2012年08月 のCoolに過ごそう
国内最大の製薬メーカー武田薬品工業は、2008年に抗がん剤に強みを持つ米バイオベンチャー「ミレニアム・ファーマスーティカルズ」社を9000億円弱で買収、さらに2011年5月にはスイスの製薬大手ナイコメッド ( Nycomed ) を98億ユーロ ( 約1兆1400億円 ) で買収した。
2008年2月にも、ガン治療薬で強みを持つ米国のバイオベンチャー「アムジェンの日本法人」を買収しているが、武田は主力薬が2009年以降、相次いで特許切れを迎えることから、米国市場の強化を急いでいる。
日本国内での抗がん剤研究は、世界の最先端と比べるとかなりの低レベルで、欧米の製薬メーカーと闘うためには、優秀なバイオベンチャーを買収する以外に選択肢がないのが現状だ。
医薬品の研究開発には、研究開始から承認取得まで 15 年から17 年の年月が必要になる。
化合物の成功確率はわずか 11,300 分の 1(=0.009%)。
候補化合物を見つけ、前臨床をスタートさせてから上市までの成功確率は 0.13%。
1 品目上市のために費やす開発費は 260から360 億円。
必要な期間は 11~12 年と言われている。
このように、バイオというのは、いってみれば資金量の勝負。
米国カリフォルニアにはバイオベンチャーが数多くあり、またカリフォルニア州も莫大な資金を提供している。
さらに大学自身もまた潤沢な資金を持っているため、優秀な頭脳が世界から集まることになる。
日本の医薬品市場規模は約 6.7 兆円で、その 9 割弱は医療用医薬品。
世界市場における位置づけは、日本の医薬品市場は世界市場の約 13%を占め、アメリカに次いで第 2 位。
医薬品市場規模の伸び率は、GDP の伸び率には連動せず、薬価改定や医療制度改革に強く影響を受けることになる。
また、国民医療費が増大しているにもかかわらず、医薬品市場規模は伸び悩んでいる。
新薬だけでみると、約 7 割は外国オリジンの製品で、国内開発品は約 3 割しかないのが現状だ。
日本では、アメリカと比べ古い製品のシェアが高く、ライフサイクルの長い製品がより多く存在している。
1 社当たりの研究開発費は、日本はアメリカと比べ 5 分の 1 程度と低く、ここ数年、その差は拡大傾向にあるのだ。
医薬品売上高で日本最大の武田薬品工業は、 1988 年度は 世界第6 位だったが現在は世界第 15 位。
世界 20 位代が、三共、エーザイ、山之内製薬、塩野義製薬、第一製薬。
世界 の10 位に入るためには、武田薬品工業の 2 倍近くの売上が必要、
日本の上位 3 社の売上高を足してようやく10位にランクインするくらいの規模といえばわかりやすいだろうか。
世界で初めて万能細胞(iPS細胞)の作製に成功したのは、京都大学の山中伸弥教授。
だが、日本が国家をあげて支援するプロジェクトとして文部科学、厚生労働、経済産業の3省による、2008年度に投入する資金は、たったの30億円。
これだけ可能性の大きな研究には、最低でも1000億円くらいの資金は必要になるのだが、道路には10年で59兆円のカネをつぎ込んでも、万能細胞には1年で30億円。
日本の医薬品市場は世界市場の1割に満たず、医療費抑制で頭打ちというのが現状だ。
だが、北米市場は世界の半分を占めるうえ、年10%もの高い伸びを続けている。
新しい医薬品が販売されるために治験が不可欠だが、医薬品の研究開発費の中で治験に関わる費用割合はかなり大きいのだ。
そのため、治験届出数は、外国での試験結果の承認申請データの受入れの拡大や薬価引下げ等の影響を受け、減少している。
こうした理由から、日本企業は治験を国内よりも、欧米で先行させるケースが増加している。
だがこのような「治験の空洞化」は、さらに次のようなマイナス面を拡大させることになってしまっているのだ。
まず患者にとって、国内での治験の遅れは、最先端医療(海外で流通している新薬等)へのアクセスが遅れることに繋がり、製薬産業では、国内企業の研究開発力が低下し、新事業創出、雇用創出面でマイナスとなるわけだ。当然医療機関や医師等にとっても、技術水準のレベルアップが遅れることになってしまう。
「治験の空洞化」は、欧米と比べて治験にかかる時間が長く、治験の質も良くないうえ、治験費用が高いという三重苦も大きく影響している。
さらに治験を含む我が国の臨床研究環境は、アメリカと比べ次のような問題を抱えている。
被験者(患者)のインセンティブ(誘因や刺激)が低い。
治験の意義が広く国民に浸透していない。
治験実施状況等の情報提供の不足。
そのうえ国民皆保険による経済面での問題点もネックとなっているのだ。
日本は欧米と比べて医療の環境や習慣に違いがあるうえ、臨床研究が進みにくく、製薬企業内の医師不足による内部評価力が低いため、治験の質に問題が多いことが、諸外国から指摘されている。
バイオ医薬品分野を取り巻く現状 (経済産業省)
このように日本のバイオ研究は、国際競争から完全に取り残されてしまっているのだ。
国の認識レベルの低さが改善されない限り、現状から大きく改善されることは、まずないといっていいだろう。
嗚呼!
今や安定した仕事を続けるためには、知識集約型のスキルが必須のものとなってきています。
そうじゃない類の仕事は、発展途上国へ投げた方がずっと安くできるからです。
それだけにとどまらず、日本でも単価の安い仕事は、日本人以外のアジア人がシェアを伸ばしています。
スーパーのレジは、パートタイムの主婦が握り、倉庫でも商品を持ってくる作業はロボットに任せる時代になってきているのです。
高度な技術が身についていなくてもできる仕事というのは、これからも、どんどん減ってゆくはずです。
さらに問題なのは、特に非製造業、特に建設不動産、農業などの生産性がいまだに低いままで放置されているという問題です。
不動産仲介屋の世界では、Eメールではなく、いまだにファクスでのやりとりが中心なのです。
そして日本の農業も多くの問題を抱えています。
日本の農業は生産性が低いと、指摘され続けてきました。
環太平洋経済連携協定(TPP)への参加問題の際に、この点が大きく取り上げられたため、皆さんもご存じのはず。
TPPへ参加して、保護を撤廃し、国際競争に晒されたりしたら、日本の農業は崩壊し、日本の食糧の大半を外国に頼らなければならなくなる、という議論があっったことは、皆さんもよくご存じのはずです。
ですが、生産性が低い産業を保護したらどうなるでしょうか?
保護されるために競争から取り残され、生産性が伸びないまま放置されてきたというのが、現実なのです。
切磋琢磨で成長しない産業は、早かれ遅かれ駆逐されてしまうのは、世の常なのです。
たとえば日本の牛肉とオレンジ。
80年代に米国から強い圧力がかかった際に、牛肉輸入とオレンジが自由化されれば、日本の牛肉産業は崩壊し、みかん農家は廃業に追い込まれると騒がれました。
しかし現状を見ると、牛肉は世界に誇るブランド和牛が人気で、おいしい様々なミカン類が店頭を彩っています。
80年以前は、こんなにたくさんのブランド和牛はありませんでした。
柑橘類も、国際競争が技術革新を迫った結果、米国にはない新しい品種がたくさん生まれたのです。
国際競争で、崩壊どころか大きく発展することになったわけです。
もちろん淘汰された農家も、たくさんあったでしょうが、産業の品質としては、大きく進化したのです。
環太平洋経済連携協定(TPP)に参加すれば、同じことが起こるはずです。
規制改革も競争を促します。
こうしてみると、競争による切磋琢磨は、人間であれ産業であれ必要なことなのではないでしょうか。
最近のナスダックマーケットは、なかなか難しい動きが続いている。
直近での難しさは、今月末のバーナンキFRB議長の講演結果待ちのため、マーケットメーカーが積極的には動かないからだ。
米国ナスダックマーケット28(火)で概要を掲載している。
だがこういう難しいマーケットで手堅く勝てるかどうかだ。
トレードフロアのトレーダー達はなかなか良い仕事をしてくれている。
たとえば彼だ。
前回も紹介したが、彼のよさは、デコボコがあまりないという点だ。
負けが非常に少ないのだ。
この日のトレードは Executioner Internal という内部ブログへアップされているが、下記はその転載だ。
◆総括
・オープニングから方向感がないマーケットだったので、早めにロスカットしていった。Unshortableが多かったのであまり仕掛けず、終盤ロングトレンドに切り替わったところで、Panlにうまく入れたのが良かった。反省箇所は、単発エントリーが多いこと。他、候補がなかったか要検証。
◆相対比較
<39/3> Hold 0 / Total -33
■判定
■結論 |
<45/5> Hold 0 / Total -113
■判定 ■結論:OK |
|
■判定 ■結論:途中脱出で正解だった。 |
<60/10> Hold 0 / Total -146
|
■判定
■結論 |
<09/13> Hold +60 / Total -146
■CL記入:△△ ■判定:ホールド ■結論:OK |
<12/14> Hold +180 / Total -146
■CL記入:○○ ■判定:ホールド継続 ■結論:OK |
<15/15> Hold 0 / Total +344
|
■判定
■結論 |
いかがだろうか。
最初のユニットでの負けを出来るだけ抑え、その後のユニットで手堅く獲っている。
2ユニット目の3銘柄の手仕舞いの位置も、手堅くルール通り。
言うのは簡単だが、コンスタントに「できる」トレーダーは、なかなかいないのが現実。
彼のトレードを継続して見ているが、一時のスランプを乗り越え、ここまで到達するための努力は並大抵のモノではないはず。
実運用チームへの参加へ、最も近いポジションに位置する優秀なトレーダーだといっていいだろう。
このアルバムは、試聴せずに買うというような、ギャンブルではなく「まっとう」に試聴をして購入したわけだが、ラッキーなことに、何枚かの気に入ったアルバムに出会えた。
その中でも、これは一曲目のイントロからハートを鷲掴みにしてくれた born 2 groove というアルバム。
こちらで、試聴可。
1曲目はイントロのシンセベースが少しファンキーなサウンドが始まり、10秒も経たないうちに購入サイドへ大きく傾いた、この日の試聴で最も嵌ったアルバムだ。
低いゾーンでのセクシーなシンセベースにカブるのが、左右へコーラスでパンしたエレピのサウンド。
一瞬、目眩いのような効果に「たじろぐ」と、甘美なストリングスが流れ、まさに準備万端。
そこへユージンのソプラノサックスが少し「ためらいながら」切り込むのだが、ケニー・Gになることなく、美しいメロディーラインを縫う A Summer Nights Dream だけでも、迷わず買いたくなるはず。
これで売れなきゃ「どうするの?」という、この手の音楽が好きな方にの琴線を「くすぐる」作りは、途中のブリッジのリズムや、ちょっとバリーホワイトの入ったストリングスのアレンジによるものか?
ジャケットの Produder のクレジットを見ると Euge Groove と Paul Brown。
4曲目の Slow Jam ではテナーを吹いているが、美しくリリカルなプレイだ。
女性リスナーはイチコロか。(笑)
8曲目はこの手のインストものには定番の歌モノI Love You More Than You'll Ever Know が収録されている。
ソウルフルで本格的な佳曲だが、この曲まで試聴された方は、このアルバムを買おうという気にさせてくれるはず。
Euge Born は、1962年11月生まれの50才。
1984年に University of Miami School of Music を卒業。
後に、Joe Cocker ・Tina Turner・Huey Lewis and the News、そしてタワーオブパワーのメンバーという経歴だ。
エッジの効いた、ハスキーでメタリックなサウンドは、ケニー・Gのように甘くなりすぎないサウンドだ。
美しいメロディーに少しファンキーなスパイスを振りかけた、彼のサウンドが好きな方には、他のアルバムもどうぞ。
自分の書く日記がどうも面白くないのです。どうすれば面白い日記が書けるのでしょうか?何でも構いませんから、とっかかりが欲しいのです。よろしくお願いします。
というメッセージが飛び込んできました。
文字による言葉の表現力をアップさせるには、テーマを決め、短文を書くことから始めてはいかがでしょうか?
日記というのは、普通自分の書きたいことを書くのですが、文章力のアップという点から考えると、漫然と日記を書いていたのでは、書くチカラは上達しません。
身体を鍛えるときに、漫然と動かしていたのでは効果がないのと同じ事ですね。
鍛えたい部分を、意識して動かさないと、効果がないのと同じ理由で、書くチカラを訓練するためには、ある程度の負荷が必要になります。
そして書くときの「精神状態」をベストに近い状態で保てるように、コントロールすることは非常に大事なポイントです。
つまり、運動の前の柔軟体操のように、固くなった部分をほぐしながら、少しずつ柔らかくなりはじめた「心」に働きかけて書くのです。
そうして書かれたものには、読み手の精神運動を、活性化する働きがあります。
読み手が感動するというのは、そういうことなのではないでしょうか。
小説では主にストーリーと構成のバランスで、感動させられることが多いのですが、いわゆるノンフィクションでは「何をどこまでどう書くか」です。
テーマは、内なる方向、つまりあなたのインサイドにあるテーマがいいでしょう。
外へ向けたものや、外部のネタ、たとえばニュースや事件などは、事実と速報性に価値があるわけです。
ですから、素人の我々がそうした素材をいくらこねくり回しても、現場に赴き、関係者の証言などを、独自に収集して構成しない限り、メディアによる報道を上回る説得力を持たせることはできません。
また、そういう作業をいくら繰り返したとしても、文章力を向上させることはできないでしょう。
私は日記を書くとき、テーマが自分の体験と絡み合っていないものには、手を出さないようにしています。
第一、自分がその場にいないことや、その場の空気が全くわからないことに対しては、書きようがないわけですしね。
ニュースを聞いてどう思った、などというようなことは、ワイドショーでコメンテイターと称する人たちの能書きで、多くの人は食傷気味だということは、覚えておいた方がいいでしょう。
私の日記に、政治やニュースネタがほとんどないのは、こうした理由からです。
漫然とした日記でも、少しの工夫で、見違えるようになります。
たとえば、今日一日のある行動をテーマとして書く場合、客観的記述部分をできるだけ短くすることです。
つまり誰がどこで何をしたか、という部分はできるだけ簡潔に短く書くことです。
そこの描写力や表現力がよほど長けていれば別ですが、そうでなければ、少し長いだけで、飽きてしまうものなのです。
あなたが大スターで、さらに読者が熱心なファンという関係なら話は別です。
そうでもない限り、あなたやあなたの家族が、どこへ行ってどうしたということに、大部分の読者は興味がないと考えるべきなのです。
面白さは、何故その行動が生まれ、そしてそこから何をどう考え、何を得たか、あるいはどうなったのか?にあるのです。
そして、その起承転結が明確であればあるほど、読み手に強く訴えかけることができます。
この部分が欠落した文章は、単なる「行動報告書」ですから、あなた以外の人にとっては、面白くと何ともないことになります。
冷静に考えれば当たり前のことなのですけどね。
この当たり前のことに気がついたとき、そのまま何もしないのか、それとも何らかのアクションを起こすのか?
ここが分かれ道になるのでは?
パソコンを長時間使っていると、同じ姿勢が続くため、どうしても凝るのが首と肩。
長時間ディスプレイを見ていると当然目から来る疲れで、これまた首と肩に来るわけだ。
この凝りは、少々の運動だけでは解消できないため、物理的なケアが必要になる。
指圧マッサージ業界では「マイクロソフトのあるシアトルに足を向けては寝なれない」と言われているほど。(笑)
蓄積した疲れは、指圧や鍼灸でケアするわけだが、ポイントは毎日繰り返される生活習慣だ。
まずベースになるのが、慢性疲労を食い止め、花粉症等のアレルギーも治る朝食を抜く一日二食の食生活。
そして、肝臓などの疲れ・腰痛・自律神経の調整などに効く交流磁気治療器。
さらに、酸素カプセルとマイクロバブル風呂。
もちろん適時パナソニックのリアルプロという、マッサージチェアをも適時使っている。
カプセル内や映画を見ながらできるケア用の小物で、意外に役立つのが木製の The knobble。
ドアノブの形に似ているので「knob」という製品名になっているのだろうが、米国のシアトルで購入以来10年以上使っている。
とにかくあらゆるシーンで使えるのだ。
下の写真では「The knobble」という刻印が見えますが、よくよく比べてみると、白っぽい方は微妙に円盤の縁の厚さが違うので、どうやらノーブランド品のようだ。
こちらはプラスティック製の Knobble Ⅱ で木製よりも安く10ドルを切るくらい。
目や首の疲れを取るには「天柱」という、頭の後ろの首のあたり首の骨の両側にあるポイントを刺激するわけだ。
後頭骨の下方で、真ん中が窪んでいる場所でツボはくぼみの中央から少し外側を押すわけだが、自分で押すのは大変。
というわけでこの The nobble を、枕などの上に置いて「風池・天柱」あたりを首の重さで調節しながら揉みほぐしている。
背中や腰回りは床で使うのも、またナイス。
中山式の 快癒器より、カラダに当たる部分の接触面積が少ないので、良く効くわけだ。
自分でツボの場所がわかる人にとっては、こちらの方が遙かに使いでがある。
日本のサイトでようやく見つけたのはココで1,5000円前後。
名称は「ザ・ノブル」
顔などの前面は、手でこれを使う。
足裏は The knobble を踏んづける。
コリ対策というのは「溜めずマメにその都度」というのが王道なのだ。(笑)
女の第六感にはかわないが、男と生まれたからには、一つくらい「匹敵する何か」を身につけたいもの。
まずは「不潔感」を瞬時に見抜く目か。
古いものでも、「クリーニングしてある感」というのは、一流ブランド におんぶにダッコ状態で不潔感伴う「一点豪華主義」を一蹴するわけだし。
感情の振幅が大きく周りに気を遣わせる人物と、少なくない確率で出会うのも、また人の常。
そういうときはスカルピングのように「明るい挨拶」が「どんな状況でも相手よりも先にできる」という「特技」が威力を発揮することになる。
親指と人差し指の先をくっつけ指で輪を作り、元気よく「おはようございます!」と言って指に力を入 れると、誰かがその輪をほどこうとしてもなかなか解けない。
だが、やる気の「なさげ」な声で「おはようざいま・・・」といえば輪は簡単に ほどけてしまう、ということからもわかるように、言葉のクオリティーが与える影響には一目置きたいもの。
自分の話す言葉というのは、振動を伴って自分の脳へイメージを与え続け、無意識のうちに 「日頃話している言葉」のように行動することになる、というサイクルを、人は誰もが生まれ持っている。
この積み重ねは個々の人格という、いわゆるパソナリティーの領域へも大きな影を影響を与えることになる。
こうした本能に関わる部分のセンサーを鍛え研ぎ澄ましてこそ備わる「男の六感」というのは、案外女性に魅力的に映るのではないだろうか?
無限の広がりとパワーを持つ想像力。
どこまでも広がってゆく世界だけに、意外とその広がりのスケールというのは見えないものだ。
目の前にあるグラスを見たとき、誰もが何の疑いもなくそこにあるモノとして、意識さえすることなく、受け入れている。
だが、アタマで考えていることや心模様というのは、目に見えないだけに、うつろいやすく、またはかなく、そして頼りなげなものとして捉えているのが普通だ。
特に他者からは、余計に存在しないもののように扱われるため、自分にとっても、実態のないものとして捉えてしまいがちだ。
そうしたとき、言葉や文字という変換ツールを使うことで、それは大きく様変わりさせることができる。
そして「その瞬間」から自分以外の世界と共有できるものとして、チカラを持ち始めるのだ。
文字として実体化された思考は、その時点から自分に対しても強い説得力を持ちはじめ、具体的な文字というカタチを伴ったイメージとして目から脳へと送り込まれることになる。
そしてそうした体験の繰り返しは、やがて自分をも呑み込んでしまうほどのパワーを持ち始める。
こうした方法を使えば、イマジネーションを、自分の中へ取り込み、実体化された現実へと変換することができる。
迷いや悩みといったものも imagination と同じで、本当は実態がないものだ。
多くのケースで、現実には存在しないモノと不用意に向き合い続け、不本意にも実体化させてしまっているだけなのだ。
だがそうして実体化させてしまった悩みから生まれた困難も、イマジネーションを使うことで、消滅させ、変えることさえできるのだ。
現実というのは、こうしたメカニズムで自分が毎日積み重ねることで作り上げてきたものだから、その気にさえなれば変えることができるものなのだが、体験がないことを理由に、踏み込むことのない領域として放置されている。
だが最初の一歩を踏み出し、一度でもそうした体験をすれば、そのパワーから生み出されるポテンシャルによって、夢は大きく拡がりはじめる。
だが、長い時間をかけて積み上げられてきたものだけに、現実を一気に変えることはできない。
イマジネーションという見取図をもとに、現実のエッジを少しずつ削り取り、あるいは形を変えながら自分好みの現実へと変えてゆく作業が必要になるからだ。
そうしたとき、威力を発揮するのが、文字を使った表現力だ。
現実のエッジをボヤケさせ、想像力で描かれた夢という世界との境界線領域を広げるために、欠かせないツールが文字だといえばわかりやすいだろうか。
文字を駆使して文章に幅と奥行きを加えるだけで、現実を変えるためのパワーを生み出すきっかけを作ることができるという事実を、多くの人は過小評価している。
何故なら評価は体験から生まれるものだからだ。
imagination は誰もが、どんな状態であっても、信じた瞬間から、輝きを放ち始める。
これもまた現実なのだ。
日本の福島原発から、毎日250億ベクレル以上の放射性物質が飛散し続けている。
世界の専門家らは、漏洩した放射性物質の総量はチェルノブイリのそれを超えていると指摘しているのだ。
福島は史上最悪の原子力発電所事故で、今も放射能は日々拡散されていることを忘れてはならない。
バグフィルターではセシウム137は60%しか取れず40%は環境に放出されることが実証されている。
震災ガレキを受け入れる事は、汚染されていない地域が二次汚染されるということ。
青森・山形・東京が焼却処理を実施中でその灰は埋め立て地に使用されている。
神戸は受け入れを表明していないが、私は神戸市へ、反対の旨のメールを送っている。
市民一人一人が、直接メールを送るのが最も効果があるのだ。
メールをどんどん送ろう!
医者の知り合いから「レントゲンに写るのは点々だらけ、診断できない。空間には物凄い量の放射能」
原発推進派の家族、子供たち、孫たち、も例外なく、癌になる確率は同じなのだ。
何か新しいことをやろうとすれば、当然リスクを抱えることになるし、失敗するかも知れない。
また何かを手に入れるかわりに、手放さなくてはならないものも出てくるだろう。
でも何か行動を起こさなければ、新しいことは起こらない。
それが人生のスパイスとなり、後になってその行動がドラマを生む源になっていたことに気がつくわけだ。
何かにチャレンジするということは、人生を充実した豊かなものにするために欠かせないものだ。
けれど、もし失敗したりうまくゆかなくなったりしても、それは恥でも何でもない。
気落ちしたり、迷ったりするからこそ、ちょっとしたフレーズや一言に救われ、勇気づけられるというチャンスが巡ってくるわけだ。
そうした一言が自分では予想もしなかったほど心に染みわたり、人生の転機に繋がることになる。
そのときは、うまくゆかないものだと思っても、後から振り返ると、実はそういうときだって、そう捨てたものじゃなかったりするのだ。
自分が幸せだと思ったり、ツイてないなあなどと漠然とした不安感に襲われるれる原因は、実は自分の心の中に原因があるのだ。
心というのは株価のように、毎日上がったり下がったりと揺れ動いている。
だから一定の幅以上に下がりそうになったら、カットロスをすることだ。
ついでに請け売りのモラルや常識もカットしてみよう。
そういうときこそ、こうした新しい試みを実行するには絶好の機会なのだから。
世の中には悪い見本も、良い手本も数限りなく存在する。
自分で何もアクションを起こないでいると、外からの影響を受けやすくなる。
そういう状態でTVのネガティブな報道や、添加剤のたっぷり入った番組を見れば、ネガティブな考えに傾きやすくなり、必要以上に人を気にすることになる。
食べ物と同じで、自分の五感に訴えかけるものも、取捨選択することだ。
若いときには、こうしたことの積み重ねによる違いはあまり出ないものだが、40歳も過ぎると、そうした積み重ねがいろいろなところにはっきりと現われてくる。
困難に直面していると感じたら、肩の力を抜いて、リラックスし、うんと楽天的になることだ。
そして大事なことは、まず肉体的な疲れを癒し、体を良い状態に調整すること。
精神と肉体は一心同体。
疲れたカラダから、よい考えや前向きな精神は生まれない。
身も心もリラックスすることで、心の中のチャートは必ず上向きになり、周りを見る目も今までとは少し違って見えるはず。
疲れ切った心や肉体からは、何も良いモノが生まれないことを、肝に銘じることだ。
前回紹介したスバル・サンバーは富士重工が軽自動車製造から撤退したため、今となっては中古を買うしかない。
サンバーは、50万キロも走ることができるポテンシャルを保つため、中古市場では走行距離が7万キロとか10万キロくらいの安いブツが大量に出回っている。
見栄えさえ気にしなければ、走りの楽しい経済的なクルマを手に入れる事ができるわけだ。
だが、サンバーのようによくできた、軽トラの新車を手に入れたい、と言う方のため、今日は別の車をご紹介。
それはRR方式のサンパーと並んで異彩を放つホンダ・アクティ。
何とミドシップ。
ゆえに巷では「港のフェラーリ」と呼ばれている。
ホンダの軽トラは、ホンダが4輪へ進出したときの、T360に始まる。
同時にデビューしたFRスポーツカーS500と同じメカニズムで構成され、エンジンの上に座席を載せるキャブオーバー式ボディーを採用。
ミドシップをホンダの軽トラが採用するのは第二世代のTN360から。
このTN360は、横置き2気筒FF形式だったN360のパワートレインを、後軸の直前に移動し、後輪を駆動させたものだ。
その後継車であるTNアクティもこのレイアウトを守り、横置きミドシップを採用している。
アクティの搭載ユニットは直列3気筒で、動弁系はホンダ得意のSOHC4バルブ。
この直3ユニットの最高出力は、46PSと他の軽トラに比べ最も低い数字だ。
加えてアクティは重い。
また長大ホイールベースのため最小回転半径も大きく、グレードにもよるが、4.3メートルからから4.5メートルあたり。
横置きの直列3気筒ミドシップという変則レイアウトゆえ、リアサスには特殊な形式となっている。
デフは変速機と一体構造のため、リジッドァクスルではなく、ド・デイオン・アクスル方式を採用。
懐かしき、プリンススカイラインで有名になった、あのリアサスと同じで、左右輪を太い鋼管で連結している。
リジッドに似ているようだが、違いはデフ一体化されず、車体側にマウントされることだ。
そして、デフを避けるために鋼管は湾曲している。
このド・デイオン・アクスルを支えるのは、リジッドと同じリーフスプリング、
アクティは、他の軽トラ中最も長い2、420ミリというホイールベースを持つ。
なぜなら、前輪を前へ押し出した設計のため。
アクティのエンジンは後輪直前にあるため、ホイールベースを伸ばすと重心が後ろに寄ることになる。
ホイールベースの変遷は結構頻繁だ。
初代は1850、2代目は1900、3代目は2420ミリ。
だが2009年の4代目へのモデルチェンジで、アクティーはホイールベースを1、900ミリと短くしてしまった。
理由はこちら。(笑)
車検証の前後軸重配分の数字を見ると、サンバーよりミドシップのアクティのほうがリアが重くなっている。
サンバーと同じように、リアヘビーの傾向を緩和するためににホンダは「ある技」を採用している。
現行の軽トラはみな145R21のラジアルタイアを前後に履く。
アクティの指定空気圧は前より後を高くし、タイヤに頑張らせることでリアの危うさを打ち消そうとしているのだ。
サンバーでも書いたが、私は軽トラには乗ったことはない。
だがモータージャーナルの沢村慎太朗氏の有料メルマガや、刊行されている本によると、実際の走りでは、想像した以上の効果を発揮しているのだという。
アクティのリアはどっしり落ち着き、操舵時の前輪横力ゲインも低めに採られているため、多少振り回したくらいでは安定は崩れないらしい。
しっかりフロントを地面に押さえておきターンインしないとァンダー傾向が強く出るという。
もちろんタイトなコーナーで旋回Gが高まると、リアは外に振り出されそうな気配を見せるだろうし、また大アンダー状態から一気にスロットルを戻したりすると急激なタックインが出てノースが内側にスパッと引き込まれ、その慣性のためにクルマは姿勢を乱そうとするはずだ。
アクティは、一見はミドシップらしからぬ安定方向に躾けられ、その重厚さぶりは、セッティングで軽快さを作つてぃるFR勢よりもおとなしく感じるほどだという。
軽トラは車重が軽いため、タイヤも耐摩耗性を重視したものがついている。
そのため駆動輪の接地能力を稼いでおくことは、とても大事になるわけだ。
そういう意味でもサンバーとアクティーは他の軽トラとは一線を画しているといえるだろう。
絶対的なトラクション能力が欲しいなら4WD仕様がお勧め。
サンパーのRRや、アクティのミドシップは、机上の理屈を超えた強い主張と信念を持っている。
サンパーはずっとエンジンをリアに、アクティはミドに積んで、半世紀近くもの間生き長らえてきたのだ。
このように両車は、あらかじめリアに荷重をかけておくことに固執したわけだ。
ただ、そこから先は見事なまでに対照的。
ホンダが造ったロングホイールベースのエンジン横置きミドといえば、NSX を思い出すだろう。
だがシャシー設計を見ると、NSXではなくフェラーリ360モデナと同じ。
後ろが重いミドをリア優勢で走らせて安定性を確保し、曲げる方法はドライバーに任せようというわけだ。
アクテイも360モデナもそういうクルマであり、そういう方向の運転を要求するのだという。
サンパーは、ショートホイールベースで、狙いは機動性。
以下は沢村慎太朗氏の本からの引用だ。
例えばステアフイールが素晴らしい。
それはタイヤの切れ角の連続変化をきちんと伝えてくれる。
前が軽いサンパーはターンインで前荷重をしっかり入れておくことが連転のカギになるが、その荷重の大小もステアリングはちゃんと描写してくれる。
またブレーキペダル踏力と制動力の関係もリニア。
どれも達成しているレベルが他4車とは段違いの仕上がりで、もはやトラックの域を超えている。
それだけでなく、サンパーは運転環境も見事だ。
シートはこれだけがビニール表皮でなくファブリッグで、柔らかく沈み身体を支えてくれる。
フットスペ1スにも余裕があって、左足の置き場所は踏ん張りゃすぃ形に設えられる。
何よりも驚くのは、ドア内張りの出っ張り部分。
これがちょうどよくニーレストとなって、右への横Gに耐えるときの助けをしてくれる。
偶然ではないはずだ。
つまりサンパーは、精密なドライビングに必要なデイテールを磨き上げることで、リスクに立ち向かったわけである。そこあるのはサンパーを愛するドライバーたちへの信頼だ。
こんな風に、ドライバーとの間に美しい信頼関係が結ばれているクルマがこの世には他に一台だけある。そう。
ポルシェ911である。
サンパーは911だというシャレ混じりの台詞をよく聞く。
しかしサンパーは単にRRだから911なのではない。
911と同じようなドライバーとの関係を築こうとしているから、軽トラ界のポルシェ911なのである。
サンパーは、ホイールベ1スの短さゆえの内輪差の小ささと俊敏性を買われて、田や畑の狭い道で活躍することが多いという。
アクティは、多様に用意された特装仕様のためもあってか、小回り性が要求されにくい漁業関係に強いという。
言うなれば、港のフェラーリと農道のポルシェ。その大げさ風な形容は、実は深いところで本質を突いているのである。
軽トラックというのは、本来は現実的な世界に生きる機械である。
小さく軽く小回りが効き、しかし荷物が積めて、そして安い。だから存在しているクルマ。
7メーカー5車種のうちどれを選ぶのかも、ドライな現実によって決まるのだろう。
しかし、アクティやサンパーには、それを超えた何かが宿つてぃるように思える。
彼らの販売力はスズキやダイハツに及ぶべくもない。
ならば商品の特色をはっきりと打ち出して、特定の客層をがっちりと掴むほうがいい。
だからサンパーもァクティも、そういうクルマになったのだ。
さすが。
深いなあ・・(笑)
マスコミが煽る領土問題。
こんなものに首を突っ込んでも、時間とエネルギーの無駄だ。
目の前にある、本来やるべきことに集中する方が先なのではないだろうか。
新聞やTVは本来、煽るのではなく、領土問題をどう考えればいいのかの議論をすべきなのではないだろうか?
もともと、領土問題は、竹島であれ、尖閣諸島を問わず、50年や100年では解決できない問題なのだ。
原発問題、消費税問題でも「国益」というのは様々な議論があり、対立する宿命を背負っている。
だが領土問題だけは、国民全員が同意するテーマだといっていいだろう。
政治的な対立も、領土問題では意見はひとつ。
領土問題では、領土権を主張する2国間で、お互いがこうした背景で交渉をするわけだ。
ロシア、中国、韓国、日本は、それぞれ国内で私益が激しく対立することはあっても一枚岩の国益となる領土問題で、どこの国が譲歩するというのだろうか?
冷静に考えればわかる話なのに、新聞やTVは煽るだけで、時間とエネルギーの無駄遣い。
節電はどうした?(笑)
前回の日記の最後で、「一次情報だけで構成された日記には、意外な盲点が潜んでいる」という指摘をしました。
つまり「今日、誰かと、どこかへ行って、こういうことがあったよ」という一次情報の持っているリアリティーの高さを、どう生かすのか?
というハードルがあるわけです。
面白さに繋がらない理由はいくつかあります。
例
写真があり、その説明
そして最後に
「とても楽しそうな雰囲気でしょ?」
「実際に本当に楽しかったのです」
この例のように説明の書き込みが不足すると、独りよがりな「楽しさ」という文字だけで、終わってしまうことになります。
具体的に、どういうことのどの部分がどう楽しく感じたのか?
言い換えれば、面白い映画の中のあるシーンを、文字で表現する、というような、「ストーリー」があるかどうかです。
手はいろいろあります。
具体的な方法は、下記のリンク先をご覧ください。
書き方の技術・秘訣・テクニック にヒントがたくさんあります。
手っ取り早いのは、写真を使い、読み手の想像力を広げるという方法です。
写真というビジュアルと文字とが補い合うため、書き手の想いが、読み手に伝わりやすくなります。
ですが写真があるからといって、文字での説明が不足すると、面白くなくなることもあるわけです。
ですが、誰が見ても美しい、目を引く、ハッとするような、「普通じゃないレベルの写真」を撮り、仕上げることができれば、文字がなくても大丈夫。
このように、日記を書くときに、普通以上の写真に関するスキルがあると、面白さのランクを上げることができるのです。
どこにでもあるような内容や写真、つまり、あなたのブログでなくても読むことができるレベルだと、読み手は、面白いとは感じてくれないものなのです。
写真や文字を通じて、あなたの情熱が伝わるかどうかです。
あらゆる手を使って、試行錯誤を繰り返す。
ここが勝負になるのではないでしょうか。
面白いと感じる、いわゆるインパクトのあるニュースをネタに日記を書きたい。
特にネタがないときには、苦し紛れに、つい手を出したくなるはずです。(笑)
そうした際に気をつけたいポイントについて。
まずインプットと、アウトプットの関係についてです。
インプットというニュースソースが、メディアの場合、多少短くしたり、「てにはを」を変えたとしても、アウトプットされる内容は同じものになりがちです。
つまり、他で代用が効く場合、読み手へのインパクトは弱く、さらに信頼性という点において、大手メディアにはかなわないのです。
ニュースソースが単に一つの「インプット」という2次情報だけを、ほとんどそのままアウトプットするだけなら、誰にでもできるわけですからね。
そのため、2次情報はできるだけ、複数で構成するようにします。
つまり複数のインプットで密度を高くして、アウトプットするのです。
いわゆる世の中に数多くある「まとめサイト」がこれに相当するわけですね。
現場に出かける手間がかからないのですから、調べ物には、しっかりと手間暇を掛けること。
手抜きで仕上げたモノは、読み手にすぐに見抜かれてしまいます。
じゃあ2次情報はどれくらいの数を集めればいいのでしょうか?
たとえば先日の 「高度な修復?」 で書いた内容はまんま2次情報で構成されています。
ですが、これを書いたとき、日本のメディアで「修復」を手掛けたセシリア・ヒメネス教会員の写真は、どこも掲載していませんでした。
そのため英語のサイトを検索することにしたのです。
英語版CBSニュースの動画で発見した修復者の画像を取得、記事へ追加。
多くの日本人は英語が弱いため、英語のサイトを検索する人の割合は非常に少ないのです。
CNNジャパンのタイトルは「スペイン19世紀のフレスコ画、「修復」のなれの果て 悲惨な結末」というものでした。
キーワードを「スペイン・フレスコ画」に絞り、英語で検索。
スペルがわからなければ、ヤフーやグーグル翻訳を使えば簡単にわかります。
修復前と後の画像も、日本のメディアが使っていないものを探しました。
大手のメジャーなサイトのニュースで、自分が知りたい情報が含まれていなければ、それは大きなチャンスなのです。
ですがこうしたニュースネタは、大手のメジャーなサイトに負けない、スピードが必要です。
なぜなら、複数のインプットで密度を高くしようとモタモタしているうちに、旬の新鮮さが失われては、元も子もないからです。(笑)
私はインプット情報を複数集めて3割くらいになったら、即アウトプットのため書き始めることにしています。
そうして書いてゆくうちに、方向性が決まり、どんなインプット情報が必要なのかが、明確になってゆきます。
目指すゴールさえ決まれば、コトは意外にスムースに運ぶものなのです。
こうしたプロセスでは、どの程度の数のインプットを揃え、どのタイミングで書き終えればいいのかのバランスを素早く察知し、速攻でまとめる能力が必要になります。
大手のメディアは、他のメディアに抜かれないように、早くアップすることが求められます。
そのため特に外国のニュースは、共同通信からの情報という、3次情報を使うことになり、どれも同じような、浅い内容のものになりがちです。
ここに素人がつけ込むチャンスがあるというわけです。(笑)
このように、こうしたニュースをネタにする場合、我々素人にも、スクープをモノにする、という姿勢が必要になります。
ここまで読んで、「意外と面倒だなあ・・」と思われた方は、オレは一次情報だけで書くぞ、と思われるかも知れません。
ですが一次情報だけで構成された日記には、意外な盲点が潜んでいるのです。
というわけで、またまた続きます。(笑)
面白い日記は、自分で体験したネタで構成されています。
ジャーナリストも真のプロは、まず現場へ出向きます。
現場へ行けば、そこで撮影した写真と、その際に取材した記事で構成された1次情報を報道することができるからです。
現場に行かず、誰かがリリースした原稿を、掲載したものは、2次情報による報道ということになります。
ネタを1次情報で固められるかどうか。
これは、プロの報道であれ、素人のブログであれ、おもしろさを決定する、大きなポイントとなります。
たとえば原発事故の場合、現場へ出向き写真を撮影、そしてそのときの様子を記事にする、というのが本来のジャーナリストの仕事なのです。
このようにして1次情報で構成されたニュースは、読み手に強いインパクトを与えることができるのです。
ですが東電や政府のリリース情報をまんま掲載した場合、2次情報ばかりで構成されたニュースとなってしまいます。
すると各社同じような記事ばかり、ということになるわけですね。
個人のブログでも然り。
たとえば、アメーバニュースなどの、すでに報道された事件をネタにすると、それは2次情報で構成されたものになってしまいます。
ですが自分がどこかへ出かけ、体験した内容で書かれたブログは、1次情報で構成されています。
そのためこうしたネタで構成されたブログというのは、鮮度が高く、魅力的な日記になる可能性が高いということになります。
このようにニュースソースが何次情報か?かというのは、面白さの根源に関わってくる大きなポイントなのです。
私のブログを例に挙げると「健康的な考え方や、モチベーションアップ」は、自分の考え方をまとめたものなので、1次情報。
「今日の雲」も自分で撮影した写真なので1情報次。
こうしてテーマを分析してゆくと、私のブログの95%以上は、1情報次で構成されています。
とは言っても、どうしても2次情報で構成するしかない、というケースもあります。
ですが、その際は少し手を加え、単なる2次情報だけで終わらないような工夫をするわけです。
じゃあ、どういう工夫をするのか?
というわけで、次の日記に続きます・・ ^^;
基本的に窓は開けないことを前提にしている設計のため、当然ベランダに出ることを前提には設計されていないのだ。
高所恐怖症の人は、下を見ると足がすくむだろうね。(笑)
個々までは EOS 5D + EF16-35mm F2.8L USM
ガラスは緑色のため、室内からカメラで撮ると、このように全体にグリーンがかってしまう。
人間の目だと、緑色だというのがわからないのだが・・
タムロンレンズの18ミリ側、つまり最広角側で撮影したショット。
当然望遠サイドでも、このように緑のフィルターを通したようになってしまう。
タムロンレンズの270ミリ側、つまり最も望遠側で撮影したショット。
上の2枚は EOS KISS X4 + TAMRON AF18-270mm F3.5-6.3 Di II VC
関東平野の熱気と放射能等の汚染物質が入り交じり、入道雲となってモクモクと湧き上がっている。
これは映画のシーンではなく、今の日本の首都で見られる風景なのだ。
目や鼻や耳の調子が悪い人は、症状がジワジワとより悪くなってゆく。
今や福島・茨木・宮城産表示だと誰も買わない。
そのため、三重産をはじめとして、安全とされる地域の魚介類、農産物が多く出回っている。
三陸の漁船は三陸に帰らず、三重に陸揚げしてイオン系列で流通しているという現実。
全農・全漁連等のデータはすでに信じられないところまで来てしまっている。
東京では鮨を食べることが、高いリスクとなるのだ。
タイへは日本が要求し「日本>タイ>」へ加工輸入される日本の食品は、放射能検査免除。
今や輸入だからといって安心できなくなってきている。
福島原子力第一発電所の大災害の危険性は減るどころか、逆に増えている。
今でも日本の環境へ、多種類の大量の放射能が日々、拡散している。
この現状に慣れるにつれ、危険を感じなくなってしまうのだ。
5月下旬には北九州市へガレキが搬入され、焼却が始まり空中線量は10倍に。
北九州市の繁華街はホットスポットだらけ。
未曾有の脅威を、官僚をはじめマスコミから、こうした詳細を知ることはできない。
テレビや新聞はスポンサーや政府の手前、自主報道管制が敷かれている。
だがネットでちょっと調べれば、様々な情報を知ることができるのだ。
文科省ようやくWSPEEDI予測値(広域汚染状況)の一部を公表:東京もチェルノブイリ第三区分入りが濃厚に
チェルノブイリ研究者のバンダジェフスキー博士「東京は人の住むところではない」
こうした情報のどれが正確で、どれが誇張されたものなのかは、知る由もない。
だが、火のないところに煙りは立たず。
危機管理はリスクサイドへ振って、モノを考えるというのが鉄則。
だがリスクの高いエリアに住んでいる人ほど、リスクに疎い、あるいはあえて無視したくなるのが人間の心理。
それでも安全だという思考パターンを取る人が多いのは、仕事場が東京なので、動けないという現実が立ちはだかっているからだろう。
私の周りでも、小さな子供さんを持つ母親はこうしたリスクを避ける行動を取っているのが現実。
今や食べ物への汚染は日本のどこに住んでいようと、避けられない状態。
これまでに、呼吸や食事で体内に取り込んでしまった放射性物質の何割かは体外に排出される。
だが体内に残ったものは放射線を出し続けているのだ。
セシウム、ストロンチウム、プルトニウム。これらが私たちの体細胞のDNAを確実かつ着実に傷つけ、将来の免疫不全や癌の原因となるわけだ。
体内に残留した放射性物質が生産している癌細胞などの異常細胞を、貪欲に貪るマクロファージを激増させるためには、腸内乳酸菌の密度を高めることだ。
それには、飯山一郎氏が提唱する乳酸菌の密度がケタ違いに多い豆乳ヨーグルトがベスト。
つまり最も有効な対策は、乳酸菌豆乳ヨーグルトを食べること。
私は毎日食べている。
お通じが良くなるというおまけ効果もあるのだ。
今からでも遅くない!
「今日の雲」を連チャンでアップ。
この日の空はダイナミックだった。
刻一刻と表情を変えてゆく。
思わず見とれてしまう。
だが見てばかりではダメ。
どこでシャッターを押すかだ。
3時を過ぎての雲を撮るのは意外に難しい。
ケチらずどんどん撮っておかないと、過ぎたるは及ばざるがごとし。(笑)
だが見てばかりではダメ。
どこでシャッターを押すのか。
3時を過ぎての空は意外に難しい。
ケチらずどんどん撮っておかないと、過ぎたるは及ばざるがごとし。(笑)
もう少し待ってみようと眺めていると、もうちょっとなのに、という光まで失なうからだ。
雲の合間から一瞬漏れる光は、特に美しい。
カメラを構え、待ち続けたからといって、良い結果が出るわけではないのが不思議。
何気なく外に目をやったときに、これは!っと思ったらそれがチャンス。
ベランダに出てシャッターを押す。
閃きの瞬間と、アクションを起こすタイミングが、すべてを決定する。
これって人生と同じじゃあないか。(笑)
EOS 5D + EF16-35mm F2.8L USM
将来書くことのなんらかのプロになりたいと思っています。スラスラと読みやすい「はっちさん」のようなスタイルの文章を書きたいのですが、何か秘訣のようなものがあるのでしょうか?
というご質問をいただきました。
文を書くときに気をつけているのは、誰がどのようなときに読んでも、意味がよくわかるように書く、ということでしょうか。
読む人が疲れて頭が回らないようなときに読んでも、すんなりと意味がわかる。
これこそが、私の目指す文章です。
わかりやすくいえば「商用日本語」で書かれたものということになるでしょうか。
なぜなら文章を「商用日本語」で書くことができれば、読み手の多くは「また読んでもいい」と思ってくれる可能性が高くなるからです。
私たちが普段目にする、お金を払って読む多くの本や雑誌は、基本的に「商用日本語」で書かれています。
ですから読み手は知らず知らずのうちに、こうしたレベルの文章が「普通」だという感覚を持っています。
つまり読み手はこのレベルを「普通」だと感じているわけです。
そのため、この「普通」というレベルに達していれさえすれば、表現上はその文章に対して違和感を持つことがないことになります。
最初は「個性的な文章を書こう」などということを意識する必要は、ないと思います。
というか、最初からそういうことは、できないはずです。
まずは誰が読んでも、すんなりと意味がよくわかる日記が書けるか?がスタートになると思います。
こう書くと「文章に個性は要らないのか?」という声が聞こえてきそうですが、もちろん、魅力的な文章にはハッキリとした個性が感じられるものです。
ですがその前にまずは「商用日本語」を書けるようになることが先決です。
そのうえでの、個性だと思います。
ここで書いている日記は、私なりの「商用日本語」で書いています。
書くときに目標としているのは、正しい「商用日本語」を特に意識することなく、自然に使えるようになるということでしょうか。
ということで「商用日本語」を書くためのポイントを、いくつか挙げておきましょう。
一つのセンテンスを短くする
私の日記を例に挙げると、ほとんどのセンテンスは2行以内で、ときおり、3行のときもあり、3行の後のセンテンスは、1行になったりしているはず。
短いセンテンスを積み重ねることで、主語と述語の関係や修飾句の係り方などが明確になるのです。
ですが、短い方がいいからといって、センテンスをすべて一行にしてしまうと、かえって読みにくくなります。
言葉にリズムがあるように、文章にもリズムがあった方が、スラスラと読めるからです。
1行、2行、3行を混在させるのは、文章にリズムを持たせるためなのです。
内容によっては、行数が多めになることがあります。
行数が多目の段落のあとには、行数が短い段落を書くと、文章の単調な感じがなくなり、リズムが生まれます。
センテンスや段落の長さに変化をつける
つまり、同じような字数の段落が続くのは避けたほうがいい、ということなのです。
少し字数が多いセンテンスの後には、短いセンテンスを書く。
短いセンテンスが続くときには、少し長い一文を書いてみることです。
こうした点に気をつけるだけで、全体が一読してわかりやすいものとなり、随所から個性を感じ取ってもらえることに繋がるはずです。
つまり「誰が読んでもわかる文章を書く」という制約の中から、個性というのは自然に生まれるものなのだと思います。
プロの作家には、一定の読者がついていますから、一つのセンテンスが少々長く、難解であっても問題はありません。
ですが私たちアマチュアは、著名な作家のように難解な文章をいきなり書くというのは、 避けた方がいいでしょうね。
複数の同じ意味のセンテンスを一つの段落に書かない
一つの段落の中に、同じような意味をもつセンテンスを書くと、スピード感がなくなってしまいます。
読み手は、早く先を知りたがるものです。
複数の重複したセンテンスは、読み手にまどろっこしいイメージを与えてしまう恐れがあります。
一つの段落やセンテンスの中で同じ言葉や表現を使わない
私の日記の文末を見ると、それぞれの文末の表現が違うはずです。
たとえば、ある文では「・・です。」と書かれ、その次は「・・でしょう。」となり、その後は「.・・だと思います。」と変化をつけています。
これは、読む人が飽きないように、私なりに工夫をしているからです。
ほとんどの文末が「・・です。」という表現だったらどうでしょう。
単調に感じてしまうはずです。
書くときはどうしても内容にだけ意識が集中することになるため、語尾というのはどうしても、同じような表現になりがちです。
ですから、文末はできるだけ変化球を投げるよう、心がけてください。
だからといって、特殊な「癖」のような言い回しを文末に使って個性を出そうとすると、「変人っぽく」なってしまいます。
文字や文体そのもので個性を出すのではなく、考え方や文章を使って、考え方を読み手に意識してもらえるような努力をすることです。
書き終わったら、少し時間をおいてから見直すといいでしょう。
そうすれば、語尾の変化のバランスがよくわかるはずです。
どうすれば「日記に見られる3つのタイプ」のようなものを考えついたり、分析をまとめたりできるようになるのでしょうか?というメッセージをいただきました。
答えるのが難しい質問です。
ですが基本的には「考え」をまとめて文字にする」という、プロセスをやっているわけですが、いくつか気をつけている点があります。
自分の考えや想いを相手に伝えるためには普通、言葉と文字を使うわけですが、言葉は録音でもしておかない限り消えてゆきます。
ですが文字は残ります。
そこで大事になるのは、言葉の使い方。
話すときは、相手の反応を見ながら、足りない部分をリアルタイムで補うということができます。
ですが文字では、こうした部分については、コミュニケーションをとって相手に過不足なく伝えると言う点において圧倒的に不利なわけです。
勝手につぶやいたことを単なる記録として残すだけなら、何も問題はないのですが、自分の考えをまとめ、誤解を生まないように過不足なく表現するというレベルで書こうとする、なかなか難しいものです。
では、そこに書かれた言葉から伝わってくる奥行きや深さというものは、何によって決まるのでしょうか?
それは、自分なりの独自の視点という切り口で見せる、という事に尽きるのではないでしょうか?
わかりやすい例を挙げると「日記はこう書くべきだ」と決めつけた主張というのは、よほどの証拠固めがないと、反発を受けたり、突っ込まれたりするものです。
ですが「自分は日記をこう書いている」ということに対しては、誰も口を挟めないのです。
そして、読み手が日記を通して独自の視点という切り口を見たとき、その切れ味が鮮やかで鋭いほど、強烈な印象を与えることになります。
自分なりの独自の視点で見るというと、難しそうですが、要はあるテーマでの問題を、何処まで掘り下げることができるのか?ということになるのではないでしょうか。
だからといって、掘った穴そのものや、掘った穴の深さを自慢する必要はありません。
そこまで掘ったからこそ見つけられたものの値打ちというのは、少しでも掘ったことのある人にはわかるものなのですからね。
そのためには、そのテーマを真剣に見つめる必要があります。
ですがそのテーマに対しての、独自の分析や、多くの人がなるほどと思うようなレベルの「答え」らしきものを見つけるのは、それほど簡単ではないのが普通です。
で すが、方法はあります。
私の場合、気になること、あるいは真剣に考えるべきだと思う問題がある場合、その問題が自分なりにまとまるまで、常にアタマの片隅にでも入れておく、つまり意識というスイッチを切らないようにしています。
酸素カプセルの中では、気になることや疑問が浮かぶことがかなり頻繁に起こります。
そうすると、そのことについて納得ゆくまで、考えるわけです。
考えすぎて死ぬことはないのですからね。 (笑)
ですが、そうして考えるといっても、毎日の生活があるわけですから、そのことばかりで頭の中を一杯にしておく、というわけにもゆきません。
ですから、常にバックグラウンドで、スリープ状態のまま待機をしている、といえばいいのでしょうか、そういう状態にしておくわけです。
その状態で、外で誰かに逢い、話し、あるいは何か関連するヒントに結びつくようなきっかけで出会ったとき、自動的にそのスイッチが入るのです。
このようにして一度スイッチが入ると、それが問題の琴線に触れるかどうかは、無意識のうちにわかるものです。
こうしてうまい具合に問題が「自分なり」に、そしてある程度の結論が出れば、パソコンの前で書き始めるだけ。
すでにそのときに書くべき事は、アタマの中で整理がついて固まっているというわけです。
もしこういうプロセスを踏まず、パソコンの前に座ってから書いたものと比べた場合、何が違うのか?
というと、結論が出るまでの練られ方、あるいはそうしたプロセスを消化するための時間においては、雲泥の差があるわけです。
当然、こうした要素は読む人に与えるインパクトの強さや深みに、大きな影響を与えるのです。
こうしたプロセスを、繰り返してゆくうちに、自分の頭の中にはこうした回路が自動的に生成され、スイッチさえ入れておけば、こうしたプロセスの処理プログラムが働くようになります。
無意識という領域の保つポテンシャルは、想像を上回り、時には驚くほどの結果を生み出すことがあります。
人間の脳というのは、意識することを繰り返すうちに、必要でより適した部分だけを無意識という領域へ自動的に格納し、処理効率を上げるということを、無意識にできるようになるのです。
これはトレードのメソッドを考えていたときに、偶然そういう体験をしたからなのですが、一度こういうことを体験すると、頭の中にはどうやらそういう道ができるようで、あらゆる出来事に対して応用させることができます。
そうなればしめたもの。
アトは無料で使い放題。
何といっても自分のアタマなのですからね。(笑)
ですがそのためには、常に肉体的にも精神的にも最良の状態を保っておく必要があります。
運動、指圧やマッサージ、さらにはモロモロのアイテムを駆使して、カラダを調整しておく必要があります。
ボロボロのマシンでは、十分な性能を発揮できませんからね。
天才とは1%のインスピレーション(霊感)と99%のパースピレーション(発汗)である - エジソン
Remenber, hard work causes most everything to grow.
米国のオフィスでよく見かけて、日本ではまず見ることがないのが、いわゆる「inspirational posters」と呼ばれるポスターだ。
渡米した頃、会計士や弁護士のオフィスを訪ねたとき、印象に残ったのはさりげなく壁に掛けられていた、こうしたポスターだった。
画像はサンプルだが、大体このようなスタイルのモノが多く、しかるべきサイズでフレームに入れられ、壁に掛けられている。
使う目的だが、自分のインスピレーションが鈍ってきたときに、研ぎ澄ますための砥石のようなものだといえばいいだろうか。
フォーマットは大体決まっているようで、黒い枠の下部にはその写真のテーマや、短い言葉が入っている。
You're at a10. We need you at about a 7.
読む人に対して「文字とは違ったアプローチで語りかける」ためのものだ。
We Can't Service without It
ちまたにある「素材集」などに収められている写真も似てはいるが、こういうレベルで使えるものは意外とないもので、いわゆる市販の素材集というのは「無難」を絵に描いたようなモノが多い。
特に日本では、こうした写真が飾られているオフィスを見ることはほとんどなく、ノルマとか誰が一番の売り上かかがわかるグラフなどが壁にベタベタと貼られていることが多い。(笑)
ネットで探せば、額付きのものから、素材となる写真だけを販売しているものまで様々なアイテムを見つけることができる。
Hidden Depth
どの国でも人気のある一枚。
サイズもいろいろなものが揃っている。
ネットを丹念に探せば、パロディーっぽいものや、自作の作品を集めたサイトなど、様々なものが見つかるだろう。
これはレクサスのデザインを「いただいた」!ジョークの入ったポスター。
これは東京で住んでいたときの自宅ベランダからの写真を使っている。
自分で撮った写真にフォトショップで枠をつければ、このように誰でも自分の気に入ったものを作ることができる。
このサイトでは自動でレイアウトを制作してくれる。
Surprise. Excite. Delight.
To ensure a great presentation do these three things
これは神戸の自宅のベランダからの写真を使っている。
art.com では1700円から2500円前後、フレーム付きだと1万2千円前後で購入することができる。
お試しあれ。
ちょっと珍しい角度で。
日記やブログには、さまざまなタイプがあります。
一日24時間という誰にとっても同じ長さの時間を過ごしたその体験が、ブログにはさまざまなカタチで反映されています。
というわけで、今日は「独断と偏見で」3つのパターンへ分類してみることにしました。
日記を分類するということは、その人なりをも分類することにも繋がるのではないか?
というわけです。
タイプ1
受け身型。
批判をすることは少なく、かといって率先して何かをするということも、あまり積極的ではありません。
リスクのあることは徹底して避ける、という意識が根底にあるのかもしれません。
毎日の生活は淡々として流されるように生活をしています。
人はよさそうで、素直な人が多いようです。
自分が好きなことや、面白い場所へ行ったときには、読み応えのある日記を書くため、日記のトーンはさほど暗くはなく、明るいものが多いようです。
ただ日記のタイプとしては、いわゆる退屈な毎日を思い出したように書き綴ったものが多くなります。
新しい考え方にチャレンジしよう、という発想は見受けられません。
というと年配の人に多いように思えますが、意外とこのタイプは、若い人に多いのです。
毎日の生活の中で、繰り返されることを書き綴ってはいても多分本人にとっては大きな出来事なのでしょう。
ただ日記を読む第三者が、日記の内容で勇気付けられたり、希望が湧いてくるということはありません。
タイプ2
人生における能力や経験、内に秘めたエネルギーの強さなどは、誰にも負けないくらいの強さを保っています。
ただ素直さや輝きは、毎日の生活に追いまくられているうちに消耗してしまったかのようです。
本来持っているエネルギーを「皮肉」方向へ変換してしまいがちで、日記では常に社会の何かに対して書いています。
自分のことは棚に上げているため、立派な批判を書く割には、仕事ができる様子はないようです。
日記はどちらかといえば自虐的な明るさがあり、皮肉っぽいユーモアが顔を覗かせます。
意外と頭の中は不満と怒りに満ちているのかもしれません。
それを日記に書きバランスを取っているかのようで、批判が多く、日記全体のトーンが暗くなってしまっていることに気がついていないことが多いようです。
前は優秀だったのかな、とも思わせる人で、ちょっと残念な気がしますが、何かがあって社会に失望したのかもしれません。
自分の生活を向上させ仕事を前向きに変え、身近な周りの人のことを助けることにエネルギーを使うわけではないようです。
同じ意見の仲間には、やさしいのですが反面、意見の異なる面識のない第三者に対しては容赦がない、という自分の姿勢に気がついていないことが多いのです。
たとえば政治を批判するだけで、じゃあ自分がトップになって変えてやろうという発想にはならず、自分でできることから変えてゆこうという意思は、日記から読み取ることはできません。
当然信頼のおける人間関係を築きあげることはおろそかになっているため、結婚することなく、独身で通している人ケースが多いのも特徴です。
タイプ3
このタイプは、実は 2 のタイプとよく似ています。
人生における能力や経験、内に秘めたエネルギーの強さなどは、誰にも負けないくら強いというところまでは同じです。
ですがここからが違います。
怒りを抱えてしまっているタイプがネガティブであれば、こちらはポジティブ。
こういうタイプの人は、自分の力ではどうしようもないことに深入りして愚痴ることはしません。
自分で解決できることから取り組む、という明確なポリシーを持ち、まず自分から変えようとアクションを起こせることが、日記から感じることができます。
日記を読む人に勇気と希望を与えるのは、書く人の情熱が文字を通じて伝わるからでしょう。
自分勝手なところも見受けられますが、そんなことは気にしていないのでしょうか、楽観的で挑戦好き。
自ら進んで自分を向上させる考えを持っているため、当然仕事もできるようですし、経済的にも豊かです。
そうなれば、自分への信頼も高くなり、他の人を導きまた人へのアドバイスもできるわけで、それを 比較的きちんと、言葉にして書くことができます。
複数の人間関係をうまくこなせるわけですから、家庭という複数の人間との関わりでもうまくやってゆけるのでしょう、独身というケースはほとんど見られません。
ユーモアがあるのも、すべてに余裕があるからでしょう。
こういうタイプの人は、チームワークでも素晴らしい業績を上げることができるはずですが、一匹狼が多いのもまたこのタイプの特徴です。
つまり組織に縛られない生き方を模索し、あるいは実践しているため、いつでも勇気をもって立ち上がって、見識の相違を唱えることができるのです。
考えや意見がストレートなのは、こうしたバックグラウンドがあるからでしょう。
ネガティブな事に対しては批判もしますが、それをどうやって解決するのかという目線で物事を見ていることが日記からは伝わってきます。
自分ができることと、できないことをわきまえて分析しているからでしょう。
さて、あなたどれに属するでしょうか?
といってもこの分類は、どれがいいとか悪いとかを論じるためのものではありません。
わかりやすくパターン化したため、個々の細かい要素が当て嵌まらないこともあるでしょうが、当たらずとも遠からず。
ですが大まかな傾向としてはどれかに該当するはずです。
実際には程度の差はあれ、この3つの要素のバランスが日替わりで変わっているケースも意外と多いかもしれません。
自分を変えると言う過程では、自分を客観的に、そして率直に見つめ直すことから始まるのですが、同時にわかりやすく分類することで、自分の目指す方向がわかりやすくなるという効果もあります。
「自分はどのタイプになりたいのか?」を考えるスタートラインとして、そして「そうありたい」方向へ自らの意思で自分を導くためにも、こういった分類は意味があると思います。
価値観は人それぞれなので、もちろん2のタイプになりたい、あるいは最初のタイプを目指し、そこを突き詰めようというのも大いにありなわけです。
さて、どこを目指しますか・・
EOS 5D + EF16-35mm F2.8L USM
昨夜の米国マーケットは、日本時間の午前3時に、FOMC議事録が公開されるため、ネットエイドでは、それまでは動かないだろうと書きましたが・・
2012-08-22 22:30:13 はっち >> 今日は遅くにFOMCの会合があるので動かないかも知れない
トレードフロアではアドバイスとして、こういう日は動きにくいので、100ドルくらいの利益を積み重ねてまとめる、という作戦がいいだろうということになったわけです。
昨日工夫で紹介した、あるトレーダーの成績ですが、なかなか手堅くまとめられています。
ロスの少ない、まさに「よいトレードの見本」といっていいでしょう。
昨日も書きましたが、彼の毎日の地道な検証の結果は、このように反映されるというわけです。
ですが彼も、トントン拍子でスキルを上げたわけではありません。
途中でスランプに陥ったのですが、見事に立ち直りました。
スランプの時期の彼のトレードをチェックすると、もっと利益を上げようと、知らず知らずのうちに、ルールを破っていたのです。
こうした点というのは、本人はなかなかわからないもの。
毎日アドバイスを繰り返し、彼自身も検証を繰り返しながら、徐々にスランプから脱却したというわけです。
トレードフロアでトレードの訓練をするメリットは、まさにここにあります。
彼はそうした指摘を真剣に受け止め、メリットを存分に生かしてくれたというわけです。
昨夜の日本時間の午前3時に、FOMC議事録が公開されました。
内容は、「景気急回復しないようなので早い持期に追加の金融緩和をしますよ」というものでした。
ジリ下げだった米国株式市場は、午後3時から急騰。
当然ドル円の為替は円高に振れました。
円高つまりドル安方向へ大きく動いたわけです。
FOMCとは、アメリカの連邦公開市場委員会。
日本でいう日銀の金融政策決定会合に相当する委員会。
現在の景況判断と公開市場操作(政策金利の上げ下げや為替レートの誘導目標)の方針が発表され、アメリカの株式市場や為替レート、引いては世界の金融マーケットに大きな影響を与えています。
FOMCは、FRBの理事7名と5人の地区連銀総裁の計12名で構成されています。
アメリカの政策金利などを決定する、金融の最高意思決定機関。
FOMCの議長はFRBの議長が務めるのが通常で、現在のベン・バーナンキ氏も、先代のアラン・グリーンスパン氏もFRB議長。
FOMCは年に8回・6週間ごとに行われています。
2007年度は1月31日、3月21日、5月9日、6月28日、8月7日、9月18日、10月31日、12月11日に行われます。
日経は午前7時現在マーケットのジャンルで全く記載なし。
大きな出来事なのに速報にもニュースは影もカタチもなし。
日本の金融報道は、のんびりしてるよなあ。(笑)
金融緩和というのは、おカネの融通をしやすくして景気をサポートする政策。
2007年後半から2008年にサブプライム不況、リーマン危機などで、アメリカは金利をほぼゼロパーセントまで引き下げました。
これは景気を下支えするための金融緩和策でしたが、その効果で徐々に景気回復したわけですが、まだ不安定。
しかし、ゼロ金利はこれ以上は引き下げられないので、他の金融緩和策を検討・実施しているというわけです。
金融緩和は通貨下落、金融引締は通貨上昇につながります。
アメリカが金融緩和すればドル安、円高、日本が金融緩和すれば円安というわけです。
さらに日本は金融量的緩和をしてもその資金が市中に回らないため、米国やユーロ圏に比べ実質的な金融量的緩和ができず「円高」になっています。
金融量的緩和が「効かない」状態ですが、米国はまだ効いているわけです。
これが日米の金融当局の手腕の違いなのですね。^^:
トレーディングでは、自分なりの工夫というのはとても大事な点だ。
特に何かを継続的に検証する際には、こうした独自の視点は、スキルの向上に大きく役立つのだ。
昨夜は比較的難しいパターンだった。
一筋縄ですんなり動く銘柄が少なかったからだが。
ではいくつかの銘柄をチェックしてみよう。
2012-08-21 22:34:16 はっち ADSK QCOM
1000株銘柄なので +770ドル
2本目で入ればさらに利益は増える。
ストップはエントリーした位置。
2012-08-21 22:37:33 はっち ONXX
2012-08-21 23:17:38 はっち ALTR ONXX ADSK PCLN ONFA WYNN
500株銘柄なので +900ドル
最初の37分は3本目なので、このローソク足のあとでは入れない。
入るとカットロスになるわけだ。
236で跳ね返り、直近の高値抜きでエントリーだ。
トレーニング中のあるトレーダーの昨夜のトレーディングの分析を Executioner Internal から転載。
彼は、デモトレーダーを使って執行している。
◆総括
・比較的に良く動いたが急落もあり、利益確定が少し難しい日だった。反省点はオープニングの利益確定。すぐ逃げるのか、ホールドしてプルバックをやり過ごすのかの判断が遅かった。1分足で逃げどころを決めるなど、早くアクションがとれるように改善したい。
◆相対比較(オープニングのみ)
<39/3> Hold +305 / Total 0
■CL記入:△○
■判定
■結論 |
|
■CL記入:○○
■判定
■結論 |
<42/4> Hold 0 / Total +40
■判定
■結論 |
<54/8> Hold +120 / Total +40
このレベルのトレーディングができる人はなかなかいないだろう。
なぜなら、難しく思えるパターンでも、ルール的にエントリーできる銘柄へ、積極的にエントリーしている。
これは恐怖心を持つトレーダーには、なかなかできないことではないだろうか。
彼の良いところは、脱出後のチャートを添付しているという点だ。
手仕舞いの判断が正しかったかどうかを検証しているわけだ。
このような独自の工夫をするという積極性は、彼のスキルに必ずよい影響を与えるはず。
今後が大いに期待できるトレーダーだ。
軽トラのスバルサンバーは、モノのわかったクルマ好きの間で、「畑の911」あるいは「農道の911」と呼ばれている。
だがメジャーな自動車雑誌、CGやオートカーなどに軽トラのスバルサンバーがが取り上げられることはない。
軽自動車のサイズは全長4.3メートル、幅1.4メートル以内で、エンジン排気量は660c以下という縛りがあり、軽トラの場合、積める荷物の重さは350キロ以内。
富士重工はスバル360で自動車事業に参入した1958年から2年後の1960に初代KI51系サンパーを発表、翌年1961年に発売。
設計チームはスバル360と同じで、つまりはスバル360の設計とメカを流用して作られたというわけだ。
そのためリアサスはスイングアクスルを使った独立懸架。その後の最終モデルはセミトレの独立懸架。
サンバーの特徴をわかりやすく箇条書きにすると・・
サンバーの駆動方式はポルシェ911と同じRR(リアエンジン・リアドライブ)。
エンジンは軽では数少ない4気筒で他にはダイハツ・コペンのみ。
足回りは軽で珍しい四輪独立懸架。
車体はモノコックではなくフレーム構造。
前輪のホイールアーチの張り出しは乗員のシート横にあり、足元が広いフルキャ ブタイプ。
さらに軽トラの中でも最も短いショートホイールべースというのがミソのようだ。
リアエンジンは、構造的に後ろが重いため、ホイールベースが長いと、リアヘビーになって安定性が悪くなるからだ。
そして前輪には荷重が掛かりにくいため、運転席は前輪の真上に保ってきて、運転手を「おもり」替わりに使って弱点を緩和する構造となっている。
そしてリアエンジンのためキャビンとエンジンが違く離れているのも、音の面ではメリットとなるのだ。
席の下にエンジンを積むFRの軽トラは、アクセルを全開にすると、ラジオが聴こえなくなるほどうるさくなる。
だが、サンパーのキャビンの下にはエンジンがないため、構造的にもともと静かになるというわけだ。
他の軽トラはほとんどが3気筒のためエンジン両端を上下に揺する振動が出てしまう。
だがサンバーは、直列4気筒のため、3気筒よりずっと振動が少ないのだ。
そして操縦安定性や、乗り心地の面でも、サンバー以外の軽トラはリーフ・リジッドのため、リアの左右が別々に動くのを拒もうとする。
一方でサンバーの場合はセミトレの独立懸架のため、乗り心地もよく、ジワリと粘る操縦安定性を保つことができるというわけだ。
発売50周年記念特別仕様車「WR BLUE LIMITED」
スバル サンバー WR BLUE LIMITED 画像ギャラリ
偶然見つけた特別仕様車
私は乗ったことはないのだが、モータージャーナルの沢村慎太朗氏と森慶太氏の有料メルマガや、刊行されている本を読むと、モータージャーナリストの間では、非常に評価の高い車なのだという。
このお二人のハナシを総合すると、アクセルとトルクの出方や操縦安定性は、驚くほどダイレクトで、クルマ好きを唸らせるほどの高い次元の車に仕上がっているのだという。
リアエンジンの場合、ポルシェ911が苦労したように、旋回が深くなりヨーが強くなると、リアヘビーのためテールが外へ振り出されることになる。
そのためサンバーの操舵時の前輪横力ゲインは、かなり穩やかにしつけられているらしい。
一気に切って激しくヨーが起き上がると、スピンの危険があるため、そういう味付けをしてあるわけだ。
だが荷物を積むと、よりリアヘビーになるのではないかと心配になるわけだが、荷積状態のテストでは重みでリアのトラクションが増え、力強く地面を捉えるようになり、想像するよりもはるかに安定して、全く破綻する気配さえ見せないのだという。
そういう意味ではポルシェ911と同じように、開発チームが長年改良を続けてきたチューニングの成果なのだろう。
箱バンはトラック版に比べると、純度は落ちるらしい。
とここまで読むと試乗したくなるだろうが、すでにこのクルマは、スバルが軽自動車の生産から撤退したため、2012年2月に生産中止となってしまった。
買うなら中古車しかないわけだ。
スバル・サンバーには自然吸気のエンジンの他に加給バージョンもあり、自然吸気が911なら、加給バージョンはポルシェ911ターボ。(笑)
そして最も人気が高いのが、赤帽仕様。
赤帽仕様で使われているパーツは、酷使に耐えられるように、特別なモノを使っているためコストが高く、儲からないクルマなのだという。
しかもブレーキは通気式ディスクで、フロントにはチンスポイラーも着いている。
ポルシェで言うところのGT3に該当するわけだ。(笑)
赤帽サンバーの中には、オーバーホールなしに50万キロ走った例もあるという。
何よりもマニアの心をくすぐるのが、赤帽にちなんでエンジンのヘッドカバーが真っ赤に塗られているという点だ。
そして最高に Fun to Drive なのは、軽トラサンバーの荷台を取払った状態なのだという。
つまり二人乗りのピュアスポーツカーというわけだ。
参りました。(笑)
無限の広がりとパワーを持つ想像力。
どこまでも広がってゆく世界だけに、意外とその広がりのスケールというのは見えないものだ。
目の前にあるグラスを見たとき、誰もが何の疑いもなくそこにあるモノとして、意識さえすることなく、受け入れている。
だが、アタマで考えていることや心模様というのは、目に見えないだけに、うつろいやすく、またはかなく、そして頼りなげなものとして捉えているのが普通だ。
特に他者からは、余計に存在しないもののように扱われるため、自分にとっても、実態のないものとして捉えてしまいがちだ。
そうしたとき、言葉や文字という変換ツールを使うことで、それは大きく様変わりさせることができる。
そして「その瞬間」から自分以外の世界と共有できるものとして、チカラを持ち始めるのだ。
文字として実体化された思考は、その時点から自分に対しても強い説得力を持ちはじめ、具体的な文字というカタチを伴ったイメージとして目から脳へと送り込まれることになる。
そしてそうした体験の繰り返しは、やがて自分をも呑み込んでしまうほどのパワーを持ち始める。
こうした方法を使えば、イマジネーションを、自分の中へ取り込み、実体化された現実へと変換することができる。
迷いや悩みといったものも imagination と同じで、本当は実態がないものだ。
多くのケースで、現実には存在しないモノと不用意に向き合い続け、不本意にも実体化させてしまっているだけなのだ。
だがそうして実体化させてしまった悩みから生まれた困難も、イマジネーションを使うことで、消滅させ、変えることさえできるのだ。
現実というのは、こうしたメカニズムで自分が毎日積み重ねることで作り上げてきたものだから、その気にさえなれば変えることができるものなのだが、体験がないことを理由に、踏み込むことのない領域として放置されている。
だが最初の一歩を踏み出し、一度でもそうした体験をすれば、そのパワーから生み出されるポテンシャルによって、夢は大きく拡がりはじめる。
だが、長い時間をかけて積み上げられてきたものだけに、現実を一気に変えることはできない。
イマジネーションという見取図をもとに、現実のエッジを少しずつ削り取り、あるいは形を変えながら自分好みの現実へと変えてゆく作業が必要になるからだ。
そうしたとき、威力を発揮するのが、文字を使った表現力だ。
現実のエッジをボヤケさせ、想像力で描かれた夢という世界との境界線領域を広げるために、欠かせないツールが文字だといえばわかりやすいだろうか。
文字を駆使して文章に幅と奥行きを加えるだけで、現実を変えるためのパワーを生み出すきっかけを作ることができるという事実を、多くの人は過小評価している。
何故なら評価は体験から生まれるものだからだ。
imagination は誰もが、どんな状態であっても、信じた瞬間から、輝きを放ち始める。
今この瞬間こそが、スタートする絶好のチャンスなのだ。
あなたの望む未来は、常に今という現実から始まっていることを、忘れてはならない。
1週間の休暇後、普通のスケジュールに戻ったわけだが、東京マーケットでは市場参加者が少なく、今日の東証1部売買代金は今年最低を記録。
つまりスカスカなチャートのオンパレード。(笑)
お盆の休暇明けにもかかわらず、低調なのは、いわゆる外人機関投資家が戻って来ないからだ。
ではチャートを見てみよう。
マーケットは震災後ダウントレンドが続いている。
放射能の対策がダメだと、日本の多くの産業がこのようにジリジリと沈下してゆく。
世界の投資家の評価を、日本の政治家たちは知っているのだろうか?
チャートなんか見ていないだろうな。(笑)
米国マーケットのダウ平均、つまり重厚長大産業を代表する銘柄の集まりは堅調。
私の仕事場のナスダックではアップルが高値を更新、時価総額は約49兆円!
フェイスブックは下げる一方だけどね。(笑)
しかしナスダックは、素晴らしいカタチのチャートだ。
米国のオフィスでよく見かけて、日本ではまず見ることがないのが、いわゆる「inspirational posters」と呼ばれるポスターだ。
渡米した頃、会計士や弁護士のオフィスを訪ねたとき、印象に残ったのはさりげなく壁に掛けられていた、こうしたポスターだった。
画像はサンプルだが、大体このようなスタイルのモノが多く、しかるべきサイズでフレームに入れられ、壁に掛けられている。
使う目的だが、自分のインスピレーションが鈍ってきたときに、研ぎ澄ますための砥石のようなものだといえばいいだろうか。
フォーマットは大体決まっているようで、黒い枠の下部にはその写真のテーマや、短い言葉が入っている。
You're at a10. We need you at about a 7.
読む人に対して「文字とは違ったアプローチで語りかける」ためのものだ。
We Can't Service without It
ちまたにある「素材集」などに収められている写真も似てはいるが、こういうレベルで使えるものは意外とないもので、いわゆる市販の素材集というのは「無難」を絵に描いたようなモノが多い。
特に日本では、こうした写真が飾られているオフィスを見ることはほとんどなく、ノルマとか誰が一番の売り上かかがわかるグラフなどが壁にベタベタと貼られていることが多い。(笑)
ネットで探せば、額付きのものから、素材となる写真だけを販売しているものまで様々なアイテムを見つけることができる。
Hidden Depth
どの国でも人気のある一枚。
サイズもいろいろなものが揃っている。
ネットを丹念に探せば、パロディーっぽいものや、自作の作品を集めたサイトなど、様々なものが見つかるだろう。
これはレクサスのデザインを「いただいた」!ジョークの入ったポスター。
これは東京で住んでいたときの自宅ベランダからの写真を使っている。
自分で撮った写真にフォトショップで枠をつければ、このように誰でも自分の気に入ったものを作ることができる。
このサイトでは自動でレイアウトを制作してくれる。
Surprise. Excite. Delight.
To ensure a great presentation do these three things
これは神戸の自宅のベランダからの写真を使っている。
art.com では1700円から2500円前後、フレーム付きだと1万2千円前後で購入することができる。
お試しあれ。
シアトルから日本へ戻ってから10年になるが、その間に賃貸マンションへ引っ越したのは5回。
以下は2回目の引っ越す前の、ちょうど今から10年前に書いた日記だ。
今週末から久しぶりの休みが始まる。だが、その前に部屋探しをしようかなと。
シアトルに家があるので、もう家はいらない。
シアトルの家だって、別に買いたくて買ったわけではなく、住みたいところには、アパート、日本で言うところのマンションがなかったため、家賃と同じ金額を払って買うことにしただけ。
もともと家なんて借りるもので、買うものではないと思っている。その理由は借りる方が絶対に得だからだ。まず第一に買ってしまったらそこから動けなくなる。
今の時代何が起こるかわからないのに、柔軟に動けるフットワークを自ら捨て去るということはチャンスを失うということになりかねない。
そりゃ今はここがいいと思っても、事態が変われば逆に不便な場所へと豹変するなんてことはザラにあるからね。
家を買う人って「毎月の家賃がもったいない」とかいう不動産屋トークを真に受けてしまい、チャンスを生かせるフットワークを売り渡していることに気がつかない。
慣れない高い買い物だから、動揺するのはわかるけど。
「家賃を払うというのは、お金を捨てるのと同じだから買った方が得」だなんて建売業者の回し者のような考えに染まり、10年前に無理をして家を買った人が、いまどんな状況かを考えれば、よくわかるはず。
ファンダメンタルを見て、ああだこうだといっても、その後のチャートを見れば、外れたかどうかは一目瞭然というのと一緒。大きな勘違い。
おまけに維持費や税金だってかかるわけで、これだってチリも積もれば山となる。
一生懸命にお金をためて、手間暇をかけて自分好みの家を建て、大事に住んでいても、転勤にでもなって、おまけにすぐに売れなければ、人に貸すことになり、貸した人に汚されてパー。
郊外に立派な一戸建てを持つと、確かに「人に自慢できる」という自己満足を満たすことはできるだろう。
だがそういう人に限って、広い家には寝るために帰るだけ。
自分の家のローンを払うために働くというのは、本末転倒。
「働くための家に住む」というのが本来の考え方だろう。まあ本人がよければ、どちらでもいいのだけれど。余計なお世話か。
日本文化は農耕民族の血を受け継いでいるから、百姓が自分の田畑を持つことにあこがれるという習性があるのかもしれない。
余裕があれば買えばいいと思うけど、無理をしてまで家は買うものではないだろう。
どうしてもどうしても郊外に住みたければ、都心に住む場所と、郊外に住む場所の二箇所を持つというのが正常な考えだと思う。
家を持っていれば値段が必ず上がると考えた人は、そういう考えがハズレだったということを、ここ10年でいやというほど思い知ったはずだ。
10年間前に比べ、買った値段から2000万円値段が下がったのなら、年間200万円の家賃を払ったことと同じだ。
家の値段なんて、上がるものもあれば、下がるものもあり、安いと思って買った家が下がり、高いと思った家が値上がりするなんてこともあるわけで、誰も先のことなんてわからない。
「何年か住めば、上がりますよ」というのは「何年か持っていれば上がりますよ」という証券会社のセールスマンと同じフレーズだ、ということに気がつくはずなんだけど、みんな「家」と聞くと、思考能力が停止してしまうのか?
それとも、コマーシャルにお金をかけているからか?
株と同じで、一生持っていようなんて思っていると、意外や意外、値段が大きく下がってしまい「塩漬け」なんていうのも似ている。
通勤に時間をかけ、自分の家のローンを払うためにいやな仕事を我慢して働くくらいなら、賃貸に住んで同じ家賃を払い、好きな仕事に転職し、毎日楽しく過ごした方が、運も向いてこようというものだ。
歳をとったら田舎で暮らしたいという人も多いはず。
だが、田舎には刺激がないことを忘れてはいけない。
刺激の少ないところに住めば、余計に老け込むのが関の山だ。
そうして、フェードアウトしたい人にとって、田舎はいい場所だろう。
だが、いつまでも若々しく過ごしたいなら、都会で暮らすという選択肢もあることを覚えておいても損はないはず。
1990年のバブル崩壊から日本はデフレ経済といわれ、物の値段が下がり続けている。
デフレが続くと国力が落ち、国全体が貧しくなる。
国力を上げるには投資のための資本を集めなくてはならないため適度なインフレが必要なのだ。
構造的に先進国は投資に対する弾力性があるのでデフレになりにくい。
だが戦後、先進国で唯一デフレになった国は日本だけ。
住宅ローンなどの借金は固定金利の場合、インフレになると軽減されることになるのだ。
だが、下のように日本だけは、ほとんどインフレになっていない。
世界経済のネタ帳より
このように日本は住宅ローンで家を買っても、インフレによるメリットがほとんどない状態なのだ。
週末に掲載していた雲の写真はフォトショップCS5を使って調整しています。
メニューからは、イメージ>色調補正>HDRトーンで選択するわけです。
ではその違いはどの程度なのか?
というわけで、それぞれの効果を比較してみました。
まずオリジナルの画像です。
縮小してフレームに影をつけてあるだけで、画像そのものは撮ったままの状態。
これがHDRトーンのデフォルトの効果です。
上と比べると、これだけでもかなり違います。
ショートカットキーに割り付けてあるので、キーを押すと一発でここまで変えることができます。
ディテールを+100まで上げるとこうなります。
ここまで上げることはありませんが、比較する際に、わかりやすくするためあえて+100まで上げてみました。
ディテールを-50まで下げてみました。
このレベルまで下げることはありませんが、これも比較しやすいように極端な値にしてみたというわけです。
月曜の朝からいきなりで何ですが(笑)まあたまにはいいかなと。
かなり先のハナシなので、心配する事もないのですが、長生きして確かめたい気がします。(笑)
要点を抜粋引用すると、こういうことになります。
彼らがエイリアンと協力して作成した「ルッキンググラステクノロジー」によれば、この地球の未来には2通りのタイムラインがあるという。
第1のタイムラインは、核戦争後の地上に生き延びたグレイのような人類と地下に潜った西洋人。2万4千年後の世界である。その後、地下に留まった西洋人種も4万5千年後にはレプティリアン型のグレイに進化する。
第2のタイムラインは、地球は天変地異か核戦争のために生物が住めなくなり、月や火星の宇宙基地に待避していた西洋人種だけが生き延び、その後太陽系やその外に広がり、オリオン種族という金髪碧眼種へと進化する。5万2千年後のことだという。
というわけですが、言ってみれば確かめようがないハナシですが、そうならないと言い切れないのも確か。
目先のことで悩んでいる方には、結構効くのではないかと・・(笑)
ちょっと珍しい雲が出現したのでパチリ。
青空と雲のコントラストが刻々と変わる夏の空。
Beautiful !
神戸で生まれ神戸で中学まで育ちました
こうして高い位置から街を撮った写真って素敵ですね('-^*)
海と山に挟まれた神戸の町。大好きです
神戸の生活はどうですか~?
こういうコメントをいただきました。
その土地の魅力というか、住み心地というのは、そこで過ごす時間と比例してある変化するものだと思いますが、まずは第一印象から・・
◆シアトルに似ている
8月1日に車でく神戸入りして、その足で有馬温泉に向かったのですが、そのときの道筋の景色が、シアトルにとても似ていたのでちょっと驚きました。
シアトルのパインレイクの山道に似ている・・
シアトルはダウンタウンなど、いわゆる街の中心地を離れると、高い建物があまりないのですが、神戸はこういうところも、何となく似ているんですね。
特に神戸は、北野に異人館などが多いことでもわかるように、ちょっと「ガイジン・テイスト」が入っているような気がします。
これについては、おいおい日記でも触れてゆきたいと思っています。
シアトルのダウンタウンからベルビューに向かうフリーウェイに似ている・・
◆空気が綺麗
これは「鼻くそ」の蓄積度と質からもハッキリと違いが伺える部分です。(笑)
神戸に住んでみると、東京の空気というのはかなり汚れていることがよくわかりますね。
遠くの空の色が黄色っぽくなく、青いままだということが、カメラのファインダーを覗いたり、撮った写真をチェックする際にもハッキリと認識することができます。
マンションの駐車場から出た脇道から原田線への交差点だが人が少ない。
◆空模様がダイナミックに変化する
これは先日の日記にも書きましたが、リゾート地に近いレベルですね。
これは神戸が山と海に挟まれた狭いゾーンに位置していることにも関係しているのではないでしょうか。
太陽の光がまるでリゾート地!
◆道が広く、その割に車が少ないので走りやすい
車の集団をやり過ごすと、そのあとは車が確実に途切れるので、Uターンなどを含めて、車での移動がとても便利なのです。交通量が比較的多いのは国道2号線くらいでしょうか。
あとは、ほんとスカスカなので、神戸は車で走る値打ちが十分にあるというのも、車好きの私としては嬉しい点です。
それぞれ、メインとなる場所の位置関係が、かなりわかってきましたしね。
ポートアイランドから六甲山への眺め
◆人が多過ぎない
8月2日には花火大会があったのですが、人が多いなあと思ったのはそのときくらいでしょうか。
常日頃から、東京はあらゆる面から見て、人が多過ぎるように感じていたのですが、神戸に住み始めてからは特に強くそう思います。
毎日をのんびり過ごすには、ちょっとキツイなあ、という感覚は正常だったのだなあと、いまつくづく感じています。
突き当たりが東急ハンズ
◆神戸人の人柄が気さく
いわゆる神戸人は、言葉のアクセントも大阪人ほどアクが強くなく、いわゆる「ラテン度」というのも、ちょうどいい塩梅に感じます。
私自信はカミサンが東北なので、大阪弁は喋りませんがというか、喋れなくなってしまっていますが、ちょっとのんびりとした雰囲気の「神戸弁」を聞くと、癒やされる気がします。^^
三宮駅前
◆物価が安い
すべてにおいて、割安感が漂っているわけで、これは精神衛生にはとてもいいですね。
先日もうまい「たこ焼き」を発見したのですが、300円であの味ですからねえ。
東京だと500円はするうえ、味は勝負になりませんからね。
東京のたこ焼きというのは総じて、油をかけるモノが多く、あれが味を台無しにしていることが多いのです。
ビックカメラやヨドバシカメラはないが、ヤマダ電機で何でも揃う
◆ネットでの検索では情報が比較的少ない
人口が東京より少ないため、情報量も少なくなるというのは仕方ないことだと思いますが、その分クチコミによる情報量はかなり多いようで「人に聞く」のがポイントになります。
とにかくマメに検索をすることで、それなりに絞り込むことはできますが、ちょっと工夫が必要になります。大まかな情報は拾いやすいのですが、深い情報が少ないのですね。
HAT神戸のメインストリートは、平日でもまるで日曜日の早朝のようだ。
神戸の魅力が、ネットから余り感じられないのがちと残念ですが、それじゃあ私が頑張ろうじゃないの、というわけです。(笑)
13日頃から始まった「街宣右翼」対策警備。
終戦記念日に加え、韓国大統領の支持率下落により、日本という外敵を自国民に憎ませるるための天皇侮蔑発言暴言問題、、さらには尖閣問題が絡み合い警備が大規模になったようだ。
右翼団体が騒音を撒き散らす本当の理由は、迷惑行為による愛国者へのイメージダウンと、日本人の愛国心(国家意識)を低下させることにあるのだが・・
右翼に悪いイメージを植え付ける目的で街宣右翼の宣伝カーが走り回る。
右翼団体の構成員の多くは「在日韓国・朝鮮人」だが、日本名(通名)を使っているため、事件を起こすと、必ず日本人のように報道される。
日韓・日中の仲が悪くなると、アメリカの戦争屋達も喜ぶという図式だ。
この期間は警備のため車線が狭くなり、クルマが大渋滞することになる。
騒音を計測する装置。
8月15日は終戦記念日か敗戦記念日か?:戦後の日本は米軍による在日支配の歴史!?
18日になって警備はかなり手薄になってきてはいるが・・
ウィークデイの5日間を休み、夏期休暇は終わり。
休みはまだ土・日の二日間あるけれど、終了ムード。(笑)
休んでみて、ちょっと意外なことを発見。
休暇で空いた時間は、何故か自動的に他の普段できない仕事で、埋まってしまう。
というか自分で、あまり意識することなく、埋めてしまっているのだ。
かといってそれほどテンションが上がるわけでもなく自然にそうした自分がいる。
という感じ。
習慣のパワーを、侮ることなかれ。(笑)
普段もランチは父と外出てほとんど外食をしているので、ここは休暇だからといって変化なし。
ではそれ以外に、どこの部分のどこで時間が拘束されているか?
箇条書きにしてみた。
1・朝イチは顧問会社と契約して発行している有料メルマガの発行。
前日の米国マーケットのサマリーと当日の候補対象銘柄をまとめたものをマーケット開始前に発行。
朝9時までがタイムリミット。
テンプレートを作ってあるが、作成するのに結構時間がかかる。
2・そして9時5分時点の対象銘柄をメルマガで発行。
遅くとも9時10分くらいまでには購読されている方へ届くタイミングで送らなければならない。
3・そして夕方には、その銘柄がどうだったのかを発行。
これの送付時間はかなり柔軟性を持たせている。
いわゆる「時間のクッション」というヤツだ。
なので、時間的な制約面で、かなりラクになる部分。
なので、次の4回目の前に送っている。
4・そしてその日の東京マーケットの概要を発行。
これは「3・その銘柄がどうなったのか?」についてチャート付きで解説詳細解説するため、制作には結構時間がかかる。
時間の制約は緩く、暗くなるまでを目安に発行。
「時間のクッション」を敷いてあるわけだ。(笑)
このように毎日4回有料メルマガを発行している。
そして米国夏時間の今は10時半から11時半までが本業の仕事。
コマンダーとして、トレードフロアで指示を出しながら、ネットエイドという有料サービスでチャット形式の書き込み。
最も集中力が必要なため、頭をフル回転させ、密度を高くしなければならない1時間だ。
とは言っても、フルパワーは最初の10分くらい。
マーケットの動きによっては、10分後からアイドリング状態になることもあるわけだ。
朝は7時頃から9時10分くらいまで2時間少し拘束され、夜は9時半頃から夜中の12時頃までの2時間半くらい。
早く終われば、記事の下書きや編集清書?(笑)に時間ができるわけで、書き上がったら少し寝かせる時間も必要になるわけだ。
休暇になると、以上がスッポリとなくなる。
だが、これ以外にもモロモロの付帯するTO-DOがある。
パソコンの保守やメンテ、オフィスの掃除、もう一つの不動産の仕事、ファイナンシャルや税務の資料作りや打ち合わせ、ブログ書き、家族と過ごす時間、などなど。
誰かに使われているわけではないので気楽だ。
だけど「やりくり」の工夫というか、効率よく仕上げるスキルがないと、自分で自由に使える時間を作ることはできない。
下手すると、忙しく走り回らなければならなくなるのは、どの仕事でも同じことだろう。
そして一旦時間に追いかけられるようになってしまうと、そのサイクルから逃れることはかなり難しくなってしまう。
そのため定型作業はできるだけ自動化している。
最近も仕事の一部をバージョンアップしたばかり。
こうしたプログラムのは、アウトソーシングとしてで、ある人物にお願いしている。
ちょうど今日、ウィンドウズアップデートの不具合で、東京から彼がリモートアシスタンスで私のパソコンを操作し、修復作業を終えたところ。
彼とは約10年くらいのつきあいだが、気心の知れた良き友人でもある。
というわけで休暇中も、新設とリニューアルをそれぞれ完成させるため、作業をしていたわけだが、ようやく一応完成。
まだ手直しは必要だが、一応使い物になるからね。(笑)
なので、やっと本当の一段落。
とはいえ、休みは週末の土・日がまだ残っている。
このように、どこからどこまでが仕事なのかという境界線が、一見かなり曖昧。
だが必要な集中力の密度が高いゆえ、カラダへの影響は決して少なくない。
そのため、カラダ各部は懲りやすくなり、メンテナスの時間が別途必要になるというわけだ。
特に忙しいワケではないのだが、かといって決して暇なわけでもない。
「お仕事の方、最近お忙しいですか?」
という突然の挨拶は、こうした理由から、返答に困るのだ。
一瞬微妙な「間」が空いてしまう。
そこで大阪弁。
「ぼちぼちでんな」 (笑)
なかなか幻想的だったので日の出をパチリ。
ここ2・3日ほど天気が悪かったが、朝起きてカプセルに入る前に目に入ったので数枚撮影。
じっと待っていれば、もっと素晴らしいシーンを撮れたのかも知れないが、寝起きの朦朧とした頭では、もう一寝したいという願望には勝てず。(笑)
日本の学校教育は、歴史的・地理的・政治的な事実やそれらの関連事項を「覚える」ということに重点が置かれている。
一方アメリカの学校では、小学校から一貫して、比較しながら識別を行い、深く「分析」した結果を「まとめる」という一連の思考システムを訓練することに重点が置かれている。
娘は中学校からシアトルの学校へ通ったが、アメリカの学校へ通っていると「日本の学校は楽しくなかった」ということがわかるようになるという。
その理由は、暗記中心の詰込み授業や、先生の画一的な考え方、集団行動強要、時代にマッチしない変化の乏しい授業内容などにあるという。
そのため日本の子供は勉強はできるが、一緒に遊んでも楽しくないということになってしまう。
そういう子供がやがて大人になり、映画や車の仕事に就くとどうなるだろうか?
創造性豊かな面白い映画や、個性のある楽しい催しが何故日本で生まれにくいのかという根源的な問題は、子供の頃に発生しているように思える。
デイトレードの発祥地であるアメリカでは、20年以上も前から株式投資については、学校で教えている。
それもゲームという形態でだ。
アメリカの小学校での経済に関する授業内容を挙げてみよう。
家庭での物・サービスの購入と消費
商品を作るために必要な物・サービス
物の欠乏・希少性の概念
決断に作用する機会費用の基礎概念
原価・ベネフィット・選択の基本
自然資源・人的資本・資本設備の基本を識別
個人経営・パートナーシップ・株式会社の形態の違い
州及びアメリカが工業において果たした歴史的な役割
物の値段の決め方
製造者と消費者、輸入・輸出、国際貿易の利点
中学校で勉強する内容
物・サービスのコストと質の比較
雇用の機会・選択、商業利益、起業リスク
商工業のコミュニティーでの役割、公的と私的の識別
経済的な測定・値の基本
経済における政府の役割
さまざまな税とその効果
労働組合、銀行、需要と供給
将来のトレードの可能性考察と物々交換、金属、通貨の売買について
アメリカの学校でゲームとして提供されているプログラムそのものは、日本では日本証券業協会から、株式学習ゲームとして提供されている。
アメリカでは学生対象のゲームなのだが、日本では大人が対象にされている。
この違いこそが、まさに日米の差だといっていいだろう。
株式学習ゲームの目的は、株式投資のテクニックを学ぶことではない。
株式の模擬売買を通じて、株価変動の背景となる現実の経済・社会の動きに生徒達の目を向けさせることにある。
つまり、ゲームとしての面白さによって生徒の関心をひきつけようというわけだ。
ゲームは、生徒3、4人がチームを作り、情報を集めながら、どの銘柄に投資するかをディスカッションで決めてゆくというものだ。
当然のことながら、銘柄の決定過程では、選択の合理的な理由が求められる。
こうしたゲームのプロセスを経て、合理的な選択のための「意思決定」や「ディベート」の訓練が、楽しみながらできるようになっている。
模擬売買を通じて、実際の株式投資と同じ結果が出てくるため、株式投資の難しさや投資に対するリスクをも、身をもって学べるというわけだ。
将来の自分の財産を管理するために必要な体験を、吸収力があり考え方が柔軟なうちにさせようというのが、アメリカでの学校教育の目的なのだ。
ゲームを体験した学校の先生によると、このゲームをすることで「新聞のニュースをよく読むようになり、縁遠かった政治や経済に関心を向けるようになった」という。
アメリカでは20年も前から、こうしたゲームを通じて株式トレードについて学校で教えているが、今の日本でも親の反応は「学校で株式投資を教えるなんて・・」というネガティブなものになることは、言わずもがなだ。
こうした点を比較すると、全く別世界の様相を呈してくることがわかるだろう。
物事に対する柔軟な考え方についての、レベルの違いは、子供の頃からの教育の違いから生まれ、大人になる頃には、大きな違いとなって社会に影響を与えることになる。
今の日本の中学校で、株式投資についての授業というのは行われているのだろうか?
興味のあるところだ。
ネットではいろいろな不平不満を書き込み、理屈を捏ね、共感を得るという方法で読者を増やす手法が、あいかわらず一定層の支持を受けているようだ。
これは有名どころのブログや、アクセスの多い個人サイトを見れば一目瞭然。
不平不満は、どこの世界にでも、まだ誰にでもあり、探せば多分泉のように湧き出てくるだろう。
ネットではそのはけ口として直接関係のない政治家やタレントや、そのときのニュースで話題になった人の悪いところや欠点を見つけ、あたかも魔女狩りのように、むやみやたらに批判する人が多い。
政治家やタレントを批判しても、応酬される恐れがないことは、あらかじめわかったうえでの予定調和だ。
安全なところから、ヤジを飛ばすだけだから、憂さ晴らしにはなるのかも知れない。
まさに今の日本の世相を反映しているといっていいだろう。
欠点をあげつらい、批判をするというのはとても簡単なことだ。
言うだけなら誰にでもできる。
批判するときには、では自分ならどうするのか、何ができるのか、という新しい代替え案を用意するのが常識だと思うのだが、常識世界の暗黙の了解が通用しないのがネットの世界なのだろうか。
その批判が通らないとヒスを起こし、エスカレートする。
これじゃあ赤ん坊と同じだ。
誰だって批判されるより褒められる方が嬉しい。
トレードだって反省することはいい事だと思うが、良かった点を褒める方がうんと、気分がいいはずだ。
悪かった部分やミスだけを探し出し、そのあげくに自信を失うのだったら、そういったミスや失敗は忘れた方がいい。
ミスは誰だってやるわけだし、完璧な人間なんていないのだ。
ロスを出すたびに反省して、落ち込んでたら、トレードなんてできやしない。
反省ばかりに終始し、ミスをほじくり回るというのは、強迫観念による自信喪失を刷り込むことになり、それがまた同じ事の繰り返しになってしまう。
褒められた方が、人は伸びるのだ。
私は、トレードについての相談を受けると、必ずその人のプレイのよい点を探して書くことにしている。
そして批判ではなく、一つだけアドバイスをすることにしている。
そうやって自信を付けてあげるほうが、こっちだってうんと気持ちいいからね。
だから揚げ足を取ったり、悪い点だけをあげつらう人の気持ちを考えれば、倉庫とをされても、別にハラを立てることはないわけだ。
それよりも、そういう精神状態になる毎日を過ごしている人には、逆に同情してしまう。
褒めるために相手と向き合う方が、結局はその人を生かし、自分も成長することができるのだから。
褒め言葉を振り撒き、浴びせれば、数滴は自分にもかかるわけだし。(笑)
ノンアルコールビールは、アサヒ・キリン・サントリー・サッポロ各ビールメーカーから発売されている。
だがこの4社のノンアルコールビールすべてを飲んだことのある人は少ないだろう。
というわけでノンアルコールビール、ジャイアントテストを敢行。
って大げさな。(笑)
フジフイルム X10 で撮影
左右両端の缶が歪んでいるのは、コンパクトカメラ特有の、糸巻型に歪む歪曲収差のため。
右端はサッポロのブラック。
すべて自宅マンションの地下にある大丸ピーコックで購入。
売り場にはノーマルもあったが、たまたまサッポロは2種類あったので、ブラックで参加。(笑)
実はこうした飲み比べは、何を隠そう以前アサヒとキリンで一度やったことがあるのだ。
だが今回は4種類の飲み比べ。
さてどうだったのか?
まず、一口ずつ飲んでみた。
アサヒとキリンは似ている。
サントリーは一番味のない、いわゆる「無味」な感じ。
サッポロのブラックは少し甘みがあるので、これが一番美味しく感じる。
とはいっても、ビールに比べると、味気ないのは仕方ないわけだが・・
ワインもそうだが、何も食べないで飲んだときと、料理を食べながらでは味の印象は変わるもの。
というわけで、食べ物を食べながら飲むと、どのように印象が変わるのか?という飲み比べ。
とはいってもいろんな料理を食べながらというワケにはゆかないので、とりあえずピーナッツ。(笑)
最も美味しく感じたのはアサヒ。
キリンは何だかまずく感じる。
食べ物なしで飲むとそうでもないのだが、食べながら飲むと、どうしてこうもまずいのだろうか?
これは以前飲み比べたときもそうだったので、まず間違いない。
サントリーの、無味さ加減は変わらずで、これだけ味のなさを貫き通すのは立派、と褒めたいくらいだ。(笑)
ただ実際には、家で何か飲みたい時に、まずいノンアルコールビールを飲む人は居ないだろう。
とはいっても、アルコールが全くダメという方には、この飲み比べをお勧めしたい。
現実に最も多いのは、外出先において、やんごとなき事情(笑)で飲まざるを得ない、というケースだろう。
だが私の経験では、ノンアルコールビールというと、一番まずいというか、私の舌と相性の悪い、キリンを置いている店が何故か多いのだ。
キリンは食べ物屋への営業力が強いのかどうかはわからないが、ほとんどのケースでキリンが出てきてガックリするわけだ。
サッポロが出てくることもあるが、ブラックはまず置いていない。
私の経験では、アサヒが出てくるケースというのは、残念ながら、もの凄く低い確率なのだ。
どこのノンアルコールビールですか?
と尋ね、もし「アサヒです」と言われたとき、神に感謝したくなるほどだ。(笑)
だがこうして飲み比べて味がわかってしまうと、キリンこ出会う確率は高いわけなので、ガックシ度も高くなるという、弊害がなきにしもあらず。
とはいっても、自分の味覚に合うモノを知っておくのは、悪くないと思う。
ま、知らなくても別にいいんだけどね。
と言ってしまっては、身も蓋もないよなあ・・(笑)
多くの方は「フリーエージェント」(Free Agent)というと、スポーツ選手を連想されるかもしれない。
所属チームとの契約を解消し、他チームと自由に契約を結ぶことができるスポーツ選手のことを「フリーエージェント」(以後FAと略す)と呼び、自由契約選手とも呼ばれている。
最近ではもっと狭い範囲で「特別な移籍自由の権利を持つ選手」を指す言葉としても使われている。
だがビジネスの世界では「組織にぶらさがらず、やりたいことをやって、食っていける人」の事を指す。
日本では特にやりたいことをやっているわけでもなく、組織にぶら下がっている人や、形としては独立していても大企業の下請けとして組織にぶら下がっている人が大多数を占めているのが現実だ。
だがほとんどの国、とりわけ先進国では、FAの割合は年々増加しているにもかかわらず、日本だけは、いわゆる「自営業」が減り続けている。
FAはダニエル・ピンク氏による「フリーエージェント社会の到来」というベストセラー書によって広く世に知られることになった。
氏は1 年をかけて全米を旅行しながら、多くのフリーエージェントに出会い、その働き方の詳細を含め、成功している人たちだけではなく、万年臨時社員として不当に搾取されている層についても論じている。
日本でも翻訳出版されて、話題となったため、ご存知の方も多いかもしれないが、この本では米国のFAたちが、その働き方を選んだ理由や、生活と仕事の実態などが詳しく描かれている。
ダニエル・ピンク氏はワシントン D.C.在住で1964 年生まれ。
米国ノースウエスタン大学卒業、エール大学ロースクールで法学博士号(J.D.)取得。米上院議員の経済政策担当補佐官を務めた後、クリントン政権下でロバート・ライシュ労働長官の補佐官兼スピーチライター、1995 年から 97 年までゴア副大統領の首席スピーチライターを勤めるという経歴をお持ちだ。
FA宣言後、ファストカンパニー誌やニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙をはじめとするさまざまなメディアにビジネス、経済、社会、テクノロジーに関する記事や論文を執筆されている。
FAの要点をまとめると、次のようになる。
20 世紀後半までアメリカの社会と経済は「オーガニゼーション・マン」(組織人間)によって支えられてきたが、21 世紀前半の米国を象徴するのがこの「フリーエージェント」。
FAとは、大きな組織のくびきから離れ、一人の上司の下でなく、複数の顧客を相手に、自分自身にとって望ましい条件で独立し働く人たちだという。
そしてFAはおおよそ次の3つに分類できるのだという。
1・ 「フリーランス」(特定の組織に雇われずにさまざまなプロジェクトを渡り歩いてサービスを売る。独立契約者(インディペンデント・コントラクター)、コンサルタント、インディペンデント・プロフェッショナルともいう)米国では約1650万人。
2・ 臨時社員(臨時で働く経営幹部、弁護士、看護師から、派遣会社を通じて働く人までを示す)米国では約350万人。
3・ ミニ起業家(従業員 5 人未満の小さな企業)米国では約1300万人。
米国では労働人口の 4分の1に相当する3300 万人がこの働き方を選択しているという。
ちなみに米国の公務員の人口は約2000万人。
日本の公務員数は450万人ほど。
人口千人当たりで比較した公務員数の国際比較を見ても、米国の222人に対して日本は175人と少ない。
だが、忘れてはならないのは、天下り。
「特殊法人」、「認可法人」、「独立行政法人」、「民間法人」などがぶら下がり、その下にさらに膨大な数の「公益法人」がぶら下がっている。
フリーエージェントの登場には、次のような4つの大きな変化が背景となっている。
・従業員が忠誠心と引き換えに会社から安定を保証される関係の崩壊。
・生産手段が小型で安価になり、個人で所有できるようになった(例ノートパソコン)
・仕事の目的が生活の糧を得るだけでなく、やりがいを求めるようになった。
・組織の寿命が短くなり、勤め先より長く生きるようになった。
彼らが最も重視するのは「自由」で、それによって新たな労働倫理も生み出すことになった。
それは「自由」「自分らしさ」「責任」「自分なりの成功」の 4 要素から構成されるものだ。
忠誠心も上司や組織に対する「タテの忠誠心」に代わり、チームや同僚、顧客、職業、家族や友人への「ヨコの忠誠心」へと変化をしているのだ。
彼らは孤独に耐えるのではなく、さまざまな小規模グループを形成し、そこでの人間関係は緩やかで流動的でえり好みできることが特徴だという。
「あなたがいつか力になってくれると思うから、今あなたの力になろう」という、スマートな考え方が土台となっている。
工業経済の時代には、仕事と家庭は切り離されていたが、FA経済はそれを再統合しようとしているように見える。
「仕事か家庭か二者択一、バランスを取る」ではなく、両者をブレンドしているといっていいだろう。
FAによってビジネスやキャリアのあり方、コミュニティーの築き方も変わってくるかもしれない。
経済の生態系には巨大企業とミニ企業が主に生息し、中間サイズは廃れてゆく。
これまでの管理職は姿を消し、特定プロジェクトのため適材適所の人材を集められるプロジェクトマネジャーが生き残る。
地域社会やコミュニティーは活気を取り戻し、FAの未来は、男性ではなく女性が中心になって築いてゆくだろうと予測している。
さてこうしてFAについて調べてみると、フレッシュなだけではなく、実践的でさらに現実性のあるスタイルに思えるのだが、さて皆さんはどう思われるだろうか?
世界のビール市場シェアをご存じだろうか?
1位がベルギーのアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ)(バドワイザー)
2位が英SABミラー
3位がハイネケン
4位がデンマークのカールスバーグ
5位は中国の青島ビール。
日本のアサヒやキリンは、ランキングの9位・10位あたり。
ハイネケンインターナショナル 設立 1864年
連結:約219億64百万ユーロ(2007年) 2兆1200億円
総資産 約1345億ユーロ(2007年) 13兆円
従業員数 59000人(2007年現在)
アサヒグループホールディングス
連結1兆4724億円
(2009年12月期)
総資産連結1兆4336億円
(2009年12月)
従業員数 約240人(2011年7月1日現在)
アルコール飲料業界では、M&Aが活発だ。
2008年には、売上高世界第2位のインベブ(ベルギー)が、4位のバドワイザーで知られるアンハイザー・ブッシュ(アメリカ)を約5兆5千億円で買収。
この合併で(新社名:アンハイザー・ブッシュ・インベブ)は、世界のビールシェア約25%を占める、売上高世界1位の会社となったわけだ。
キリンビールとサントリーの経営統合が実現した場合、同社に次いで世界第2位(2007年の売上高単純合算)の企業となる予定だったが、2010年に決裂。
何故今回ビールネタなのかというと、CSのナショナルジオグラフィックチャンネルで世界の巨大企業としてハイネケンを取り上げていたからだ。
ハイネケンは運送のために港を作るほどの巨大企業。
陸路を使ったトラックによる運搬だと、渋滞でビールの運送に時間がかかり、鮮度が落ちることになるからだという。
そのお陰で陸路のクルマによる輸送量が大幅に減り、渋滞緩和にも役立ったというわけだ。
ビールは基本的に酵母が味を決めるため、ハイネケンは創業のときの酵母をクローン技術で何代にも引き継ぎ、独特の味を保っているのだという。
ビール独特の複雑な味を生み出すのが酵母。
ビールの旨さというのは、雑味も含まれるわけだが、日本の「生ビール」は真夏の常温管理で腐らないよう、酵母菌を高性能フィルターで濾過してしまうのだ。
その際に旨みまで同時に除去されてしてしまうため、味わいの浅い、水っぽいものになってしまう。
ハイネケンは基本的に緑のあのボトル1種類だけで、それだけの売り上げを上げているわけだが、その秘密は味にあるというわけだ。
現在の国産ビール大手4社は、国産ビールの「生」は加熱処理をしないものと定義している。
コトの始まりはサントリーが1967年に「純生」(ビン詰め)の発売から始まる。
これが爆発的な人気となり、シェアがアップしたわけだ。
ウリはNASAの技術による「ミクロフィルター」を使い、で熱処理をしないで酵母を取り除くことに成功したというものだった。
このサントリーの純生がきっかけとなり、業界で「生」論争が勃発した。
アサヒビールは、翌年の1968年に「アサヒビール本生」を発売。
「本当の生です。酵母が生きています。」との触れ込みで、工場周辺にだけ瓶詰めで出荷。
生きた酵母こそ「生」という主張で冷蔵保存必須、賞味期限は2週間という、いわゆる本物だったわけだ。
だがサントリーは「熱処理しないビールが生だ」と主張。
1979年、公正取引委員会が、「生ビール、ドラフトビール=熱処理をしないビール」と公示。
サントリーの主張が認められたというわけだ。
それ以後、ミニ樽、生樽、ビア樽に入った、いかにも新鮮そうな「生」ビールが市場に登場したというわけだ。
サントリーはまずいウイスキーで世界的に有名だが(笑)、日本のビールの味を悪くするきっかけを作った張本人でもあるわけだ。
ウチではサントリーのプレミアムモルツというビールは、カミサンも私もまずいという評価なので飲まない。
サントリーは、NASAのフィルターで旨みをごっそり濾過するわけだからね。
つまりキンキンに冷やさないと、おいしく飲めないというのは一理あるわけだ。(笑)
日本のメーカーは何種類ものビールを次々と造り出し、ビールもどきの発泡酒まで出しているが、何だか進む道が違うような気がする。
ビール系飲料の税金は主に麦芽の量で決まるわけだが、ビールは原料に占める麦芽の割合が3分の2以上。
税率の低い発泡酒は3分の2未満。
第3のビールは大豆やエンドウ豆を原料にして麦芽を使わないか、発泡酒に麦焼酎など別のアルコールを加えるため、発泡酒よりさらに税率が低い。
そのため安くできるというわけだ。
安さと多品種で勝負する日本のメーカー VS 味で勝負する世界のビール会社。
これって、何となくクルマ産業の構図と似ている気がするのは、私だけだろうか。(笑)
スターチャンネルで放映していたマイレージマイライフ
原題とはかなり違うタイトルだが、邦題はまんまのモノと、思いっきり変えたものとがあるがこれは後者。
原題の Up in The Air だと「宙ぶらりん」と言う意味でもあるわけだが、このタイトルじゃあねえ。(笑)
見るのは確か3回目くらかな?
だが、細かいところは結構忘れているものだ。
最後のオチも全く覚えていなかった。(笑)
2010年に制作費2500万ドルで制作され、興行収入が1億6300万ドルという大ヒット作。
私も昔、といっても1992年頃から一年以上毎月アメリカと日本を往復していたことがあるので、懐かしい風景のオンパレード。
そうした空港やホテルが舞台となっている。
しかも本物の失業経験者(一般人)が大勢登場してちょっと話題になった映画だ。
主人公のジョージクルー扮するライアンは、リストラ対象者へクビを言い渡す仕事で、全米を飛び回っているという設定だ。
主人公のライアンは、スーツケースに入らないものは、荷物はおろか家族も恋人も持たないポリシー。
その彼がアナ・ケンドリック分する女性新入社員のおかげで失業の危機に直面したり、空港でのヴェラ・ファーミガ扮する女性との出会いなどで、2時間を飽きないよう、手堅くまとめられている。
しかも、観客は主人公のような生活とは無縁のため、風変わりな主人公の生活が疑似体験できるという意味では、結構面白く楽しめる作りになっている。
ただ最後の方で、ヒロインの彼女が亭主と子供持ちでショックを受けるというのが、主人公の考え方やポリシーとちょっとチグハグに感じたのは私だけではないだろう。
そしてこれがきっかけで、エンディングへ繋がるわけだが・・
この作品の難点は、ラスト前の進行が早すぎるため、登場人物の心理描写が不足し「そうだよねえ」という共感が薄れてしまっている点ではないだろうか。
とはいっても、ジョージクルーファンには文句なくお勧めの映画だ。
余談だが、冒頭で飛行機から地上を写したシーンがある。
アメリカの都市は上から見ると、この映画のように、都市計画とはこうあるべき、という見本のような風景を楽しむことができる。
特にシアトルは自然に囲まれ、息を呑むような美しさだった。
だが日本へ戻るフライトで最後に眺める風景は、まるで異次元の世界。
まるで、おもちゃ箱をひっくり返したかのように雑然として、都市計画なんぞとは一切無縁の町並みを眺めることになるわけだ。
といって、何とかできるものでもないわけで、着陸前には一気にテンションが下がってしまうのだった。(笑)
ベタなタイトルですが、相変わらず暑い毎日が続いているので、ランチはどうしても軽いものになりがちだ。
なので今回は、明石焼きの後でコロッケという「はしご」パターン。
盆休みの期間中なので、神戸の繁華街は混んでいた。
日陰でかなり暗かったので、ハイキーにしたのだけれど、ちょっと白かったかな。(笑)
何を撮っているのかというと・・下の建物。
神戸は観光名所、こうして撮っている人は観光客の可能性が高い。(笑)
C6は、鼻が長いため、ほとんど機械式駐車場には入らない。
そのため直射日光を避けて停めることができる駐車場というと、どうしてもここの交差点を渡る必要があるのだ。
なのでパチリ。写真はすべてフジフイルムX10で撮影。
12時に近かったので、明石焼きの「たちばな」には行列が・・
10分ほど並んで2階へ通された。
並んでいた前二組は東京から車で来たらしく、渋滞で有馬温泉に着いたのが夜中の1時前で、大変だったという。
神戸へ来たらここへ立ち寄るというスケジュールだったらしい。
用意周到・・(笑)
忙しいと、明石焼きが偏って並ぶことがあるようだ。(笑)
この前は宇治金時だったので、今回は「イチゴ」350円。
しかし、やはり宇治金時がいい。
イチゴだと氷が多すぎる感じだ。
氷の、この細かさがうまい。
だけどこういう細かさでかき氷ができる業務用機械は、結構するからねえ。
ランチが明石焼きだと、すぐにハラが減る。
なので帰りにコロッケ屋に寄ることにした。
神戸では森谷のコロッケは有名なので、行列ができていることが多い。
創業明治6年という老舗の肉屋さんが、店頭でコロッケを揚げている。
この日は行列が短かったので、ノーマルとミンチカツを購入。
値段が安くてうまいので人気があるのだろう。
小腹が空いたら、とりあえず・・というわけだ。(笑)
できたてが美味しいので、店の前に座って食べる人が多い。
我々は暑いのでクルマに戻ってから車内でいただきました。
普通のコロッケはそれほどでもない。
カミサン手製の方が遙かにうまい。
買うならミンチカツかな? ^^;
ワイパーというのは、水を拭い取っているわけではない。
ガラスの表面についた水を、均一な同じ厚さの膜に広げるのがワイパーの役割なのだ。
表面の水膜が一定の厚さだと、光は屈折することがないため、視界は歪まず、くっきりと見えることになる。
厄介なのはカーショップやガソリンスタンでも売られているほどポピュラーなアイテムの撥水剤。
能書きを見ると、それほど高くない値段と相まって、誰もが思わず手を出してしまうアイテムでもあるわけだ。
これを塗ると、ガラスの表面についた雨は、コロコロした玉状になる。
ただこれが最大の効果を発揮するのは、街灯の無い高速道路を夜間に走行していて、かすかな雨になった時だけ。(笑)
撥水剤で処理をして、ワイパーを動作させると、ブレードのあとに白い曇りのような膜ができることは、使われたことがある方ならよくご存じだろう。
これは非常に小さな水の玉が並ぶため、目には白く見えるからだ。
ワイパーブレードは、本来の仕事としてブレードで均一な水の膜にしようとする。
だが撥水剤は、雨は無数の極小な水玉を敷き詰めた状態にしようとする。
そのため、ブレードが拭いた後に白い膜が残るように見えるというわけだ。
ならばというわけで、ワイパーを高速で動かすと、今度は白い部分が消える前に、次の一拭きでまた白い部分が速攻でできてしまうのだ。
くそッ!(笑)
というわけで常に白い部分で前面を覆われることになり、ただでさえ見にくい雨の視界はさらに悪くなる。
これが悪夢でなくて何だというのだろうか?
これに懲りて、一度使ってから金輪際使うのをやめてしまった。
本来ワイパーの立場で言えば、撥水してもらっては困るものなのだ。
そのため自動車メーカーは、フロントガラスの表面を親水性になるように、特殊なコートをわざわざ施しているくらいなのだ。
オーマイガッ!(笑)
おまけに多くの撥水剤にはシリコンが使われているが、ワイパーを動かすと塗ったシリコン皮膜はまだら状に剥げてゆくわけだ。
その結果、ワイパーがビビることになる。
つまり撥水剤というのは、フロントガラスを均一に綺麗な状態でコートされた状態に常に保つ必要があるという、超めんどくさいメンテが必須の製品なのだ。
だが撥水剤を塗り直すといっても、言うほど簡単ではない。
まずガラスの表面のまだらになったシリコンを専用の液体で掻き落とす必要があるのだ。
これをやらずに、上から重ねて縫っても余計にまだらになるだけ。
メンテのためには、チカラと時間と根気とお金が必要になるという、四重苦の世界が待っているというわけだ。
調べてみると、撥水剤はもともとが30年程前に戦闘機の軍事技術から、民間用に転用され、実用化された技術。
つまり、本来は戦闘機ほどの速度でなければ、十分な効果は期待できないシロモノだったのだ。
おまけに、これを使うと効果が出るのは、ワイパーを全く使わない場合だけ。
結局撥水剤は、ワイパーが壊れたときには、風圧で雨が飛んで視界が確保される、というメリットはあるかも知れない。
だが今までワイパーが壊れたことは、タダの一度もないのだ。(笑)
というわけで今回の日記は、自分の体験に加え、沢村慎太朗 FMOの購読をきっかけに購入した「午前零時の自動車評論」という本で、ワイパーブレードの会社への取材の項目に、こうした仕組みが書いてあったので、それを併せてまとめてみた。
参考になれば幸いだ。
中学生がいじめで自殺し大きな社会問題になっているが、これは簡単に解決できる問題ではないだろうか?
高校は義務教育ではないため、いじめで学校がイヤになったら退学してしまう。
ということは、中学も自由に退学できるようにすればいじめや自殺はなくなるわけだ。
私立中学では、いじめや自殺の評判が立つと、優秀な生徒を他校に取られ、入学者が激減するわけで、そうなると経営破綻で学校は倒産、教師は解雇されてしまう。
そのため、問題を起こす生徒は片っ端から退学処分にしてしまうわけだ。
一方公立中学だと教師は退学という伝家の宝刀を抜くことができないため、いじめる側の生徒とも3年間つき合ってゆくことになる。
いじめる生徒はクラスでも力が大きいため、教師が厳しく指導すると、対立で学級運営が成り立たなくなるからだ。
解決策は簡単。
教師や学校側に退学処分の権限を与える。
中学校同士で、生徒獲得を競わせる。
というように、私立中学校のシステムを導入すればいいのだ。
TVや新聞は社説や討論で、こうした前向きな案をどんどん提案し、いじめをなくする努力をするべきなのだ。
といっても、今の日本のメディアには、そういう発想はないだろうね。
政治家も消費税の値上げより、やることがあるだろうに。
今週一杯、休みを取ったので、土日を入れて9連休。
とは言っても、全く何もしないわけではなく、普段できない部分の仕事とかがあるわけだが・・
でもすべての時間が何も縛られることなく、自由に設定できる。
まさにこの点が休みの素晴らしさなのではないだろうか。
土曜日のランチは、カミサンとベトナムヌードル。
ベトナムヌードル(フォー)は好き嫌いがハッキリする食べ物だ。
その理由は「香菜」
この味がダメな人は受け付けないはず。
私はアメリカに住んでいる間に病みつきになったが、日本では美味しい店は意外に少ない。
神戸では灘にあるここが近いうえに美味しいので、常連となっている。
ご夫婦二人で切り盛りされている店だ。
店内にはこうした絵も飾られている。
オーダーはワンパターン(笑)
肉を省いた生春巻き。
あまり身体に良くないモノとわかっていても、食べたくなる味がある。
なので量は、指と同じくらいのサイズのを2ピースだけ。
味を堪能できればいいので、量はこれで十分。
時々は、こうして、食べたい欲求のいわゆる「ガス抜き」をするわけだ。(笑)
肉類を抜いたフォーだけをオーダー。
KISS X4 は、ISOを最大の6400に設定できるので、こうした暗い店内では便利だ。
これだけ暗くても、シャッター速度が稼げるのでブレずに撮れるからね。
もやしをトッピング
ISO6400だとノイズが出るが、いわゆる「粒状感」のある仕上がりともいえるわけで、ドンマイドンマイ。(笑)
「香菜」はコリアンダーあるいはパクチーとも呼ばれるが、何といっても、フォーはこれがなくっちゃね。
ISO6400では避けられない暗部のノイズは、「ぼかし」を使うことでごまかすわけだ。(笑)
完成品。
注文時は、店のおカミさんから「いつものでいいですね?」の一言。
で、このセットが自動的に出てくるというわけだ。(笑)
HDRトーンで処理後、 ディティールをマイナス側、つまりぼかし気味にすることで、こういう仕上がりになる。
写真はすべて EOS KISS X4 + TAMRON AF18-270mm F3.5-6.3 Di II VC
最近の脳科学の研究では、「脳機能イメージング」といって、脳のそれぞれの部分がどのような働きをしているかを研究する分野があり、計算や音読がボケの予防や、痴呆症の改善に大きな効果があることがわかってき ている。
今まで、脳は一度老化すれば元には戻らないと思われていた。
研究では、脳の血流は単純計算をしている時に、とても良くなることが偶然に発見されたのだという。
計算によって、特に活発に動くのは前頭前野と呼ばれる部分で、地球上の生物の中では、人間だけがこの前頭前野が異常といっていいほど発達している。
この部分は脳というネットワークをつかさどっている最も重要な部分 だが、そういえばジャックニコルソンの出世作「カッコーの巣の上で」でも、最後はここを切り取られるというオチがあった。
このように大事な前頭葉なのだが、問題は年をとるにつれ、まず最初に縮んでくる部分がこの前頭葉なのだという。
頭の痛い問題だ。(笑)
前頭前野は脳全体のコントロールセンターとしての役割を果たしているから逆に言えば、そこを刺激すれば、脳を鍛えることができるというわけだ。
実験によると「読み・書き・計算」の繰り返しが、もっとも効果的なのだという。
現時点ではまだ詳しいメカニズムはわかっていないらしいが、遺伝子の中には、脳を発達させるプログラムが組み込まれており、計算や音読がそのプログラムのスイッチを押すのではないかと推測されている。
専門的にいうと、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴断層撮影)という装置で脳の断面画像を解析すると、年にかかわらず、計算や音読によって脳が活性化している様子がはっきりと見て取れるという のだ。
たとえばアルツハイマーになると、家族は本人を外出させなくなってしまい、脳に刺激を受ける機会 も失われる、そこでさらに痴呆が進むという悪循環に陥ってしまう。
では、こうした脳を自分で使う方法によって、具体的にはどのぐらい脳を若返らせる効果があるのだろうか?
介護施設の痴呆症高齢者に、必ずできるレベルの音読や計算のドリル教材を毎日やってもらったところ、自分で排尿ができなかった人が一週間で尿意を訴え始め、2,3ヶ月ほど経つとオムツをつけていた人のうちの30%はオムツが はずれるようになったという。
さらに認知能力の向上とともに痴呆症状も改善され、顔つきまでもが劇的に明るくなって、家族が驚愕するほどの結果が見られたという。
もともと脳は健康な人でも、脳神経細胞の一割くらいしか使っていないといわれている。
その一割の脳の神経細胞の数が年と共に減ってゆくと思うと、がっくり来るけれども、そこはうまくしたもので、残った神経細胞の働きをアップさせることで、低下した機能が取り戻 せるのだという。
さすが良くできている。(笑)
つまりは、昔から言われているように、「頭は使わなければダメにな る」ということが、最近になってようやく実験で実証されたというわけだ。
脳で考えた結果はアウトプットする
このように脳の老化予防のためには頭を使うことなのだが、音読・計算の実験でより効果が高かったのは、痴呆症状の出ていない人を対象にしたものだったという。
70歳以上で認知機能が正常な高齢者240人を対象にした実験では、何もしていないグループは緩やかに脳機能が低下したが、音読・計算を行ったグループでは全員にはっきり と脳機能の向上が見られたという。
症状が痴呆に見えるのは、アルツハイマi型や脳血管型といった脳の組織にダメージが加わって起こるものばかりではない。
脳に異常がなくても、長期間寝たきりだと、やはり能の機能は衰えてしまうのだが、外からは痴呆と見分けがつかない症状なのだ。
老化現象の一番怖い点は、使わない機能はすぐに衰えてしまうという点だ。
使わないまま放っておくと、どんどん衰えてしまう。
だが普段の生活をしているだけでは、こうした老化の予防は防ぐことはできない。
意識的にトレーニングをする必要があるのだ。
我々は、何らかの努力をしないと、体も脳も健康は保てないことをまず認め、頭を「どう使うか」を考えることだ。
「頭を使う」というのは「考える」ことだと思われているが、実験によると、内的思考をしている時は、脳はあまり活性化していないという。
人と会話したり、料理などで手指を使って、いわゆる情報をアウトプットしているときほど前頭前野を使っている。
自分の中でくよくよ考えているだけじゃダメで、外に向かってアウトプットしているかどうかが決め手になるのだ。
脳という情報処理器官は、外部から情報を入力し、それを処理して、運動として出力するという作業を繰り返している。
その一連のサイクルの頻度が高まるほど、脳の神経細胞をつなぐ神経線維は太くなり、脳の働きがよくなるというわけだ。
今までは脳の機能を鍛えるためには、記憶の繰り返しによる訓練が有効だと考えられていたが、そうではなく、頭を使ってそれを実行に移すことこそが、脳の入力や出力を一番効率よく行えるメニューだ ということがわかってきた。
研究者によると、最初は何かの間違いだと思ったらしく、それほど意外なところに、脳を活性化させる鍵があった というわけだ。
高齢者への調査でも、前頭前野の機能が衰えていない人は、写経や家計簿を手計算するといった、しっかりとした日常習慣を持っている人ばかりだったという。
昔から「読み・書き・ソロバン」と言われるように、この場合は歴史の中で受け継がれてきた方法 というのは、まさに活性化そのもののキーだったのだ。
運動が脳の若返りを促す
前頭葉が縮むと意欲が衰え、知的活動が低下するのだが、同時に身体を動かすことさえもおっくうになってくる。
肉体の能力が低下すると、行動範囲が狭くなり、さまざまな刺激に出会うチャンスが減ることになり、脳にとって はマイナスの要因となる。
運動をしなくてはいけないことがわかっていても、どうしても行動に移せないというのは、言い換えれば老化が進 んでいる証拠だといってもいいだろう。
そもそも脳は体を通さなければ何もできない。
脳というものは、もともとが、体を動かすことを求めている。
体を動かすことは、筋肉の若返りより、むしろ脳の活性化に効果があるのだ。
あなたは定期的に運動をしているだろうか?
トレーダーが成績を伸ばしたければ、運動をしてみることだ。
絶対に効果がある。
と書いても運動をやらない人、できない人、やろうと努力できない人は、老化が進んでいるという危険信号なのだ。
トレードは脳を活性化するための絶好のトレーニング
人間の脳の老化は予想以上に早く始まっているため、六十代になると前頭葉は明らかに縮み始める。
日本人のとりわけ男性の場合、定年退職してしまうと人間関係が一挙になくなってしまい、老化に拍車がかかるようになる。
脳の機能は50代半ばくらいまではそれほど低下しないのだが、60歳を過ぎた頃から急激に低下するという。
つまり60歳から脳を鍛えるトレーニングをするよりも、早い時期に始めるに越したことはないということだ。
研究では、20代から50代の男女を対象に、計算・音読を毎日続ける実験を行ったところ、平均年齢48歳のグループで、毎日五分間、芥川龍之介の名文などを声に出して読 むだけで、1カ月後には記憶力が10歳分ぐらい若返ったという。
また、1990年代にアムステルダムで行われた研究によると、情報処理速度に代表される知的能力が衰えていない高齢者ほど生存率が高いという結果が出ている。
これは、心臓病やガンといった持病の有無よりも影響するというのだから驚きだ。
さらに興味深いのは、寿命に関係する知的能力は、若い頃の学歴とは関係がなく、歳をとってからの知的機能と関係するという点だ。
この研究では高校卒の方が、大学卒の人より生存率がいいほどで、逆に言えば大卒は定年になったら抜け殻のようになってしまう率が高いということになる。
つまり過去がどうだったかではなく、今も含む未来に頭を使い続けるかどうかが重要なのだ。
こうした能力を鍛えるには、まさに「継続は力なり」で、毎日続けることで大きな効果が現われてくる。
たとえ1日10分でも、効果は蓄積するため、3カ月や半年後には、目に見えた違いが現われるという。
要するに筋肉を鍛えるのと同じこと。
1週間でいえば、5日は必ず継続させることだ。
ここまで読まれたたけで、トレードがどれだけ能の活性化と若返りに効果があるかが、よくお分かりになるだろう。
退屈な日常が老化を促進させる
脳に一番悪い影響を与えるのは、刺激のない日常の繰り返しだという。
さらに、楽器を習うなど、趣味をもつことは脳にとって大変よいことで、日本には「年をとったら地味に大人しく暮らすのがいい」という、もっともらしい文化があるが、それは間違いだと いうことを理解しておく必要がある。
若い頃なら箸が転んでもおかしいくらい刺激に満ち溢れた毎日を過ごすことができるが、年をとるに従ってそう簡単に目新しいことに出会えないのが普通だ。
だからこそどんどん積極的に行動しないと、脳に刺激を与えることはできない。
さらに老人ホームなどではガールフレンド、ボーイフレンドができると服装が若返り、生き生きしてくるといった事例はいくらでもあるように「恋愛 」には著しい効果があるという。
またお洒落を心がけることも、簡単にできる老化予防法だという。
このようにコミュニケーションと脳の老化には密接な関係があるのだが、年をとると孤独な状態にな りやすく、いわゆる家族や、社会の中での居場所がなくなってくる、または狭まってくるのが大きな要因となるのだ。
では具体的にはどうすればいいのだろうか?
トレードで言えば、トレードフロアに参加してトレーダーから刺激を受けたり、チャートをプリントアウトして、他人へ声を出して解説をするという行為は、老化を逆行させ、若返るという面からは、まさに理想的なパターンだといえるのではないだろうか。
さらに「無償の行為」と呼ばれる「愛」に代表される行為が人間の能力を最大限に発揮させるという側面から考えると、儲かるようになったトレーダーがボーダーライントレーダーをサポートするという、エグゼキューショナートレーニングは、こうした脳を若返らせるという面から見ても、素晴らしいシステムだといえるだろう。
と自画自賛でフィニッシュ。(笑)
夏バテ防止はよく寝ること。
とはいっても暑い夏は、どうしても寝苦しいわけだ。
そこで対策は、頭を冷やす。
昔から頭寒足熱というが、確かに頭が活動していると、頭部は発熱することになる。
脳を使ったり疲れてくると、頭部は熱を持つわけだが、脳の栄養と酸素は血液によって運ばれている。
つまり頭を使えば使うほど、脳を流れる血液の量も増えることになる。
さらに、ストレスや睡眠不足、糖分の欠乏などが起こると、脳はその活動を高めようと血液量を増やすわけだ。
当然熱を帯びることになる。
だが頭を少し冷やすと、脳の活動が低下し、眠りに入りやすくなるのだ。
そのため、病院の手術室というのは温度を下げてあるのだという。
「ECCOクールピロー」とか「さわやかチロー」といういわゆる水枕はかなり効果的なのだが、一年ほどで水漏れが発生することが多いのだ。
というわけで今年の夏は「冷え枕」。
こちらに説明があるが、少し値段が高い分、作りはしっかりしているうえ、中には水だけではなく、高分子化合物の液体が入っている。
そのため、常に常温より4度から7度くらい低くなるように設計されているという。
つまり夏でも冬でも季節に合った快適温度を保ち、安眠できるというわけだ。
というわけで、アマゾンから7千円台で購入。
しばらく使っているが、非常に使い心地がいい。
水枕は、水が偏ると、落ち着きが悪くなるので、使い勝手が悪いのだ。
下のような使い方だと、ずり落ちてしまう。
空気で温度を下げるタイプは、総じて冷やすという意味では効きが悪く、気持ちよくないのだ。
上の写真は酸素カプセルで使うときのセッティングだが、この枕の下にアイスノンを入れるのがポイント。
冷たさは、枕の中の高分子化合物の液体がクッションとなって、適度な冷たさとなって非常に具合がいいのだ。
冷え過ぎると感じた場合は、タオルを一枚敷くといいだろう。
ただちょっと重いので、ベッドと酸素カプセルへその都度運ぶのが面倒なので、もう一つ注文して2台体制で使っている。
カプセル内ではエアコンを効かせ、毛布を着て、靴下を履いて、カラダや足を冷やさないようにするのが大事だ。
まさに頭寒足熱。
というわけで常に爆睡できるのだ。
酸素カプセルで1時間寝ると、脳は4時間以上熟睡したのと同じ疲労回復があるため、起きているときはスッキリクッキリ!
脳が疲れていないと、とにかく頭が良く回るし、カラダも元気になるから、暑い夏でもガンガン動けるのだ。
というわけで、この組み合わせが、現状では最強の睡眠環境ではないだろうか。
今の自分が幸せだな、と実感できる機会というのはそうそうあるものではない。
だがオリンピックは、そうした気分をも味わうことができる、絶好の機会なのではないだろうか。
TVの画面を見ながら、ふとそう思うのは、贔屓の選手が好成績を残したからではない。
五輪のあの選手、あの名場面、いまもありありと思い出すことができる。だが、「その後」に起こったドラマを知る人は誰もいない。
と始まるコラムは読み応えのある面白い記事だ。
週刊現代の2012年1月21日号の転載だけあって、週刊現代ならではの記事だと思う。
オリンピックはテレビやニュースでの結果だけに注目が集まりがちだ。
特にメダルを獲得した選手は、若くして華々しい人生のピークを経験する。
だが3連覇できる選手が非常に少ないことでもわかるように、その栄光を後継続させることは難しい世界だ。
今回のロンドン五輪では、アメリカのフェルプス選手が競泳男子初の3連覇を達成した。
3連覇の達成のためには、8年間トップに君臨しなければならない。
だが8年の歳月は、年齢と共に下降する運動能力に打ち勝つ精神力をも備える必要があるのだ。
さらにオリンピックで4連覇を達成するには12年間が必要になる。
4連覇を達成した選手は史上2人だけ。
陸上円盤投げのアルフレッド・オーター(アメリカ)と陸上走り幅跳びのカール・ルイス(アメリカ)だ。
スピードを競う競技で、3連覇を達成した選手は、アメリカのフェルプス選手だけ。
彼も今回のオリンピックで引退するため、4連覇には届かない。
メダリスト達のメダル獲得後の人生は、精神的に厳しいものになることは、想像に難くない。
だが残りの人生は、それまでの人生の2倍以上だ。
メダリストすべてが、人々の注目を浴びたあとで待ち受ける、長い日々に適合できるわけではない。
さらには、競技人生で受けた肉体的なダメージや痛みとは、生涯戦い続けなければならないのだ。
このように、ほとんどのケースでは、精神的に右下がりの人生にならざるを得ない宿命を背負っている。
こうして考えてみると、メダルとは縁がない方が、精神的には幸せな人生を歩むことができるのだ。
さらに努力次第では、右上がりの人生さえも歩むことさえできるのだから堪らない。
こうした理由で、私の場合オリンピックの時期になると、モチベーションが急上昇することになるわけだ。
というわけで、4年に一度のこうした機会は、大いに利用することにしている。(笑)
女子サッカー決勝の日本対アメリカは、白熱した見応えのある試合だった。
唯一残念だったのは、アメリカのユニフォームがカッコよかったのに、日本のはイマイチだったこと。
たとえばアメリカは上とパンツが同色なのに、日本は下が白。
日本のユニフォームは胸の中央に微妙なグラデーションの模様が入っている。
だが、遠くから見ると、汗が滲んでいるように見える。(笑)
パンツの内側にラインが入っているが、後ろから見ると格好悪い。
ネックのラインカラーのコンビネーションとか、素材の光沢など、日本のフォームより洒落ている。
左端の日本選手のパンツの内側に紺のラインが入っているが、どの方向から見ても決して格好良くはない。
色もこういう赤ではなく、もっと濃い煉瓦色に近い赤にすればナイスなのに・・
表彰式の衣装も日本のはジャージーの運動服丸出しだったが、アメリカはこういう風にシックだ。
日本は総じてオリンピックのユニフォームは、全体的にダサイ。
残念だ。
リアルティックの現状で書きましたが、Real Tick は日本人向けに特別の料金が設定され、以前と同じ、いわゆる「日本人向け料金」で使えるようになっています。
ただしデモ口座は最初の1ヶ月のみ、という期限つきです。
もし1ヶ月以上デモ口座を使いたい場合は、正規料金の260ドル+データ使用料を支払うと、好きな期間だけリアルタイムで動くデモ口座を利用することができます。
ただ Real Tickを買収した会社のポリシーが、実トレードをしない顧客に対して厳しいため、 ブローカーの Stock USA側との取り決めが、いつどのように変更されるかは、わからない状態です。
つまり正規料金の260ドル+データ使用料を支払っていても、デモトレードばかりで実トレードをしなければ、使えなくなってしまうという可能性があるわけです。
そこで、現在トレードフロアで資産運用チームのトレーニングで使っているデモトレーダー(DemoTrader)を、真剣にトレーニングをされる方のため、使えるようにしました。
資産運用チームのトレーニングで使っているデモトレーダーをさらにバージョンアップしたもので、いわゆる疑似執行ツールです
損益計算と連動して動くように設計されていますから、毎日のトレーニングの成績を継続的に記録し、スキルアップに役立つようになっています。
このデモトレーダーとCQG等のチャートソフト、あるいは下記の無料チャートを使えば、ナスダックマーケットでリアルタイムのシミュレーショントレードが可能になるというわけです。
Breakscan.com のページからデモトレーダーを起動できるのは、スキャンサービス、またはネットエイドを購読中の間です。
Breakscan.com へログインすると左メニューに デモトレーダー起動用のリンクがあります。
デモトレーダーの起動画面
使い方をご覧ください。
枝豆とのセットは夏の夕食前の定番といっていいだろう。
ウチの食卓では最近、アサヒスーパードライ・ドライブラックがよく登場している。
カミサンも私もはスーパードライが好きなのだが、この新製品のおかげで、選択肢が倍になったというわけだ。
発泡酒はまずいので飲まない。(笑)
ドライブラックはサッポロビールの黒のような癖がないので、とても飲みやすい。
スーパードライの味を濃くしたような、黒ビールっぽい味わいがプラスされたスーパードライといえばわかりやすいだろうか。
今までの黒ビールには、このシュワッチとした爽やかさが足りなかったのだ、ということがこのビールを飲むとよくわかる。
ビールの味は好みが分かれるところだ。
今から4年前のキリンHDの時価総額は約1兆5000億円。
アサヒは約9000億円だったが、この6000億円の差をこの4年間で縮めたわけだ。
言い換えれば、アサヒはそれだけ多くの人に、舌鼓を打たせたのだ。
日経にアサヒが逃した大金星という記事が掲載されている。
その最初のページの写真にもドライブラックが写っている。
ではアサヒとキリンは投資家達からどのような評価を受けているのだろうか?
チャートを見てみよう。
下は キリンHD(2503) の月足チャートだ。
最安値に近づいている。
明らかなダウントレンドが形成されている。
アサヒビール(2502) はアップトレンド。
直近の高値をテストするところだ。
このようにチャートで見ても、アサヒは多くの支持を受けているわけだが・・
さてアナタはキリン派?
それともアサヒ派?
最近のネットエイドは指示銘柄が結構少ないなあ・・って思われているアナタは鋭い。(笑)
次々と沢山の銘柄を追いかけなくても、一日というか1時間で250ドルくらいなら無理なく獲れるからです。
トレードフロアのトレーニングは、当社の資金を運用するためのエグゼキューショナーを育成するためです。
自己資金がなくても、腕が良ければプロトレーダーとして生活して行ける道が開かれているわけです。
その条件が一日250ドルつまり一ヶ月5千ドルを3ヶ月間連続で達成できるようになるというもの。
これが当社の資金を運用できる条件なのですが・・
これくらいなら、フリーストックチャートを使ったトレーニングでも十分できるようになります。
ネットエイドとボトムスキャンを使えばデモトレーダーが使えますから、非常にリーズナブルなコストで自立への道が開かれたというわけです。
ぜひ利用してください。
では昨夜の米国ナスダックマーケットでの概要から銘柄をチェックしてみましょう。
2012-08-08 22:33:06 はっち ORCL BIIB AMGN CHKP AGNC long side
1000株で +400ドル
1000株で +240ドル
2012-08-08 22:33:38 はっち WFM
2012-08-08 22:35:48 はっち EXPE
500株で +225ドル
500株で +550ドル
2012-08-08 22:36:05 はっち SINA
1000株で +580ドル
2012-08-08 22:36:22 はっち BBBY
500株で +300ドル
どうでしょう。
250ドルは楽勝に獲れるはずですね。
トレードフロアでは全員+1000ドル以上。
その中の一例を・・
彼は7月23日に、東京から神戸へ引っ越されてきたトレーダーです。
ロンドン五輪の陸上男子100m決勝で、ウサイン・ボルト選手が、9秒63というオリンピック新記録を達成。
1896年のアテネ大会以来、この100余年の間に人類はどのくらいの進歩を遂げてきたのか?
一目瞭然の動画であります。
こちらで書いたデモトレーダーを使われたでしょうか?
昨夜のナスダックマーケットは、こちらにある概要のように、なかなかよく動きました。
ポイントは、ネットエイドで指示された銘柄をしっかり追いかける。
それだけで、デモトレーダーとフリーストックチャートでシミュレーショントレードができるわけです。
チャートの数は5つと多くないので、フリー・ストック・チャートでも十分。
Google Chrome ならチャートを一つ作ったらタブを複製するだけ。
この5銘柄だけを追いかけても・・
2012-08-07 22:32:53 はっち CERN ESRX FOSL DTV WFM short side
1000株で+520ドル
500株で +3000ドル
+3500ドル!
次にこの5銘柄を追いかけると・・
2012-08-07 22:34:35 はっち EBAY SNDK BRCM VIAB long side
1000株で +510ドル
2012-08-07 22:40:07 はっち AGNC
1000株で +700ドル
+1200ドル
デモトレーダーとフリーストックチャートで、こういうトレーニングができるとは・・
いい時代になったものです。^^V
暑いと、どうしても良い体調を維持するのが難しくなりがちだ。
その理由は冷房。
暑い時ほど、室内の温度を下げたくなるもの。
ここが意外な盲点となるのだ。
冷房が効いている場所で気をつけるのは、下半身を冷やさないようにすることだ。
これはクマチャンに散々言われたからなのだが・・(笑)
暑いと、どうしても裸足になりたくなってしまう。
だが冷房の効いた室内では、できれば厚手の靴下を履いて、足先を冷やさないようにすることが大事なのだ。
わたしも以前、室内では裸足で歩いていたが、クマチャンところで、ケアしてもうようになってからは、夏になると厚手の靴下を履いている。
足が冷えると、筋肉が固くなり、足首から腿、そして大腿部へと伝染してゆく。
足というのは、頭から遠いため、痛みや疲れや冷えを感じにくいようにできているから、こうした傾向により拍車がかかるというわけだ。
足の裏が火照るという症状が出ると、血液の循環がかなり悪くなっている証拠だと考えた方がいいだろう。
このように、足を冷やすと、そのツケは腰へ回ってくることになる。
腰が痛いとか、腰痛に悩まされている人は、夏に足を冷やすことを繰り返しているケースが多いのだという。
冷えは凝りを蓄積させ、やがて筋肉の奥深くで、ジワジワと固まってゆくのだ。
対策としては、まめに、足湯あるいは風呂に入ることだ。
とにかくできるだけ頻繁に、足を温めるようにする。
これが一番。
寒い冬は、誰もが冷えないように気をつけるのだが、夏はどうしても無防備になり、冷やしてしまうのだ。
盲点は意外なところにあるもの。
冷えは万病の素、っていうからね。^^;
日の出が美しかったので、酸素カプセルに入るときにパチリ。
5時半頃だったろうか。で1時間半ほど爆睡。
今日も暑くなりそうだ。
The Royal Philharmonic Orchestra conducted by Ettore Stratta
エットーレ・ストラッタ指揮ザ・ローヤル・フィルハーモニックスオーケストラ
このアルバムは洗練されたアレンジによるボサノバの名曲を素材にして、トップクラスのジャズプレーヤー達による気迫溢れるプレイが収録されている。
ストリングスを中心としたバッキングは、あのローヤル・フィルハーモニックスオーケストラ。
リズム・メロディー・ハーモニーを高いレベルで融合させた、これぞまさしく究極のフュージョンと呼びたい、20年近く聴き続けてきたアルバムをご紹介。
一曲目は One Note Samba / the Girl from Ipanema。
それぞれの曲でアドリブパートが用意され「タラタラ流れるお茶の水」で終始することなく「聴かせよう」とする明確な意図によってアレンジされている。
素晴らしい音色のソプラノサックスの、あまりのシンコペーションの食い付きのよさに、只者ではないなとクレジットを見ると、何と Tom Scott。
the Girl from Ipanema では、トム・スコットによるテナーのアドリブソロを存分に堪能することができる。
Ettore Stratta - "Atras da Porta"
二曲目Atras da Porta のイントロでは、このアルバムの根底に流れているエモーションを感じる素晴らしいオーケストレーションを味わうことができる。
そしてトロンボーンのテーマに典型的なエレピのサウンドが絡み、そのあとには甘美な弦が美しいメロディーが展開されるという寸法だ。
途中からアップテンポに変わり、そこではフリューゲルホーンがアドリブを取るが、バッキングのオーケストレーションの厚さに加え、フルートが加わるリフを聴くと、アレンジのグレードが只者ではないレベルで施されていることがわかる。
しかし二曲目でこれだけの演奏が楽しめるとは・・
三曲目のBerimbau は ヴァイブがメインとなるミディアムアップテンポのナンバー。
コードチェンジの妙に加え、Gary Burton のヴァイブによるアドリブソロが、ゴキゲンなボサのリズムに乗って展開される。
バッキングでは16分のシンコぺーションがリズムにキレを加え、ビビッドな味わいの演奏となっている。
しかし、後半の弦のテーマとのスリリングなコードアレンジは鳥肌もの。
しかもエンディングはゲイリー・バートンのアドリブでもってフェードアウト。
Like a Lover はあのアル・ジャロウの歌が堪能できるナンバーだ。
アルジャロウはクセがあるだけに、彼のアルバムだとどうしても少し「くどくなりがち」なのは、歌のテクがうま過ぎるための副作用なのかもしれない。
だがこのトラックでは彼のボーカルの持ち味が、オーケストラとほどよくブレンドし、前後のトラックとの配置もよいこともあいまって、アルの「おいしさ」をしっかりと味わうことができる。
歌の後で繰り広げられるピアノによるアドリブソロが、リリカルで美しい。
五曲目のCurumin はまさにリズムの競演。
絢爛豪華という表現にぴったりのリズムだ。
オーケストラ、ゲイリー・バートンのヴァイブ、ベースなどが入れ替わり立ち替わり、緻密なスコアリングで構成された音楽を織りなす様はまさに圧巻。
Gary Burton のヴァイブと Jorge Calandelli のピアノソロによる疾走感溢れる展開に加え、しっかりとアレンジされたスコアによるメロディーラインが交差しながら、めまぐるしく変化するリズムの色合いと共に、ゾクゾクするようなスピード感を十二分に味わうことができる。
六曲目の If you went away あたりになると、ムーディーブルースのあの名アルバムを彷彿させる「テイスト」を持ち合わせていることに気づくかも知れない。
やがてスローな4ビートに乗ったサックスのテーマが展開され、やがてトム・スコットのテナーによるアドリブへとなだれ込む。
緩急自在な間の取り方と、バッキングのオーケストラの音の厚さのコンビネーションに加え、エンディングのオーボエのあたりのコードチェンジは、聴くものを幻惑させるかのような効果を生み出している。
ファンタスティック!
Wave のイントロのアイデアの何と美しいことか。
そして例のメロディーをピアノが丁寧に「しっとり」と紡ぎあげてゆく。
サビまわりを繋ぐブリッジになっているフレーズが、とてもお洒落。
夏の強い日差しを受けて揺れる木漏れ日のように、調和と不安のはざまを揺れ動くコードとメロディーが織りなすコンビネーションは、5分20秒という長さを全く感じさせることなく、聴くものを翻弄し続けてくれる。
八曲目のMagic Moment は、まさにタイトルどおりのイメージの曲だ。
ゆったりとした、うねるような抑揚の中で、美しいオーケストラのアレンジとDori Caymmiのカラダの芯を蕩けさせてくれるかのようなスキャットに身をゆだねていると、日ごろの様々なことが記憶から遠のいてゆくかのようだ。
このマジックは音楽だけが持つ魔法のチカラなのだということを、感じさせてくれる。
だがそれだけでは終わらない。
途中からいきなりアップテンポに変わり、声と弦とのユニゾンに、切れのいいドラムのリズムがアクセントを加え、5分48秒という時間を全く感じさせないナンバーに仕上がっている。
Ettore Stratta & The Royal Philharmonic The Island
九曲目は、The Island / Daquilo que eu sei のメドレー。
イントロはフルートによるテーマから始まるが、エッジの効いたアルトフルートの音色は、一流のプレーヤーだけが出せるサウンドだ。
それもそのはず、クレジットを見るとあの名手 Hubert Laws によるもので、6分54秒という長さは、嬉しいことに後半の目くるめくような、ヒューバート・ロウズのスピード感溢れるアドリブソロが含まれているためだ。
鳥肌モノのアドリブソロがフェードアウトする頃には、この曲が7分近くあったことなど、きっと忘れているはず。
Brazil / Bahia では、冒頭から素晴らしいオーストレーションが終始堪能できるアレンジが施されている。
タブラの低音を効果的に生かした、ミステリアスな響きのサウンドは、これから始まる出来事を予感させるかのようで、ゾクゾクするほどスリリング。
リズムを変幻自在に操り、低音域と高音域の楽器のコンビネーネーションの妙までも取り込んだアレンジは、まるで時の流れが止まったかのような世界に、聴くものを誘ってくれるはず。
中程からは地を這うような低音のリズムと共に、エキゾチックなエモーションを存分に感じることができるだろう。
how insensitive - Ettore Stratta
11曲目のHow Insenstive はリズムセクション抜きのイントロ。
原曲の美しさを生かす、淡々としたオーケストレーションのアレンジとあいまって、オーボエによるテーマとのブレンドが心地よい。
リズムセクションが加わると、シンプルで「間」を十分に生かした生ピアノの演奏が始まるが、Mike Renzi によるプレイはリリカルな輝きを放っている。
よいオーディオをお持ちなら、高音のピアノの弦とハンマーがヒットする情景までも、目に浮かぶはず。
manha de carnaval - ettore stratta-the royal philarrmonic
ラストはあの名曲 Manha de Carnival (黒いオルフェ)。
この曲にふさわしい、もの悲しい響きのオーボエの音色が際立つアレンジが秀逸。
そして分厚い弦がメロディーを引き継ぐが、このあたりの音の密度の緩急の具合は、深いダイナミックレンジを感じさせてくれる。
リズムセクションは全く入らないが、最後を飾るにふさわしい「ゆったりと流れる大河」のようなダイナミズムに身を任せ、至福の一時を味わえるナンバーだ。
ほんの二曲ほどのナンバーを紹介するため、聴きながら書き始めたのだが、気がつけば最後の曲が終わってしまったとは・・・嗚呼!
シャープが、年初来安値を更新し、下げ止まらない。
鴻海からの資金調達計画も譲歩やむなしという状況になってきた。
今日のニュースでは、業績悪化による株価急落で、シャープは台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業との出資契約の条件を見直す検討に入ったという。
3月の契約では、鴻海グループが1株550円で計9.9%の株式を取得する予定だった。
だがシャープの株価が急落したため、鴻海側が見直しを要求。
株価がこれだけ下がれば、シャープ側も応じざるを得ず、株式譲渡金額を引き下げる方向で鴻海と協議するとみられている。
3月の契約時点では、鴻海グループが来年3月までに、計約669億円を出資する予定だったが、株価が下がれば、鴻海からの資金は大きく減るわけだ。
シャープ(6753)の株価はついに100円台に。
4-6月期決算は売上高が前年同期比28.4%減の4586億円。
営業損益は941億円の赤字に転落。
経常損益も1038億円の赤字。
月足で見ると、2000年に株価は2600円台を記録していた。
シャープはリストラを本格化し、人員削減は今年度中に希望退職者の募集などで、国内外のグループ従業員約5000人を削減するという。
こうして見ると、人員削減のタイミングが遅すぎるのではないだろうか。
またこうした計画を立てる際に、役員は自社の株価チャートを見ていなかったのだろうか?
とにかく、やることなすことが、後手後手に回っている。
株式市場では、通常株価が100円台を記録すると、その会社はまず倒産、あるいは買収されること間違いなし、というサインなのだ。
さてどうなるのか?
ロンドンオリンピック もほぼ終わり。
かな。(笑)
国別の成績を見ると、日本は金メダルの数が少なく15位。
メダルの総数では国別4位なので、あと一歩でトップへは届かずというパターンが多いことになる。
今週いっぱいで終わるわけだが、陸上がメイン。
ところで2012年ロンドンオリンピック公式テーマソングをご存じだろろうか?
You Tube バージョンだが、ゲンダイの音楽の要素を織り込んだ強い作風。
題名は「サバイバル」というように「闘い生き残る」という力強さの雰囲気が伝わってくる映像と音楽だ。
辛口。
一方で日本のNHKでガンガン流しているのがこれ
NHKらしい選択というか・・
調味料入り甘口
日本の金メダルが少ない理由が、なんとなくわかる気がした。(笑)
8月13日(月)から17日(金)までの5日間、夏期休暇のため、ネットエイドおよび更新を休ませていただきます。
来週の月曜から金曜までです。
よろしくお願いします。
三宮センター街名物。
上からパチリ。
二人分の明石焼きが目当てだったのだが・・
常連らしきオッサンが、入ってくるなり歩きながら「宇治金時」とひと言。
「おぬし出来るな・・」という注文の間合いとタイミングに思わずメニューを見ると・・
明石焼600円を上回る650円ナリ。
オッサンはカウンターに座り、黙々と食べていたので見えなかったのだが・・
これは注文するべきだと、天の啓示・・(笑)
この間、英國屋という喫茶店で食べた氷より、遙かに目が細かいのだ。
氷が細かいので、氷を食べているのではないような、独特の食感で、あっという間に食べてしまった。(笑)
ウチにもアイスキューブで作る電動のアイスロボットがあるのだが、氷の大きさは、次元の違う細かさなのだ。
フジフイルムX10のスーパーマクロモードで接写。
氷の細かさが、おわかりいただけるだろうか?
かき氷が食べたくなったら「たちばな」
これで決まりですな。(笑)
女の第六感にはかわないが、男と生まれたからには、一つくらい「匹敵する何か」を身につけたいもの。
まずは「不潔感」を瞬時に見抜く目か。
古いものでも、「クリーニングしてある感」というのは、一流ブランド におんぶにダッコ状態で不潔感伴う「一点豪華主義」を一蹴するわけだし。
感情の振幅が大きく周りに気を遣わせる人物と、少なくない確率で出会うのも、また人の常。
そういうときはスカルピングのように「明るい挨拶」が「どんな状況でも相手よりも先にできる」という「特技」が威力を発揮することになる。
親指と人差し指の先をくっつけ指で輪を作り、元気よく「おはようございます!」と言って指に力を入 れると、誰かがその輪をほどこうとしてもなかなか解けない。
だが、やる気の「なさげ」な声で「おはようざいま・・・」といえば輪は簡単に ほどけてしまう、ということからもわかるように、言葉のクオリティーが与える影響には一目置きたいもの。
自分の話す言葉というのは、振動を伴って自分の脳へイメージを与え続け、無意識のうちに 「日頃話している言葉」のように行動することになる、というサイクルを、人は誰もが生まれ持っている。
この積み重ねは個々の人格という、いわゆるパソナリティーの領域へも大きな影を影響を与えることになる。
こうした本能に関わる部分のセンサーを鍛え研ぎ澄ましてこそ備わる「男の六感」というのは、案外女性に魅力的に映るのではないだろうか?
シャープの社長が、8月から「iPhoneのディスプレイ」の出荷を開始することを明らかにした。
ロイターの報道によると、シャープの奥田隆司社長は8月2日(日本時間)、同社が8月から「iPhone」向けディスプレイの出荷を開始すると述べたという。
これだけ名の知られた企業の社長が、公の場で言及するのは異例のことだ。
シャープの奥田社長は、自社の存在をアピールしようとしたのだろうか?
アップルは、9月12日のイベントでの新製品公開に向け、準備を急いでいるという。
計画を知る関係筋がロイターに明らかにしたところによると、デザインを刷新した「iPhone(アイフォーン)」の新型が発表されるとの憶測が浮上している。
次期モデル予想図
シャープに関しては、シャープの株価が下がったため、出資に合意している台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が、出資を見直すことを発表したばかりだ。
どちらにしろ、この資本提携は実質的には台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業グループによるシャープの買収だ。
日本の大規模なエレクトロニクスメーカーの一角が、外資の軍門に降ることを意味している。
シャープは金曜日に大きくギャップダウン。
株価は200円を切ってしまった。
鴻海は、まずシャープ本体の筆頭株主になる(報道によれば比率約10%)に加え、主力の液晶事業の中でも重要なカラーフィルター技術を保有した堺工場は、子会社のSDPに移管したうえで鴻海のオーナーや関連会社が46.5%を支配するというもの。
SDPに関しては、シャープ本体が46・5%、鴻海側が46・5%という報道資料もあるが、シャープ本体については10%弱を鴻海が持つため、実質はSDPの51・2%は鴻海のものになるわけだ。
日本のメディアは、こうした買収劇を「資本提携」とか「共存共栄策」などという曖昧な言い方で報道している。
「敗戦」を「終戦」と言い換え、「占領軍」を「駐留軍」と言い換えてささやかなプライドを満足させた1945年の「敗戦」と似ているのではないだろうか?
月足で見ると、株価は5年前の2007年6月がピークで、以後株価は転落する一方。
注目すべき点は、アップル社の完成品組立外注先の「FOXCONN」が、この「鴻海」のグループだということ。
日本のメディアはハッキリ説明していないが、具体的に言えば、シャープはこれでアップルの孫請けになるということになる。
シャープは、ここまで株価が下落するまでに日本の同業他社との合併という選択もあったはずだ。
だが対等でない合併で「日本語を話す同類」の支配を受ける屈辱、複雑な人事制度を合わせる手間などを考え、外資を選択したのだろう。
アップルは高値更新中。
9月の新製品で株価は一気に上昇するだろう。
さらに痛かったのは日本の金融機関の支援が得られなかったという点ではないだろうか?
今回の鴻海グループの出資は、第三者割当、つまり、新たにシャープが株を発行して鴻海が買うわけだ。
報道によればシャープには669億円が入るのだそうだが、要はそれくらいのカネさえもを他から調達できなかったということになる。
現在の日本の郵貯や銀行には、リスクを好まないマネーばかりが集まっている。
そしてそのカネで国債をグルグル回しているため、シャープに金を貸すというリスキーな危険を避けたわけだ。
シャープは「ガラパゴス」などという自嘲的な名前で、未成熟な日本国内のタブレット市場に「ハード」で参入して大失敗。
さらに喋る掃除ロボットなどという10万円を超える製品を出すなど、株主も社会も「タオルを投げる」べき状態になっているわけだ。
要するに「国際的な市場は分かりません」と告白しているようなものだ、と言っては言い過ぎだろうか?
部品メーカーの、しかも孫請けになるとすれば、マージンは薄くなるわけだ。
赤字は回避できても、競争力維持のための研究開発は苦しくなってしまう。
その前に、将来的に本当に伸びそうな技術は、どんどん鴻海本体に吸い取られてしまうだろう。
パソコンや、携帯電話、PS3等を使った、ゲームに興味のある人、そして全く興味のない人。
さてあなたはどちらに属するだろうか?
私は興味がないし、そういう時間を作る気にもならないというタイプだ。
カミサンが「そろばんのAB」と揶揄するように、私は何かをする際には自然に「計算」するタイプなのだという。
そう言われれば、そうなのかもしれない。
人生はなかなか計算通りにはならないわけで、だからこそアバウトでもいいから概算くらいはしておいてもバチは当たるまい。
と考えているのかも知れない。
今週は、クマチャンところへは1時間行っただけ。
さっき風呂から上がって、マッサージチェアでチェックをしたら、意外といいではないか。
クマチャンのお陰で、自分でケアしてもこの程度で「保つ」ようになってきたきたわけだ。
このように、自分の中で、先月より今の方が良くなるような作戦を練りならが実行する、というたぐいのゲームは大好きだ。
何事も毎日のアクションというのは、最後にその結果は自分に戻ってくるわけだからね。
その積み重ねが、未来を築き上げ、振り返ってみると人生となるのだから。
意識をするかどうかはさておいて、誰もがそういうゲームに参加しているともいえるわけだ。
だったら、そのゲームを楽みながら過ごそうではないかというわけだ。
ここ数日書いた空調服などは、その最たるモノ。(笑)
参加するゲームのカテゴリーは多種多様で、日記のカテゴリーが、まさにそのゲームのカテゴリーそのもの。
カテゴライズは自分で好きなようにできるわけだ。
カテゴリーを意識する、というのはラクに楽しみながらゲームを進行させるには、結構効くからね。
たまにはこうしたことを書いて、気分転換。
こうしていきなり書きながら、アドリブでどんどん書き進めるのは、何となく自由な気分になれるからね。
意外にいいものだ。
さて、これからどうするかな?
まずは室内でエアコンを止め、我慢できるところまで我慢してから着用。まずは、スイッチを「弱」にセット。
おお涼しい!
「強」にするとパソコンのファンの音がマスキングされて聞こえなくなるほどファンの音は大きくなるが、 ファンの風量も増えるから、当然のことながら、さらに涼しくなる。
デスクワークではファンの音とのバランスを考えると、「弱」で十分だろう。どうしても暑くなってきたら「強」にすればいいからね。
「強」にしてもファンの音は、パソコンの音ほど気にならないのが不思議だ。音というかノイズレベルが大きくても、その効果として「十分に涼しい」からかもしれない。
パソコンだと、「ノイズと引き換えの恩恵」というのは直接カラダには感じないから、この空調服のファンの音よりも絶対的なノイズレベルが低くても、うるさく感じるのだろうと思う。
人間は、「現金」にできているということなのか?(笑)
室内で空調服を使用するメリットというか、向いている人は・・
エアコンの設定温度が低いままで長時間過ごすと体調が悪くなる人
エアコンの設定温度を少し高くして電気代を節約したい人
ということになると思うが、汗をよく吸う素材の下着をつけて、水分の補給は忘れずこまめにというのがポイントだろう。
次はいよいよ本来の用途としての屋外での使用だ。
外は暑いため基本的にスイッチは「強」出の使用となる。
まずはエレベーターの中。
よほど大きなオフィスビルでない限り、エレベーターの中にエアコンはついていないのが普通だ。
だから外が暑い時に、屋外からエレベーターに乗るというケースでは、さらに暑くなり非常に不快になるのだが、空調服だと風が常に吹き込むからとても快適だ。
だが問題は音。
エレベーターの中というのは、かなり静かなのだ。
あなたが空調服を着た状態で最上階などから一人だけ乗っているとしよう。
途中の階で誰も乗って来なければいいのだが、もし誰かが乗って来た場合どうなるか?
最初から音がしているわけだから、途中で乗ってきた人は、気がつかないかもしれない。
だがそうだとしても、あなたが先に降りると、その時点でエレベーターの中は一気に静かになる。
つまりよほど耳の悪い人以外「あの音はアイツだったんだ・・」とわかってしまうことになる。
2つのファンがついていることがあからさまにわかる後姿とあいまって、怪しさ満点の評価を受けるだろう。
対策として、エレベーターが止まって誰かが乗ってくるとわかった時点でファンのスイッチを弱にする。
これでほとんどわからないノイズレベルになる。
人がどう思っているかということを普段から気にし過ぎる人は、この空調服を着ると、あらゆる場面で、周りに対して気を使わなくてはならなくなってしまう。
ある意味でつらい人生だな。(笑)
私はそんなことは気にしないタチなので、堂々とうるさいままで乗っているけどね。
それと体臭が強い人は、体臭をファンで撒き散らすことになるから、コロンをつけるとかして気をつけた方がいいと思う。
あとは、もっとデザインや色のバリエーションを増やして欲しい。
娘やカミサンからは「作業員みたい」と評判はイマイチだったからね。
だが一歩外へ出ると、音に関しては全く気にならなくなる。
空調服を着たことで「屋外というのは結構うるさいものだ」ということを、改めて認識した次第。
まずは、自転車での使用例。
外に出て外気温が室内より高い場合、スイッチが「強」だと、高い外気温がファンで送られてくることになる。
そのため、汗をかいていない、つまり涼しい室内から外へ出た場合、最初は何だかちょっと暑く感じるが、5分ほど我慢していると、だんだんと涼しくなってくる。
もちろんすでに暑いところでカラダが慣れている場合は、全く問題なく涼しく感じるはずだ。
もともと自転車というのは走っている限り、ある程度風を顔に受けるので、歩くよりは暑さは感じないのだが、問題は止まった時だ。
一気に暑さ感が上昇する。
まあ考えてみれば当然のことで、それまでの運動で体内がヒートアップしているから止まって風が当たらなくなると「汗がダラダラ」という状態になりやすい わけだ。
だから夏は余り頑張って漕がないことにしているのだが、空調服を着用していると、止まったあとの最もツライ時に、その恩恵を最大限に享受することができる。
さらに効果的なのは、一旦銀行やコンビニなどの涼しいところへ退避した場合だ。
エアコンでよく冷えた空気が、ファンから体へ直接送られるわけだから、涼しくないわけがない。
まさに冷えたビールを飲んだ時のような爽快感が、カラダ中をファンから送られる空気と共に駆け巡ることになる。
そのため、あまりの気持ちよさのために恍惚となって、ヨダレを流したりしないように注意をする必要がある。
そして汗が適度に引っ込んだ状態になったら、また外へ出る。
このパターンがお勧めだ。
だがここで一つ問題が発生した。
私は自転車で出かける時にはバックパックを背負っているのだが、これが微妙にファンの外側に当たるのだ。
こうなるとバックパックをハンドルの前部にセットするしかない。
ということで適当な金具を探しに、クソ暑い中、バイクで新宿のハンズまで行くことにした。
もちろん空調服のテストのためだ。
そうでなきゃあ、こんな暑い日中にバイクで出かけたりはしないよね。
バイクに乗っている方はよくお分かりになると思うが、フルフェイスのヘルメットというのは、夏はとにかく暑いのだ。
体の熱さが全部頭部に集まってくる暑さといえばいいだろうか・・
空調服を着てスピードファイト2という100ccスクーターで、新宿へ向かっていざ出発。
走行中は特別に涼しいといった感じはない。
自転車よりも風が強く当たるうえに、バイク独特の様々な刺激があるためだろう。
空調服は風をあまり通さないので、半そでのTシャツ1枚で走っている250ccに乗るフュージョンのアンチャンの方が、涼しそうに見える。
だけど半袖だと腕だけが異常に日焼けするから、私は必ず長袖を着ている。
いわゆるバイク便のソクハイなど大手のライダーは、すべて袖つきを着ているが、安全を考えれば当然のことだろう。
だがだからといって決して暑いわけではない。でも非常に涼しいというわけでもない。
ちょっと不思議な感じだ。
空調服は汗が出てくるとその汗にファンの風が当たることによって、体温を下げて涼しく感じさせるという仕組みのため、ジワッと汗ばんでくるとその時点から、涼しく感じ始めるというわけだ。
空調服を着ていると、交差点で止まった時や渋滞時に天使が舞い降りてくる。
これはいい!
普通バイクは止まってしまうと、それまで当たっていた風がなくなるうえに、直射日光を受けて体温がジリジリと上がり、みぞおちなどから汗が流れ落ちることになる。
同時にヘルメットの中も外からの熱で暑くなってくるから、まさにダブルパンチを喰らうわけだ。
だが、空調服を着ていると、みぞおちや脇の下などに汗がジワっと出始めると、そのあたりがスースーと涼しくなり始めるのだ。
じわりじわりと、暑さが止まり始めると言えばいいだろうか。
カラダを動かして空調服の前部に寄ると、背中部分に風が流れて背中の部分が涼しくなり、空調服の後部へ寄ると、前部に風が流れて「みぞおち」あたりがスースーとし始めるのだ。
もちろん袖口からも空気が出てゆくから、両手を腰に当てて、「エヘン」という姿勢をとるのが全体のバランスとして最も涼しい。(笑)
だがこれだけではない。
空調服の後部へ寄ると、前部に風が流れてみぞおちあたりを通って前部の首辺りから上へ逃げることになる。
つまりは、風がヘルメットの中へ流れ込むことになる。
これがどういう意味を持つかは、バイクに乗っている方ならよくお分かりのはず。
フルフェイスは交差点や渋滞で止まると、透明なシールド部分を少し上げて、隙間を作らないと、暑くてたまらないのだが、空調服を着ていると、閉めたままでもOK。
もちろん開けると、そこから空気が逃げるから首から口あたりまでは涼しくなるが、シールド部分を閉じたままだとヘルメットの頭部へ流れ込むのだ。
もしヘルメットにファンをつけたら、もっと涼しくなるだろうなあ・・
後ろに排出用ファンで、前へ吸入ファン。
どこかのシャチョーさん、作ってくださーい!
この日は強い直射日光ではなかったが、薄日が差す天気でかなり暑かったのだけれど、新宿まではほとんど汗をかくこともなく到着。
で一旦ハンズの中へ入るとまさに極楽。
よく冷えた空気は、ファンによって容赦なく体へ吹き付けられるため、余りの涼しさの快感で、思わずニヤケてしまうほどだ。
速攻でパーツを見つけ、カミサンとランチに出かけるため、昼前には銀座へ戻る。
昼食後はさらに暑くなってきたので、テストのため青山と六本木へ秋物の服をチェックに出かけることにした。
空調服がなければ、とてもじゃないが、そういう気にはならなかったはずで、これだけでも、如何に暑さに対して有効かがお分かりになるはずだ。
残念ながら午後は、強い直射日光がなかったので、これ以上の効果は不明。
なわけで、日を改めて、さらに暑い直射日光ガンガンの時に、テストしてみようと思う。
って、もっと暑くなるのを待つなんてちょっと変?(笑)
しかしこれだけ効果があると、もっと強い風が欲しくなってくる。
制御ボックス用のポケットは左右にあるので、もう一着購入して、適当な位置へさらにファン2個分の穴を開け、2つのファンをセットすれば、4つのファン付が出来るはず。
風量は倍増するわけだ。
宅配バイク用に4つのファンをつけたものを売り出せば、結構売れると思う。
だが現状でも、夏のバイクライドには欠かせないアイテムだと思う。
普段常用するうえでの問題点は、見た目が「暑そう」という点だけだろう。
みんなが半袖のTシャツ一枚の時に、この空調服を着ていると暑そうに見えるため、逆にファンを隠さずに、「新しいもの」としてアピールするという手もあるが、下手するとねえ。(笑)
まずはデザインと色のバリエーションがもっと増えればと思う。
記事によるとこの部分は、今後期待できそうだ。
それとサイズは小さめだ。
私は165cm 48kg でMがぴったり。
体型はごく普通なので、太目の方は L がお勧め。
しかし見た目と効果のギャップがこれほど大きな商品というのは、ちょっと珍しい。(笑)
911は991のニューモデルとなってから、997の値段がジリジリと下がってきている。
素の911なら、中古で600万円台。
だが981新型ボクスターを買うこともできるわけだ。
ウチの近所でたまたま、目に入ったアングルがよかったのでパチリ。
これは911S
EOS KISS X4 + TAMRON AF18-270mm F3.5-6.3 Di II VC
911はシルバーが似合うクルマだ。
そしてパッと見で何年型かが正確にはわからないのが、ポルシェのいいところではないだろうか。(笑)
ロンドン五輪は間もなく折り返し地点を通過するが、日本は金メダルの数では3つの12位。
銅メダルの数だと1位。
総数では3位。
金メダルの数では中国とアメリカが 18個 でトップ争い。
金が獲れない日本。
日本オリンピック委員会(JOC)の目標は「金メダル数で世界5位」だが現在12位。
お家芸の柔道で金メダルが思うように獲得できていないのが誤算か。
金15-18個という目標の3分の1は柔道のため、目標には届かないだろう。
陸上でのメダルは難しいからなあ・・
米国で定番教科書になっているマンキュー の法則によると・・
世界クラスの選手を生み出す一国の能力を測る最善の尺度がGDPの総額である。GDPの総額が大きいことは、それが1人当たりGDPの高さによるものであれ、人口の多さによるものであれ、より多くのメダルをもたらす。
というもの。
金メダル獲得数とGDP総額の相関係数は0.73。
さらに「GDPに加えて、他の二つの要因もメダルの獲得数に影響を及ぼす。」という。
そして「開催国は、通常、メダルを多めに獲得する。それは彼らが地元で闘うことから得る有利さを反映しているからだ」
また、東欧の旧共産諸国は、GDPが同じくらいの他の国々よりも多くのメダルを獲得する、という。
金メダル1個に必要なGDPは1000億ドル(8兆円)
金メダル数とGDPの散布図を作ると、日本は傾向線(赤い線)の下に位置し、国力(GDP)に見合った数の金メダルを取っていないことがわかる。
韓国を含め他の先進国は傾向線の上になるのと好対照。
これは日本のシステムが何らかの理由から他国よりうまくいっていないことを示唆している。
最後に余談だが、開会式で日本の選手団が、正面スタンドを通った後、すぐに外へ退場させられた事実をご存じだろうか?
検索すると、日本人の観客がスタンドから撮影した映像が数多く見つかるが、原因らしきものをようやく見つけた。
実況中継をしていたアナウンサーも解説者も全く触れず。
日本オリンピック委員会(JOC)に問い合わせると、主催者側の誘導ミスだという。
だが、ネットで調べると、どうやら野田総理の送った被災瓦礫メダルが原因だったようだ。
オリンピック選手団の壮行会で、東日本大震災時に出た放射能汚染の疑いのある瓦礫をもとに作られた記念メダルを、首にぶら下げて行進。
放射能被爆を恐れた主催者側が、即座に退場させたらしい、ということのようだ。
行進した選手たちがこのメダルを本当に身につけていたのかどうかは、現時点では不明だ。
だが主催者側はそういう情報をもとに、今回の強制的途中退場を行った、ということらしい。
うーん・・
神戸へ引っ越してから、丸4年が経過します。
引っ越しは2008年の夏でしたが、意外にもそのときの心持ちは今でもよく覚えています。
さらにそのときの日記を読み返すことで、より鮮明に記憶が蘇るのです。
日記を自分のための備忘録記録として、残しておいてホント良かった、と思うのはこういうときなのですね。
自分の内なるモノの「豊か」な気分を味わい維持するために、こうして書いているということを、実感する瞬間でもあります。
この「豊かさ」というのは「リッチ」と書いた方が、しっくりくるかもしれません。
ですから、「リッチな人」というのは人生を満喫し、欲しいと願うものをバランスよく備えている人のことで、自分もそうありたいという、ある意味での理想像なのですけどね。
その「リッチ」と呼ばれる構図をを構成するためには、不可欠な3つの要素が必要になります。
その要素というのは「必要な知識、健康な肉体、精神的安定」の3つです。
私の経験からいえば、この3つがバランスよく備わるように工夫しながら毎日を過ごせれば、充実した人生を送ることができるようになるのではないかと思います。
もちろん、そのためには、ある程度のお金も必要です。
社会や文明がが発達し、だんだんと仕組みが複雑になってきている現在においては、普通の人が普通の生活を送るだけでも、ある程度のお金が必要になってきています。
ですから、「お金」というのは大事です。
「引き寄せの法則」というタイトルの本が出版されています。
本屋へよく行かれる方なら、目にされたことがあると思いますが、あのシリーズの本には「お金持ちになるための心得」が書かれています。
といっても具体的に何をすればいいのかということは、自分で考えなければなりませんけどね。
どのページを開いても、具体的に「何をすればいいのか?」については書かれていません。
何故なら「考え方」を示唆するだけであって、「魚をあげる」わけではないからです。
「魚の釣り方」を教えるという意味では、私が現在やっている「トレードを教える」ことと、通じるものがあるのですけどね。
誰もが自分の能力は最大限に伸ばしたいと思うもので、こうした気持ちは、人間に生まれながらに備わった、ごく自然な欲求のため、誰でもが大なり小なり持っているものです。
この欲求を満たすためにも、やはりお金が必要になります。
人生における成功というのは「なりたいもの」になることなのですが、それを実現するためには、現実問題として「さまざまなもの」が必要になってきます。
ではその「さまざまなもの」の中でまず何が必要になるでしょうか?
私の経験から言えば、まずは「知識」から始めるというのが最も安上がりで、しかも最もの効果を実感できる方法だと思います。
というのは、「知識」というのはそれほどお金がないときでも、その気になれば手に入れることができるからです。
3つの要素の一つである「健康な肉体」を手に入れるには、ある程度のお金がかかります。
これはまた別の機会に述べますが、現在のようにストレスの多い社会で健康な体の状態を高いレベルで維持するためには、それなりのコストがかかるのです。
といっても、手の届かないコストではなく、誰もがその気になれば払えるコストですからそれほど心配することは有馬温泉。(笑)
じゃあ何処が一番お金がかかるのかというと、それは「精神的安定」という部分ではないでしょうか。
高い車を手に入れないと満足できない、高いバッグや宝石がやたらと欲しい、という欲求を満たすことで「精神的安定」を求めようとすると、どうしてもお金が必要になります。
使わなくても、預金通帳の数字がある一定以上でなければ、不安になるというのも「精神的安定」を求めるがゆえのことです。
ですから逆に言えば「必要な知識、健康な肉体、精神的安定」の3つのバランスが崩れてくると、本当に幸せで満ちたりた人生とは、だんだんとかけ離れてゆくことになります。
反対に、この3つの要素のバランスがとれていれば、自分の好きなことやりたいことへの可能性や能力を追求し究めたいという気持ちは、自然な欲求として沸き起こってくるものです。
質の良い食事、清潔な服、気に入った住まいも必要で、そのうちののどれかが欠けても、精神的に満ち足りた生活は送れません。
過酷な労働に追いかけられたり縛られないように気をつけ、十分な休息や娯楽の時間を確保することも大事な要素です。
必要な知識を満たすためには、学ぶための時間も必要で、年齢によってはそのために旅行や見聞を広める事も必要になるでしょう。
さらには、知性を刺激してくれる仲間との知的な娯楽や、芸術などの美しいものに触れて感動することも大切です。
そして精神を満たすには、愛情が必要です。
ですが貧しい暮らしをしていると、どういう形の愛情であれ、陰りが出てくるもので、ここでもやはりお金が必要になります。
日本語で「愛」という言葉を使うと気恥ずかしい気がして、ピッタリ来ないかも知れませんが、「愛」というのは無償で人に何かを与えることであり、それができたとき、人は最大の幸せを感じるものです。
この「与える」行為こそが「愛」の本来の姿であり、最も基本的で自然な形なのだと思います。
与えるものが何もなければ、夫、父親、市民としての役目を果たすころができなくなるわけですしね。
お金は分け与えなくても、たとえばこの日記を読まれて、一時でも満ち足りた気分になり、あるいは幸せな気分になった人がいたとしたら、書き手は幸せな気分を味わうことができるのです。
こうした「愛」の素晴らしさを味わったことがある人ならば、このように様々な形で愛を表現できるようになるはずです。
ということで、今日は神戸移住丸4年記念ということで、長くなりすぎないうちに、少しカッコをつけて締めることにしました。
たはっ。(笑)
オリンピックのプロカメラマン達はキヤノンとニコンのどちらを使っているのだろうか?
北京では6:4でキヤノンだったが、今回はどうなるのだろう。
この永遠のライバル同士の歴史を調べてみると・・
1964年の東京オリンピック以来、ニコンFが新聞社、雑誌社、通信社の標準装備カメラで王座に君臨してきた。
だが湾岸戦争でニコンF4が砂漠の細かい砂で作動不良を起こし、キヤノンEOS-1はそういうトラブルが少なかったため、両者の使用比率が逆転したという。
キヤノンEF 200-400 f/4L IS を1.4倍のテレコンバーター装着で撮影しているようだ。
つまり280ミリから560ミリ換算のズームレンズになるわけだ。
白レンズはキヤノンなのでわかりやすいが・・
キヤノンのサービスは大量の機材を持ち込んで、プロカメラマンをサポート。
黒いレンズもあるので、レンズの黒いのがニコンだとは一概に言えないわけだ。
高そうなレンズがずらり。
しかし壮観だなあ・・
デジタルになると『(ニコンは)デジタル一眼レフのニコンD1でふたたび優位に。
だがキヤノンは高速連写と大きめのAPS-Hセンサーで高感度ノイズを少なくしたEOS-1Dを投入。
このシリーズをアップデートしてで優位に立つ。
一時はオリンピックや世界陸上などのビッグイベントでキヤノン7対ニコン3まで開いた。
だが、ニコンは35ミリ判で高速連写と高感度特性も大幅に向上させたニコンD3を2007年に発売。
2008年の北京五輪ではキヤノン6対ニコン4まで追い上げてきたという。
さて今回は?
面白い日記というのは、書く技術がなくても、知識として面白さを知っていさえいれば、書けるものなのでしょうか?
その前に、ブログや日記が面白いかどうかを知るための、いわゆる検証する技術が必要になります。
その手立てとして、アクセス解析や、コメントやペタの数をチェックするわけです。
どうせ書くのなら、読んで面白いと感じるものを書きたいですからね。
ただ、面白い日記がどういうものかを、知識として知っているだけでは、面白い日記を書けるようにはなりません。
面白さにはいろいろな種類があります。
読む動機も人それぞれ、書き手の魅力も多岐に分かれるわけです。
日記を定期的に読みに行く場合、必ずしも書き手に興味があるから、というわけではないでしょう。
書いてる人がどのような人なのかは殆ど知らなくても、内容さえ面白ければ読みたいと思うわけです。
そしてそうした積み重ねが、書き手への興味へと繋がってゆくことになります。
それが書き手の魅力となるわけです。
面白いと感じる日記を書くには、ある程度の技術が必要です。
時々、面白いモノを書くことができても、毎日コンスタントに書くためには、ある程度の技術がなければ書けないはずです。
私は少なくとも一日3つは書きますから1か月で100本は書いていることになります。
面白くない日記というのは、いつまでたっても人気のない、客のあまり来ない店のようなもの。(笑)
メニューに魅力がない、味付けがまず、読んだあと立ち去るときの気分がよろしくないない、などと原因は様々です。
さらには、こうした「魅力のなさ」に加え、書き手の問題として「需要のないテーマ」を選択しているケースが多かったりするもの。
テーマ自体が面白くないと、読んでもつまらないし、ためにもならないし、つまりは得るものが少な過ぎることになり、また読みたいと思わなくなるわけです。
そうなると自分がなぜ書くのか、という理由がよく判らなくなってきます。
まあ、単なる落書きだと思えばいいのかもしれませんが、そうなると書きたいというモチベーションが湧かなくなってしまうはずです。
自分の為に書き、自分の考えを並べなおし、メモするだけの日記が、なかなか続かないのは、こうした心理的な理由があるからだと思います。
書く対象となるる素材や題材の選択は、とても大事な部分です。
私のテーマは、16分野に分けていますが、素材を選択するとき、ネタがないときは特にですが、この16分野にザッと目を通すことにしています。
書きたい、あるいは書くネタがあるのは、どのテーマなのかを決める際に、テーマとその記事数は意外と役に立つものです。
テーマは自由に増やしたり、減らしたり、変更することができるはずです。
考えすぎると決まらないので、とにかく10分野くらいに、まずはテーマを分けてみる。
ダメならあとでどうにでもなります。
テーマが余りにも少ないと、話題が偏り、日記全体が単調になります。
目先を変える。
これはとても大事なポイントではないでしょうか。
といっても、美容整形のハナシではなく、クルマのマイナーチェンジのことだ。
俗に言えば、「化粧直し」ということになるわけで、フルモデルチェンジでのような大幅な変更はしないのが普通。
レクサスはフラッグシップセダン「LS」の仕様・装備を変更したが、今回はフェイスリフト。
2006年9月の国内発売から約6年が経過するわけだが、最も大きな特徴はラジエターグリル。
わかりやすく言えばアウディのパクリ。
これから売り上げナンバーワンを狙っての全面対決が始まるフォルクスワーゲングループのアウディのワッペングリルと同じパターンにしたというわけだ。
このワッペングリルの起源は、ギリシャ人デザイナーのソティリス・コヴォス氏。
Yaris をデザインしたあと、Audiに移籍、アウディは 「シングルフレーム・グリル」 と呼び、話題を呼ぶことになる。
だが彼だけではなく、のちにアウディーブランドグループのヘッドデザイナーとなるイタリア人デザイナーのワルター・デ・シルバ氏(55歳)が
2005年には「ワッペン・グリル」と称して VWが GTI に 似たモチーフを採用し、以後このデザインはVW各車で展開されていったわけだ。
だが現行ゴルフでは、ワッペン・グリルを廃止。
アウディと似てはいるが微妙に違うゴルフのワッペングリルは、VWグループとして、アウディとゴルフが似てしまうことを恐れたからだろう。
だがトヨタは最近レクサスブランドの下位モデルからこのワッペングリルを採用し、とうとうフラッグシップへ搭載したわけだ。
だが順序が逆ではないだろうか?
ブランドイメージの点から言えば旗艦モデルから、下位モデルへの展開が普通なのだ。
ただ日本のメーカーは、総じてデザイン面ではデザインオンチのため、お構いなし。(笑)
三菱ギャランなどは、まんまのパクリ。
ここへ来て、トヨタお前もか?だ。
トヨタのフラッグシップの大事な顔なのだから、どうしてオリジナリティーあるデザインを追求しないのだろうか?
不思議だ、
東京都のマンションで空調フィルターからウラン3,000ベクレル/kg
近年に建設されたマンションでは、24時間空調が義務づけられている。
常に外気を取り込み、外気の取り込み口にはフィルターが設置され、空気中に漂うチリや細かいゴミなどが吸着される。
ECRRのクリス・バズビー博士は今年6月に東京都内のマンションで、このフィルターに付着したチリをこすり落として採取。
γ線スペクトルなどを検査したところ、多数の放射性物質が検出されたという。
鉛210やセシウム137、ロジウム102など、都内の一般的なマンションに通常存在しない物質ばかり。
中でもウラニウムは約3,000ベクレル/kgという高濃度で含まれていた。
バズビー博士が資料を採取したのは、東京タワーから300mほどの距離にある高層アパート。
20階建てのマンションに住む女性から、ECRRの研究所へ送られたフィルターを測定。
建物の内部のエアコンのフィルターで、建物の外部のものではないという。
このフィルターに付着した物質は、13万Bq/kgの-セシウムを示したというから驚きだ。
また、さらに、ウラニウム、濃縮ウランも存在したという。
こちらに動画あり。
つまり東京に住んでいる場合、こうした影響で、身体の不調はさらに増幅される可能性が高いということになる。
もちろんどれくらいの時間でそれが顕著に表れるかは、その人の抵抗力次第。
対策は、飯山一郎氏が推薦されているように、乳酸菌ヨーグルトを食べ、風呂で乳酸菌スプレーを噴射して吸い込むという方法だ。
ただ問題は、どれくらいの人が、これを実際にやっているかだ。
リスクをどう受け止め、実際にどんなアクションを起こすかは、人それぞれだからね。