TVの前でタラタラと過ごすというのは、私の場合風邪を引いたときくらいなのだが、最近はそういう機会もないのだが、カミサンがつけているテレビをチラチラ見ている限りにおいても、よくもまあみんな「にわか評論家」となって、ああでもないこうでもないと、好きなことを言って解説ができるものだと思う。
その無節操さは「面白ければ何をやってもいい」という風潮から来ているのだと思うが、よく考えてみると、これは「儲かるなら何をやってもいい」というのと全く同じなのではないだろうか?
田舎に住んでいる純朴な人や、お年寄りの中には、TVで放送しているものイコール正しい、正確と思っている人も決して少なくはないはずで、これだけ同質な類似性が根底に流れているというのは、よく考えるとコワイことだと思う。
お笑いタレントが、霊能者に洗脳されて、家賃を滞納しているなどという話題に、延々と時間をかけて放送しているTV局が多いのには呆れてしまう。
洗脳されているのは、こうした番組を、面白いと感じで見ている人なのでhないだろうか?
現場を見たわけではなく、伝聞と推測だけで、あれだけの井戸端会議を展開するテレビ局の熱意には、思わず感心してしまった。(笑)
ある程度選別したプロの目線で独自色を出してくれればまだしも、同じ局でも番組ごとに、さらに喋る人間ごとに、とんでもない考え方や意見までもが、同じレベルで電波によって日本中にまんべんなく、流されているわけだ。
出演している人には、何とか目立とうとか、面白く喋ろうとか、さまざまな思惑があるだろうから、どうしても内容は井戸端会議のレベルとなりやすく、おもしろおかしく無節操に垂れ流されることになる。
というわけで、TVはすでに、完全な娯楽となってしまっているといっても差し支えないだろう。
正しく物事を判定するためには、TVを見ないという選択肢が一番なのだと、改めて感じた次第。
ニュース番組は、それが仕事なのだからまあ仕方ないといえるけど、ネタがないため、別に知らなくてもいいものまで、お節介にもありとあらゆる目線であれだけ懇切丁寧に垂れ流せば、見ているものにとっては、何が何だかわからなくなるのは当然の話だろう。
そのため、大事な政治や経済の話になると、何がどうなっているのかをわかりやすく説明できる人は、普段TVを見ていればいるほど、いなくなってしまうという現象が起こるというわけだ。
物事を考えるための組み立て方そのものが玉石混合となってしまうわけだから、当然のこと。
見ていると自分も同じように、あれこれ詮索して考えなければ、何だか世の中から取り残されるような気分になってしまうのが怖い。
TVというのは、視聴者を洗脳するためのメディアなのだということは、横からチラ見をしてみると、ホントによくわかる。
だからといって、魅入られてしまい、見続けてしまうと、思考力がなくなってボケてしまうわけだ。
クワバラクワバラ。(笑)
でもこういうのって、片っ端から録画しておいて、半年も経ってから、改めて録画したものを見れば、誰がどうで何がどうだったのかは一目瞭然でわかるだろうね。
いまは多くの人がそういうレコーダーを持っているはずだから、この方法が最もTVを有効に楽しめる方法かもしれない。