どのようなジャンルの仕事であれ、コミュニケーション能力は、成果を大きく左右する要因といっていいだろう。
成果が経済的な支えとなるには、多少の時間はかかるかもしれないが、近い将来のあなたの経済状況へ、ダイレクトへ繋がっていると考えて間違いないだろう。
ということは、この能力をブラッシュアップすることで、将来の経済的基盤を盤石なものへと、変化させることができるかもしれないのだ。
コミュニケーションの能力というのは大きく2つに分けることができる。
一つは話す能力。
もう一つは文章を書く能力。
この2つの能力のどちらかでも、普通のレベルを卓越している人は、盤石な経済的基盤を確立されていることが多い。
話す能力というのは、容姿や生まれながらの声質という、自分の努力では大きく改善することが不可能な要素が含まれている。
スピーチの手法を習得すれば多少は向上するかもしれない。
だが話す能力というのは、根本的な資質や魅力を変化させることができない要素に、かなり依存した能力なのだ。
話す言葉は、曖昧になりやすく、かつ録音でもしない限り、時間の経過と共に消え去るという宿命を持っている。
だが正確で簡潔な文字で表現することができるブログに記録すれば、漠然とした考えをスッキリとまとめ、保存しておくことができるわけだ。
ディスプレイに表示される文字に置き換えられた思考は、視覚を通じ、思考のロジックが内包する欠陥が見えやすくなるという、大きな利点も、忘れてはならない重要なポイントではないだろうか。
書く能力というのは、話す能力に比べ、努力次第で、大きく向上させることができる。
私がブログを書き続けているのは、何を隠そう、この書く能力を向上させたいからだ。
ブログを書き続けていると、自分で想像する以上のものを、もたらしてくれていることを、肌で感じることがある。
書き続けるという行為は、結果的に膨大な時間を費やすことになる。
だがその見返りは、決して少なくないことを忘れてはならない。
なぜなら読者の反応を見ながら、試行錯誤を繰り返すことで、書く能力は磨かれてゆくからだ。
自分のアタマの中に浮かんだ考えを、適切な言葉に置き換える。
こうしたプロセスを続けているうちに、自分自身を表現する能力は高められてゆくのだ。
どんな職業であれ、これからの時代、特に書く能力というのは、私たちが考えている以上に重要度を増してゆくだろう。
ネットワーク機器を取り扱っているシスコシステムズは、2016年までにネット全体の通信量は、爆増するだろうと予測している。
具体的には、世界のインターネット トラフィック量は4年後には4倍に増加するという。
この爆発的な増加は写真やビデオなどの映像によるものが大半を占めるという。
だが映像は文章とセットで使われるわけで、ビデオなどの動画は扱うデータ容量が多いため、こうした統計では突出したものとなるわけだ。
書く能力が高くなると、説得力を持ち合わせた洞察で構成されたエッセイを、短時間のうちに書くことができるようになるだろう。
そしてさらに適切な映像や写真を加えることで、より魅力のあるものへと仕上げることができるわけだ。
私が写真の表現にこだわっているのは何故か?
写真は書かれた文章との相乗効果で、読み手に対して非常に高いインパクトを与えるからだ。
自分のコミュニケーション能力を向上させるための方法として、他人に教えるというアプローチがある。
他人に説明するためには不足している点や疑問点を解消しなければならない。
そのため、そのプロセスにおいて内容の理解が深まるという利点が生まれるのだ。
ブログに何かを書こうとするときには、あらかじめ様々なポイントについて調べる必要があるわけだ。
こうした調べるという過程で知識は増えるばかりか、さらにはその分野をよく理解している読者からの違いの指摘等を通じ、読者とのコミュニケーションを計ることもできるわけだ。
また継続して蓄積されたブログは、いわゆる知識のデータベースとしても将来利用することができるようになるだろう。
自分が過去に投稿した記事を、Google検索で見つけ、書いたことを思い出す、などといったことが頻繁に起こるようになるかもしれないのだ。
また、過去の投稿を読み返すことで、自分の目指していたものが、どちらへ向かっていたのかも、客観的に知ることもできるはず。
書くことにより自分の意見がインターネットを通じ、人々へと広がるという社会貢献への意識は、さらに書く能力を磨いてくれるだろう。
そして長期間書き続ける努力から生まれ、切磋琢磨された思考は、生きがいへと繋がり、それはまた自分自身への幸せへの道をも開いてくれるだろう。
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