教える楽しさというのは何だろう。
トレードは自分の欲望、言い換えれば願望に対してのアクションが元になっている。
そのため「曖昧さ」はないし、想像の余地さえない世界だ。
だが人に伝える、あるいは「教える」という世界は全く違うものだ。
自分が「ある知識を知ることで、そこから無限の可能性を感じる」という体験があれば、それは強烈な印象としてカラダに染み込んでいる。
まるで世界が自分のものになったかのような、そして無限のチカラを得たかのような、それを知ったときの脳内から沸き起こる感覚は、忘れようとして忘れられるものではない。
「知識を理解した瞬間に湧き上がる」ある種の陶酔にも似た、トレードの世界だから起こりえるこうした醍醐味は、他の世界ではなかな得られない類のものだと思う。
だがその感覚は「教え」ているときに、あのときの「興奮」がリコールされるかのような、瞬間に巡り会えることがある。
だがそうしたときにでも、受講者の方が、私が体験した「あれ」と同じ興奮や感覚を共有されているのかどうかは、私にはわからない。
だが「そうかもしれない」という気配を感じるときがある。
それがあるときは目の輝きであり、あるときはそのあとで投げかけられる質問であったりする。
仕組みを理解することで、まるで砂漠に置かれた氷山のように、頭の中でパズルが解けてゆくという知的興奮を、どのように感じるかについては、かなりの個人差があるだろう。
あることに対する「感性」の違いは、人それぞれだからだ。
私の場合は、背水の陣で「アト」がなかったためだろうか、動きが読めるようになる要素を一つ手に入れるたびに、まるで子供が新しいオモチャを手に入れたかのように興奮したものだ。
そうしてそれまでのオモチャと組み合わせれば「何ができるのか?」を探すため、時間を忘れ、没頭することが、とても楽しかった。
セミナーでそうしたときと同じ目の色に出会ったとき、あのときの自分に一瞬戻ったかのような気分を味わえるときがある。
自分で考えて組み合わせたオモチャで、他の人がそのオモチャの楽しさを同じように共有できるという体験をどう感じるか?
セミナーをやる理由というのは、意外とこういうところにあるのかもしれない。