小津安二郎監督による1953年の作品「東京物語」のリメイク。
東京物語は、英国映画協会発行の映画誌「サイト・アンド・サウンド」で、世界の映画監督358人が投票した歴代映画作品の中からベスト1に選ばれたという。
断っておくが、この「東京家族」という映画が選ばれたわけではない。 小津安二郎監督の「東京物語」が評価されたのだ。
東京家族は、日常が醸し出す、ごく普通の毎日をドキュメンタリー風に描いている。
日本映画にしては、目に余るわざとらしい演技が少ないため、一応見るに堪える作品にはなっている。
だが映画の作りとしては、特に捻ったところがあるわけではない。
ストーリーは、平山周吉(橋爪功)が、妻のとみこ(吉行和子)と、子供たちに会うため上京するというもの。
戦後の日本で進行している、核家族化による「家族の崩壊と離散」がテーマとなっているようだ。
観ていて気になったのは、ストーリー展開を含めた制作側の演出が、鼻につくという点だ。
橋爪功の精彩の欠ける演技に加え、わざとなのかは分からないが、とにかくセリフの言い回しの下手さ加減には呆れてしまった。
これじゃあまるで学芸会だ。
不思議なのは終盤になって、息子の嫁を演じる蒼井優とのやりとりでは、別人のように饒舌になるという点だ。
この違和感が放置されたままで、上映されたということ自体に、驚いてしまった。
日本映画を観るたびに感じるのは、セリフのリアリティーの「なさ」だ。
あたかも映画を観ている人に、ストーリーがわかるように、説明しなければならない、という義務があるかのように、とにかくセリフが解説口調で、説明しまくるのだ。
これで分からないヤツは、わからなくてもいい、観ているウチにわかるだろうから・・という思い切りや主張を何故持てないのだろう。
その映画を観る人全てに理解して貰わなくては、とでもいわんばかりの制作側の余計なお世話が、あたかも透けて見えるかのようなセリフ回しは、ホント何とかならないものなのか。
この映画でも、西村雅彦の「いかにも」というセリフ回しや、中嶋朋子・林家正蔵の演技のわざとらしさも、リアリティーを損ねる要因となっている。
こうした俳優の表現力不足(山田洋次監督が指示しているのだとしたらそれも問題なのだ)が、この映画の元となっている名作が持つ、映画としての魅力を、継承し切れていないのが歯痒い。
さらにこの作品も、日本映画がすべからず持っている、テンポの悪さを、いまだに引きずっている。
何も一つのシーンが長い、ということ自体が悪いというのではない。
メリハリのなさが、より冗長に感じさせてしまっているのだ。
映画の流れにリズムがないがための、のっぺりとした印象は何とかならなかったのか?
上映前に制作陣の主要スタッフは、完成されたバージョンを見ているはずだ。
それで誰も何も言わなかったのか?
そうだとすれば、信じられないハナシだ。
そのためストーリーに没入することができず、作り物感が気になり、つい早送りしたくなってしまう。
どこか一部分でいいから、畳みかけるような展開で、観客を引き摺り込んでしまう、いわゆるテンポの良さが欲しい。
それがほんの少しでも、ひとかけらでもあれば、映画の印象というのは、大きく変わるものなのだ。
こうしたチンタラとした「間」がダラダラ続くような作りでは、いかに吹き替えがあろうと、日本以外の世界では通用しないだろう。
興行収入は18.2億円という数字が物語るように、いわゆる日本人向けのローカルな映画だ。
制作年度が新しい日本映画ゆえ、ある種の期待を持って観たわけだが、残念な出来だった。
とはいえ、日本の現代映画を代表する作品といえば、この作品になってしまうのだろうか?
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