一手先だけを正しく読む
1909年、チェスの名手であるキューバのカパブランカが168連勝中に、興味ある公開ゲームが行われた。
その公開ゲームというのは、円形に並べられた何十ものチェステーブルで名人がその内側を歩きながら、それぞれのチェス盤を2~3秒見て駒を動か し、円の外側に座っているアマチュアプレーヤーたちは、彼の一手に自分の駒をどう動かすべきか 、一巡して彼が戻ってくるまでじっくりと考えるというものだった。
この同時対局で、キューバのカパブランカは、何と28勝0敗という完封勝利を収めたのだ。
なぜ彼はこれほどうまく、プレーできたのだろう。
このような状況で、彼は一体何手先まで読んでいたのだろうか?
カパブランカは「一手先まで」と答えたが、その一手は「いつも必ず正しかった」という。
集中的なトレーニングの効果
このひと言こそが、100年をかけた心理学の研究によって明らかにされた「成果そのもの」なのだ。
初心者とチェス名人の違いは、思考の始まりの2~3秒にあるのだという。
この知識に裏付けられた、すばやい知覚は「統覚」とも呼ばれ、ほかの分野の達人でも同じように見られる。
チェスマスターと呼ばれる名人が、すべての手を思い出せるように、熟練した演奏家は1度聞いただけの楽譜をほぼ再現することができる。
そしてチェスマスターが一瞬にして最善の手を思いつくのと同じように 、名医は患者に対して、すばやく正確な診断を下すことができるのだ。
では、いったいどうやって、達人たちはこうした技能を身につけるのだろうか?
持って生まれた才能と集中的なトレーニング、そのどちらがより重要なのだろうか?
心理学者たちはチェス名人を対象にした研究にその答えを求め、100年にわたる研究から、精神がいかに情報を整理し、検索するかを説明する新理論 を導いたのだ。
この研究は教育者にとって重要な示唆を含み、チェスプレーヤーが腕を磨くのに用いるテクニックは、教室で読み書きや算数を教えるのにも応用できる だろう。
もちろんトレードにもだ。
大昔の祖先にとって、狩猟は生存に不可欠な技術だった。
人間の専門技能の歴史は狩猟に始まったといってもいいだろう。
熟練の狩人はライオンがどこにいるかがわかるだけではない。
ライオンがどこへ行こうとしているのかも推察することができる。
カリフォルニア州立大学フラートン校の人類学者ボックは「追跡技術の向上は幼少期に始まり30代でピークを迎えるまでずっと直線的に上昇する」と語 っている。
だが、脳外科医を訓練するのに必要な時間は、これよりはるかに少ないのだ。
初心者に比べて格段に技能が優っていてこそ、真の達人といえるわけで、そうでなければ、優れた実績を持つ素人でしかない。
過去20年間の詳細な研究が明らかにしたのは、よく知られている次のような現象だった。
投資コンサルタントでも素人程度にしかトレードでは成功することができない。
著名なワイン鑑定家だからといって必ずしもワインの識別に優れているわけではない。
高い資格を持つ精神療法士も資格の低い同僚と同程度にしか患者を助けていない。
教授法やビジネス管理能力では、間違いなく専門技能は存在する。
だが、それを測定するのは難しく、ましてそれを身につける方法を明快に説明するのは困難なのだ。
認知科学のショウジョウバエ
だが、チェスの技能は測定が可能だ。
なぜなら、それぞれの要素は分解することができるからだ。
おまけに研究室では実験やシミュレーションが可能だ。
さらには、試合会場という普通の状態で容易に観察できるだろう。
これらの理由から、チェスは思考理論における最高かつ唯一の実験素材として使われ「認知科学のショウジョウバエ」と呼ばれている。
これはトレードでも同じこと。
チャートの要素は分解することができるし、シミュレーションはお手のもの。
実践の場で、その結果は明快な数字として、容易に比較観察することができるのだから。
このようにチェスの世界では、統計学を取り入れた数式を用いて、プレーヤーの最近の成績を過去のものと比較考察し、相手の強さに応じて成績を割り引く ことができるのだ。
そのためチェス技能の測定は、他のいかなるゲームやスポーツ、競技よりも進んでいる。
こうして計算された数値は「レーティング(格付け)」と呼ばれ、驚くほどの正確さでゲーム結果を予測することができるのだ。
そのためチェスの技能は測定が容易なため実験の対象にしやすく、チェスのゲームは認知科学の理論を検証する重要な実験素材となっている。
たとえばプレーヤーAのレーティングがプレーヤーBよりも200ポイント上回っている場合、Aは平均75%の確率でBに勝つ。
この予測はトップランクのプレーヤーについても並のプレーヤーについても同様に成り立つ。
そのためレーティングを用いれば、評判ではなく実力で技能を評価することができる。
プレーヤーの腕前が経験を積むにしたがってどう変化するか、などといった点を追跡することさえできるのだ。
認知科学がビリヤードやブリッジではなく、チェスをモデルに選んだもう1つの理由は、チェスが知能ゲームであるといわれてきたからだ。
ドイツの詩人ゲーテはチェスの試合を「知力の試金石」と呼んだことからもわかるように、チェスマスターの妙技は、魔法のような精神力によると 見られてきた。
その魔法が最も際立つのは、チェス盤を見ずにプレーする「目隠しチェス」だ。
最初の知能テストの共同発明者であるフランスの心理学者ビネーは、1894年、チェスマスターと共に目隠しチェスをするときの思考方法を 探り当てることに成功した。
ビネーは当初、チェスマスターは写真に近いイメージでチェス盤をとらえていると考えた。
だがその後の研究で、チェスマスターはナイトのたてがみや駒の木目を見ているのではなく、特定の駒が他の駒とどんな位置関係にあるかという概括的な知識だけを思い出 していることを発見したのだ。
これは通勤で地下鉄を使う場合に、停車駅の順序や位置関係について持っている知識と同じ種類のものだ。
目隠しチェスのマスターはそうした知識に加え、進行中のゲームの細部や、過去のゲームの重要な局面を記憶し、知識を補っているのだ。
生来の能力よりも特別なトレーニング
チェスの名人はゲーム中の駒の位置に関する知識を大量に記憶して、ゲームに生かしているが、名人は情報を「チャンク(塊)」として組織化しているという仮説 がある。
チャンクは長期記憶から素早く検索でき 、ワーキングメモリー(作動記憶)の中で操作できるからだ。
この構造化された知識の集まりを蓄積するため、名人は厳しい訓練を何年にもわたって重ね、自分の能力を少し超えたチャレンジに継続的に取り組む のだ。
音楽や数学、スポーツに優れた人たちは、同じようにして専門技能を獲得し、コンテストや試合、あるいは勝利の喜びをモチベーションにしている。
「2手前は彼のビショップを取れなかった。だから、あのボーンが邪魔になっていたに違いない」
チェスの名手はこう推論するのだ。
常にすべての盤面を細部まで覚えている必要はないのだという。
なぜなら、物事の関連をきちんと組織化して収めたシステムが頭の中にできているため、そこから好きなときにいつでも特定の細部を再現できるからだ。
必要なのは分析ではなく、こうした複雑に構造化された知識によるもので、ゲームの腕前は生来の能力よりも特別なトレーニングによるものだといえるだろう。
これを確認したのが、自身もチェスマスターだったオランダの心理学者デ・フロートだ。
彼は1938年にオランダで開く大きな国際大会を計画するという好機を得て、世界一流のグランドマスターと、平均レベルや強いプレーヤーとを比較した。
彼はプレーヤーたちに大会で行われたあるゲームのある盤面を見せ、自分ならどんな手を指すかを調べたのだ。
マスターのすぐ下のクラスのエキスパートでは非常に弱いプレーヤーに比べ、ずっと多くの可能性を分析した。
しかし、意外にもそれよりはるかに強いマスターやグランドマスターレベルになっても、分析数はそれ以上あまり増えていなかったのだという。
このことから、強いプレーヤーはより多くの指し手を検討しているわけではないということになる。
ただ、より適切な手を検討しているだけなのだ。
この研究でも、カパブランカが述べていたのと同じ結論へと辿り着いたのだ。
広範囲にわたる正確な計算が欠かせないチェスの盤面は、まさにグランドマスターの腕の見せどころだといっていいだろう。
彼らは考えられるあらゆる手筋に沿って、駒の動きを深く掘り下げるのだ。
経験に富んだ物理学者は、物理学専攻の学生よりも多くの可能性を検討できるのと同じ現象だ。
いずれのケースでも達人たちを支えているのは、分析力よりも、むしろ構造化された知識の蓄積なのだ。
難しい局面になると、弱いプレーヤーは30分間計算して何手も先を読むが、正しい連続性を見逃してしまう。
だがグランドマスターは、意識的な分析はまったくせずに、すぐに手を見極めることができるのだ。
また、被験者たちに一定時間、盤面を見せ、それを記憶から再現するという実験でも、成績は初心者からグランドマスターに至るまで、チェスの腕前と 見事に一致したのだ。
初心者は30秒間検討した後でも盤面のごく一部しか思い出せなかったのだが、グランドマスターはわずか数秒眺めただけで、ほとんど完壁に再現 することができたのだ。
この違いから、ゲーム中によく生じる駒の位置関係を記憶するには、特有の記憶形態があることがわかるという。
この特有の記憶がトレーニングの結果であることは間違いないところだろう。
なぜなら、一般的ま記憶テストでは、グランドマスターの記憶力が一般人よりも優れているという結果は出ていないからだ。
同様の結果は、さまざまなゲームのカード内容を覚えているブリッジのプレーヤーや大量のコンピューターコードを再構成できるコンピュータープログラマー、 長いアドリブを展開できる音楽家によっても証明されている。
達人たちのよりどころが「構造化された知識」であるというこの結論は、弱かったあるチェスプレーヤーがマスターに昇進するまでを調べた珍しい事例研究によって も裏づけられることになったのだ。
フロリダ州立大学の心理学のチャーネス教授は、1987年にカナダの主要なチェスマスターの1人に昇進したD.H.氏をリサーチした結果、腕前が上がっても、駒の配置を以前よりも広範に分析することはなく、代わりに駒の配置や関連する戦略についての知識が大幅に豊かになり 、それに頼るようになったことを突き止めたのだ。
能力は簡単には異なる分野へ移行できない
1960年代、カーネギーメロン大学のサイモンとチェイスは、達人の記憶の限界を調べることによって彼らの記憶に迫ろうと、実際のゲームの盤面ではなく、駒を無作為に配置した盤面をさまざまな腕前のプレーヤーに見せて、記憶から再現してもらう実験 を行った。
その結果、進行中のゲーム自体だけでなく、典型的な駒の配置によっても記憶が調整されることが判明したのだが、この研究結果は、ある分野における能力を別の分野には移行できないことを示した以前の研究を裏づける ことにもなった。
米国の心理学者ソーンダイクは1世紀以上前に、能力は異なる分野に移行できないことをすでに指摘している。
ラテン語を研究した人が英語を自由に使いこなせるようになるわけではなく、幾何の証明が日常生活での論理の使用法を教えるものではないことを示した のだ。
チェスマスターがランダムな駒の配置になると、記憶から再現しにくくなるのはなぜなのか?
サイモンは意味のあるパターンを一括りにした「チャンク(塊)」という考え方を使って、これを説明した。
この概念を持ち込んだのは、チェスマスターが膨大な記憶情報をどのようにして操作できるのか、つまりワーキングメモリー(作動記憶)をフルに働かせねばならないような作業をどう実行 しているのかを調べるためだった。
ワーキングメモリーは「心のメモ帳」のようなもので、プリンストン大学の心理学者ミラーは、1956年の「マジカルナンバー7プラスマイナス2」という論文で、人が一度に考えられる項目は5つから9つにすぎないことを示した。
しかしサイモンは、チェスマスターよ情報の階層構造をひとかたまりのチャンクとしてとらえることで、こうした限界を超えることができると論じた のだ。
この方法を使えば、同じ5~9個でも「より大きな塊」にアクセスできるからだ。
10年ルール
達人は長期記憶の活用が得意たなめ、気を散らされていても妙技を続けることができるのだが、フロリダ州立大学のエリクソンとチャーネスは、達人が長期記憶をあたかも作動記憶のように利用する 、何らかのメカニズムがあるに違いないと主張した。
エリクソンは「熟達のプレーヤーは目隠しチェスでも通常のチェスと同じ強さを発揮することができる。だがこれをチャンキング理論で説明するのは不可能に近い。目隠しチェスでは駒の配置を知るために、それを自分の記憶の中から探し出さなくてはならないからだ」 と主張している。
こうした操作は、蓄積されたチャンクの何らかの変更を伴うため「メリーさんの羊」を後ろから暗唱するようなものだ。
可能ではあるが容易ではなく、多くの間違いは避けられないだろう。
なのに、グランドマスターは目隠しチェスを素早くプレーし、そのゲーム内容は驚くほど優れていることが多い。
エリクソンはこのほかに、医師に関する研究例も挙げているが、医師は情報を長期記憶に入れ、診断を下せるような形でそれを再び取り出しているのだ。
最も身近な例としては読書が挙げられる。
1995年、彼とコロラド大学のキンチは、熟達した読書家は邪魔が入っても、わずか数秒をロスするだけで、再び同じ速度で読書に戻ること ができる点を発見した。
エリクソンらはこの発見を、「長期作動記憶」と呼ぶ構造を頼りに説明した。
2001年にドイツのコンスタンツ大学で行われた脳画像研究は、チェスの達人は初心者よりもはるかに長期記憶を活動させていることを示し、さらにこの仮説 を裏付けることにもなったのだ。
これに対しロンドンにあるブルネル大学のゴベットは1990年代後期にサイモンとともに別の仮説を提唱し、チャンキング理論を擁護している。
専門技能に関する理論家が全員同意する点は、頭の中にこうした構造を築くには大きな努力が必要だということだ。
サイモンは自らの心理学的法則を「10年ルール」と名づけた。
どんな分野をマスターするにも、約10年の修業が必要になるというものだ。
この見解に立てば、近年のチェス天才児の激増は、コンピューターを利用したトレーニング方法によるものだといえるだろう。
フィッシャーは1958年に15歳でグランドマスターのタイトルを獲得してセンセーションを巻き起こしたが、現在の記録保持者は12歳7カ月でグランドマスターとなったウクライナのカルジャキンだ。
コンピューターを使って子どもたちに卓越したゲームを勉強させ、マスター級のプログラムを相手に先人たちよりも頻繁にプレーさせる のは、とても効果的な訓練方法なのだ。
正しい訓練の効果
このことからもわかるように、エリクソンは、重要なのは経験そのものではなく、「努力を要する訓練」だと主張している。
その人の能力をわずかに超えたところで、チャレンジを繰り返すことが必要なのだ。
ただ好きだというだけで、何万時間チェスをしたりゴルフをしたり楽器を弾いたりしても、アマチュアレベルを脱することはできない。
だが適切なトレーニングさえ受ければ、学生でも短期間で彼らに追いつくことができるのだ。
興味深いことに、チェスのプレーに費やした時間の長さは、たとえ試合であっても、努力を要する訓練ほどにはプレーヤーの上達には貢献しないのだ。
試合にトレーニング上の価値があるとすれば、自分の弱点を知って、さらなる訓練に向かう材料にするためといった点くらいだろうか。
初心者も最初は努力を要する訓練に専念するため、ビギナーのうちはゴルフでも自動車の運転でも急速に進歩する。
だが、ゴルフ仲間に追いついたり運転免許が取れたりすると、ほとんどの人は気がゆるんでしまうため、惰性的になり、上達しにくくな ってしまうのだ。
一方で、訓練された達人は自分の「精神力」をずっと維持できるため、その分野の頂点に立つ人たちの基準に近づいてゆけるのだ。
グランドマスターでもある英国の数学者ナンは、コンピューターを用いて2つの国際トーナメントの全ゲームで生じたミスを比較した。
1つは1911年に開かれた大会で、もう1つは1993年の試合だが、現代の選手のほうがはるかに正確にプレーをしているという。
さらに、1911年当時に中位だったあるプレーヤーの全ゲームを検証したところ、現在なら彼のレーティングはせいぜい2100点だと結論づけた。
これは調子よく追い風が吹いているゲームでも、現在のグランドマスターの数百点下にあたる成績でしかないのだという。
昔の最上級のマスターたちはこれよりもかなり強かったが、それでも現在のトップレベルに比べると大幅に下回っているのだ。
なぜなら、カパブランカの時代の人たちはコンピューターも、試合内容のデータベースも持っていなかったからだ。
彼らはバッハやモーツァルト、ベートーベンと同様に、自分自身で物事に取り組まなければならなかったからだが、同様の比較は、ニュートンと、物理の博士号を取得したばかりの現代人の間でも成り立つ のだという。
生まれつきの才能よりも努力
だが、懐疑的な人たちは「ひたすら練習に練習を重ねただけでは、カーネギーホールで演奏するまでにはなれない」と言うかもしれない。
生まれつきの才能を重視する考え方は、達人たちやその指導者の間で根強いものがある。
だが不思議なことに、それを裏付ける確固とした証拠はないのだ。
2002年にゴベットは、アマチュアからグランドマスターまでの多様な英国のチェスプレーヤーを調べ、彼らのプレーの強さと図形記憶テストで測定した視覚的空間把握能力との間に は何の関連性もないことを見いだしたのだ。
このほか、プロの競馬予想屋がレース結果を予想する能力は数学的能力とまったく相関していないことを明らかにした別の研究もある。
どんな分野についても、誰が優れたエキスパートになるのかは、まだ予想できないのだ。
だが、エキスパートを意図的に養成できる可能性を示した、注目すべき実験がある。
ハンガリーの教育者ボルガールは3人の娘に自宅でチェスの英才教育を行い、1日6時間もの訓練で、1人のインターナショナルマスターと2人のグランドマスターを生み出し 、チェス史上、最強の姉妹プレーヤーを排出したのだが、ボルガールの実験は2つのことを明らかにした。
グランドマスターを育てることができること、そして女性がグランドマスターになれることだ。
ボルガールがチェス教育についての本を出版して以来、チェス天才児の出現率が増えたのは偶然ではない。
音楽の天才児の数も、モーツァルトの父が2世紀前に同じようなことを行って以来、同様の増加を見せている。
モチベーションをいかに向上させるか
このように、専門技能の開発に関しては、生来の能力よりもモチベーションといういわゆる動機づけのほうが重要な要因となるようだ。
音楽でもチェスでもスポーツでも、学業成績証明書ではなく競技やコンテストによって優秀さが判断される分野ではすべて、熱心な親や周囲の人々の援助によって、若くしてプロ級の腕前を持つ人が出現するようになっている。
そのうえ、成功はさらに成功を呼ぶ。
達成感は、モチベーションをさらに高める効果があるためだ。
スポーツや音楽をはじめ、さまざまな分野の教師たちは、才能が重要だと信じる傾向があり、見れば才能の有無を判断できると考えているが、実際には教師 が能力と早熟を混同していることが多いだけなのだ。
リサイタルを聴いただけでは、若きバイオリニストのたぐいまれな演奏が生来の能力によるものなのか、それとも鈴木メソッドで何年も練習したことによるのかは、普通区別することはできない。
今、最も優れた「生来の」チェスプレーヤーと見なされているカパブランカは、チェスに時間を使いすぎたのが一因で、コロンビア大学を成績不良で退学している。
彼の素早い理解力は誰もが知っているが、これはトレーニングの産物であって、それ以外の何物でもない。
このように圧倒的な数の心理学研究によって、達人はつくられるものであって、生まれつきではないことが示されている。
さらに、チェスや音楽をはじめとする多くの分野で、正しいトレーニングによって、短時間でエキスパートを育てられることが実証されたのだ。
これは学校教育に、新たな難題を突き付けることになった。
国語や数学の技術向上につながるが、骨の折れる訓練に生徒を没頭させるにはどうすればよいのだろうか?
ハーバード大学の経済学者フライヤーは、学業成績が振るわないニューヨークとダラスの学校で、報奨金を出すことで子どもたちの「やる気」を引き出す実験を行った。
たとえば、ニューヨークで行われているあるプログラムでは、教師は生徒を3週間ごとに試験し、得点の良い生徒に少額の金銭(10ドルか20ドル程度)を与えている。
初期の結果はなかなか有望なものだったというが、人間の根源的な心理からいっても、キャッシュはモチベーションの向上に大いに役立つに違いない。
教育者は「なぜ彼は国語ができないのか?」という疑問で悩むのではなく「彼が学べないものなんて、この世に何かあるだろうか?」と いう姿勢で考えるべきなのだろう。
原題名
TheExpertMind (SCIENTIFIC AMERICAN August2006)