俺の毎日は波乱がないから、面白い日記が書けない。
という方は、少なからずいらっしゃるはず。
だが、果たしてそうだろうか?
著名なサッカー選手や科学者や冒険家が日記を書いたものが、面白いとは限らない。
話題にはなるかもしれないが、それはその人に興味があるからで、日記自体が面白いかどうかはわからない。
日記というのは、自分の体験したこと毎日の生活の中で起こったことから何を感じ、それをどう引き出すかによって、読み手に伝わるものが、決まるのではないだろうか。
その伝わったものが、読み手にとって面白いかどうかは、読み手によって違うだろうが、日記の面白さというのは 、自分の体験や知識を、どれだけ客観的に見直すことができるかどうか、にかかっている、といっても過言ではないだろう。
それができなければ、日記を書いていても、そもそもが楽しくないと思う。
日記は面白いのがいいとか悪いとかを、言いたいいのではない。
出来事や体験が、自分にとってどういう意味があるのかを、読み手に伝えるために書く。
言い換えると、体験しただけの出来事をただ並べるだけでは、読み手にとって興味深いものには、ならない。のだ
これは、書いてみれば、すぐわかることだ。
その体験や出来事は、自分にとってどうだったのか?
何の意味があったのか?
以下は最近の日記の最後を例としてピックアップしてみたが、いわゆるオチとなる部分で、自分にとってどうだったのか?何の意味があったのか?どう考えたのか、などを書いている。
男のなすべき努力は、仕事ではなく、こういうところにこそ、向けるべきではないだろうか。
まずは家族で、一般の日本のメディアとは反対サイドの情報も分かち合い、考える習慣を身につけることだ。
普通の人なら、この程度のことは自分のアタマで考え、自分の意見を持てるようになるのだから。
これがこの映画を見ての最大の収穫だったといえるだろう。
しかしこういう映画は見るのも、エネルギーが必要だと痛感した次第。
このように体験したことを、第三者の目でフィードバックすることで、あなたの体験は、読み手があたかも経験したように変化し、面白く感じるように、なるのではないだろうか。
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