ネットでは予想外に面白い日記や読み物を見つけることがある。
そういうのにたまたま出くわすと、なんだかとても得をした気分になる。
なぜなら基本的に、ネット上のタダのものにはハナから期待していないからだろうね。
だけどそうした点を除いても、本屋でわざわざ買う本なんかより、遥かに読みごたえがあり、それでいて刺激的で、面白いものだってあるのは事実だ。
じゃあ、そういう人は、プロの書き手つまりライターなのかというと、意外や意外にそうではないことが多い。
何故だろうか?
理由は簡単だ。
それは、ほかに本業があるからだろう。
本業があるからこそ、予想外の理由である気分転換などによって、高いモチベーションが昂じると面白いものが書けることに繋がるのではないだろうか。
こうして考えると、プロのライターとアマチュアのライターを分ける境界線というのは、単なる面白さや、書く力などだけでは区別できないということになる。
本の原稿料について書かれている本を読めばわかるが、年収ベースで考えると、一般の仕事の方が高いケースが多い。
たとえば編集者の方などは、どういうものを書けば売れるのかとか、何が面白さなのかを知っているわけで、中にはさらに書く力のある人だっているわけだが、プロのライターになる人は意外と少ないようなのだ。
プロのライターとしてやってゆこうと考えると、意外とキツく、時間に追いかけられるから、収入だけで考えれば、意外と割が合わない仕事だといっていいだろう。
高収入を上げている人は、ごく一部のベストセラーを連発できる作家か、たまたまベストセラーになった一部のライターだけで、その確率を考えると、決して割りのいい仕事ではないのだ。
つまりもともとが書くのが好きで、普通の仕事をしたくない、あるいは務まらない人がプロのライターになるのではないだろうか?
という結論になってしまう。
私の日記なんかにも時々、本を出さないのかというコメントがつけられるが、とんでもハップン駅まで10分!(笑)
日記やエッセイ調のものっていうのは、有名人や作家が書いたものだから売れるのであり、無名な書き手が書いたものなんて誰も買わないのだ。
その日記だって、今の仕事をしているから時間があり、いろいろなところへ出かけることができるので、何とか書くことが見つかっているわけで、年中机に向かって、プロとして書くようになったら、多分何も書けなくなるだろう。
それに売れる数だって、アメブロの読者数から推測しても、せいぜい数千部売れれば御の字、ということになるのではないだろうか。
書いているうちに、なんだかこういう結論になってしまった。
じゃあ何のために書くのか?
まず自分の未来に今を振り返って見ることができるるというメリットがある。
そして、書くことによって、今日の自分を客観的に見ることができるわけだ。
最後に、自分に課したノルマを達成できたという自己満足。(笑)
つまり自分のために書いているのだ。
なんてことがわかったりするわけだ。(笑)
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