似たような状況にある人にとっては、耳が痛いはず。
民主党の小沢一郎元代表(70)の和子夫人(67)が、昨年11月に地元・岩手県の複数の支援者に、「離婚しました」という内容を綴った手紙を送っていたという。
便箋11枚にも及ぶ長い手紙は、ネットで公開されている。
女性問題でも、小沢元代表は和子夫人に謝るどころか、「いつでも離婚してやる」と言い放ち、和子夫人は一時は自殺まで考えたとも記している。
そして、下記のように綴っているという。
「それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、
私が水を差すようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。
ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました」
「国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。
何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです」
こうした大震災後の小沢元代表の言動がきっかけとなり、和子夫人は昨年7月に家を出て別居を始めたという。
その後も現在まで別居は続いているが、小沢事務所は「離婚の事実はない」としている。
和子夫人はこうも綴っている。
「かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています」
ま、両方の言い分を聞かないとわからないとしても、ハナシ半分であっても、小沢陣営にはイタイ展開ではないだろうか。
政治家なので、詳細は我々より詳しく知っていたとして、そこまでしても、逃げなくてはと思うほど、いかに危ない状況だったのかがわかる出来事だともいえるだろう。
「週刊文春 6月21日号- 便箋11枚の衝撃」
◆ まだ強い余震がある中、お変わりございませんか 平成23年11月
この度の大震災ではさぞ御苦労があったと思います。ご家族ご親類はご無事でいらっしゃった
でしょうか。何のお手伝いもできず申し訳ありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思い
です。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っています。この
ような未曾有の大災害にあって、本来政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、
実は小沢は放射能が怖くて、秘書と一緒に逃げだしました。
岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本
の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。お礼の手紙にこのようなことを申し上げるの
は大変申し訳けなく、ショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていました
ので、この手紙を差し上げました。お聞き苦しいと思いますが、今迄のことを申し上げます。
八年前、小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才(注)をすぎ
ました。三年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれた
そうです。それで、私との結婚前からつき合っていた★★★★という女性に、一生毎月金銭を払
う約束で養子にさせたということです。 注)21歳(男) 若いタレントに生ませた子
小沢が言うには、この★★★★という人と結婚するつもりだったが、水商売の女は選挙に向かな
いと反対され、誰れでもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先
生が紹介したから私と結婚したというのです。
そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手伝って
もらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「★★★★とは別
れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。
その言葉で30年間皆様に支えられて頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで
考えました。息子達に支えられ何とか現在までやってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が
乱れることがあります。
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◆ なんですぐ岩手に帰らないのか!
ところが、3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることが
ハッキリわかりました。3月11日、あの大震災の中で、お世話になった方々の無事もわからず、岩
手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情けなくて仕方がありませんで
した。
そんな中、3月16日の朝、第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、
先生の命令で秘書達を逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました。」と胸を張って言うの
です。あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さんたちとどこか逃げる所を考えてく下さい」と
言うのです。
福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げると
いうのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないの
か!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」と聞きました。川辺が言うには、岩手に帰
らないのは知事から来るなと言われたからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだとい
うのです。
国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年も
お世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。私は激怒して「私は逃げません。政治家
が真っ先に逃げだすとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつ
くろい、小沢に報告に行きました。
小沢は「しょうがない、食料の備蓄はあるから、塩を買い占めておけ」と言って書生に買いに行か
せました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ま
せん。女性秘書と川辺の家族は1ヵ月余り戻ってきませんでした。2日遅れで届いた岩手日日には
3月15日国会議員6人が県庁に行き、知事と会談したとありました。
彼らに一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。
知事に止められたのではなく放射能が怖くて行かなかったのです。
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◆ 3月21日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやってください」
3月21日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやってください」と書生が言いにきま
した。しかしそのような情報は一切発表されていませんでした。私が「他の人と同じ様に水道水を使
います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。
それ以来、書生達が料理をし、洗濯まで買った水で。東京都が乳幼児になるべく水道水を避ける
ようにと指示したのはその2日後です。 注)政府は23日PM3:00水道汚染発表
3月25日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしまし
た。去年、京都の土地を探していたようすですのでそこに逃げたのかもしれません。
その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った? こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅
前にテレビカメラが三、四台置かれ、20人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先
から3月28日に岩手県庁に行ったのです。ご存知のように被災地には行ってません。4月に入ってか
らも家に閉じこもり連日、岩手若手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めました。
菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に
情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首
相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議がだされ政治が停滞したこと
はご存知と思います。
この大震災にの中にあって何ら復興の手助けもせず、放射能の情報だけ欲しいというのです。本当
に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出してお
り後援会長にまで相談していました。もう岩手のことは頭になかったのでしょう。
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◆ 放射能をおそれて魚や野菜を捨てた
こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたかと思うと申し訳なく恥ずかしく思っています。更に5月
には長野の別荘地に土地を買い設計図を書いています。多くの方々が大切なご家族を失い何もかも流
され仮設住宅すら充分でなく不自由な避難生活を送られている時に、何ら痛痒を感じつ、自分の為に非
難場所の設計をしています。建設会社の話しではオフィースゼロという会社名義で土地を買い、秘書の
仲里が担当しているということでした。天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の
視察と称して釣に出かけました。
千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、
漁協からもらった魚も捨てさせた。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする
他は捨てたそうです。
かってない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土
の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうするこんな男を国政に送る手伝いをし
てきたことを深く恥じています。
長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受け取
ったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれる
ことを信じています。
ご一家には、本当に長い間お励ましお支え頂きましたことを心から感謝しております。ありがとうござ
いました。7月には別の所に住所を移しました。ご一家のご多幸を心より祈り上げております。
小澤和子
小沢i一郎は、自らの政治的師匠の故・田中角栄元首相の紹介で、建 設会社社長の娘の和子夫人と1973年に結婚。
知り合ってからわずか3カ月で結婚式を挙げ、政略結婚だといううわさも流れたという。
名門大学として知 られる上智大出身の和子夫人は英語に堪能だが、外部の行事にはほとんど出席しなかったという。
夫の健康を考え、弁当を作るなど、内助の功を果たしてきたという。 なお、小沢元代表と和子夫人の間には3人の子どもがいる。
一方、小沢元代表側は「夫婦の問題は個人的な問題であり、手紙の内容は事実ではない」と主張している。
ま、オレは全く心配ないけどね。 < ホントか?(笑)