2012年06月18日 のCoolに過ごそう

今日は、ちょっと珍しい映画の楽しみ方について。

「ドリヴン」と「CURE」という2本を立て続けに見るという、かなり振幅の大きなコンビネーションのご紹介。

「ドリヴン」は、1994年のレース中に事故死したアイルトン・セナに捧げるため、シルベスタ・スタローンが自ら書き下ろし100億円以上の制作費が投入された2001年の作品。


たまたま、スターチャンネルで放映していたので見てしまったのだが、監督は「ディープ・ブルー」「クリフハンガー」のレニー・ハーリン。

ストーリーは、引退していた元花形レーサーと期待の新人レーサーがタッグを組み、チャンピオンを目指して戦うという単純なもの。

主役は「ロッキー」でおなじみのスタローン。

DrivenB.jpg

スタローンが脚本を書いているせいだろうか、ロッキーのように困難を乗り越えて復活するという中年男のダンディズムに、青春映画 のエッセンスをパラパラと振りかけたような作りだ。

出演している俳優たちは美男美女を揃えているのだが、その割に人間関係は取り立ててどうのということはないレベルで、実にあっさりしたもの。

元恋人や、若いレーサーのラブストーリーやマネージャーとの確執など、いわゆるお約束の人間関係を描くだけ。

だが、だからといってそれがこの映画の致命的な欠点となっているかというと、必ずしもそうとはいえないのが面白いところだ。

どちらにしろこの映画の見どころは、大枚の制作費を投入したレースシーンと、ド派手なカークラッシュ シーンしかないわけで、人間関係などのドロドロとした部分はバッサリと切り捨て、とにかくもの凄い割り切りで作られているのが、良くも悪くもこの映画の特徴となっている。

スタローンは最初F1の世界を撮ろうと思ったらしい。

だが、撮影開始時にはシーズンが始まっていたうえ段取りをしてみると、映画とか俳優は単なる邪魔者になるだけだということで断念、カートのレースを使って撮影したのだという。

カーレースのに少しでも詳しい人なら、まさに突っ込みどころ満載なのだが、全くそういうことに疎い人には、「そうなんだあ・・」と思えるような作りになっている。

ウチのカミサンには、F1の中継を見ていると、よく「同じところをグルグル回ってるのを見て何が面白いの?」って言われるのだが、その彼女は、この映画を見て結構迫力があって面白いと言ってたので、制作陣はまさにこうした観客をターゲットにしているのだろう。^^

興行的には、そこそこヒットしたというが、とにかく見終わると「スカっとさわやかコカコーラ」のようなドライさで、 見終わった後で何も残らない。(笑)

だが悪い後味も残らないので、お気楽に飛行機の中などで、時間潰しのために見るにはいい作品だろう。

 

さてこの「ドリブン」の対極に位置するのがレンタルDVDで借りた「CURE」。

高部刑事扮する役所広司と間宮という謎の人物を演じる萩原聖人が主役のホラー?というかミステリー映画。

最後まで見ても、この映画の意味するところがよく分からなかったので2回見たのだが、それでもどうなっているのかは分からずじまい。

たぶんこういう映画とは相性が悪いのだろう。

というのは、私には解せないシーン多過ぎたからだ。

たとえば最初の殺人のシーンでは、バックグラウンドの音楽がやたらコミカル。

普通こういうシーンは内容を暗示するかのような暗い、不気味な雰囲気の音楽を使うのだが、この映画では「私にとってはもの凄く違和感のあるコミカルな音楽」が使われている。

何か意図があるのだろうが、何故そこでこうした音楽を使ったのかは映画を見終わっても、ついに分からずじまい。

そしてそのシーンの途中で高部刑事扮する役所広司が車を運転するシーンででタイトルが表示されるの だが、このシーンで、どういう映画かが、よくわからなくなってしまった。

「ドリブン」は、とにかくストーリーや展開がわかりやすく、何も神経を使わなくてもいいように作られているが、あそまで徹底されると、かえって小気味よいという味になってくるほどだ。

一方の「CURE」では、最後の方で何の説明もなしに、不気味な建物がいきなり登場したり、現実だと思っていたら、それは実は妄想シーンだったというように、もう何でもあり状態になってしまっている。


 

映画の始まりの肝心な冒頭部分では、殺人の現場検証の場面で刑事か警官が「被害者は売春婦です、いつかこういう目に遭うんだよなあ・・」という台詞 を吐いたりするのだが、普通こういうところでこういうセリフは言わないよなあ・・と、冒頭の大事なシーンだけに、気になってしまった。

一方の「ドリブン」では、こうした違和感は全くゼロというか、余りにも謎も何もなく、すべて明るいライトの下にさらけ出されたものを見ているかのようだ。

それはそれで「何だかなあ・・」と物足りなくなるのだが、その代わり映像でもって、これでもかとばかりに、レースや車の魅力の断片をテンポ良く配置し、映像的には徹底して飽きさせないような作りになっている。

ストーリーや人間関係が面白くないから、だから何のだ!とばかりに、そういうことを気にしている暇がないほどのテンポで、派手で動きのあるレースシーンやクラッシュシーンが目の前で次々と展開されるからだ。

たとえば、車のアクセルやブレーキペダルの真横からの至近距離でドライバーの足の動きと、車の動きをシンクロさせ、最高のリアリティーを出すために最大限の注意を払って作られていることがわかる。

対して「CURE」は、最後まで暗くてよく分からないというか、謎が多すぎるうえ、そうした疑問に対しての説明や解釈がほとんど見えないため、見終わってから、もの凄く欲求不満になってしまった。

CureB.jpg

 

「CURE」全体に通して共通している特徴のひとつとして、引いたカメラ目線が主体で、映画特有のシーンの切り替えがなく、映画なのに舞台を見ているような撮り方をしているという点があげられるだろう。

わざわざこういう映像表現をする意味がよく分からないのだが、私の想像では多分予算の関係でカメラの台数が少ないからだと思う。

それとも他に何か特別な意図があるのだろうか?

たとえば、刑事と精神科医の会話で は、映画の伏線と思われる内容の台詞が続くのだが、これはどうやら観客に状況を説明するためだと思われるのだが、これはいくら何でもやり過ぎ だろう。

制作側の意図は、あたかも役者の言葉の説明通りに解釈してください、とばかりに事細かに言葉で解説されるのだが、肝心の何故こういうことになるのかはわからずじまい。

というわけでどちらにしても想像力を働かせる余地がないため、私には全く面白いとは思えない映画となってしまったというわけだ。

まさに舞台演劇を見ているかのような映画で、映画として見てると違和感のあるカメラワークだといえるだろう。

こうした点を、大多数の観客はどう感じているのだろうか、などという点が逆に気になってしまったほどだ。

こういうところは普通、映像を重ねることで観客へ想像を喚起させて興味を引っ張る、というのが、基本的な手法だと思うのだが、とにかくセリフの多い映画だ。

 

刑事役の役所広司と精神科医の演技で救われているが、萩原聖人の演じる「記憶喪失になった男」がそれらしく見えないのも痛い。

まあそれが不気味さを醸し出している演技なのだと言われれば、それまでだが、とにかくどのように面白さを見つけようと努力して見ても、こういう感想になってしまうのだ。

残念なのだが、とにかく私の感性とは合わないのだろう。

この感性に嵌れば多分「もの凄く面白い映画だ」ということになるのかも知れないが、とにかく私にはお手上げだった。

せっかく勧めてもらった映画の映画評としては、なんだか申し訳ない映画評になってしまったが、他意のない正直な感想を書くとこういうことになってしまったというわけなので、ご容赦いただきたい。

この2本の映画は、とにかくこのような「対極」に位置している。

どちらかを見てから、もう一本の方を見ると、どちらも非常に引き立つということは確かだろう。

というわけで、ワンセットで見ると、「一粒で二度おいしい」、気はするかも知れない。

しかし、歯切れの悪いエンディングだよなあ。(笑)

家と庭の手入れ

コメント(0)

今年もこれから夏を迎えるシーズンになってきました。

つまり、一年の折り返し点に近付いてきているわけで、これから後半戦に入るわけです。

そこで今日は月曜日の朝にふさわしく、文字にすると壮大な?テーマである、自分が望む人生をどうやれば、歩むことができるのか?

という一見難しそうで、実現するには「とっかか」りがなさそうな点ついての考察です。

 

 

多くの方のブログを拝見していると、あるとき、あることに気がついたことがあります。

日記というのは、まさにその人の「考え方」というか、頭の中で「何が起こっているのか?」ということを知るには、とてもよい手がかりになります。

ほとんどの日記は、今日何があったのかとか、そのことでどう思ったのか、あるいは、どうです綺麗な庭でしょう?あたなもこうした庭を手に入れられるのですよ。

などというように、いわば自分の庭に植えられ、芽を出してきたものや、それを宣伝して、どうやればそういう庭になるのかという点に関して書かれているものばかり。

 

Garden03B.jpg

 

一方で自分の庭というのは、こういう庭にしてみたいとか、こういう庭に見えているだろうとか、こう見えて欲しいなどというように、様々な思惑も同時に楽しむことができるはずです。

ですが自分の考えをもう一度掘り起こし、日に当てたり空気に触れさせ、時々肥料をやるように、考えることで内面を耕している様子を、楽しみながら書き綴っている日記を見かけることは、ほとんどありません。

何故そういうブログが少ないのか? 

   

自分が考えたように物事を進めたり、自分がたとえ漠然とでも「こうしたい」と考えた生き方をするためには、何がが大事なのか?

という自分の庭そのもので、雑草を抜いたり、時には植え替えをしたり、時には庭師の意見を聞いたりなどの、手入れが必要になります。

そうでなければ、気がつくと雑草だらけだったり、肝心の咲かせたい花が萎れてしまっていたりなどというように、なってしまいがちだからです。

  

毎日の生活の中で、こうしたことに注意を向ける時間を、どれくらい確保すればいいのか?

私は日記を書くとき、漠然とですがこうしたことを意識をして書こうと決めて、日記を始めました。

それが書く目的でした。

  

どのような状況に直面しても、考えることで突破口を開くことができる。

こうした考えは、私の2冊目の本でも触れていますが、アメリカで「仕事がなくなったときの経験」という体験によって、強い確信となって心の中に根を下ろすことになりました。

自分の言動や毎日の行動というのは、自分が普段考えていることがベースになっているわけですから、塵も積もれば方式で繰り返すことが、最も効果のある方法なのです。

そのためには、その考えによって起こした行動を分析することで、経験を磨くことが重要になります。

 

Garden01B.jpg   

 

そうすることで何を収穫したいのか?ということが、はっきりとしてくるのです。

これが明確にならなければ、何の種を蒔くのかを決めることはできません。

いざ「自分の庭にはどういう花を咲かせたいのか?」と考えると、なかなかそのイメージが湧いてこなかったり、あれもこれもと欲張ってしまい、結局は雑然とした庭になってしまったりしがちです。

   

具体的に例を挙げてみましょう。

ちょうど昨日、オフィスのあるフロアに子供さん連れで、なたかが引っ越しをされてきました。

私の住んでいるマンションは、賃貸です。

  

「住む」ということに関していえば、私たちには、買うのか借りるのか?という2つの選択肢があります。

こうした単純な事に関しても、人によって様々なパターンがあります。

「買うのか借りるのか?という選択肢」だけに限ってみても、意外と明確であったり、まだはっきりと決めていなかったり、成り行き任せだったり、計画的だったりと、千差万別。

  

これにはもちろん、仕事場との距離や、費やされる時間、自分の中での重要性、経済的な負担など様々な要素が絡んでいます。

そのため成り行き任せになりやすく、意外と思いつきや世間一般的に言われていることを鵜呑みにし、自分で深く考えずに簡単に決めてしまっていたりなど、まさに人それぞれ。

雑然としているけれど、自然に任せた庭がいいという方や、自分でこうしたいというプランを立ててそれに従って生活するのがいい、という方もいらっしゃるでしょう。

  

私は自分が望んだ庭になっているかどうかを見て回る時間を大事にし、必要なら除草剤を撒いたり、肥料をやることを楽しんでいます。

20年前は仕事場と自宅は別の場所で、通勤に往復2時間ほどの時間をかけていました。

10年前には、自宅は仕事場から自転車で10分の距離に住み、今では自分の書斎兼仕事場を念願の同じ建物の中に持つことができるようになりました。

 

Garden02B.jpg 

 

時間をかけて計画をしたことを実行すれば、ほとんどのことは、このようにある程度自分が希望する方向へ造り込むことができるものだと思います。

「夢物語ではない叶えることができる具体的な希望」を持つことは、生き生きとした目の輝きを失うことなく、毎日を過ごすには、最も良く効く特効薬です。

どんな小さな事でもいいから、計画を立て、それを実現するという体験を毎日続ける。

 

小学生の頃には誰もが持っていたこうした考え方は、オトナになったいまだからこそ、引っ張り出すべきなのではないでしょうか。

自分が毎日生活をする家や庭という家庭を大事に、今までのあなたの人生経験を生かし、毎日少しづつ手入れし続ければ、あなたの庭は美しく、いつも美しい花が咲いている庭にすることができるのです。


できると信じ、手入れをする時間をまず確保する。

夢はその気になれば、できることから、いつでも始めることができるように、なっているのですね。^^V

 

 

2012年6月

« 前月 翌月 »
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

2012年6月

月別アーカイブ