昨日は、クマチャンところで1時間ケア。
そのとき、先生がふと「あそこがが閉まるんやなあ」とポツリ。
話を聞いてみると、すぐそこにあるデパート、大丸のことらしい。
その後どうなるのだろうか?とふと思ったのだが、たまたまグーグルでそのニュースを発見。
リンクを辿ると・・
神戸市長田区の「大丸新長田店」が31日、閉店した。阪神大震災で壊滅的な被害を受けた地元で、震災2日後に販売を再開し被災者を支えた。だが震災後も人口が戻らず、売り上げが減り続けていた。
午後8時過ぎ、玄関前で中北史郎店長が「35年と9カ月、ありがとうございました」と頭を下げると、数百人の客から「ありがとう」と拍手が起こった。
阪神大震災当時いち早く営業を再開するなど地域住民を支えた大丸新長田店(神戸市長田区)が31日、36年間の歴史に幕を下ろした。店内には最後の別れを告げようと多くの買い物客が詰めかけ、にぎわった。
この日は同店での勤務経験のある従業員らも続々と応援に駆け、精力的に動き回った。現在は神戸店に勤務する中島和彦さん(48)は「会社員人生の半分をここで過ごしたので閉店は寂しい。この店の最後を見届けたい」としんみりとした表情。
最終営業日に合わせて訪れたという神戸市西区の無職、西岡春江さん(78)は「当時は長田に住んでいて、この店には色々な思い出が詰まっている。『ありがとう、そしてご苦労さま』と伝えたい」と目を潤ませていた。
1995年の阪神大震災で、発生2日後から食料品の販売を再開し、多くの被災者の励みになった神戸市長田区の百貨店「大丸新長田店」が31日、業績低迷を理由に閉店する。
同店は77年、JR新長田駅近くの商業施設「ジョイプラザ」にオープン。売上高はピークの96年2月期に129億円に達したが、2012年2月期は53億円に縮小していた。撤退後のテナントには、大手スーパーの西友などが出店する予定。
近くで美容室を営む藤田徳子さん(65)は「気軽に立ち寄ることができ、地元の人のよりどころだった。震災の時も多くの人がここへ集まり、ほっとしたのを覚えている」と話し、閉店を惜しんだ。
神戸新聞ならもっと詳しいだろうとチェックしてみると・・
JR新長田駅前の大丸新長田店(神戸市長田区)が31日、閉店した。1977年4月に開業し、95年の阪神・淡路大震災ではいち早く必需品を販売するなど地域密着の百貨店として親しまれた。最終日は多くの買い物客が訪れ、惜しまれながら35年9カ月の歴史に幕を閉じた。
同店は商業施設「ジョイプラザ」の地下1階から地上2階に、食品や衣料品、雑貨の売り場を設けた。震災時は周囲が被害を受ける中で、発生2日後に食料品や日用品などを店先で販売。1カ月後には全面再開にこぎ着けた。
近くの主婦(36)は「当時は本当に助かった」と振り返り「地元の顔のようなお店。普段着で気軽に来られた。本当にさみしい」と話した。
最終日の店内では、従業員と言葉を交わし涙をぬぐう買い物客の姿もあった。午後8時の閉店時には中北史郎店長(54)が「地域の方と震災も乗り越えてきた。長い間ありがとうございました」とあいさつ。客らが出入り口を取り囲み「ありがとう」と拍手が送られた。
同店は震災後、周辺の人口減やスーパーの相次ぐ出店で競争が激化、赤字が続いていた。閉店後は核テナントにスーパー大手「西友」(東京)などが入り、9月に全面開業する予定。
震災後も売り上げが戻らず赤字では無理のないハナシだ。
どんなものが、おいてあるのだろうかと一度行ったことがある。
先生いわく、三宮の大丸だと、売っている服とかはちょっと派手だからなあ・・
なるほどね。
じゃあ長田だけではなく、いわゆる百貨店という形態での小売業は、どうなんだろうと調べてみると・・
まずは、百貨店協会の地区別売上高(PDF 135KB)をチェック。
なんだこりゃあ?
平成24年12月・年間 全国百貨店売上高概況 を見て、ダメだということがやっとわかったわけだが・・
グラフでわかりやすく表示する、という考えは浮かばなかったのだろうか。
わかりやすいと、困ることがあるのかもしれないなあ・・などと、謎は深まるばかり。(笑)
◎2010年の百貨店売上高、14年連続減=ピークの3分の2に縮小
◎2011年の百貨店売上高、15年連続減少=震災も響き、2%減
◎2012年の百貨店売上高、16年ぶりプラス=震災の反動、衣料品堅調
◎低価格路線進む「デパ地下」=安全・安心アピール-百貨店復活のカギに
というわけで、去年は震災の反動で増えただけのようで、売り上げは減り続けているようだ。
人口減に加え、何と言ってもデパートは高いからねえ。
高いなりの付加価値、たとえば「デパ地下なら一定レベルの美味しさが確保できている」などといった、いわゆるウリが必要だろう。
と、ありきたりなオチですいません。(笑)