むのならそれもOKだ。
確かに組織が小さいうちは、誰かのために、やってみたいという「心同士」が集まり、何かを成し遂げるということが、比較的簡単にできるだろう。
だが組織が大きくなるにつれ、たとえそれが人の役に立つものを創りたいという、純粋な考えから始まったものであったとしても、変わってしまうのだ。
お金が儲かるようになると、「欲」に囚われるようになる。
そのためもっと手に入れたいがため、規模を大きくしたくなるわけだ。
規模が小さなうちは、モノを創り上げて人の役に立つようなものをつくるための、全ての工程すべてが目に入る状態を維持することができるだろう。
だが規模が大きくなると、ある一部分だけに関わらざるを得なくなるのだ。
すると、生産性を上げるという名目で、時間に縛られるようになり、長時間単調な作業を繰り返さなくてはならなくなってしまう。
ではそれを誰がやるのか?
本来なら、その組織を立ち上げた、言い出しっぺが、率先してやるべき事ではないのか?
その恩恵を最も受ける立場の者が、お金と引き替えに、我慢してやるべきものではないのか?
それこそが公平で、人に対して思いやりのある姿勢というものではなかったのか。
だが周りを見ればわかるが、そういう社長や経営者があなたの周りで見つかるだろうか?
このようにして、お金が儲かっている人を真似て、自分もそうなりたいという「欲」が、人の本質を変えてしまうのだ。
自分のことしか考えない。
という人間の持つ本質的な性質がエスカレートすると、相手を殺してまで手に入れようとする。
これこそが、どれだけ文明が進んでも変わらない、人間の持つ悪い性質なのだ。
今現在も、世界のどこかで、戦争が行われ、我々はお互いを殺し合っている。
自分が心から望んだことを現実化させるため、意志を持ち続け、強く願うことで実現させる。
人間の創造主たちは、殺し合ったり、自分がされたくないことを、人に強要したりすることのない世界を、大昔に実現させている。
だが彼らが創った人間は、いまだに大半が、間違った考え方で毎日を生きているのが現実なのだ。
だがそれは考え方で、変えることができる、という本質を忘れてはならない。
なぜなら、我々はそのように設計されて生まれ、考えることで、実現できる能力を備えているからだ。
ただそのことを教える人間が、余りにも少ないのだ。
人間の創造主たちの子供は、人間のように個人によって育てられることはない。
正しい考え方を徹底させるため、社会が育てる仕組みとなっているのだ。
やりたくないことを人にさせる必要も残業もなく、仕事をクビになるという恐怖心とも無縁の仕事が、世の中に一体どれだけあるだろうか。
お金を手に入れるためだけのために、人に働かせるのではなく、自分で直接手に入れることができる仕事。
真の幸せを手に入れるためには、まず仕事を選ぶべきなのだ。
考えること自体、一切費用はかからない。
大事なことは、何をどう考えるかだ。
それがあなたの未来を切り開き、将来の姿を創り上げるのだ。