日本の学校教育は、歴史的・地理的・政治的な事実やそれらの関連事項を「覚える」ということに重点が置かれている。
一方アメリカの学校では、小学校から一貫して、比較しながら識別を行い、深く「分析」した結果を「まとめる」という一連の思考システムを訓練することに重点が置かれている。
娘は中学校からシアトルの学校へ通ったが、アメリカの学校へ通っていると「日本の学校は楽しくなかった」ということがわかるようになるという。
その理由は、暗記中心の詰込み授業や、先生の画一的な考え方、集団行動強要、時代にマッチしない変化の乏しい授業内容などにあるという。
そのため日本の子供は勉強はできるが、一緒に遊んでも楽しくないということになってしまう。
そういう子供がやがて大人になり、映画や車の仕事に就くとどうなるだろうか?
創造性豊かな面白い映画や、個性のある楽しい催しが何故日本で生まれにくいのかという根源的な問題は、子供の頃に発生しているように思える。
デイトレードの発祥地であるアメリカでは、20年以上も前から株式投資については、学校で教えている。
それもゲームという形態でだ。
アメリカの小学校での経済に関する授業内容を挙げてみよう。
家庭での物・サービスの購入と消費
商品を作るために必要な物・サービス
物の欠乏・希少性の概念
決断に作用する機会費用の基礎概念
原価・ベネフィット・選択の基本
自然資源・人的資本・資本設備の基本を識別
個人経営・パートナーシップ・株式会社の形態の違い
州及びアメリカが工業において果たした歴史的な役割
物の値段の決め方
製造者と消費者、輸入・輸出、国際貿易の利点
中学校で勉強する内容
物・サービスのコストと質の比較
雇用の機会・選択、商業利益、起業リスク
商工業のコミュニティーでの役割、公的と私的の識別
経済的な測定・値の基本
経済における政府の役割
さまざまな税とその効果
労働組合、銀行、需要と供給
将来のトレードの可能性考察と物々交換、金属、通貨の売買について
アメリカの学校でゲームとして提供されているプログラムそのものは、日本では日本証券業協会から、株式学習ゲームとして提供されている。
アメリカでは学生対象のゲームなのだが、日本では大人が対象にされている。
この違いこそが、まさに日米の差だといっていいだろう。
株式学習ゲームの目的は、株式投資のテクニックを学ぶことではない。
株式の模擬売買を通じて、株価変動の背景となる現実の経済・社会の動きに生徒達の目を向けさせることにある。
つまり、ゲームとしての面白さによって生徒の関心をひきつけようというわけだ。
ゲームは、生徒3、4人がチームを作り、情報を集めながら、どの銘柄に投資するかをディスカッションで決めてゆくというものだ。
当然のことながら、銘柄の決定過程では、選択の合理的な理由が求められる。
こうしたゲームのプロセスを経て、合理的な選択のための「意思決定」や「ディベート」の訓練が、楽しみながらできるようになっている。
模擬売買を通じて、実際の株式投資と同じ結果が出てくるため、株式投資の難しさや投資に対するリスクをも、身をもって学べるというわけだ。
将来の自分の財産を管理するために必要な体験を、吸収力があり考え方が柔軟なうちにさせようというのが、アメリカでの学校教育の目的なのだ。
ゲームを体験した学校の先生によると、このゲームをすることで「新聞のニュースをよく読むようになり、縁遠かった政治や経済に関心を向けるようになった」という。
アメリカでは20年も前から、こうしたゲームを通じて株式トレードについて学校で教えているが、今の日本でも親の反応は「学校で株式投資を教えるなんて・・」というネガティブなものになることは、言わずもがなだ。
こうした点を比較すると、全く別世界の様相を呈してくることがわかるだろう。
物事に対する柔軟な考え方についての、レベルの違いは、子供の頃からの教育の違いから生まれ、大人になる頃には、大きな違いとなって社会に影響を与えることになる。
今の日本の中学校で、株式投資についての授業というのは行われているのだろうか?
興味のあるところだ。
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