TVのハイビジョン映像に見慣れてしまうと、DVDが低解像度に思えてしまうわけだが、慣れというのは恐ろしいものだ。
だが「高解像度ならいいのか?」というと、逆に見えない方がいいこともあるわけだ。
高解像度で鑑賞に堪えるものというのは、実は大自然の映像とか、スポーツ中継くらいのもので、スタジオ撮影のものは、おおむねダメ。
大自然映像とは対照的に、ハイビジョンなどの高品位画像は、スタジオ撮影だと余計なものばかりが見えて、ゲンナリすることになる。
環境週間という謳い文句で大自然地球環境エコ説教番組が多くなってきているのは、TV局もこのあたりの事情を承知しているのかもしれない。
アップで見えてしまう日本のタレントの歯の汚さなんかも、今までの低解像度なら気がつかなかったのにね。(笑)
出来がいい映画の面白さは「解像度」という「表層的美」というものが「感動」とは本質的に全く関係がないという事実を改めて教えてくれる。
制作者の「表現レベル」が低ければ、そこにあるのは「ハイビジョンの映像美」だけで、見終わった後には「物足りなさ」のみが残ることになる。
高解像度を持つディスプレイが普及すればするほど、視聴者が「そのこと」に気づく可能性が高くなるわけだが、果たして「くだらない番組の淘汰」という方向へ事は動くのだろうか?
何が面白くて何がくだらないか、という感性は「人それぞれ」ゆえ、そうは問屋が卸さない、ということになるかもしれない。
解像度が高くなることで、視聴者は「感度の高いリトマス試験紙」を手に入れたわけだが、問題は「それを何にどう使うか?」だ。
さて高解像度ディスプレイの普及というギャンブルは、どちらの「目」が出るのだろうか?