2012年05月30日 のCoolに過ごそう

ファーミネーター

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アメリカのFURminator社が開発したアンダーコートを取るトリマー向けブラシをご紹介。

犬や猫の健康な毛は傷めず、アンダーコートという不要な毛だけを抜き取る画期的なブラシで、ブラシを構成しているステンレス製の刃は特許だという。

moco02.jpg

http://www.youtube.com/watch?v=tmeBTS8aO6M

動画でその効果を目の当たりに見ると、欲しくなるという困ったシロモノ。

どのような仕組みかというと、独特の形状にカットされた刃にアンダーコートがひっかかり、そのまま抜けるというものなのですが、でもトップコートは抜かないようにできているというのが、特許たるゆえんなのでしょう。

使ってみると、本当によくできています。

もちろん、アンダーコートが無い犬や猫に使ってもあまり効果はありません。

 

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ちなみに、ファーミネーターは、抜けた毛だけではなく、毛根が死んでいる毛も抜き取ります。

ファーミネーターを使うと、まず無駄な毛が飛び散らなくなるため、部屋がきれいになります。

  

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適度な力が皮膚に加わるためでししょうか、マッサージ効果が加わり、血行がよくなっているようで、使っているうちに毛並みが良くなってきます。

前はブラッシングが嫌いだったウチのネコも、この製品に慣れてくるにしたがって嫌がらなくなり、今ではブラシをしている最中でも気持ちよさそうにしています。

  

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ただ、本来アンダーコートは、体の保温や保護の役目がありますから、アンダーコートが良く取れるからといって、取り過ぎないように。

何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですからね。

とにかく、犬または猫を飼っていて、まだご存知ない方を、煽りたくなる製品です。^^

写真を綺麗に撮るためのポイント

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メンテナス・デイ では、撮った写真の2枚だけを使ったのですが、その理由は時間がなかったから。(笑)

というわけで、ここで残りの写真をアップ。

20120529T28-03.jpg

写真はすべて フジフイルム X10 で撮影

  

鉄人28号について特に語ることもないのだが、写真だけというのも何なので、今日は写真の基本について。

このカメラうもそうなのだが、デジカメでは、明るさ(露光)の調整は、「シャッタースピード」「絞り」「ISO感度」という3要素の組み合わせで行う。

つまりこの3つの関係を知っておくと、きれいな写真を撮ることができるというわけだ。

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この写真では、解放から5段ほど絞り込んで撮影。

 

「絞り」というのはは、光の量を絞ってセンサーへ当てる光の量を少なく調整することなのだが、数字が大きくなると「絞る」度合いが大きくなる。

この絞りの値は、スペック表などでは「F値」と書かれている。

明るいレンズは F の数字が小さく、これが小さければ小さいほど、光がたくさん取り込まれるわけだ。

 

20120529T28-05.jpg

 

一眼レフのレンズを見ると、レンズの前のリング状のところに、一番光を多く入れることができる数値が書かれている。

コンデジにも、メーカーによっては書かれているものがある。

つまり開放値で最もたくさんの光を取り込むことができる目安となる数字が表示されているわけだ。

 

フジフイルム X10はズームしない状態だと F2.0。

4倍にズームすると F2.8。

つまりズームしないときに比べ、ズームして望遠で撮影するときには、光を取り込む量は少なくなることが多いのだ。

もちろん例がもあり、私が一デジイチで使っている、広角が16ミリのズームレンズは、広角でもズームして望遠にしても、2.8というF値は変わらない。

このようにズームしてもF値が 変わらないレンズが理想的なのだが、そのかわり、そういうレンズは、値段がうんと高くなるわけだ。

 

このように、F値の数字が小さいカメラは、レンズの最大の光を集める能力が高いということになる。

GRDIGITALは、F1.9 なので X10よりも、少し明るいレンズがついている。

その代わり単焦点といって、レンズはズームのできない、いわゆる焦点距離が固定のレンズになっている。

 

20120529T28-06.jpg

 

次は「シャッタースピード」について。

「シャッタースピード」が早い、つまり数字が大きくなると、センサーへ光を入れる時間が短くなる。

逆に数字が少なくなると、センサーへ当てる時間が長くなるわけだ。

 

このように写真の明るさをコントロールするには「シャッタースピード」「絞り」をうまく組合せればいいことになる。

この2つの要素を組み合わせ、バランスさせることで、明るすぎず暗すぎない写真を撮ることができるというわけだ。

多くのカメラが標準で推薦しているオート撮影モードでは、カメラメーカーが決めた組み合わせで撮影することになる。

ここではハナシがややこしくなるので「ISO感度」については別の機会に説明する。

 

20120529T28-07.jpg

 

この例のように天気がいい日には、光の量が多くなるわけで、そういうときに絞りを解放して撮影すると、どうなるだろう。

シャッター速度をカメラの限界値まで早くしても、つまり光を取り込む時間を限界まで少なくしても、明るくなりすぎて全体が白っぽい写真になってしまうのことになる。

そのため、絞りを少し絞らなければならない。

具体的には、光を取り込むレンズの光が通る部分の直径を、羽根状のものを組み合わせて小さくするわけだ。

 

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絞り値を変えるのは、このようなバランスを取るためだけではなく、ピントの合う範囲を調節する時にも使うことができる。

絞り値を大きくする(絞る)と、ピントが合う距離が長くなり、対象となる物体の後ろにあるより遠い部分にも、ピントが合うようになる。

F2.0 の絞り開放で手前の物体にピントを合わせると、後ろにある景色の部分は、いわゆるピントボケ状態となってハッキリとは写らなくなるのだ。

手前の物体から、遠くの景色まで、すべてをハッキリと写したいときは、F8.0くらいまで絞るといいだろう。

 

一般的にいえば、F2.の0(開放)では手前の物体にピントが合い、後ろ側がボケるため、浮き立つような立体感のある写真を撮ることができることになる。

ブツ撮りなどのように、モノをちゃんと見せて説明する目的の写真だと、少し絞って撮影することが多い。

このように、写真を撮る目的にあわせて、絞りの値を決めて撮影するためには、絞り優先モードが便利なので、私はすべて絞り優先モードで撮影している。

 

自分の持っているレンズやコンデジの絞りをどうしたらどうなるのかを全て把握するためには、絞り優先モードで、絞りを変えながら、とにかく撮りまくることだ。

そうしてできあがった写真を見て、なるほど絞るとこうなるのか・・というように、覚えてゆくわけだ。

 

「努力できる人」は脳が違う

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退屈な作業をやりとげようとする意欲の強い人と、途中であきらめてしまう人がいる。

こうした「脳の違い」が何故起こるのかを明らかにする研究が行われた。

と始まる WIREDのコラム をご紹介。

マルコム・グラッドウェル曰く「どんな才能や技量も、10,000時間の練習を続ければ「本物」になる」という。

また多くの研究から「成功を収めた人物は、熱意と、多大な努力を行う能力にも恵まれている」という現象が、明らかになっている。

 

 

記事では具体的な例には触れていないが、私なりに思いあたる内容が多かったため、書きながらまとめてみた。

 

私の仕事では、訓練という「決して楽しくはないこと」を、粘り強く繰り返しやり遂げられるのかという資質が、成否に大きく影響することになる。

こうした努力は、意外にも他の仕事では、あまり問われない部分なのだ。

仕事を終えたあと、自宅で仕事に関するスキルを磨き続けなければならない仕事の例を挙げるのは、かなり難しいはず。

だが私にとっては、この問題は、大げさに言えば死活問題だったわけだ。

 

やりたくはない訓練でも数多くやっているうちに、それなりの面白さが生まれることがある。

ただし、少し工夫が必要になる。

つまり最初から高い目標を設定すると、「もの凄く大変そうだ」という壁が立ちはだかりやすいのだ。

 

そういうときは、もう少し目の前の「ちょっと頑張ればできそうな目標」をまず設定することにしている。

近いところにある「できそうな目標」をやり遂げる方が、遠いゴールを延々と目指すより、心理的には遙かにラクだからだ。

だが身近な目標であっても、「達成感」は遠いゴールをクリアできた時と、同じたぐいのもの。

 

つまり大きな達成感を一気にモノにするのは大変でも、目の前の近いゴールならできそうな気がするはずだ。

「達成感」からは面白さが生まれ、そしてそれはやがて楽しさにも繋がってゆく。

そうなるとしめたもの。

 

面白くないことをイヤイヤ耐えながらやるという意識の世界から、訓練が楽しみになるというワールドへ一気にワープできるのだ。

そして、それが他の人よりも、ちょっとばかりうまくできたとすれば、また別の嬉しさで脳内は満されることになる。

このようにして、ドーパミンを自分の脳内へドバっと放射するにはどうすればいいのか、とイロイロ工夫をするのは楽しいものだ。(笑)

 

こうした自分なりにドーパミンを放射させるにはどうすれいいのかは、人それぞれだろう。

脳というのは一度うまくゆくと、その味を覚え、次にも同様のことを期待するため、何とかしようと悪あがきをするわけだ。(笑)

これが努力のいうものの、実態なのではないだろうか。

 

一度この甘美な味をしめると、また味わいたいという欲求は際限なく高まることになる。

私の場合はね。(笑)

そのため、ああでもないこうでもないという膨大な取り組みは、苦痛ではなく、達成するための楽しいプロセスへと変身するのだ。

 

 

物事は違っても、成功した取り組みのプロセスというものは、他の分野でも意外に応用が効くものなのだ。

 

 

こうした方法のベースの部分は、私の場合、20歳台の音楽の仕事て、ある程度身につけることができたのだと思う。

とはいっても、後から気がついたことなのだけどね。

だが音楽での努力は、私の場合、経済的な基盤の構築には繋がらなかった。

 

音楽の世界では、自分の目標は成し遂げられなかったけれど、以後の仕事では、音楽を通じて身についたモノは、予想以上の効果を上げてくれることになったというわけだ。

楽器の練習を通じて努力できれば、他の分野での努力というものは、私の場合、遙かにラクに感じられたのだ。

しかも、音楽以外の世界では、こうした類の努力をする人が、相対的に少ないということがわかったのは、目から鱗だった。

   

私の仕事での経済的基盤構築という作業は、努力の結果が数字となって、比較的リニアに戻ってくる。

トレーディングというのは、人間関係や、上役の意向などといった部分は、良くも悪くも影響しない世界だからだ。

私にとっては、こうすればこうなるとわかっているのに、どうしてやらないのかが不思議だった。

 

一般的に努力の方法論やネタを知ると、「できた気」分になり、勘違いの素となりやすくなるのだ。

知識として目から鱗のやり方を知ると、実際に行動へ移す前に、「オレはやろうと思えばできるはずだから」と、実行に移す努力は後回しにして、さらに多くの知識を得るために探し回ることになる。

だが、そうして様々な材料を仕入れたとしても、それを実際に役立つ商品として創り上げることができるかどうかは、また別の問題なのだ。

  

 

たとえば、日記や文章を書くというプロセスを例として挙げてみよう。

どうすればうまく書けるようになるのかの方法論は、巷に溢れているから、多くの人は断片的になら、すでにかなりの知識を持っている。

だから教科書やマニュアルのようなものなら、こうした方法論は結構役に立つだろう。

だが、実際に読んで面白いものを、多種多様に書ける人というのは意外に少ないのが現実だ。

 

毎日の生活では、誰もが平等に24時間という時間を過ごすわけだが、そこでは平等な量の膨大な材料が生成されている。

だがその材料というネタを、文章という製品として魅力あるものに仕立て上げるには、どうすればいいのか。

こうした肝心なところは、どうすればうまく書けるようになるのかの方法論を知っているだけではダメなのだ。

すでに知っている方法論を使い、どういう製品を創れば商品として売れるのか。

 

できあがった製品に魅力がなければ、売れないのは当然のこと。

つまり魅力的な商品とはどういうものなのかは知っていても、それを自分が創り出せるかどうかは、別の問題なのだ。

ヒットする商品を創り出した体験は、その甘い果実を、また食べてみたいという想いを生み出すことへと繋がってゆく。

このようにして、魅力的な商品を創り出すための体験から得たおもしろさや楽しさは、努力自体を苦労と思わないものへと、変えてしまうのではないだろうか。

 

というわけで、すっかり長くなってしまった「オレオレ理論」は、ただの自己満足なのかもしれない。

だが、何であろうと、自分が信じることができるものを持つというのは、実にいいものだ。

という勝手なオチで、最後をしめてみました。

たはっ。(笑)

 

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