先日10億円の宝くじが発売されました。
TVのインタビューでは、10億円当たったら何に使いますか?
とTVのリポーターが街角で聞いて回っていました。
住宅ローンの返済・映画を作る、など答えは様々。(笑)
10億円あれば、あるいはお金がもっとあれば、今よりも幸せになれる気がしますからね。
では、本当に幸せになれるものなのでしょうか?
実を言うと、全ての人は今の状態で、幸せなはずなのです。
程度の違いはあっても、本来そのようになっているものなのですが、では何故幸せに感じない人が多いのでしょう?
それは、幸せを感じるセンサーの性能が違うからです。
先ほど、酸素カプセルで1時間ほど過ごし、マイクロバブル風呂に入ったとき、「ああ気持ちいい・・幸せだなあ・・」って思うわけです。
毎日、何かの折に触れ、このように幸せな気持ちになっていると、センサーはどんどん敏感になってゆきます。
そして有り難いという、感謝の気持ちが生まれるのは当然のこととなります。
ですが、そういうことを感じなくなっている人は、センサーが使われないため、磨かれることなく、どんどん感度が落ちてゆきます。
そうなってくると、本当なら、あることが起こると、幸せを感じるはずなのに、それを感じなくなってしまうのです。
すると感謝の気持ちも、当然生まれることがなくなります。
そして、幸せや感謝する気持ちになれないのは、お金がないからだ、と感じる、あるいは考えることになるのです。
本来の運というものは、こうした幸せを毎日どれだけ感じているのか、そして感謝の気持ちを持って毎日を過ごしているのかによって、大きく左右されるのです。
私たちが持っている「魂」は見えない「紐」によって、本来こうあるべきだという設計図が描かれた、別の世界と繋がっています。
人は死ぬと、「魂」は肉体を離れ、本来こうあるべきだという設計図が描かれた、別の世界へ戻り、即時そのデータベースと照合され、そのあとの処遇が決まります。
そこでもう一度人間として生きることになった場合、生まれたばかりの時というのは、本来みんな同じように幸せを感じるように生まれているのです。
ですがそのあと、成長するにつけ、同じ物事が起こったときに、幸せだと思うか、何も感じないのかによって、幸せを感じるセンサーの性能が変わってゆくのです。
アメリカでトレードをはじめたばかりで、全く勝てないときのことです。
マーケットが始まると、刻々と動くチャートを見ることができて、自分はなんて幸せなのだ、これは楽しい、これで生活が出来たらどれだけ素晴らしいことだろうか、と常に感じていました。
そして絶対に勝てる方法があるはずだ、絶対に勝ってやる、という強い決意へと繋がってゆくことになったのです。
仕事がなくなった異国の地で、勝てるあてもないのに、漠然とこうした強い思いを抱いていたことを想い出します。
幸せに感じる心は、幸運を引き寄せる磁石のようなものかもしれません。
ふとそういう気がして、幸せな気分になり、感謝の気持ちが生まれる。
こうしたサイクルの輪が、少しの出来事で軽く回り始める人は、お金のあるなしに関係なく、幸せな人なのだと思います。
塵も積もれば山となるという諺ガあります。
ほんの少しの幸せな気持ちも、毎日積み重なることで、センサーが磨かれるのです。
すると、より幸せな気分が頻繁に湧き上がることになります。
そしてそれが運を引き寄せ、さらに幸せになるためのきっかけとして働くのです。