□年収が年齢の10倍未満だ
□その日その日を気楽に生きたいと思う
□自分らしく生きるのがよいと思う
□好きなことだけして生きたい
□面倒くさがり、だらしない、出不精
□一人でいるのが好きだ
□地味で目立たない性格だ
□ファッションは自分流である
□食べることが面倒くさいと思うことがある
□お菓子やファーストフードをよく食べる
□一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
□未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
(『下流社会』(三浦展/光文社新書)より抜粋)
上記のリスト内で半分以上当てはまる項目があったアナタは、かなりの「下流社会」にいる人間なのかもしれない。
日本では、さまざまな分野で「格差を是正すべき」という論調を目にすることが多い。
もともと私たちの生活の中では格差はあるのが普通だ。
その格差が年々広がっている、というのも事実だろう。
歴史や諸々な統計値を見ればm能力に応じた格差があるのは明らかであり、内閣の政策がどうの、という主張は単なる感情論でしかないのではないだろうか。
それに冷静に考えると「政府のコントロールカ」というのは、は果たして、こうした点に及ぶほど強大で、力を持っているものなのだろうか?
「格差の是正」は、自分の努力は棚に上げ、人のせいにするという理屈が通りやすいという事情も拍車を掛けている。
なんでも横並びでなければならない、日本独自の「平等化」が蔓延したツケなのかもしれないのにだ。
生活への不満を、政治が悪いから、首相の方針が、外相が、金融庁がとあげつらってみたところで、生活がよくなるわけではないし、給料が上がるわけでもない。
きつい言い方をすれば、これこそが典型的な偽善といっていいと思う。
本当に我慢ならないのなら、偉そうに言うだけではなく、議員に立候補するのが筋と言うものだ。
何でもかんでも施策のせいにして、すべては政策次第だと思いこむのは、少し異常ではないだろうか?
格差を是正するための方法というのは、基本的に過多の人から取り上げて、過少の人に与える以外に方法はないのだ。
だが収支を一致させなければ経営が成り立たないという会社組織の中では、雇われる側の要望というのはほとんど実質的な力を持てないのが当たり前。
にもかかわらず、この部分に起因する「格差の是正」を声高に主張するというのは、おかしな話である。
そんな理屈が成り立つわけはないのにだ。
だがそういう意味では、会社という組織の形態を支えている、時給ないし月給どいう「時間切り売り労働」は、ある意味で一大転換期を迎えているのかもしれない。
一時間1000円と、一分で5万円を稼ぐ人との、こうした格差は厳然と存在し、そうした「格差を是正しなければならない」などという主張は、単なる無知以外の何物でもない。
格差は英語で Gap とも呼ぶが、自分の不満は、自分にぶつけて解決する。
これが大人として、また社会人としての、常識だと思うのだが、今ではそうした論調を目にすることがめっきり少なくなったのは、何故なのか?
不思議な話だ。
コメントする